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仕事部屋

知人に、国語力のない人がいる。どんな話をしていても、言葉の正しい意味と会話の文脈が理解できないからつい苛立って言葉を重ねてしまうのだが、そうすると否定されているような気がするらしく、ただ安い負けん気で攻撃態勢に転じるので、議論や話し合いができない。意味と文脈がわかっていないから当然ながら解釈力も劣り、つまるところは他人の心情を想像する力に欠ける。
ほとほと困り果てて、もうちょっと勉強するようにと忠告もし、心情というのはこういう描かれ方をするものだと学習してもらうつもりで西原理恵子を貸したのだが、見開き2ページを読んだ段階で「わからない」と言う。
三十をいくつか過ぎたいい大人にあれほど判り易いマンガがわからないとは思えないので、もっとちゃんと読めと無理矢理に押し付けたが、やっぱり「わからない」らしい。「ああいうのを読み取る想像力が足りないのかねえ」と言ったのが気に食わなかったらしく、「じゃあ、音楽で言えばマイルスがわからない人には音楽がわからないってこと?」などと言うので、ああ、この人は本当に国語力がないんだなあ、大変だなあと、失礼ながら同情してしまった。

こんなところで勝手に引き合いに出すのは申し訳ないのだが、康造の、触れ合うものに対する真摯さってのは、そういうところにあるんだなあと思い出したので、書く。

「すごくいいから観てよ」と薦めた何かに対して、「あなたが俺に薦めてくれたってことは、俺が吸収すべき何かがあるってことだろうと思うし、そのつもりで一生懸命に考えながら観たんだけど、すまん、俺には今ひとつ、あなたがこれの何にそれほど惹かれているのかも、これのどこに俺が学ぶべきものがあると思ったのかも、わからなかった」という感想だったり、「俺には特別面白くなかったけど、あなたがこれを好きって言うのは、なんとなくわかる」だったり、「俺はこういうことやってる人がいるって知れただけで勉強になったよ、連れてきてくれてありがとう」だったり、「あなたの友達だし、俺に紹介してくれたんだし、仲良くしたかったんだけど、どうしても我慢できなくて、ごめん、殴っちゃった」だったり。

判って欲しいという気持ちは誰にでもあるだろうが、康造は、その気持ちと、そのために自分が払う労力=判ってもらえるよう真摯に考えて言葉を選び伝えようとする力が見合っているので、結果あたしにとって否定的なことであっても、するっと飲み込める。読みたい人だけ読めばいいじゃんのブログでも、あなただけよの内緒話でも、仲間内のバカ話でも、酒の量が思考を止めるまでは、常にそれがなされている=根付いた姿勢だろうと思う。

彼は貪欲だ。面白かろうがつまらなかろうが、自分に触れる機会があったことを縁や機会と捉え、出来る限り咀嚼して自分の栄養として吸収しようとする。そうやって物事に真摯に対峙するからこその養分だと、ちゃんとわかっているんだろう。だから、それを紹介する人への感謝も深く最後まで誠実だ。
それが言い方一つの違いだとしても、そのたった一つの言い方を懸命に選ぶ労力には、ちゃんと敬意が感じられる。それは多分、彼が本当に伝えようとしていることが、感想や意見ではなくて、目の前で対峙する人への敬意と愛情そのものにあるからだろう。自分がそれを欲しているのと同じように、そこにいる人もまたそれを欲していると、根っこの部分で知っているのだ。

真摯に対峙して誠実な労力を払う人の言葉は、それがどんな意味合いであっても、多くても少なくても、真っすぐに届くものだろうと思う。
手厳しい批判でも、言葉を尽くして語ってくれたら、おざなりの好評よりずっと有り難いことだってあるんだから。

あたしは、嫌いなものに触れたとき、自分を切り刻みたくなる。
切り刻んで掻きむしって血を滲ませるようにして、いかに嫌なのかを語る言葉を引き出す。好きになれないけれど、せめてもの礼儀として、そうしたいと思う。
だから、嫌だと思ったことをこんなふうにだらだら書くわけで。
切り刻んでも一滴の血も出ないときには、「生理的に駄目です。ごめんなさい」と言ってしまうのだけど、そこに結論するまでは、かなりの時間と労力を費やす。

「ばっかじゃないの。そういうのきらーい」って言って済ませられたらどれほど楽だろう。言葉を多く知っている分、素人の感想と逃げる術がないせいでもあるけれど、「好き」も「嫌い」も、感想を装った評価には違いない。出会ったものを「好き」と「嫌い」で区分けしていくだけじゃ自分の中に何も残らないし、解説できるだけの根拠を持たない「好き」と「嫌い」は言葉にするもんじゃなかろうとも思う。

嫌いなものを嫌いと言って何が悪い。
わからないものをわからないと言ってどこが悪い。

悪いのはそう言ってしまうあなたの頭なんだけどなー、と言わずにいたあたしは偉い。

嫌いは嫌いで構わない。わからないのも構わない。だが、そこで終わりにする怠慢をなんとしよう。何が嫌いで、何がわからないのか、何故嫌いで、何故わからないのか。それを考えることが理解の道筋であることを知らない。そこを語ることが関わりそのものであることを知らない。いい年した大人がそれでは、頭が悪いと思われても仕方がないんじゃないのか。

あたし、これきらーい。よくわかんなーい。たまにいるからなあ、「感性の人」を気取った、ただの「知性品性欠落の人」ってのが。

感じることを言葉にするなんて、誰にだって難しくてできやしない。感じることと、言葉を選んで伝えることは、まったく別のことだ。
感じることは自分の内側に向いていて、言葉を選んで伝えることは外側に向いている。違う方向のそれを、同じように人に理解させようとする傲慢さは無知なんじゃないのか。それらをいっしょくたにしても許されるのは言葉を知らない幼児までだ。「好き」と思うことを語る言葉は一生懸命に絞り出すんだから、尚のこと、それは怠慢なんじゃないか。

食事をしていて目の前の料理の寸評をぺちゃくちゃ喋るのも大層品のないことだと思うが、自分の中に受け止める感性のないことを「わからない」で済ませてしまうのは、横着なことだと思う。それらはすべて、時と場所と言葉を選ぶだけの、知性や品性に関わることだったりするのに、それの何が悪いのかと言われたら、今度は品格だの人格だのから諭さなければならないんだろうか。勿論そんなことは語りたくないし、あたしには語れない。

もともとまるで趣味が合わない知人だから、彼との付き合いの中では、彼が「好き」というものや「いい」というものを、あたしがどれだけ受け入れられるかの猛勉強が続いていた。誰だって自分の「好き/嫌い」は判る。この年になると、あたしが知らないものは、あたしには興味のないものが殆どだけど、興味や好き嫌いとは関係なく「その人は何が好きで、何をいいと思うのか」だけを知るための勉強だし、それで自分の幅が少しでも広がるなら、もうけもんだと思っている。

趣味など違っていいのだし、感じ方も違っていいのだから、お互いの価値観をどれだけ多く知るかってところだけが、関わり合う部分になるんだと思うんだけど。

きっと、彼はあたしに余り興味がないんだろう。あたしがあたしみたいな人と知り合ったら、その経験や知識や土壌の一粒すら逃さず自分のものにしようと気が狂ったようになるだろうけど、彼が、あたしの仕事の土壌である小説や映画を勉強している気配はない。ゆえに、あたしの仕事や趣味の部分に対しての彼の意見は信頼が薄く、身近な人からそれが得られないことの侘しさを彼が想像してくれるでもない。自分が関わることへの意見は、あたしが「言いたくない」と訴えても食い下がって言わせるんだけどね。

彼があたしと親しくしていたのは、「自分に興味を持ってくれている人」としての興味なんじゃないかと思う。そりゃあたしは趣味が合おうが合うまいが、ちゃんと語れるまで知ろうとするし、意見と感想と評価まで区別して目一杯の言葉で伝えるんだから、気持ちよかろうよ。それはいいけど、それだけなら、あたしにはあなたがいらないじゃん。

そう思うのは残念だから「国語力のないバカ」だと思うことにしていたが、つまるところは国語力の問題じゃないんだろうな。本人は「そうじゃない。決めつけるな」って反証するんだろうけれど、あなたがそう思われるようなことをしているのだと如何に説明しても、それが通じない。そう思われる自分を反省することが滅多にないから、言葉で折り合いをつけなければならないのだが、肝心の言葉がきちんと通じなければ、それすらままならない。だからサイバラ読みなよっつったのにさ。

「わからない」人にわからせる言葉などない。そんなものがあるんなら「わかろうとする」人のために使いたい。もしくは、「知ろうとする」人のために。

だから、もう向ける言葉もないし、彼が自分でそれでいいと思うなら、そのままでいいんじゃないのと思う。あたしはもうごめんだけどね、サービスするのは。自己実現は自分一人でやってくれ。あたしだって、あたしを理解して受け入れて自分の血肉にしてくれる人が欲しいんだし。

でもねえ、あたしは本気でそれヤバいと思っているよ、ってことだけは、この場を使って長々と訴えておく。ブログに書かれて傷つく暇があったら、もうちょっと反省して努力すりゃいいのに、仕事の目標が先ってのが、「わかってない」感じするんだよなあ。





  1. 2007/10/03(水) 05:33:00|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:5
<<タイトルなし

comment

>サトさん

コメントありがとうございました。
気づきってすごく大事です。機会を逃してしまったような気がするかもしれませんが、また新しい機会を得られることでもありますから、どうぞ気後れすることなく、気づいたことも含めて伝えてあげてください。伝えたかった、という気持ちは必ずちゃんと届くと思うし、あたしなら、そうやって伝えられるの、すごく嬉しい。
勿論、今こうしてサトさんが何かを思い出してくれたことも、あたしにはすごく嬉しいのです :)
  1. 2007/10/03(水) 15:30:02 |
  2. URL |
  3. まえかわ #-
  4. [ edit]

それ、わたしの彼氏と同じです。
思ったことや感じることを言葉にするの苦手って言われて、そこでやりとりが終了すると、とても悔しい。
  1. 2007/10/03(水) 19:06:37 |
  2. URL |
  3. み #-
  4. [ edit]

>みさん

そうかあ、悔しいんですね。それも判る気がします。あたしの場合はどっかに傲慢さがあるから、悔しく感じるより先に軽蔑と嫌悪に走ってしまって、それを後から解消するのが面倒です。それがすべてではないし、他のいいところもあってのお友達だし、嫌悪の欠片を残したくないから。

苦手って人がいることは判るし、それはそれでいいんだけど、苦手だからって取り組みまで放棄されると「楽してんじゃねえよ、このヤロー」と思ってしまいます。そういうことを怠ける人がとにかく嫌いだから、
そういう人もいるよねってところで飲み込めない。
多分、あたしの許容範囲が狭いのでしょう。
みさんは、そういう人とちゃんとお付き合いされているのですね。偉いなあ。あたしは無理だー 笑
  1. 2007/10/03(水) 21:49:18 |
  2. URL |
  3. まえかわ #-
  4. [ edit]

なるほど。
なんだか身つまされる話です。

僕からすると、前川さんと康造さんとの関係が羨ましいです。
もちろんそれは、前川さんと康造さんがお互いにぶつかり、互いを必要とし、日々を重ねてきたからこその信頼関係なんだと思います。そうそう簡単な事では構築できなかったと思います。

僕はよく、人にCDを焼いたり、本や漫画やDVDを貸したりします。それは、僕の事を知ってほしいからだし、相手に気に入られたいからです。共感したい!という欲望でもあります。
だから、相手にしてみたら鬱陶しいこともあると思います。
ひとりよがりな時もあると思います。
だから、なるだけ気をつけるようにしています。
最悪、関心を持ってもらえなくてもしかたないかなぁとも思っています。そりゃ、なんの感想もなかったらムッとします。
だけど、しかたないかなって...。

八月の前川さんのライブの時に、持っていったネックレス、もしかしたら前川さんはつけないかもしれないなぁと買うとき思いました。アクセサリーが嫌いかもしれないし、金属アレルギーかもしれないし、デザインが気に入ってもらえないかもしれないし...。いろいろな可能性がありますよね。逆に、身につけてもらえるかもしれないし。

僕は、プレゼントを買うのが好きなんですが、それは束の間でも孤独を忘れることが出来るからです。自分の欲望です。
相手の事を思っているようで、実は自分のためです。
だから、相手に喜んでもらいたいのはやまやまですが、それは自分のエゴだなって思っています。せめて、もらった側に迷惑にならないようにしたいと思っています。

康造さんの、相手にきちんと伝える姿勢、すごいなって思います。なかなか相手に、「俺には特別面白くなかったけど、あなたがこれを好きって言うのは、なんとなくわかる」や「あなたが俺に薦めてくれたってことは、俺が吸収すべき何かがあるってことだろうと思うし、そのつもりで一生懸命に考えながら観たんだけど、すまん、俺には今ひとつ、あなたがこれの何にそれほど惹かれているのかも、これのどこに俺が学ぶべきものがあると思ったのかも、わからなかった」とは伝えにくいと思います。(勝手に引用してしまいました。すみません)

僕の場合は、衝突するのが嫌ではっきりとは言わなかったり、嫌われるのが恐くて言い出せなかったりします。

相手と自分の熱量が違ったりして、がっくりすることが怖いです。

孤独を恐れすぎているのでしょうか?
だから、友達が出来にくいのかな。
出来にくいから、今いる人間にしがみついてしまい、相手にそれが伝わって距離を置かれるのかもしれません。
もしくは、一人でいいやって開き直って我侭になりすぎているのかも。

「真摯に対峙して誠実な労力を払う人の言葉は、それがどんな意味合いであっても、多くても少なくても、真っすぐに届くものだろうと思う。
手厳しい批判でも、言葉を尽くして語ってくれたら、おざなりの好評よりずっと有り難いことだってあるんだから。」
耳の痛い言葉です。
果たして、僕は相手にそれを伝えられのかなっておもいます。
自らの保身や、相手に疎まれるのを覚悟してでも、伝えられるかどうかわかりません。
また、自分に向けられた声をきちんと受け止められたらいいなって思います。

最後に、このコラムの本筋とはズレますが、前川さんが知人の方に貸した、西原理恵子の漫画って「ゆんぼ君」?「出来るかなシリーズ」?「晴れた日には学校を休んで」?「鳥頭紀行」?「毎日母さん」?

気になります。もしよかったら教えて下さい。

長々と失礼しました。
  1. 2007/10/04(木) 21:47:36 |
  2. URL |
  3. ヤマヨ #-
  4. [ edit]

>ヤマヨさん

サイバラはどれも人の心をえぐる傑作だけど、あたしが知人に貸したのは「ぼくんち」です。ここに描かれる世界を「わからない」と言われると、なんだかあたしは傷ついてしまう。その目安にしている本でもあります。

ヤマヨちゃんのコメント、すごく勇気ある告白だったね 笑
多分、普段は人に気づかれたくないと思っているだろうことをこれだけ真っ正直に伝えてくれて嬉しいです。
戴いたネックレス、首につけたらちょっと重かったので、今は携帯のストラップに改造して使っています。戴いたときは、きっとすごく色々考えて選んでくれたんだろうなって、本当に嬉しかった。
ヤマヨちゃんは確かに自分の気持ちを伝えるのが余り上手ではないかもしれないけれど、それでも諦めずに懸命に向き合って行くところ、すごく素敵だと思うし、大好きだよ。少なくともあたしにはちゃんと届いているから安心して 笑
  1. 2007/10/05(金) 00:32:20 |
  2. URL |
  3. まえかわ #-
  4. [ edit]

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