世の中で「恋愛小説」と呼ばれる類いの書籍をいくつかぱらぱらと。
「誘ってもいい?」とか「この気持を伝えてもいい?」とか、そうした許可がもらえるまでの過程が今どきの恋愛なのかと、呆然。
そんなもん許可なんかいるかい、したいようにしなきゃ何も始まらない、望みを伝えなきゃ結果すら出ないんだからって考え方は自分勝手なのか。
交際ってのは一体なんだろう。
昔から「付き合う」って何すんだ?と思っていた。
互いの好意が伝わっていればわざわざそんなこと取り決めなくたっていいじゃんか、互いの好意じゃなくたって「好き」と思えば思うまま「近づきたい」とか「仲良くしたい」とか「力になりたい」とかを自分なりの努力でちょっとずつ適えていけばいいじゃんかと。
が、大人になってからはどうも様子が違う。
好意だの行為だのの手前で最初に「交際」の約束が取り交わされたりすることもあったりする。
大人ほど、言わないやね、「好き」とかそういうことは。
好きになるってことは、それが可能な距離にいるってことで、そういう人を無闇に嫌いって思うこと自体ないだろうから、むしろ「好き」で当たり前ってところから人間関係が始まる。
よっぽど何かしらの誤解があったり言い訳や説明が必要なときじゃなきゃわざわざそんなこと言わないでしょ、大人は。
んで、関わり合う=好意があるってのが前提の関係の中で、それ以上の特別な何かがあるかどうかと探ったり伝えたり確かめたりする、そこんところが恋愛になっていくんだと思う。
「付き合う」ってことで一つよろしく、と括ってしまうのは、恋愛の怠慢だ。
「ストーカー」という言葉が日常に浸透し始めた頃から、本来一人で淡々とすべきことである探ったり伝えたり確かめたりの手順は、「お付き合い」という安全圏の中でしか許されない二人の共同作業になってしまったように思う。
本来の大人の関係性に沁みてくる恋愛のおかしみは、「キモイ」「ウザイ」が連呼された挙げ句「ストーカー」なんて差別を受け、今どきの恋愛事情ではすっかりタブー視されていたりもして、けど、それはなんだか無粋で怠慢な、火を通さないステーキ肉のようなもんじゃないのかと。
それなら交際などいらないなあ。
約束がないからこその探ったり伝えたり確かめたりっていう交流で充分に満たされると思うし。
交際=恋愛、という考え方、どうも馴染めない。
恋愛なんて、一人でこそこそするもんだと思うのさ、やっぱり。
日曜は昼過ぎに女友達から電話あってリオンでブランチ、こちらは犬連れ、あちらは子連れ、うちに移動してのんびりだらだらお喋り、夕方に見送りがてら花を持って数日ぶりの墓参り、帰宅してまたiPhone、いよいよ猿、さて今日は〆切一本、これからちょっと仮眠して昼前に完了させる予定。
- 2008/10/27(月) 07:44:59|
- 雑感
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お初コメントです。
その通りの恋愛?好きの気持ちです!
それでいいと思いつつ、たまにゃ違った感情でいって結果終わりになったりしてますが…
本、読みました。
沁みました。
書いてくれてありがとう。よかったてます!
- 2008/10/28(火) 01:28:52 |
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- たま #-
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はじめまして、コメントをありがとうございました。
読んで下さったのは「これを読んだら連絡をください」でしょうか。あれが沁みてしまったのだとしたら、たまさんの恋愛は後悔が多かったのかな 笑
けど、大成功大満足大幸福の恋愛なんて、なんか胡散臭い気もしますしね、自分が懲りなきゃいいんじゃん?
…と思ってます、私は。
たまさんも、懲りずにいきましょうー!
- 2008/10/28(火) 02:01:12 |
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- まえかわ #-
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