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仕事部屋

じいさんのこと。

今朝、M伯母から、大きな封筒が届いた。
M伯母は、二十五年前に亡くなった父の、姉である。
開けると、手作りの、バインダーを使った冊子とM伯母からの手紙が入っていた。
表紙には「前川廣之助手記」とある。
いつぞやこの叔母から聞かされた、小説家だったという祖父の手記を、
七十八になる伯母がワープロに打ち直して整理したものだ。
当時の写真がきれいにスキャナで取り込まれレイアウトされ、
昔の地図と今の地図がプリントアウトして挟まれている。前書きもある。
今のところ、全二十四章のうち、およそ半分、1章から11章までで、祖父六才から二十才までの出来事だそうで、次回は12章から16章の予定、と予告まであった。

じいさんが死んで五十年とあるから、叔母たちにとっては、そう遠い記憶ではないはず。
日活ロマンポルノの誕生より新しい。

「広ちゃん、いつ奉公に行くの?」と鈴を張ったような瞳が私の眼を追う。
「もうぢきさ。」
「もうぢきっていつよ。」
「お正月が来て、それから春になって四月だよ。」
 千勝ちゃんは私の顔をじっと見つめながら白魚のような指を追って一つ二つと数えて五つ皆折り、漸く納得して
「ほんとにもうぢきだわね。」と呟くように言って目を伏せたらまつげが随分長く見えた。

                          (「前川廣之助手記」七章より抜粋)

こんなふうに、祖父のことを知るとは思ってもみなかったので、嬉しかった。

伯母たちは四人姉妹で、五人目の末っ子に長男である父がいた。
五月五日に生まれた待望の長男なのだから、さぞかし姉さんたちから可愛がられたのだろう。
父は結婚して子供をもうけたが、その後すぐに他の女性と暮らし始め、そちらにも子供ができた。
その、「他の女性」が私の母であり、「他の子供」が私だ。

父のしたことに、姉さんたちは、がっかりしたんじゃないだろうか。
父は「他の家庭」であった我が家に、十数年暮らしを落ち着けていたが、やがてまた他の家庭へ移った。
私は、父と暮らした十数年に父方の親戚と会ったことがなかったし、存在することすら知らずに大人になった。父が子供だった頃の話や、写真の一葉を目にしたこともない。まったく過去のない人として、父を捉えていた。

余談ではあるが、私にとっては、母も過去のない人だ。
高知の生まれである母が、何を思って東京に出てきて、どこでどのように父と知り合ったのか、私の母になる以前にどんな暮らしをしていたのか、何も知らない。興味を持ったことがなかったから、訊いてもおらず、母も話さなかった。母も十五年ほど前に亡くなっている。

「鞄屋の娘」という小説に、そうした父のことを書いてデビューした七年前、小説を読んだという見知らぬ紳士から連絡があった。私のいとこに当たる人だと言う。
その紳士からの連絡を始め、他にも前川家の親類から連絡をもらった。
核家族の一人っ子として育てられた私には目の回る思いで、申し訳ないことに、どの叔母と会ったのか、その叔母が長女なのか次女なのか三女なのか、いとこがなんという名前のどこの人だったか、どうも混乱して覚えきれなかった。
M伯母もそのうちの一人なのだが、手紙のやり取りをしたり、劇場を訊ねてきてくれたり、一度は飲みに連れて行ってもらったりもし、飲んだときの豪快なさまが私の母によく似ており、「きっと父は、こういうところに親しみを感じて母を好きになったんじゃないか」などと勘ぐった記憶があって、七十を過ぎてからワープロを始め、何かの師匠であるらしいことや、とても活動的な様子を聞いたことも合わせて、特別印象に残っている。尤も、それらが全部M伯母のことなのか、他の伯母のことも混じっているのかすら、私の記憶には定かでないのだけれど。

思えば、そうやって曖昧にされていた自分のルーツが少しばかり広がったことが、私の本質にある不安神経症的な脆さ=私はどこにも存在しない、という不安定な精神状態の改善にも、極めて効果をあげたんじゃなかろうか。
世界が滅亡して一人だけ生き残ったところに、どこからか飛んで来たラジオの電波を受信した感じ。

誰もが順番に迎える現実でありながら、両親とも亡くして味わう孤独は、想像よりずっと静かで、底知れず深い。家族のアルバムは盗まれ、思い出を語ってくれる親戚も遠く、自分の記憶はあやふやとなれば、自分の存在を疑うのは簡単だ。
x軸とy軸をなくした座標、と言うとハードボイルド過ぎるか。

じいさんが小説家だったというのが、どの程度真に受けていい話なのかわからない。
が、洒落者だったらしいことが、写真や手記の端々からよくわかる。
じいさんの文章は、その時代のものとしては驚くほど読み易く、ユーモラスだ。
写真の端に残っている書き文字を見ると、父の字とよく似ている。

父の姉たちは、じいさんの持っていた文才を弟が受け継いだのだと信じているし、その弟が思いがけずに早く逝ってしまったと思ったら、不意に「他の子供」がそれを継いで小説書きとして現れたのだから、やはり、私が小説を書いていることを喜んでくれているのだと思う。
今日届いた伯母からの手紙には、「一番に麻子さんに読んでいただきたく」と書かれていた。
私が小説を書いたように、伯母たちが、じいさんの手記を清書した、それを戴いたことに、言いようのない思いが湧く。

私が今暮らしているところが、父の生まれ育った界隈であることも、越してきてから知った。
不意に小説を書くようになったのも、今の住処で生活が安定していることも、父に見通されているように感じることがしばしばある。結婚当初、親方は仕事の合間に一人で私の父の墓に毎日のように通い、墓の前で昼ご飯を食べていたらしいから、一人娘の亭主として、四人目にしてようやく父が許したということなのかもしれない。
じいさんもそのお墓に入っているそうだから、墓参りのときに挨拶する相手が増えたわけだ。
我が家には仏壇がないし、お墓を眺めてもそうは感じないけれど、親族ってのは、死んでもずっと親族なんだなあ。

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古ぼけた写真で見る子供の頃のじいさんは、私が小説の中で勝手に思い描いた息子の顔をしていて、なんだか、へえー、と思った。
  1. 2007/02/07(水) 03:48:53|
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