切通さんからメッセージを戴いた。
「書いていて、ずっと僕は、いつか物書きになって、作家になった前川麻子を論じたいと思っていた
ような気がしてきて、感極まる瞬間が何回かありました。 」
…とのこと、解説や評論を書きながら感情移入できるのは、切通さんの特徴、
かな。
知り合った人、親しくなった人と、ずっと後になって仕事で絡んだりするのは、とても楽しい。
仕事で出会った人と深い付き合いになるより、ずっと。
仲良くなるより、まず一緒に仕事をしたい、というタイプなのね、きっと。
だから、離れた業種の人とは余り近しくならずに終わってしまうことが多かったけど、
この頃は、そうでもありません。
ナブが親方のライブに連れてきてくれた
あきちゃんはカメラマンです。彼女のサイトの中にひっそりと隠された「
有名人同士のそっくりさん」を集めたページがむやみに充実していて面白い。
ナブは、NHKの劇団の後輩で、とうに劇団を辞めていた私が始めた「品行方正児童会」という劇団の旗揚げ公演に出てもらったのですが、「NHK以外は出演禁止」という方針の劇団にバレてクビになり、
そのお陰で、彼女は晴れてジャズの道へと進むことになった 笑
ナブは現在帰国中。
6月にハーレムで交通事故に遭い、本当に生死の境を彷徨って生還した。
青信号の横断歩道で暴走車に跳ね飛ばされるという事故も、頭蓋骨の中に溜まった血を掻きだすという恐ろしい大手術も、まったく記憶にないというんだから、きっと生きながらえるために神様がバグを削除してくれたんだろう。
生かされてる、という感覚は、理屈や思想からは取り込めないのかもね。
ニット帽姿が空間にそぐわないんじゃないかと気遣いながらの、以前と変わらないにこにこ顔を前にすると、すぐ手が届くそこに、はっきりと彼女の生きてきた時間があるんだってことが判る。
どこにいても、どんなことをしていても、彼女の存在そのものに、ちゃんと彼女の生きてきた時間が丸々あるってのは、凄い。
ステージに立つ人には何かしらオーラがあるというけれど、普通の人なのにオーラがあるって人もいるわけで、それはつまり、その人がただそこにいる、ただ存在する、半畳弱のスペースにみっしりと、その人の生きてきた人生がある、その重みで通常の時空間がちょっと歪んでたりするからなんじゃなかろうか。
あたしには、ナブが、神様の掌に包まれて、そこにいるように見えて、幽霊と遭ってるんじゃないかと思わず手を伸ばして確かめたりした。
彼女は、本当に、いい歌をうたう。
どっか開き直れない奴ってのが、実際のところ、いたりするんだよ。
開き直る、諦める、居直る、吹っ切る。
色んな意味で、いつまでも重心を下げられない奴ってのがいて、そういう人は何をやっても、どこかつんのめった感じがする。
「晩夏の蝉」のタイトルを快く共有させてくれた
日比康造が、9月30日に、今までよりちょっと大きなところで歌うらしい。
海さくらというイベントのコンサートだそうです。
親方も、サポートで参戦。
かれこれ三年前にブッキングを始めて、この頃は全部とはいかなくなったが、丸二年間、ライブにも飲みにも付き合って、言い争ったり煽り合ったりしてきた彼も、少しずつ少しずつ、重心が下がってきてるんだと思う。
あと五日で、あたしゃ齢
39になるだよ。
下がりすぎて腰が重くなった自覚があるので、も少し膝を柔らかく。
- 2006/08/14(月) 22:30:00|
- 雑感
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