仕事部屋

誕生日は21日

娘の「イタタタタタタ」が「ああー」という呻き声になり始めた朝方、看護師さんが娘に足湯を用意してくれた、それから診察、「もうすぐそこにいる」「まだ8センチ」などの声をカーテン越しに聞いていたら胎内のモニターに警告音、看護師さんに立ち位置を明け渡した、程なく「何か出てきた」と娘の声、どうやら破水したらしく娘はベッドごと分娩室に運ばれていき、外で待つように言われて廊下のベンチに移動。

ここからが長いんだよなあと思いながら呻き声が漏れ聞こえる廊下で娘の旦那に「破水して分娩室に入った」とメール、それから15分もしないうちに娘の旦那と旦那のお父さんが駆けつけたが、自分のお産の時はそこから4時間ほどかかったからまだまだかかると話して今から仕事という娘の旦那を再び送り出し、空が白み始めた廊下で一服ついでに散歩でもしてこようかとタイミングを見計らいながら娘がいきむ声を3回くらいは聞いたか、ギャアーと叫ぶ声があって「おめでとうございます!」と口々に言う看護師さんたちの声、まさかと思ったが叫び声は娘ではなく産まれてきた赤ん坊の泣き声だったらしく、ギャアギャアと動物のような産声が響き渡った。

「産まれたみたい」とメールしたら「え、本当ですか」と返ってきた、送り出して10分もしていない、「引き返したいけど仕事行かなきゃならないので今から母親が行きます」と葛藤の決断、その通りに娘の義母が駆けつけてくれ、祖母二人が自分の経験を披露し合ううち赤ん坊を抱いた看護師さんがお披露目に来てくれ、「21日5時27分、2750gです」と報告を受ける。

「日向は大丈夫ですか」と訊いたのは私でなく旦那側の祖母、何しろ娘は日頃から旦那の実家で何もかも世話になっている、娘の旦那は自宅で娘だけが旦那の実家で上げ膳据え膳の優雅な妊婦だったのだ、その娘は「元気ですよ、出血も少なかったし、写真撮ってお父さんにメールしてるくらいです」とのこと、お母さんを休ませるため面会は午後1時からしかできないので一旦お帰り下さいと促され、車で待っていてくれた娘の義父に送られて日が変わる前に降り立った駅、車中で祖母二人がきゃっきゃと話す中、祖父はぽつりと「日向、いい仕事してくれたなあ」。

出勤する人々の満員電車であちこちに「初孫産まれました」メールをしながら戻りヘロヘロと歩いて帰宅、シャワー浴びて寝て起きて、「出産後に何食べたい?」と訊いたら「ステーキ」と即答した娘のために伊勢丹で高級焼肉弁当を買って再び病院に向かったのは夕方、命名は「和と書いてのどか」だそう、小一時間孫の足裏や娘の授乳やオムツ換えの手際を眺めて、今度は退勤する人々の満員電車で帰宅、娘は何事もなかったような元気さで大したもんだと感心、まだ孫より娘の方が可愛い、娘がやり遂げたことを思い返すとちょっと泣けてくる。


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  1. 2017/09/22(金) 01:12:02|
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予定日は22日

運良く仕事を定時に上がれて会社のドアを開けたところでメールを受信、娘に陣痛が来て入院したと娘の旦那からの連絡、すぐドアを開けて同僚に明日休む旨を知らせ、まずは帰宅。

病院まで1時間半はかかるとみて朝イチで行くつもりになっていたが娘の旦那に確認を取ったらもう3分おきの波だと言う、彼は朝5時には仕事に出ると聞いて速攻タクシーで新宿駅、歩いても15分の距離なのだがこういう時は何故かタクシーに乗ると落ち着く。

急行電車で20分ちょいか、電車を降りてまたタクシー、真っ暗な山道を走って大学病院に降り立つと娘の旦那が迎えに出てくれ入退院口から産科の分娩準備室へ、ちょうど波が来ていて顔も見ずに手を握ったり腰をさすったり、しばらくして落ち着いたら「来られたんだ」と娘。

陣痛が始まったのは午後からで、その日はちょうど検診日で「まったく順調、まだまだですね」と言われて家に帰ったら陣痛が始まり、夕方まで辛抱しての入院だったらしい、ちょうど仕事終わりにと思っていたがメールを受信した時間が遅かっただけだった。

1時間ほどして娘の旦那が一旦帰宅、その後診察してくれた看護師さんに「早くても朝ごはん前後、遅めだと昼ごはん前後」なので一旦帰って休んできてもいいですよ、と言ってもらったが野山の真ん中みたいなそこから深夜3時では身動きが取れず、始発間際まで娘の肛門を押し上げて過ごすことにする。
  1. 2017/09/21(木) 03:17:47|
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ありがとう。

フライングも含めてTwitter、Facebook及び直接のメッセージでたくさんの人に日を跨いでなお祝ってもらっている、何より50歳になるまで無事に生き延びてきたんだから大したもんだと自分を祝っている、二度目の20歳の次は三度目の20歳を目指そうと思っていたが、孫ができるとなるとうかうかしていられない、それに50歳というのはなんだか特別な感じがする。

子どもの頃に憧れていた大人の年齢は30歳だったけど、通過するときに30歳じゃまだ駄目だと焦った覚えがある、その焦燥感が50歳にはない、前夜から一人うきうきして、職場の同僚にも「次に会うときは50歳だから」と無意味なアピールをしたり、50歳だからもう寝なきゃとか50歳だからもうちょっと寝てようとか、自省にも自戒にもならない自覚ばかりだが。

父は45歳のとき、母は52歳のときに亡くなった、私が娘を産んだのは確か母が50歳になったばかりの夏だった、娘の予定日は秋と聞いているから母と同じ頃になる、あと2年くらいで人生がふっつり途切れる可能性は拭えない、母は私が出産するときに付き添ってくれたし産後のしんどい時にもずっと家にいてくれた、同じことはしてやれないからせめて母より長く生きて出番を待ちたい。

富山から伝統工芸の職人さんたちを引き連れてビームスジャパン@新宿に乗り込んできた羽くんの企画出店でやってたワークショップで錫のぐい呑を作らせてもらった、羽くんは着実かつ精力的な活動っぷりで文洋曰く「縁起のいい男」、今回も飛び込みで企画を売り込んで実現させたそう、高岡の駅地下で出会ったのは昆虫系の稽古期間中に富山大学に出向いたときだが、好きなものや人やコトを固めてしっかり仕事に結びつける豪腕は健在だった。


IMG_1414.jpg型枠の中にぐい呑の型を置き砂を詰め込んでいく。上下に分かれる型枠の下部にはぐい呑の型、上部には筒状の型を埋め込む(らしいが羽くんは手順を間違えてあとから穴をくり抜いた)。
IMG_1420.jpg砂を硬く押し込んでからぐい呑の型を取り外すとぐい呑の型をした空洞ができる。その空洞に溶かした錫を流し込む。筒状の型で作られた穴がその水路。
IMG_1429.jpg錫が固まったら型の中から掘り出すようにして取り出す。砂も熱い。鋳肌を見るとどんなふうに錫が流れ込んだのかがわかる。製品にするものは均一にするがここではわざと鋳肌が残るようにしている。
IMG_3182.jpg羽くんがフチのでこぼこを丁寧に削って仕上げてくれた。孫への贈り物にします。


外は雷雨になっていて食事しての帰り道にビニール傘を買った、満腹すぎてせっかく亭主が用意してくれたキルフェボンのいちじくタルトがまだ食べられずにいる、この1年で活動範囲が徒歩及び自転車圏内に限定されつつあるが亭主が動いてくれるからそれでいいじゃないかと開き直って、自分への贈り物としてAmazonで注文したガンホの中古DVDが届くのを待つ。

子どもの頃の誕生日は夏休み中だったから学校の友達よりNHKの仲間に祝ってもらうばかりだった、呼び出されて友達の家に行ったらサプライズで誕生日の飾り付けがされていたのは高校生の頃だったか、作家になった最初の誕生日には出版社の人や挿絵の先生やワークショップの連中を一堂に集める酔狂もしたし、芝居の千秋楽に重なってバラシのあとの楽屋にケーキが用意されていたこともあった、生まれたことを祝ってくれる人がいることは本当にありがたい。

そういえば娘の誕生日会をやったことがない、帆太郎は娘の誕生日にかこつけて私が買ってきた、娘はトロンボーンを欲しがっていたのに、今年の娘の誕生日には妊婦にも着られそうなデザインのワンピースを送った、私が30代の頃に買い集めたgreenのコレクションつまるところお下がりだ、娘が喜んでくれそうなことをこれまでしたことがあっただろうかと考えて情けない、もっと言えば娘に限らず誰かを喜ばせるために何かをすることがとても下手なんだと思う。

50歳にもなって今更だけど、まだまだ強張った心がどこかにあるに違いない、正直に生きているとは思うのに素直に生きているとは思えない、自分ひとりが世界の真ん中でその世界だってそこにいて見渡せる程度の、恥は重ねてきたけれど恥だと気づいてすらいないそれの方が多いだろう、そもそもいつも誰かをがっかりさせながら厚かましく生きている。

それでも、生きているだけまし、とも思う。
50歳にもなれば振り返って誰より自分ががっかりするあれこれが山ほどあって当然じゃないか。

だってこれから1年くらいの間は明日も明後日も来月も毎日50歳だし。

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タルトは日が変わる前に食べた。

  1. 2017/08/19(土) 23:59:21|
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音速で知る。

そもそも他人と話していて嫌な気分になることは少ないのだが、先日びっくりする体験をした、職場で取った電話の向こうの声に一瞬で鳥肌がたったのだ、会話らしい会話をしたわけでもない、入電を受けたこちらが名乗ってあちらが名乗って、担当に電話を取り次いだだけなのだが、言わば「もしもし」の一言にぞわっと怖気が奮った、電話を変わった担当も「なんかキショいよね」と共感してくれたのだが、そんな語彙では収まらない、生き地獄にいる人の声だった。

あと、声や喋り方や言葉の使い方が成田くんにそっくりな人の電話を受けたこともある、こちらはある程度声を作って応対するのだがあちらはそれどころじゃないはずだから、その人はきっと本当に成田くんみたいな声の人なのだろう、声が似ているだけで知ってる人のような気がして、うっかり軽口を言いそうになった、声というのは不思議なものだ、それとも耳という器官が不思議なのかもしれないけれど。

ここだけの話、職場にとても苦手な人が一人いて、部署も違うし名前も知らないのだけど、私はその人の声が嫌いなのだった、その人が何を喋っているかは聞きたくないので聞かないが、その声で笑う無邪気なその人は、まさか自分の声がそれほど他人を不快にさせているとは思いもしないだろうし、その人が悪いわけではないから余計始末に負えない、こないだまでは狭い職場だったので嫌でも聞こえてきたその声が広くなった今の職場では聞こえない、それだけでどれほど私の心が休まるか、無論その人は気づきもしない。

だが例えば、生き地獄の声を出す人が私の友人であったなら、私はその声に鳥肌をたてるより先に何があったのかとその人を心配するだろうし、成田くんの声を持つ人と成田くんより旧い友人であったなら成田くんのことを思い出しもしなかったかもしれず、無邪気に笑う職場の女の子と声を聞くより先に親しくなっていたらその声に微笑んでいたかもしれない、声なんてその程度のものだろう。

好みの問題には違いないけれど「耳障りのいい声」の人は実際にいるからなあ、小説を書いていた頃は編集の人と電話で話す機会が多かったから、打ち合わせに出向いて対面するまでの電話の声の印象と、対面してからの印象が重ならなくて困ることも多かった、電話で話しているときはあんなに親しげだったのに会ったら予想外に無愛想だとか、こちらが勝手なイメージを膨らませて勝手にがっかりしたりする。

どんなに流暢な対応であっても人を跳ね返すような強い声や、媚びのある作り声は耳障りがよくない、今の仕事を始めてから電話の対応をする間中ずっと笑顔でいるものだから表情が柔らかくなった、疲れているときにはいつもと同じ対応をしてもクレームになったりする、声は声だけでは作れない、コールセンターのベテランはどんなときにも落ち着いた柔らかな声で話す、電話の向こうでは胡座だったりするのも知っているけれど、あの声は頼もしくて素敵だと思う。

ひとめぼれ、というのを子どもの頃に一度だけ経験した、口を利いたことのなかった隣のクラスの男の子が初めて私に話しかけてくれたその瞬間に電気が走って恋をした、ひと目惚れってこういうことかと思ったけれど、今思い返せば目ではなく耳だったのかもしれない。

本日、亭主の誕生日、寡黙と言われる彼だが家ではひっきりなしに喋っていて、その声が私の日常になった。






  1. 2017/08/02(水) 01:09:33|
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邪道を行く。

5月から延々と移転計画を先延ばしにしていた職場がとうとう引っ越した、自転車圏内を外れたら辞めようと身構えていたが隣の駅なので自転車5分が8分になっただけだった、3倍以上の広さになって改めてこれほど人がいたのかと思う、ボーナス出ないのに査定や試験や面接があって、人事異動もたまにあり、その合間に辞めていく人もいる、おはようございますやおつかれさまでしたの尻尾にお世話になりましたお元気でがくっつくだけで恐らく二度と会わなくなる、置き土産のお菓子が配られてああまた誰か辞めたんだとフロアを見渡すのだが、そこにある日々は変わらない。

何者かになろうという志の土台に職種がある場合、そういう立ち去り方に動揺するのだろうか、何故辞めるのかに拘る人には何故辞めないのかと思うけど、人生で一つのことしかできなかったらつまらんじゃないかと考える人はさして多くないようだ、職業が一つでなきゃいかないように思い込んでいるのは税制の問題なのかもしれない、食べていくためにやれることと、生きていくためにやれることはそれぞれ選択基準が違うのに、一つのことで賄おうとする方が難しそうだ、メールをくれる中国の読者に最近はパラリーガルをやっていると伝えたら弁護士を目指すんですねと驚かれた。

こないだ芝居を観に行った後の飲み席で懐かしい人に会った、数年前まで大好きな場でどっぷり演劇をやっていたその人は結婚を機に現場から離れ生活のために思い切った決断をし、今もそこで奮闘している、その人は今観た芝居の熱や自分には遠くなってしまったであろう現場の人たちの話をぐんぐんと吸い込んでそこにいる誰よりも愉しそうに飲んでいた、勿論胸中には嫉妬や羨望もあるだろう、だがそんなものはそこにいる誰にもある、好きなことを手放した潔さと生きることへの覚悟が、そこにいる誰より眩しかった。

芝居をやったり小説を書いたりすることの方がより満足度が高いわけでもより価値があるわけでもない、特殊技能には違いないがむしろ多様な受け皿があって技能を活かす場はいつでも作り出せる気がする、年老いて偏屈になって新しいことを覚えられなくなる前にもっと世の中に関わろうと思えば知らない場所がたくさんあって気が急く、時間は限られていて必要なものは決まっていて自分の能力には限界がある、知らないことの中でまだ今からでも自分にできることはあとどれだけあるだろう。

日々生きることの意味は昨日できなかったことが今日できるようになることで、それがどれほどささやかなことであっても、その充足なしにやっていくものはどれもつまらんのじゃないか、無限に続く人生を見ているうちは好きなことをして生きたいと思うのかもしれないけれど、私はわたしが未だ見知っていない他の何かを一つでも多く知りたいし身につけたい、五十路間近にしてふと立ち止まりなかなか面白い道のりを進んでいるなあと面白いのに、次はどんな仕事をしようかと辞める気になる前から探している。

子どもの頃は早く大人になりたかったし大人になって何かのエキスパートでありたいと思っていた、早々それを決めたから学歴も年金も必要ないと判断して放り出している、実際にこれまでやってきたことには必要がなかった、正しくはそれらを持たないせいで初めに入り込んだ場から身動きが取れなかっただけなのだが、少しずつそこからもはみ出してふと足場を確かめようとしたら、それらを持たないことが自分の不自由さであると気づく、選択するしんどさを避けて入り込んだ場なのに、選択できない不自由さをつまらないと感じるのはそもそもの素質が足りていなかったのか。

学歴も年金もこれから猛烈な努力をすれば積み立てていけるはずだが、捨ててきたものを取り返したいわけじゃないからそっちには傾かない、エキスパートになれないことへの言い訳でしかないとも思う、だが職業基準で考える《何者か》に目指すところを見つけられない、《何者かになること》を目標にせず《何者かになるため努力する》それそのものだけを志すのはどんな場であっても邪道なんだろう、相変わらず自分に課すものが小さいところを択ぶんだから怠け者は天性なのだ。


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梅雨があけてまもなく五十路、自分には貰えない年金を支払うくらいには、大人になった。
何しろ秋には孫が生まれる。
  1. 2017/07/12(水) 12:04:50|
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雨の日曜日。

3日間だけ「牝」の上映があるというので久しぶりにシネロマン池袋へ、道すがらTwitterに流れる誰かの記憶としての作品に触れてワクワクしていた、あの頃劇団の観客だった学生さんが日活に就職してシネロマン池袋の支配人になり、彼の働きかけでプリント廃棄と言われていた作品のニュープリントが実現した、そのシネロマン池袋で「牝」を観られるのはやはり特別だ、渋谷で観たときは健全な映画ファンが多い印象だった客席も本場のポルノ映画館となると見事に客層が違う、呟きのような断続的な会話が聞こえてきたりひっきりなしに出入りする人がいたり後ろの席から身を乗り出して背後から鼻息を吹きかけてくるおじさんがいたり、因みにこのおじさんはお母さんが犯される場面になると辛抱できなくなったのか後ろからそろそろと私の腕に触れてきた、振り返ってまじまじ顔を見つめたところあっさり引いてすぐに退場していった、ポルノ映画館は初めてじゃないけれど痴漢にあったのは今日が初めてだった、帰りにふじで天丼食べながら本来こういう雰囲気でこんな風に観る映画だもんなあとなんだか新鮮だった、スクリーンの加藤さんは生ッちろくてとんがった若さでギラついている、30年前の私はぎこちない佇まいで恐ろしい集中力が漲っている、どの場面を観ても確かあれはどこそこであのときこんなこと言われたっけとフレームの外側が動きだすのだが、それだけのことではなく特別に大切な映画であることをまた思い知らされる、上映が終わって出てきたところで館員さんに声をかけてもらい告知用に飾られていたポスターにサインさせてくれた、ポスターに並んで撮った写真もシネロマン池袋のTwitterアカウントに流れたけど、いやはや30年、もはや当時の吉川遊土さんよりも年上になってしまっている、30年前の自分をこんな風に観るなんて想像もしなかった、贅沢な愉しみだなあ、加藤さんまたいつか観に行くよ。
  1. 2017/06/18(日) 20:10:57|
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衰える。

まずこの頃は老眼が進んで本が読めない、遠近両用コンタクトに変えて日常生活の不便は減ったが、それでも裁縫と読書が苦痛だ、おかげで休日にやることがなくなった、年寄りの趣味が庭いじりになるのも頷ける、そもそもが弱視に近い近眼なので芝居を観ても役者の顔が視えていないことも多い、それが理由で「存在を強く感じさせつつ大袈裟な演技をしない」役者を好むんだろう、表情を想像して楽しむから顔の動きや声の演技で説明されるのが鬱陶しい、視えないことが多いからといって全て視たがっている訳ではないのだ。

本を読まないと脳みそが凝り固まってくるような気がする、刺激が少なすぎて働きが鈍る、シナプス間の信号が飛ばないから新しいことに対してどこか及び腰になるのだ、脳みそを使わずともできる手慣れた事しかしなくなり、脳みそを動かさずともできる判断しかしない、何かを思いつく事は未だあるけれど、それをどうするか考えることができなくなった、知らないことにも知ってることを組み合わせて対処していたのだとわかる、組み合わせができなくなって、知ってることの少なさも痛感した。

読みたい本を買ってみてもわずか数ページ分の文字を読み取るだけで全力を使い果たし、理解や共感や想像や創造に結びつける脳の働きまで到底及ばない、となるとただ文字を読むだけだから何を読んでもさっぱり面白くない、山村に育って学校まで山道を1時間歩いて通っていた人の足腰が丈夫なのと同じで、私は本を読むことで頭の動かし方を覚え鍛え続けていたのだろう、こうなれば他の手段を探すしかなく、このまま脳を弛ませては痴呆も目前の年齢になった。

思考力が衰えて感情的な部分が敏感になるのかと言えばそれもなく心情は至って穏やか、そもそもの病的客観性は変わらずで、客観してるのに分析や理解や発想がないのだからつまりは傍観だが、それまで客観や傍観なりに何かを感じ取っていたはずなのにこの世の全てが他人事に思えるばかりでどこにいっても通すべき我がないような按配で、芝居の演出やプロデュースをやってきたのも小説を書いていたのも「わたしはこう思う」の我を通す手段だったのだろうからもはや原動力を失って、季節の変わり目というが人生の変わり目だ。

映画の暴力シーンを直視できなくなった、血が出るのが怖い、感情的な人は以前から恐怖の対象だが今は人の激した声や挙動が怖いだけで他人の感情などはむしろどうでも良いと思える、仕事柄日々浴びせられる負の感情に慣れたからかもしれない、心打たれるのは泣いている人より笑っている人だったりする、幸せそうな人はもちろん些細な出来事で笑える人に強く心を動かされる、年寄りが落語や漫才や三丁目の夕陽を好む原理なのかもしれない、しかし私はこのところ闇金ウシジマくんが面白くて仕方ない。

裁縫の不便にはグルーガンが役立つ、そろそろKindleを購入すべきか、老眼鏡を作り直すのが先か。
  1. 2017/05/17(水) 13:36:40|
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今日でした。

ついこないだ公演した劇団「冗談だからね。」が、もう次の公演をやっていて、本日そのアフタートークに参加します。
こないだの公演終わってすぐに打診があったので忘れかけていましたが、本日夜の回です。

それまでの間に、亭主が出演した流山児事務所公演とかは観たけれど、他はまたも不義理、無論バイト生活上のシフト問題もあるにはあるが、ちょっとやってうんざりして関わりたくない感じでそっぽ向いて、なんかまた無理やりに関わってわーってはしゃいで疲れ切ってまたうんざりして、っていうエンゲキとの血縁な感じが、なんとも。

今日友人から馴染みの居酒屋が町の再開発で閉店するというニュースを聞き、寂しいなあと思ったけど、まあそうやって代謝していくもんなんだよなあとも思い、すっかり隠居風になってる自分が最前線のエンゲキ人に関われるのは有り難いような気がしてきたりもし。

年を重ねていくごとにどんどんと輪郭がぼやけて何者でもなくなっていく感じの心地良さ、てのがあるんですねえ。
年寄りの冷水なんて言い草があるけれど、ぬるま湯。

「冗談だからね。」公式

当日券もでるそうです。






  1. 2017/03/25(土) 01:15:52|
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テロリズム。

「飛ばない教室 または、わたしのいないその場所」、無事に終演。

客がこない苦労を知るべきでは、という意見もご尤もではあるのだが、客がこない苦労を知るより、客を呼ぶ努力を知る方が余程いいわけで、それを知った結果なのだから上出来じゃないか。
現実問題として思うようにはいかないものだから、これは本当にありがたい。

ただ、もうずっと煩く言ってきたつもりだったのに相変わらず奴らはいちいちやらかしていて、愛情も信頼も抜きで「クソガキ」なわけだが、私も延々「クソガキ」だったから「そうなんだよなあ」と同情気味に眺めている。

コヤ入りの2日前だったか、たいちゃんが、「今までずっとこんなことやってきたんですか」と言った。
要するに「エンゲキやるのって大変なんですね」という意味での言葉だったんだと思う。
「そうだよ」と言っといた。

でも、正しくは、私は劇団をやっていくのがしんどくなって放り出しているから、「今までずっと」でも、「こんなことやってきた」でもない。
多分、本当は、やってる芝居が面白いとかつまんないとかじゃなくて、奴らが「劇団をやってる」ことが、何より凄いことのような気がする。

「飛ばない教室」の、コピー台本800円は、飛ぶように売れた。







  1. 2017/01/27(金) 05:02:16|
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コヤ入りまであと6日。

とうとう映画愛仮のスタッフまで駆り出し、





ご予約はこちら。
  1. 2017/01/13(金) 12:29:21|
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