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仕事部屋

油断できない。

体調が思わしくなく3月から休職している。一泊の検査入院もあったし、毎週休みのたび通院しているときちんと体を休められる日がない。薬の量も増えてさほど忙しくもない日々の業務にミスを多発し気持ちが落ちることもあり、メニエールも急速に悪化した、療養のため休職すると通知しているのに飲みに誘ってくる同僚もいるが無論断っている。

出かけるのは病院と犬の散歩のみで地元の商店街にすら出向かないのだがたまに電車に乗れば風邪を拾ってくる有様、出勤であれば無理がきく程度でも療養中だとたちまちにダウンする、とはいえ今回の緊急事態宣言で亭主の仕事もバタバタまたキャンセルになっている状況ではいっそこのまま退職ともいかない。

読書はカズオ・イシグロの新刊と韓国の小説「PACHINKO」が素晴らしかった、もってまわった文体が苦手で読了しなかった本にも挑戦してみたがこちらはやはり数ページで挫けてしまった、小説でも映画でも大袈裟な文体や言い回しが苦手で淡々としたトーンが好みなのだ、山本夏彦とか。

そういえば初めて山本夏彦を読んだのは出産で入院していた時だったと思う、病院の売店で買ったんだったか、それを読むまで自分に文体の好みがあるとは知らなかった、視点も語り口も脳味噌を輪切りにされるような快感で内容よりその文章を読むことそのものに心が躍る初めての体験だった。

月一回血液検査で通院している持病の専門医が職員の感染疑いで休院になった、再開はGW明けだそうだから休院になってほっとしている職員も多かろう、つくづく大変な仕事を受け持ってくれているのだなあ、政府の対応にばかり気がいくが何より感染拡大を防がねばと心算あらた、迂闊さの被害でしんどい思いをする人たちがたくさんいるのだから。
  1. 2021/04/26(月) 15:44:00|
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能天気でいこう。

年末年始の挨拶は省略、ただただ生き延びていることを幸運に日々のしくじりをやり過ごしていくばかり、犬も孫もすこぶる健康で散歩のテンションが高い、ただし犬は気温が下がる夜の散歩は嫌がり玄関から5メートルも歩くと三歩歩いたから散歩終わり!と屁理屈で小鼻を膨らませる男子小学生のような顔で帰りたがる、いっそ行かなきゃいいのだがそうはできないらしいからこちらは三歩に付き合うしかない。

再びの緊急事態宣言だが今回は社内で騒ぎ立てる者がいないのもあり会社は知らんぷり、テレワークの準備が進んでいないので全員が通常通りに出勤し業務をこなしている、往復に見かける飲食店の軒先には営業時間短縮のお知らせもしくは閉店のお知らせ、対策万全!と張り紙して開けてる店はそこそこの客入りだが果たして万全の対策などあるのか、政府に自由を奪われていたり街頭で撃ち合いがあったり野生の動物に襲われたりする国で生きるリスクと感染症が蔓延する国で生きるリスクはほぼ同じだろう。

ただ不思議と、先行きのわからない生き方に馴染んでいるような気がしてくる、国どころか世界のすべてがこの先どうなっていくかわからないという状況がかえって生き易く感じられる、切迫していない故の能天気であったとしても視界を塞ぐ不安に俯くよりマシではないか、何しろ我が身以外の状況を慮る余裕につながる。

皆さんどうか今年もご無事に。


犬は滑らない。

  1. 2021/01/15(金) 11:50:54|
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点描百景。

帆太郎命日のドッグランと近場の神社で七五三詣をした以外は配信の韓国ドラマばかり観ていた気がする、今日は早退して医者2軒をハシゴして明日の1軒で年内は診察納め、病状は緩やかに悪化しており薬が増えた、大人はヨレヨレでも犬と孫は極めて健康、通勤電車では小説を読んでいて作家の名前もタイトルも覚えられず読んだ傍から忘れて読み終えた物語の断片が次々混ざっていく感じ、職場ではこの半年でようやく新しい業務に慣れ効率が上がり始めたところ、席替えのおかげで環境も良い、少人数の同僚で飲みに行ったことが2〜3度あったけれどその他の宴席には参加せず今年は記憶をなくす機会もなかった、新型ウィルスの流行に関係なく家で過ごしている、孫や犬の成長と共に家の中は雑然としてきたがまだうんざりするほどではないし、常に自宅に人が出入りしていた頃とは生活様式も違うので雑然とした家こそが暮らしであるようにも思う、家の中に人がいるのと出勤すれば同僚がいるのとでわざわざ人に会いたいと思わないのかもしれない、ツールもあまり使わなくなって誰かと連絡を取るのも必要最低限になって、これくらいが普通なんじゃないかと思うようになった、もうしばらく会わずにいる人のことはよく思い出すけれども。

普通という感覚は多分、身近な範疇のそれと自分がさほど変わらないという実感に基づいているんだろう、違和感があれば自分が普通じゃないと感じるかこいつら普通じゃないと感じるかのどちらかで、それを特別と認識することになったりもする、自分のことで考えるとAという範疇で違和感を持ってもBという範疇では普通に感じられたから違和感が苦しくなればBに逃げ普通に退屈すればAに逃げと立ち位置を変えることで気楽さを保っていた、気楽さは余力だ、最近馴染んできたCという範疇は気楽そのもので追い込まれることもテンパることもなく今のところ退屈もしていない、それでも逃げ体質は変わらずにあるからまたいつかはここからも逃げ出して最後まで何事にも向き合わず逃げ果すのかもしれないけれど、立ち位置を変えるのにも体力がいる、自分の体からは逃げられないからなあ、居場所が変わると必要なことも変わって、Aでは役に立たなかった資質がBでは才能と呼ばれたりAで許されていたことがCではご法度だったりするその変質が面白い、年齢や経験を重ねてわかることが増える面白さが縦軸なら居場所を変えるたびに自分自身を組み替えさせられる面白さは横軸で、AもBもCも自分の座標点でしかないわけだから、つまりは何をしたって自分自身からははみ出せない、ならば精一杯でたらめに点を打ってやれと思う。


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こどもの頃に繰り返し聴いていた朗読のLP盤5枚組をフリマサイトで発見し入手した、そうやって端っこを千切るみたいに大して考えず処分してしまったものがたくさんある、端っこじゃなくて真ん中かもしれないのに。


  1. 2020/12/16(水) 00:22:21|
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ふわふわバケーション。

夏の終わり、世の中が自粛ムードだった隙に、こっそり家族旅行をした。
犬と幼児を連れて電車を乗り継ぎ、海沿いの家に一泊してきただけだが、今もその景色が恋しい。
親戚に会うなどの目的もなく、ただ家族でどこかに移動するだけの家族旅行は、恐らく初めての経験だった。
借りた家の芝生の庭で犬も幼児も大人たちも走り回り、寝転んだ。
庭の裏に出るともう砂浜で、水着の幼児は波打ち際で狂喜し、犬もざぶざぶと波を蹴って進んだ。
海辺には馬がいた。
日が落ちると、クール便で送った食材を庭の一角で焼いて食べ、潮風と煙まみれの体を交代で洗い流して、早寝した。
夜中に庭に出て星空を眺め、短い睡眠で目覚めてからは朝焼けを浴びた。
数時間後にはもう暑くなって、また裸足で芝生を走り、皆が起きてぞろぞろと海に向かった。

それだけの休日だったが、確かにこれまで味わったことのない時間だった。
日常がつるっと別の次元に滑り込んんだような、特別だけど特別すぎない感じが、とても心地よかった。


IMG_4667.jpeg  庭

IMG_4680.jpeg  孫

IMG_4720.jpeg  犬

IMG_4698.jpeg  月

IMG_4714.jpeg  朝


戻って数日後には、映画を観たり人前で喋ったり懐かしい人と話したりした。
芝生や海辺や星空の時間と、新宿の映画館や居酒屋が、ゆるゆる混じり合って、少しふわふわしていたかもしれない。

それからまた日常がはじまった。
相変わらず、薬の服用で体調をだましだまし働いているけれど、慣れてくるとまるで不調などないように思える。
肋骨を痛めて以前整形外科でもらったコルセットをつけたりしていて、馴染んだ不調より俄然鮮明な痛みがあるから、肋骨の痛みがなくなればさっぱり健康になるような気がする。

少しだけ涼しくなったつい先日に、娘と二人で近所の焼き鳥屋に行った。
二人で飲むのはしばらくぶりだったが、二人とも酔っ払わずに引き揚げた。

新型コロナウィルスの煽りを受けて仕事が激減している亭主はこのところめきめきと料理の腕を上げ、孫の誕生日にプリンを作った。
孫が3歳になって集中していた誕生日ラッシュが落ち着くと、もう今年も終盤になっていた。

そういえば、帆太郎もみどりちゃんも海には行ったことがある。
犬は、ぜひとも海に行くべきだ。


  1. 2020/09/23(水) 23:20:17|
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もくもくと。

ゲンキンなものでこの頃はやっぱりFacebookなどからも遠退いていて、生きてるのか?と直接確認してくれた人がちらほらいたくらいだが取りたてて知らせたい近況や心情がない。
いや、ここ最近でものすごくはっきりとしたことがあって、自分の中ではしっかり言語化できてもいるんだけど、それを誰かに伝えたいとは思わないので未だ誰にも話していなかったりもする。
思えばそもそもそういう資質なんだけど、そういう資質そのまんまでいられる時間が、これまであまりなかった。
芝居を作る作業には不適切な資質だったからだろう。

頭の中身をあれほど他人に伝達しなければ成立しない役割は、そうそうないと思う。
思考や心情は湧くそばから言語化して垂れ流してきていて、喋ってしまうと自分自身がそれに煽られたりもするし、喋り続けていると不意のだんまりに意味ができちゃったりもして、物事の奇跡的な解決もとんでもないしくじりも、すべては言葉が発端だった。
たいていの場合、感じ取ったり考えついたりしたことはもやもやと頭ん中に浮遊していて、言語化するにはスイッチひとつくらいの切り替えが必要で、起動が遅いこともしばしばあるのだが、いったん言語化するための回路に電流が流れればあとは垂れ流しだ。
つまり、考えて喋るってことがない、クーラーの自動運転みたいなものだった。
twitterをよく使っていた頃もそれに近かったんだろう、ただ文字数が限られている分、意識的に言葉を組み立てていただけ。

たまにFacebookを見ると、友人たちの個性や感性や人生に圧倒されてしまう。
情報のすべてにイイね!をつけてコメントしたいとも思うのだけど、なんだかうわあーと思うばかりで残す言葉が見つからない。
おめでとう!すごいね!よかった!がんばれ!
などなどの至極単純な反射としてのそこでしか機能しないので何も残さないんだけど、時々は皆さんの投稿を眺めて、へえーすごい!とか思ってる。

新型コロナウィルスは演劇や映画の成り立ちにあれこれの影響を及ぼしていて、皆がそれぞれ何をすべきか何ができるかと思い悩んでるというのに、
そうだよなあ大変だろうなあとか、どうなっちゃうんだろうなあとか、まるきり他人事になっていて、自分がもうそういうことを考えないところにいるんだなあとしみじみ思う。
そもそも自分がそういうところで何かしていたという実感すら残っていない。
がっつりやってる連中のことも勿論心配ではあるのだけど、それよりも、とうに芝居のことなんか忘れて暮らしているだろうかつてWSにきていた人たちのことを不意に思い出して案じることのほうがずっと多かったりする。

あの人たちはあの頃きちんと働いていて、仕事の合間や休みを潰してでも芝居に関わっていこうとしていたわけで、それがどれほどの気持ちだったか、今思えば働いてもおらず芝居にだけ時間を使える自分なんか到底太刀打ちできないものだったんじゃないか、それだけの気持ちに果たして応えられていたのか、何かひとつでも、その場だけでなく人生のかけらとして役立つ関わりができたのか、楽しませてあげられたのかと、悔いばかりが浮かぶ。

そして、そういう気持ちはうまく言語化できなくて、やっぱり黙り込む。
身を削るように自分の内側を曝す役割がなくなり、言葉にできない思いが増え、この歳でようやくいくらかは分別を知った。

働いていると、考えや感じたことを言葉にする必要がないので、楽ちんだなあ。
言葉は、ホルモンとかアドレナリンとかと同じく体内で自然に生じる何かの物質なんだろうと思っているのだけど、だとすればすっかり体質が変わったのかもしれない。
分別といえば成長だか進歩のように聞こえるが、ただ言葉をこねくり回す頭やココロの機能に更年期が訪れただけなのか。

気がつけば今年も誕生日シーズン、先月末には二代目犬息子が、今月は亭主に始まり来週には娘も、再来週には私がまた年を重ねる。

長年あちこち不調だった身体にも、とうとう確定診断で病名がついた。
命にかかわるような病気ではないが、放置すればいずれ動けなくなるとまで言われればやはり恐ろしい。
幸い診断されてすぐに始まった投薬が効いたようで、毎月の検査では数値がかなりよくなっていると医者は楽観的だった。
病院近くの薬局で、「この病院で診断されるまで、いくつの病院で検査を受けましたか」と聞かれたので答えたら、
「やっぱりねえ。この病気は3軒目4軒目でやっと確定という方ばかりなんですよ」と薬剤師が笑ったので、そんなものなんだろう。

今は勤務を時短にして、でき得る限りの楽ちんを追求している。
以前ならその日の仕事が終わるまで当たり前に残業したが、この頃は「これは今日終わらせられないので明日やります」とぬけぬけやり残す。
メインで担当する部署が変わって私の仕事を代われる人がおらず平日に休むとその日の業務が丸々デスクに積まれており、月末月初になると1日分の仕事が3日がかりになって無能を思い知り、また口数を減らす。

一年前にやめたつもりだった煙草をまた吸っている。
煙が言葉の代わりになっている。


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私たちはみんな、ひとりぼっちの寂しい脳みそを生きています。骨の独房に閉じ込められ、絶え間ない思考労働という終身刑に服しているのです。(小島慶子さんの文章より)
  1. 2020/08/10(月) 23:44:21|
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無事の知らせ。

熱が下がり始めたのが5月に入ったあたり、そこから2週間の様子見をして職場に復帰した。

これまでの部署が業務を縮小したので、他の部署に回され、以前の事務所なら10人規模の部署でこなしていた仕事と、5人前後のチームで引き受けていた仕事の両方を、ベテラン社員2名のアシスタント的な役回りでやることになり、これまでの部署の仕事もある程度はやっているので、3部門に渡ってのサポートをしていることになる。
数字を扱うようになったがなんとか追いついているのは、療養中に覚えた数独の成果だと思う。

職場ではまだ一部の社員がリモートワークを続けており、一見すると私が入社した頃の4分の1くらしか人がいないので不安になるが、まあなんとかコロナ波を掻い潜って生き延びたようだった。

家庭内のコロナ波は落ち着いたが、3月末に紹介状をもらった大学病院の予約があったので復帰直後に受診した。
当初疑われた病気ではないと診断され、新しい病名での疑惑を告げられたが「うちはそっちの専門ではないから」とまた他の専門医の紹介状をもらうだけに終わり、未だ何の病気か確定していない。
犬も孫も娘も亭主も元気で、私だけ不調が続くので、この頃は家事などもサボり、6月だけは時短勤務にして更に負担を減らそうとしている。
1ヶ月半も働かなかったのになんとか生きていられるとわかって、気が大きくなったのかもしれない。

何より大きくなったのは犬だ。
立ち上がれば孫より遥かに大きく、横になれば我々夫婦のどちらよりも幅を取る。
ベッドを大きいサイズに買い換えたいので、粛々と働くしかない。

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ひとまず、無事のお知らせを。
  1. 2020/05/31(日) 23:34:36|
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コロナ夫妻と無敵の生き残り。

世の中はなんかもうみんなどうしようもない状況になっていて、絶対感染すると思ったし、感染してるのに出歩いていたら周りの人にも感染させるじゃないか、死んでしまう人もいるかもしれないのにそれでもいいと言える会社なんて無責任にもほどがあると散々意見はしたのだが、休みたければ休んでも構わないけど有給消化でねっていう勤務先に文句言っててもどうにもならないので休みます宣言をしてかれこれ10日の欠勤、案の定その後同僚から陽性確定が出て、当然ながら自宅待機の指示が出た人もいるのだけど会社は休業せず出勤を続ける人がいて、雑居ビルの最上階だからエレベーター使うんだけど他のテナントさんにちゃんと周知してるとも思えず、換気と消毒を徹底していきますとかいってる時点でアウトだし私のように本人の意思で休んでる人には国の補償がないから会社からの補償もないという状況で、休みたいけど生活できなくなるから休まないという従業員もいるわけで、そういうジレンマはどこにもあるだろうし、もはや生活ができなくなるとかって状況以前に世の中が普通じゃない、世界規模の危機状況にあるんだから自分の生活の心配している場合じゃないと思うし意見はしているんだけど、誰だって生活はしていかなければならない、もう少なくとも自分単位で家にひきこもってAmazon経由でささやかに経済を回す努力をするしかない、しかし実際のところ微熱とか咳とか尋常じゃない倦怠感とか味覚異常が出ているので感染しているんだろうけど、保健所に相談すると発熱2日続いたら・喘息発作が出たらかかりつけ医に電話相談との指示で、治療薬もワクチンもないんだから検査で陽性が確定しても寝て治すしかない上に十分な物資がなく医療崩壊が始まっている現状、よほどの状態にならなければ自宅で寝て治す覚悟だが、そうなると必然パンダ1頭分の距離が取れない家では隔離など非現実的だし早々亭主にも同様の症状が出ている、まったく症状が出ていない娘と孫が感染していないとは考えにくいので家族クラスタには違いないのだが、家庭内では皆が淡々といつも通りに暮らしている。

  1. 2020/04/20(月) 20:20:23|
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春の不穏。

犬の著しい成長には目を瞠る、生後8ヶ月を過ぎて中1男子のていになった、孫と結託して悪戯をするので犬だけではできない悪さや2歳児だけではできないことが頻発して手に負えない、家では1号2号と呼ばれてコンビ扱いになっている、これまでの2号による被害はスリッパ2足・パスケース・腕時計・ヘアブラシ・ヘアクリーム・乳液2瓶・塗り薬2本・ボディタオル・ボディソープ・リモコン4台・マッサージ機と総額5万円はくだらない、1号による被害も同じくらいはあるだろう。

業績が思わしくない上に代表弁護士が入院して事務所内が落ち着かず業務のストレスからかメニエール症状が再発、アプリで雨の音や焚き火の音をイヤホンでひたすら流して耳鳴りを軽減させている、座り仕事なので目眩の影響はそれほどないが、往復の道のりで真直ぐ歩けずにガードレールにぶつかったりする、半休で様子見するも回復せず翌日には結局休んだ、布団で焚き火の音を聴きながら犬に添い寝されている。

新型ウィルスの影響で客入りが心配だった拓也の特集上映だがぼちぼちの入りで、いまおか作品の日に亭主や成田くんと立ち寄った、最終日に亭主が単独出向いたところ立ち見の大盛況だったらしい、特集が組めるほどの仕事量が早逝だけの評価ではないことを証明したが、確固たるものでない段階であっても動きが止まれば固定されてしまうんだなと突き刺さる、皆に惜しまれているのは勿論だけど当人の無念さには及ばないだろうから。

寺十さんが 演出する鵺的の公演でも終演後の挨拶や飲みが禁止されていた、演劇人にはダメージが大きいウィルス騒動だが、飲まない人の芝居はキレがいいからなあ、ここでいうキレは身体的なことではなくお客さんと飲んで言われるあれこれに揺れることのないココロの吹っ切れ的なキレである、客席の反応に乗せられて調子づく芝居よりストイックに出来事への反応を積んでいく芝居が好みであれば、無観客公演こそベストなのかもしれない、観客でいる以上それを鑑賞することは叶わないわけだが。

イベント関連が尽く中止になって亭主の仕事がない、家にいるのは後ろ暗いらしく家事全般をいそいそこなすので助かるのだが本人も不安だろう、孫が保育園に入れないので娘は相変わらず専業主婦をやっている、自分一人が働く状況になったからといって収入が増やせるでもない、世の中全体がそうなっているのだからどうしようもない、それだけの状況になってようやく日本はどうなるのだろうとぼんやり思う。

亭主に限っては、家にいる時間が増えて犬や孫と遊べる分、2号など1人毎日働いている私に見せつけるようにすっかり亭主に懐いており、出かける時すら見送りもせず亭主に体を寄せてだらりと伸びている、いつもは亭主を見かけると物珍しげに「ジージだ!」という1号もここのところは「バーバだ!」と言う。

世界的大不況の足音に怯えて心落ち着かぬ我々であっても、日常がいつまでも緊急事態では暮らしが危ぶまれる、通勤駅周辺の繁華街で客待ちのタクシーがずらりと並び客引きのお兄さんやカタコトのお姉さんが歩道を彷徨いている様はうらさびしい、これまでにも様々を乗り越えたのと同じく一日も早く沈着して冷静に情報を判別し、できることを手抜かりなく消化するだけの緊張を保ちたいと願う。




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皆さんご無事でね。


  1. 2020/03/19(木) 12:59:33|
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青田ほめられ。

インフルエンザのシーズンをなんとか乗り切れそうだと思っていたら新型のウィルスが猛威を奮っている。
上野〜秋葉原を通過する通勤電車なのでマスクが欠かせない。

中国では犬が建物から投げ殺される事件があったらしい。
外出禁止令など出されては犬の散歩ができず、散歩ができなければ犬は室内で猛り狂うだろう。
痛ましい。

歳のせいか動物が痛めつけられるニュースが見られなくなった。
YOUTUBEでは犬の動画ばかりを視ている。

犬のトレーニング動画を視ていると初郎がやってきて一緒に視ることがある。
動画で学習してくれればこんな楽なことはないと笑っていたが、5ヶ月を迎えたあたりから急速にしつけの効果が出てきて優秀になったので、あながち笑い話ではなかったのかもしれない。

去勢手術を済ませて落ち着いたころに、ドッグランに出向いた。
常連犬たちに囲まれても怯えず怖じけず、そこそこの社交性で一緒に遊ぶので、常連ママさんに「えらいねえ」と褒められて嬉しそうだった。

お腹を下したので獣医に連れて行ったら、「もう大人だから小犬用のフードは脂質が強すぎる」と言われた。
確かに顔つきも体つきもしゅっとしてきたし、挙動もかなり落ち着いて聞き分けが良い。
いつの間にかもう大人だったのかと寂しい。

  1. 2020/02/13(木) 00:37:56|
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よすがに。

先日、瓜生くんとガンツさんが共演するというのでスズナリに出向いた。
下北沢はわけのわからぬ変容ぶりで戸惑う。
街の佇まいや匂いが変わってしまうと、馴染んでいたはずの何かがすべてはぎ取られたような寂しさになる。

スズナリは変わらずで、瓜生くんもガンツさんも、観に来ていた自由先輩も、変わりなくてほっとした。
その日の芝居に出てきた役柄の一つが拓也に見えて仕方なかったので、ガンツさんに「かと万でお世話になった櫻井が」と話しかけたら「上野の特集に行って映画観てきた」と。
嬉しかった。

スズナリの並びにある居酒屋の軒先で拓也と飲んだっけな。ゲネプロを観に来てくれたときだっけ。あの時は稽古場も観に来てくれていた。そういえば、稽古場付きをやらないかと声をかけたんだった。撮影が入っているというからやってもらえなくて、本人も残念そうだった。

なんでもない時に、ふと、拓也がいつかワークショップで誰かと交わしていた会話を思い出したりする。なんてことのない言葉のやりとりなのに「へえ、こんなこと言うんだ」と新鮮だったから覚えている。



櫻井拓也特集上映


ガンホの新作も観た。拓也もさぞかし観たかっただろう。



  1. 2020/01/26(日) 23:15:59|
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