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仕事部屋

Contemporaneity is permanent.

ちょっと前に韓国のオーディション番組でとても心地よい歌声の女の子を視た。最終選考まで残って来日ツアーにも参加していたがステージは観られていない。当然すぐにデビューするんだろうとしばらくの間彼女の名前をちょいちょい検索していたけれど、なかなか見つからなかった。諦めた頃、ネトフリで人気のドラマを観ていたらあの心地よい声が聞こえた。OSTの情報があったが韓国語表記で確認できなかった。その後Youtubeで調べるとOSTが2曲あがっていて、iTunesストアで探したらEPもOSTの曲も購入できた。少し肌寒い日の寝起きに聴くと白湯を飲んだようにすっとした気分になる。寝る前に聴くとふわっとほぐれる。こうやって世界のどこかで小さな煌めきを発している何かをMacの前に座っているだけで当たり前のように手にできるなんて本当にすごい。

最近はセーラー服の歌って踊る4人組も好き。ヤラされてる感がないってこんなにも伝わる活力が違うのかと目を瞠る。歌やダンスの面白さってやっぱり技術に支えられてるんだなあと感嘆しながら繰り返し視てしまう。「はみだしていく」ことがモットーの人たちは枠があって初めて活きるのだとしたら、どうかギリギリ王道からはみ出していて欲しい。はみ出していたものを王道にのせて潰してしまうのは、それだけ王道そのものが脆いからだとしたら、昭和歌謡という王道はそれだけ今の時代において頑強なんだろう。

NHKの朝ドラで懐かしい新曲を創り上げる服部隆之氏に、なんともいえない誇らしさのようなものを感じた。もちろん隆之氏も王道に立っているわけだが、祖父が築いたスタイルあってこその「そのものじゃない活力」がカッコいい。中学生の頃、自作の詩を持って服部家にお邪魔し、隆之氏が作曲したメロディーを隆之氏のピアノに合わせて歌わせてもらったことがあった。練習させてもらったのはそのとき1回きりなのにそのメロディーは不思議と染み付いていて今もそのまま歌える。当時はライブをやる計画も立てたのだけど、世間知らずの中学生には実現する力が及ばずたいそう失礼をしてしまったのだった。そのときは克久先生にも「お父さんとご一緒したことがあるよ」とお声をかけて戴いたし、何しろ後々に黒テントのハットさんと出会った。うちの娘は中学生のとき黒テントのワークショップに参加してハットさんの生演奏で買い物ブギを歌った。名家の脇にささやかな歴史あり。

自分の内側に散らばっている残像の欠片はネット上にあるものと似ている。無限に拡がる枝葉は確かに世界に向けて伸びているけれど、その種はいつも自分の内側に、時には見えないほど深い奥底で芽吹く。孫が成長する過程で同時代性の恩恵が途切れても、またほかのつながり方が始まって、それが次の同時代性になって、いつか振り返って嬉しく感じたりするんだな。



  1. 2023/12/04(月) 11:48:59|
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発露のとき。

先日、洗濯機を買い替えたのだけど、旧いやつを運び出したとき、2階の自室にいた孫がわんわん声をあげて泣き始めたので、何事かと思ったら「洗濯機サヨナラ」と泣いていたのだった。

昨年末だかにベビーカーを粗大ゴミに出したときも、サイズアウトした運動靴を捨てるときも、サヨナラと呟いて、泣く。

捨てられるモノに共感しているのか、完全なる世界から何かが失われる喪失感なのか、捨てる行為を止められない無力感なのか、別れに対する過剰な悲観があるのかなんだかわからないけれど、本気で悲しんでポロポロ涙を零して泣く。

そのことを夕食時に娘に報告して思い出し泣きまでしていた。

エモい。
と思ったのだが、エモいの使い方が合ってるかわからない。

翌朝、入れ替わった新しい洗濯機にそっと触れて「よろしくね」と、すごーく小さな声で言っていた。



  1. 2023/11/01(水) 02:21:55|
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川を往く。

ようやく休みを合わせられた先日に、車で10分ほどの船着場から川を走る船上バスに乗った、ひらべったい船は揺れが少なく快適、がんがん効いた冷房で体が冷えるとデッキに上がって、暑さでしんどくなったら船室に入って乗客の賑やかなお喋りの隙間からガイドの音声を拾い、前の晩に亭主が作ったいなり寿司を食べ、心地よい揺れで眠くなったら膝を借りて居眠りをし、窓から見上げる雲の形に留守番の犬を憂い、見慣れぬ東京の顔を楽しんだ往復6時間の船旅。


IMG_5362.jpg 船着場 IMG_5367.jpg 水上バス

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IMG_5384.jpg 海はちょっと怖い。

渋谷のど真ん中で生まれ育ったくせに、川の流れを見ると落ち着く性質で、原体験は母の実家だった高知の四万十川の源流なのだけど、都会のちょろちょろした汚い水が流れる川もそれはそれで嫌いじゃなく、亭主は海が好きだというが海はなんだか行き止まりというか終着のような感じがするので、ただひたすらに通過するだけの川がやっぱりいい、海の向こうという大きな視点に欠けるだけなのかもしれないし、川の始まりは海という理屈も頭ではわかっているのだけど。





  1. 2023/08/26(土) 21:46:29|
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健全な犬。

初郎4歳、怪我も病気もなく落ち着いて暮らしている、ヒトなら32歳くらいらしい、幼犬時は鼻周りから顔半分が黒かったけど年々白っぽくなってきた、オヤツくれと散歩行けとクーラー寒いから毛布かけろの催促を使い分ける、地震と雷と馴れ馴れしい老人が嫌い、宅配業者玄関ドアから内側に一歩でも踏み込むとガルルと威嚇するなかなかの番犬ぶり、台所に侵入してドーナツ4個を一気喰いしたりイギリスパン4枚を一気喰いしたりしても体調を崩すことのない健胃、公園からダッシュで逃げ出して必死の形相で追いかけた亭主を大きく引き離し公園の外周をぐるっと走って素知らぬ顔で戻る健脚、自慢のトラ柄ボディはツヤツヤすべすべの健毛、誕生日にもらったオヤツとオモチャを次の日にわざわざ取り出してベッドに並べ満足気だった、大概はうっすら機嫌良さげにしており、家族に対して興味を失わず愛情深く見守っている、とにかくひたすら健やかな犬、これほどありがたいことがあるだろうか。


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  1. 2023/07/31(月) 05:59:28|
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毛並ちがい。

通勤20分のバイト先を退職し通勤40分の新しいバイト先で研修をしている、同じ職種で業務内容も同じなのだが両極端に違う部分もあって戸惑うやら面白いやら、退職した職場では気の合う同僚にも出逢え新しい仕事を教わったので有難い気持ちがたくさんあるが、時たま出くわす「毛嫌い」に辟易し、1日4時間の勤務であれ人生の無駄遣いをしているように感じられたことが退職の大きな理由だった。

幼少時から「毛嫌い」に出くわす、きっかけは様々なのだろう、「毛嫌い」されるだけだから自覚がない、だけど「毛嫌い」されていることはよくわかる、よくわかるのに自覚がないから対応の仕様がなく平常のままで過ごす、その平常が尚更に「毛嫌い」を増幅させる仕組みらしい、幼少時からのそれを思い返せば相手は必ず私をどうにかする力を持つ立場の人で、対等な立場からどう思われようがなんとも感じないからそういうことになっている。

今ならパワハラだのモラハラだのセクハラだのと論うやり方もあるだろうが、それらは自覚なき悪意もしくは取り繕われた悪意の一枚皮を剥がすための手段で、「毛嫌い」は寧ろ露骨な悪感情なので皮を剥がす必要もなくやり過ごすだけだ、ただどうしても平常の中に「私のこと本当に嫌いなんだねえ」という面白がり方が透けてしまっているらしく、ひたすら相手がヒステリックになっていくばかりなので、またこちらは面白がるという悪循環に陥る。

「毛嫌い」とか「不機嫌」とかの悪感情はウィルスみたいなもんだろうと思う、耐性もつくが想像以上に思わぬダメージを受けることもある、一番の自衛策はそれが臭ったら速やかに撤収、闘うほどの執着を持たずに済むのがアルバイトの利点でもある、日頃から家庭内で仕事のことをぼやくのは避けようと思っているので言わずにいたが、ある日とうとう口をついて出た、その2日後には次の勤務先の面接を受け、5日後には契約書通りに二ヶ月後の日付で作成した退職届と有給休暇届を出して、7日後にはWワーク的に次の職場の研修を受け始めた。

雇用契約書ががある以上失点がないか重ねての確認はしていた、その上で労基に持ち込んだら調査くらい入りそうな雇用主側の失点も改めて確認したけど、そこは敢えて突かずあくまでも契約書に従って話を進めた、拗れたら並べ立てようと思っていたが向こうもシマッタまずかったと自覚したのか、二ヶ月後の退職で決着していたところをもし迷惑でなければ有給つけるんで来週から来なくてもいいと言われ、退職届を渡した10日後に追い出された、ノーワークノーペイだけどついてた有給休暇はしっかり貰う。

働いた11ヶ月でセンパイ方が全員辞めて私が一番古い人になっていた、センパイ方が退職する際、勤務最終日まで貸与の白衣を着て働き、クリーニングして宅配便で送りますと言っても了承して貰えなかったり、黙って辞める人が入り口に白衣の入った袋をこっそり置いて行ったりする職場だったから、私は半年以上前からAmazonで注文した自前の白衣を使って貸与の白衣はいつでも返せるようクリーニング済みだったし、お礼の品は新しい職場の向かいに有名な銘菓の店があった。

平常でいることにほとほと疲弊しつつも、平常のまま淡々と最終日にクリーニング済みを白衣を返却しお礼の品もお渡しして帰ってくるのは清々しく、あちらも清々したに違いないと思うから結果的には円満退社である、そして多分こういう気質が「毛嫌い」されるんだろうとも思う、反省はない。


「毛嫌い」① はっきりした理由もなく嫌うこと。② 鳥獣が相手の毛並みによって嫌うこと。


体調体力とも低下しているので新しい職場の勤務時間は2時間半で週3日、これくらいならもしまた毛並ちがいがあってもやり過ごせるんじゃなかろうか、そりゃまあ嫌われたくはないけれど、毛並ちがいを嫌うのも生存本能だろうし。



  1. 2023/07/23(日) 01:46:35|
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ウイ年。

ふたつみっつ下に1年前の記事が出てくるなんてほんとに文章を書かなくなった、早めに始めたおかげで大掃除も難なく終え、年末は溜め込んでいた針仕事を愉しんだ、正月二日に犬連れで義実家、初めて亭主の弟に対面、兄弟がいて家族が集まる正月は私も娘もほぼ未体験なので「ザ・お正月だね」と娘、歳の近い子どもたちと遊べた孫も嬉しそう、犬も案外と大人しく過ごし義両親義妹弟の健やかな笑顔を確認して無事の帰宅、あとはひたすらに本を読んで過ごし、集中して本が読めるくらいには体調が整っていることにひっそり安堵、ここ数年に比べたらこれでも格段に動けるようになっているのでまた色々やりたいことを思いつくかもしれない、ひとまず今月はガンホの新作を観なくちゃ。


IMG_5209.jpg 子・丑・寅・ウイ…で、今年はウイ年。


皆さん、どうか穏やかな一年でありますよう。
  1. 2023/01/06(金) 10:48:13|
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賢い療養生活。

「仕事部屋」というブログなので仕事がないと書くことがない、病気の話ばかりというのもあれだしなあとずいぶん放置している。

先日オフィスコットーネ綿貫プロデューサーの訃報が届き、なくなる前日までFacebookの更新があったと聞いて確認のためこちらも久々にログインした、いきなり訃報の記事を書くのも気がひけて簡単な近況をのせたら多くの人にコメントやイイネをもらってしまいやっぱり気がひける、友人知人の近況にイイネを飛ばして回るだけで1日がかりになるのでこちらは何もしていない、Twitterも同様ですっかり休眠アカウントになった。

休職6ヶ月のち退職してただひたすら自宅にこもっていた、通院と犬の散歩だけの外出で家族以外の誰とも会わずに過ごし、義理堅く慶事を報せてもらったり後から訃報が届いたりがあると人から遠ざかっていることを痛感する、遠ざかっていてもお祝いやお悔やみの気持ちがわかないわけではないのだが外に出ることなくやり過ごしてしまっていた。

綿貫Pのお通夜で混雑する電車に乗ったらやはり調子が悪い、翌日が通院日だったのでなんとかやり過ごしたが結局処方を増やされた、せっかく2年がかりで減薬してきたのにままならない、それでも夏の終わりから働きには出ている、混雑する電車に乗らずに済み、体力の限界を感じずに済む勤務時間で、後ろめたく思いながら病欠する必要のない勤務日数なので給料も正社員で働いていた頃の6分の1になったが新しいことを覚えるのはやはり愉しい。

2年も休んでいたんだから書き物をする時間はたくさんあったのだけど何も書かなかった、この記事を書くのもこれまでより随分時間がかかっている、体調のせいではなく生活のせいだろう、穏やかに過ごすことだけを心がけていると映画を観ても本を読んでも薄皮一枚が挟まれている感覚があり、自分の内側で蠢くはずのものが見つけられないから書く言葉も話す言葉も湧かない、映画や小説に笑ったり泣いたりはするのに。

Netflixの「賢い医師生活」が好きだ、シーズン2までさっさと観終わってからも繰り返し観ている、苛ついたり辛くなったりしんどい気分のときにも3分でも5分でもこれを観ると穏やかさを取り戻せるくらいに鎮静効果が高く、もはやドラマの中の医師に治療を受けているような日常になっていて面白い、まあドラマの医師は外科医だけど。

今の仕事は小さなメンタルクリニックの受付で、医療事務の資格はないが電子カルテのおかげで操作さえ覚えれば業務に差し障りはない、初診相談の電話対応を完璧と褒められたのはホテルのフロントや法律事務所の仕事で覚えたことが役立っているからだろう、様々な病院への通院歴も業務をイメージする助けになっているのか初めての仕事内容にも戸惑いは少なかった、医師や弁護士は多かれ少なかれ変わり者の気があるように思うが変わり者には慣れている、患者もそもそも本当に具合が悪い人は病院にも来られないわけで、通院する患者には皆治したいという前向きな明るさがある。

そう考えていくと自分の人生はうまいこと回ってるなあと思ったりもして、自分都合の前向きさは相変わらずなのだった。


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  1. 2022/11/10(木) 14:44:00|
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油断できない。

体調が思わしくなく3月から休職している。一泊の検査入院もあったし、毎週休みのたび通院しているときちんと体を休められる日がない。薬の量も増えてさほど忙しくもない日々の業務にミスを多発し気持ちが落ちることもあり、メニエールも急速に悪化した、療養のため休職すると通知しているのに飲みに誘ってくる同僚もいるが無論断っている。

出かけるのは病院と犬の散歩のみで地元の商店街にすら出向かないのだがたまに電車に乗れば風邪を拾ってくる有様、出勤であれば無理がきく程度でも療養中だとたちまちにダウンする、とはいえ今回の緊急事態宣言で亭主の仕事もバタバタまたキャンセルになっている状況ではいっそこのまま退職ともいかない。

読書はカズオ・イシグロの新刊と韓国の小説「PACHINKO」が素晴らしかった、もってまわった文体が苦手で読了しなかった本にも挑戦してみたがこちらはやはり数ページで挫けてしまった、小説でも映画でも大袈裟な文体や言い回しが苦手で淡々としたトーンが好みなのだ、山本夏彦とか。

そういえば初めて山本夏彦を読んだのは出産で入院していた時だったと思う、病院の売店で買ったんだったか、それを読むまで自分に文体の好みがあるとは知らなかった、視点も語り口も脳味噌を輪切りにされるような快感で内容よりその文章を読むことそのものに心が躍る初めての体験だった。

月一回血液検査で通院している持病の専門医が職員の感染疑いで休院になった、再開はGW明けだそうだから休院になってほっとしている職員も多かろう、つくづく大変な仕事を受け持ってくれているのだなあ、政府の対応にばかり気がいくが何より感染拡大を防がねばと心算あらた、迂闊さの被害でしんどい思いをする人たちがたくさんいるのだから。
  1. 2021/04/26(月) 15:44:00|
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能天気でいこう。

年末年始の挨拶は省略、ただただ生き延びていることを幸運に日々のしくじりをやり過ごしていくばかり、犬も孫もすこぶる健康で散歩のテンションが高い、ただし犬は気温が下がる夜の散歩は嫌がり玄関から5メートルも歩くと三歩歩いたから散歩終わり!と屁理屈で小鼻を膨らませる男子小学生のような顔で帰りたがる、いっそ行かなきゃいいのだがそうはできないらしいからこちらは三歩に付き合うしかない。

再びの緊急事態宣言だが今回は社内で騒ぎ立てる者がいないのもあり会社は知らんぷり、テレワークの準備が進んでいないので全員が通常通りに出勤し業務をこなしている、往復に見かける飲食店の軒先には営業時間短縮のお知らせもしくは閉店のお知らせ、対策万全!と張り紙して開けてる店はそこそこの客入りだが果たして万全の対策などあるのか、政府に自由を奪われていたり街頭で撃ち合いがあったり野生の動物に襲われたりする国で生きるリスクと感染症が蔓延する国で生きるリスクはほぼ同じだろう。

ただ不思議と、先行きのわからない生き方に馴染んでいるような気がしてくる、国どころか世界のすべてがこの先どうなっていくかわからないという状況がかえって生き易く感じられる、切迫していない故の能天気であったとしても視界を塞ぐ不安に俯くよりマシではないか、何しろ我が身以外の状況を慮る余裕につながる。

皆さんどうか今年もご無事に。


犬は滑らない。

  1. 2021/01/15(金) 11:50:54|
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点描百景。

帆太郎命日のドッグランと近場の神社で七五三詣をした以外は配信の韓国ドラマばかり観ていた気がする、今日は早退して医者2軒をハシゴして明日の1軒で年内は診察納め、病状は緩やかに悪化しており薬が増えた、大人はヨレヨレでも犬と孫は極めて健康、通勤電車では小説を読んでいて作家の名前もタイトルも覚えられず読んだ傍から忘れて読み終えた物語の断片が次々混ざっていく感じ、職場ではこの半年でようやく新しい業務に慣れ効率が上がり始めたところ、席替えのおかげで環境も良い、少人数の同僚で飲みに行ったことが2〜3度あったけれどその他の宴席には参加せず今年は記憶をなくす機会もなかった、新型ウィルスの流行に関係なく家で過ごしている、孫や犬の成長と共に家の中は雑然としてきたがまだうんざりするほどではないし、常に自宅に人が出入りしていた頃とは生活様式も違うので雑然とした家こそが暮らしであるようにも思う、家の中に人がいるのと出勤すれば同僚がいるのとでわざわざ人に会いたいと思わないのかもしれない、ツールもあまり使わなくなって誰かと連絡を取るのも必要最低限になって、これくらいが普通なんじゃないかと思うようになった、もうしばらく会わずにいる人のことはよく思い出すけれども。

普通という感覚は多分、身近な範疇のそれと自分がさほど変わらないという実感に基づいているんだろう、違和感があれば自分が普通じゃないと感じるかこいつら普通じゃないと感じるかのどちらかで、それを特別と認識することになったりもする、自分のことで考えるとAという範疇で違和感を持ってもBという範疇では普通に感じられたから違和感が苦しくなればBに逃げ普通に退屈すればAに逃げと立ち位置を変えることで気楽さを保っていた、気楽さは余力だ、最近馴染んできたCという範疇は気楽そのもので追い込まれることもテンパることもなく今のところ退屈もしていない、それでも逃げ体質は変わらずにあるからまたいつかはここからも逃げ出して最後まで何事にも向き合わず逃げ果すのかもしれないけれど、立ち位置を変えるのにも体力がいる、自分の体からは逃げられないからなあ、居場所が変わると必要なことも変わって、Aでは役に立たなかった資質がBでは才能と呼ばれたりAで許されていたことがCではご法度だったりするその変質が面白い、年齢や経験を重ねてわかることが増える面白さが縦軸なら居場所を変えるたびに自分自身を組み替えさせられる面白さは横軸で、AもBもCも自分の座標点でしかないわけだから、つまりは何をしたって自分自身からははみ出せない、ならば精一杯でたらめに点を打ってやれと思う。


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こどもの頃に繰り返し聴いていた朗読のLP盤5枚組をフリマサイトで発見し入手した、そうやって端っこを千切るみたいに大して考えず処分してしまったものがたくさんある、端っこじゃなくて真ん中かもしれないのに。


  1. 2020/12/16(水) 00:22:21|
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