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仕事部屋

愛のゆくえ。

親方と一緒に家を出て、親方はリハ、あたしは買い物。リハ終わりで合流して、食事してお茶して、本番前の長い時間を『図解ヘリコプター』を読みながらうだうだ過ごす。
ああ、ヘリコプターを操縦したい。

JPB、相変わらずとても面白い。それでもまた格別に面白いステージだった。三上さんの新しいSGが素敵。親方の新しいベースとよく合う気がします。十年やってて少しも芯がぶれないって、やっぱりすごいことですね、寅蔵さん。

ご機嫌になって親方にあれこれ。
考えてみたら、あたしはもう二十年近く、ベースだけは親方の音しか知らない。
音楽をやっている人は昔から割と近くにいたし色んな恋をすることで色んな音を知ったけれど、ベースの音だけは何故か親方の弾くそれたった一つで、それ以上やそれ以外がない。
知り合う前から一番好きな音だし、結婚してからもやっぱり一番好きな音だし、もしかしたらこれからもずっとそうなんだろう。
あたしの人生でたった一人のベーシストなんて、なんだかかっこいい。
あれこれのあるあたしだからこそ、なかなかスゴいことだとも思う。

そうやって話しているうち、話題がボーイフレンドのことになって、親方とラーメン啜りながらあれこれ。
あたしがボーイフレンドのことを書き散らしているせいか、着々とそういう事情は浸透しつつあり、案の定、親方の胸中を心配する声が続々寄せられているらしい。もちろん、あたしのボーイフレンドに近しい人は、彼の胸中を心配しているだろうし。今のところ、誰からも心配されていないのはあたしだけだと思う。

こと親族の方からすれば「あの嫁はなんなのだ」というお怒り、ご尤も。
結婚三年目で親方の両親とは一度しか会ったことがない嫁となれば、尚更。不快に感じることも多いだろうと思う。そういうことが念頭にないわけではないのだけれど。

職業の特殊、性質の特殊、環境の特殊、関係の特殊と、言い訳はいくらでも思いつくし、言い訳する誠意が必要なときには迷わずそうする。
しかしながら今のところ言い訳をする必要も感じず、自分の心境や現実的な状況を、親方以外の人に報告する必要もなく、言葉で整理しなければならないほど複雑な事情もない。
願わくば、こんな嫁をもらったあなたの親族をどうか軽蔑しないでいて下さい、と思う。
得体の知れぬ嫁の書き散らすブログなどを信じるより、あなたの親族である私の夫のことを信じてあげてください。

あたしはあたしの中の正しいことを信じており、その正しさが必要な人に届いていることを信じており、それで充分だ。

もちろん、あれこれを心配してくれる人がいることはとても有り難く、とても申し訳ない気持ちになったりもする。それでもやはり、厚かましい開き直りに見えるのを承知で、申し訳ないようなことは一つもないと答えるしかない。

ネットする環境じゃないところできっちり守るべき暮らしを持っている親方の両親に、わざわざ「あんたんとこの嫁はネットのブログとやらでこんなこと書いてる」と教えて下さる心情に困惑する。
確かにあたしには配慮がない。そもそも、これまでもこれからも配慮するつもりがない。
が、あなたにもそんなことをわざわざ知らされる彼らへの配慮はないわけで、あたしにしてみれば世の中にはそういう人がいるんだと承知してはいても、そういう人を想定してこういうことはやっていられない。

もちろん、むやみに誤解を受けて嫌われたいわけでもないし、夫の親族には当たらず触らずで、夫の面子のためにもちゃんとした嫁でいたいと思う。
が、世の中にいるこういう人のためにそれらの心が折り合わないことは、何も今が始めてではないし、正直言えば面倒臭いから、それはそれでいいんじゃないかと思うし、へえーどこにもいるんだねそういう人がと面白くも感じるので苦痛はない。

その昔は、ブログなんてものがなくて、ただ目にする状況だけで、同じことをする人がいた。
そういう人はそういう人で、本当にそれを善意の表れだと思っていたりするし、よりよい状況になるよう力を貸したつもりになっていたりもする。決して、それらが善意として伝わることも、それによってよりよい状況になることもあり得ないということには想像が及ばない。

いっそ、実はあたしがDV被害者であるとか、親方に隠し子がいるとか、パチスロにはまってサラ金に追いかけられているとか、ものすごいことをブログに書いてみようかと。
そういうことにも、ちゃんと善意で反応するんだろうか、こういう人は。

げんなりするんだったら、わざわざ読まなきゃいいだけのこと。
つうかブログじゃなくて本買って読んでくれ。
相手が誰であっても、やはり私はそう言い続ける。
感想には誠実な対応を心がけ、書く姿勢は愚直であることを心がけ、書かれる内容は事実を損なわないよう心がける。
極めて単純かつ困難なことだが、それが基本だ。

たとえば、あたしが何故、ボーイフレンドである彼を想うか。
あたしにとって親方がどういう存在であるか。
それらにはこの上なく明確な回答があるのだが、それをここには書かない。
書かないからといって、あたしがそれを見失うこともない。

想うこと全部をいちいち言葉にしてたら、作家なんてみんな心がからっぽになってしまう。

あなたは常にあたしから排泄された汚物のような言葉を貪り拾っているだけなのだ。
だから、金払って本買って読めと。
その上で「あんたんとこの嫁は、こんな怪しげな出版社でこんな小説を書いてる」と言えと。

まあ、結局のところ、あたしにはそんな突っ張り方しかできない。
  1. 2007/03/31(土) 12:06:35|
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人と会う月間が、まだ続いている。

数年前に某新聞の文化部にいらして著者インタビューのために一度だけお会いしたCさんから、電話があって、夜の恵比寿で待ち合わせた。なんの用件だかわからない。「お仕事ですか」と訊くと「個人的な趣味です」と言う。

警戒二割、面倒臭さ三割で、直前までドタキャンしちゃおうかしらなどと思っていたのだが、考えてみたらこの先いつ次にお会いするかもわからない人だし、そもそもインタビュー以降でお会いできる機会があることが珍しいのだからと思い直して、出向く。新刊読んで思い出してくれたのかとも思ったが、どうやら読んでくれてはいないらしい。目的不明のまま会ったのだ。

待ち合わせ場所に来ていらしたCさんの姿を遠目に見たら、不意になんだか懐かしい人のような気がして、五割の後ろ向きはすぐに消えた。
今は某週刊誌の記者になっておられるCさん、元より文化部の記者ではなく事件屋なのだと言うので、面白い話が聞けそうだと思ったこともある。

そしてやはり、話はとても面白く、小一時間のつもりが四時間。

文化部でやった作家のインタビューのあれこれ、ご家族の話、記者仕事の話、事件の話、取材の仕方などなど。もちろん、聞いているこっちが「それやばいんじゃ」と不安になるような話には一切向いて行かない。頭の中に鍵のかかる書類棚が完璧に出来上がっているプロフェッショナルだ。ソースの面白さばかりではなく、言葉の選び方、人への視点も興味深く、Cさんの経験や考えから長篇のネタが十本は取れる。Cさんとのデートを重ねれば、あたしも横山秀夫ばりの記者小説が書けるはずだ。

何しろ、魅力的な人なのだ。人に会って話をするのが好きなのだろうし、無関係な誰かに吐き出したいこともたくさんあるのだろう。
楽しいなあ、面白いなあ、この人と会えてよかったなあと、胸の中で繰り返し思った。
そりゃそうだよなあ。向こうは他人の懐に飛び込むプロなんだから。
Cさんが有能な事件記者であることは、聞かずとも感じられた。
カリスマ整体師なるものが存在するとして、その施術を受けたら、こんなふうに実感するんじゃないかしら。

話している間中、どうして彼が今日あたしに会いたくなったのか、ずっと考えていたのだが、「前川さんってほんと色気ないね」の一言で解明。
とはいえ、まったく色気のない女と飲むのは楽しくないに違いない。何かしら、あたしへの興味や好意を持ってくれていたからこそ、何年も経って不意に電話してきたりしたんだろうし。
生真面目なCさんは仕事のグチを零したかったのだと釈明してくれたが、なんてことはない、ちょっとしたドキドキは欲しいのだけれど、それが色気に転ぶのは面倒で、あたしを択んでくれたってことなんじゃないかと、勝手に解釈した。そうだとしたら、とても光栄なことだ。
但し,今回ばかりは珍しく、あたしは殆ど喋らなかった。聞き役に徹して退屈しない四時間っていうのも貴重な経験だと思う。

Cさん、54 歳。色気はもうしんどいという感覚は、あたしにもちょっとだけ判る。
これからそういう飲み友達が増えて行くのかなーと、わくわくしながらの帰路。
ここで影響受けて、本気でCさんを取材して記者小説を書くことを、ちょっと想像してみた。
多分、書かない。
聞いた話をネタにすることも、ないだろう。
だが、Cさんに向けるあたし自身の目や、Cさんの目は、いつかあたしの書く物語の中で覗けるに違いない。

キムチ作るのってこんな感覚だろうか。
いろんなもの漬け込んで、ときおり手を突っ込んでかき混ぜて、発酵を待つ。
美味しい浸かり具合でちゃんと上げないとな。

  1. 2007/03/29(木) 11:25:44|
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The Load Of Expert.

ボーイフレンドと話していて血液型の話になったとき、彼はあたしの血液型を知っていた。知らないだろうと思って「バッテン三つもあるんだよ!」と自慢したときにも、それを知っていた。昔の話になって過去写真の数点が掲載されているリンクを送ったら、それもすでに見ていた。
「検索したでしょ」と訊いたら「した」と言う。
つまり、公開されているあたしのことは大分リサーチ済みであるらしい。
あそこのブログもここのブログも、たまには読んでいるのかしら。

ブルーハーツのブログでは延々と恋愛にまつわるエッセイをやっている。
ひじょうにもっともらしく 笑
確かに、「自分のことを知りたいと思って欲しい」と書いた気がする。過去、あたしの小説を読んでくれなかった恋人のことも書いた、と思う。
ここのブログには、そうやって記事にされたものを真に受けられちゃ困るのだ、というようなことも書いたような気がする。

あたしが思うところの、「こうして欲しいもんだ」のようなことをあちこちに書いているわけだから、それを読んでその通りに振る舞えば、あたしにとっては理想的な恋人になるんだろう、理屈上では。
つまり、あたしの恋人や夫にとっては、常にガイドブックが存在するということだ。
それを読めば、あたしに関する達人になるのか? …ほんとに?
てか、達人てなんだ???
あたし、研究されてるのか???

ともかく、知りたいと思ってくれてデータを探してくれることは、素直に嬉しい。
知られて困るようなデータはそもそも公開されてはいないはずだし。

だけど、たとえば一日連絡が取れないときなんかに、「ああ、彼女は今ごろ何してるんだろう」とぼんやりした想いを寄せられることは、あんまりなくなってしまうんじゃないのかしら。
それはなんだかつまらない。
もちょっと謎の部分も残しておきたいんだけどなあ。
決して、彼や親方が、データを入手しただけであたしのことをわかったつもりになんぞなっちゃいないってことも充分承知ではあるけれど。
あんまりにも判り易い人ってのは、どうなのかと。

知りたい気持ちは、ちょっとだけ特殊な気持ちだろうと思う。
それと同じように、知って欲しいという気持ちも、ちょっとだけ特殊だ。
但し、あたしの場合はそれ以前に「書き記したい」という欲求があって、「知って欲しい」とは別の部分で働いている。ゆえに、「それで、読んでどう思った?」と特定の誰かに感想を求めることは余りない。情報操作も可能だが、事実というのは自分以外の誰かと共有されている場合が多いので、事実と違うことを書けば、それを共有する誰かの信用を失う。結局のところ、書き記すことができるのは常に、誰かと共有した同じ事実をあたしがどう感じどう考えどういう言葉で捉えているかということでしかない。

そして、多くの人のそうした部分は、謎とされているのが常なんじゃないかと思う。
「これこれこういう出来事があって、私はそれをこれこれこうと感じました」と、ネオンサインのように看板を立てている人は、余りいない。

もちろん、だからって公開されていることがあたし自身のすべてではないから、それほど拘る必要もないんだろうけれど。その通り、というのがなんだか残念なのだ。
「たて×よこ×高さ」みたいに「思考×言動×データ」っていう方程式があるとすれば、あたしの容積など誰にでも簡単に測れてしまう。


実はO型であるとか。実は公開してない離婚歴が更にあるとか。写真はすべて別人だとか。他にも秘密の愛人がいるとか。実はあたしがドイツ人であるとか。実はあたしはまだ中学生であるとか。実はもう一人の娘が練鑑にいるとか。実は夫がソン・ガンホであるとか。
なんか、そういうことにはならないものか。
ならないのだが。





  1. 2007/03/28(水) 12:19:26|
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日曜から、火曜まで。

日曜の半日、ボーイフレンドの部屋を訪ねて、ちょっとだけ特別な時間を共有した。

「やめてー」と言われながら無遠慮に部屋のぐるりを眺めたり、台所のコップを勝手に使って水を飲んだり、ビールを買いに表に出るとき自分のブーツを履くのが面倒臭くて彼のスニーカーを借りてぶかぶか道を歩いたり、これまでろくに眺めたことなどなかった彼の顔を初めてまじまじと見つめたり、それじゃあ帰りますとハグするときにちんまい奴と思っていた彼の顔が見上げるところにあって本気で驚いたり、小説にしたら読む方がこっぱずかしいような、それをぬけぬけとこんなところに記しているあたしってどうなのというような、そういうことにまみれて、ちょっとだけ特別な時間を共有できたことに、今はとてもわくわくしている。

部屋を出て食事しに行って話していると、やはりもしやと思った通り、彼は案外にしゃんとした大人で、あたしの狡いところもややこしいところも呆れるほど単純なところも、おおむねはちゃんと透かしているのだとわかり、「ああ、なるほど。あたしはこの人が好きなんだ」とわかった。

身悶えする恋しさなどではなくとも、身を削る切なさなどではなくとも、もしかしたら恋とは呼ばなくてもいいものかもしれなくとも、どこにも辿り着かないジレンマを抱えているのかもしれなくとも、静かに暖かく先を急がずに紡いでいける、人生に役立つ恋というのがあったりする。

一番重要なのは、こういう恋を手に入れたことを、あたしが小説に書けるかどうかなのだが、多分、書かないような気もしていて、なんで書かないかというと、それはつまり段落とか結末とかがまったく見えていないほどそれが始まったところにあるからで、ケチケチしてるわけじゃないんだけど。

恋をする人が恋人を想って眠れずに迎えてしまう朝は、小説になる。
だが、恋をする作家が恋人のことを想うことなくただ恋をする自分の心を記す言葉を探すうちに迎えてしまった朝というのは、もうやっちゃってるし。

最初の結婚をしていたときに、すごく好きになった年下の男の子がいて、それがこれまでにした恋の中で一番正しい恋だったと思っているせいか、正直、年下の男の子と恋をするとどうしてもその男の子の残像に重ねてしまう。
色が重なるほど嬉しい。けれど、同じ画には絶対にならない。もちろん、同じ画が見たいわけでもない。ただ、その色が好きというだけだ。

そして、時々気づく。
今のあたしはもっと大人で、そのあたしを好きでいてくれる誰かも、もっと大人だ。
そりゃそうだよなあ、夢を抱えたハタチの男の子じゃないんだもんなあ、今あたしが見ている彼はきちんと社会に結びついているいい年した大人の男の子だもんなあ。
へえ、大人の恋って楽しいなあ。
というようなことを、火曜の朝までかけて考えて、ようやく気づいたりする。

大人には仕事という息抜きもあって、そうそう遊んでばっかりもいられないから、またしばらくは一人でこんなふうに反芻する時間が続くことになるのだが、ああ、あの頃のあたしはそれが楽しめなくて家を飛び出したりしてたっけ。

そうせずにいられるあたしは、やっぱりちゃんと大人になっているに違いないし、そういうものをちゃんと抱えていられる大人でいたいと思う。
きっと、そういう自分でいさせてくれる人を、勝手に択んでいるんだろう。

そんなわけで、月曜のあたしは上機嫌だった。
上機嫌のあたしは、親方と犬夫妻と散歩をして、仕事っぽいことをちょっとだけして、日曜のそれとは意味合いの違う特別な時間を親方と過ごして、夕飯をちゃんと作って、恋人と連絡を取り合って、仔犬の世話をして、そういう自分についてくどくど考えて、考えたことを書き留めて、あれこれにとても満たされた気分で、火曜を迎えた。

吉岡の受賞祝いの仕切りをすっかり忘れていたりもするが、それは、まあいいか。へへへ。
  1. 2007/03/27(火) 06:57:33|
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皆さんの恋。

なんだか恋が流行ってる。

それぞれが、みんないい年した大人だし、護るべきものもちゃんとあったりするのだけど。
それでも人は恋をするんですねえ。
楽しいな。

親方に「モテモテ奥さん」と呼ばれるのは嫌いじゃない。
あたしが楽しそうだと、彼もちょっと楽しそうに見えるし。
多分、それなりにちょっとずつ心配したり、嫉妬したりもするんだろうけど、それくらいしとけ、って思うし。
親方の大したところは、そういう加減がちゃんと自分の器の中に収まっているところ。
ちょっとずつ親方にも反映されていたりするのが、何より絶大な信頼。
誤魔化したり躱したり見ぬ振りしたりは、しない。
ちゃんとしっかり、目の前のあれやこれやを見ている、そういう正しさ。
あるものをないとは言わないし、ないものをあるとも言わない。
それが真実って奴だったりする。

かたや。
ボーイフレンドの心中は穏やかとはいかないらしく。
ぬけぬけ「つらい」と言えるところには不思議な安心感もあるのだけれど、彼と親方との距離にはきっと「ぬけぬけ」では済ませられない信頼もあるんだろうし。
何しろ、周囲の人は気が気じゃないに違いない。
もう、いいじゃないですか。
なんか、そんなことを気にしてられるうちは、まだまだ隙間があるんだろうし。
もっとのっぴきならなくなったりしたら、それはそのときになってから考えればよろしい。

あたしはあたしで、誰かのしている恋を覗き見ることが面白かったりする。
いいじゃんいいじゃん、楽しそうじゃんって、無責任に煽ったりしてさ。
そうやってるところに、返信無視されて歯噛みしながらあたしの機嫌が治るのを待ってると思ってたボーイフレンドが、案外根性なくいたたまれない様子で電話してきたりすると、にやにや嬉しくなる。試してるつもりはないんだけど、やっぱりどこか試しちゃってるんだろう。
そうやって量れるものがあることが、単純に楽しい。

量り合う微妙な心に、一匙の敬意があれば大丈夫だと思ってます。
人々は、あたしの人生の中に勝手に現れて勝手に去って行くもんだと思っているし。
あたしもまた、誰かの人生の中に勝手に踏み込んで勝手に立ち去ったりするんだし。

朝帰りするとさー、仔犬が一回り大きくなってるんだよねー…。

皆さんの恋は、それぞれに面白い。
秘めている恋も、露見した恋も、芯のところがブレてなければ何より。
  1. 2007/03/24(土) 15:38:39|
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夜遊びが祟って体調を崩した。
月曜にはけんたんちで小一時間、整体に駆け込んで応急メンテナンス、その後講談社「夏のしっぽ」の刊行打ち上げで、ブックデザイン緒方氏、表紙画を描いて下さった小巻女史、「すきもの」文庫担当F氏などとご挨拶、美味しいフレンチで満腹して、編集N氏T氏に付き合ってもらってOに寄ったが、グラスに口をつけた途端の低血糖発作で、早々に一人おいとま。帰宅してすぐ横になったが、なかなか治まらず深夜まで苦しむ。

さすがに翌日は休養。どうもまだ本調子ではない。

明けての昨日は昼間にちょっとだけ仕事して夜はPLUGでカナリアのライブ。
前回観たときと全然違うバンドってくらい、今回はカナリアの良さがちゃんと伝わってきて、楽しかった。クボちゃんの車で送ってもらって早い帰宅。

どっしり眠ったのだがまだ調子は今一つ。
それでも今日はgreenのA/Wcollectionなので頑張る。
今春の対人週間、明日のトリは久々にタケとのサシ呑み。
今季の「人と会おうウィーク」は案外と長かったが、もう体力が追いつかない。
四月からはまた毎週の〆切が始まって引き蘢り生活になる。
長篇準備に最適な休載期間だったのに、何もできていない。
書く生活に戻れば、毎週の〆切に追われながらもむらむら長篇を書きたくなるに違いないし、そうなったとしても準備が何もできていなくて書きたくとも書けないというジレンマに悶々とするだろうことも予想がつくのに。
相変わらずこつこつやるのが苦手だ。

それでもまあ、新しい趣味を始められて、新しいボーイフレンドもできたんだから、年に数度の対人週間としては実りあったんじゃなかろうか。
続けば、ね…続けば、だけどさ。
  1. 2007/03/22(木) 14:48:29|
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もうやだ。

早起きして掃除洗濯など済ませ、午後はblogの原稿書き、仮眠一時間、起きて夕方から親方と渋谷でデート。日曜だってのもあるけれど、渋谷の街はキチガイ沙汰になっていて、五分で呼吸困難。
「ドリームガールズ」で号泣。N.Y.の映画館で観たかったな。Jハドソンの看板に拍手したかったから。エディ・マーフィーってあんな役どころもアリなんだなあと感心、素晴らしかった。

この頃は自分がどんどん偏屈になっていく気がしてしょうがない。
映画館に行かなくなったのはつまらない映画に傷つくからだし、劇場も然りだ。
街中の普通の人が一番面白いなあ。
自分が喋らないでいられるし 笑
一年のうち、むしょうに人と関わりたくなる期間があって、丁度そういう時期だったのであちこち出歩いて人に出逢っているのだけど、もうそろそろ終わりかも。
そうじゃない時期は、よほど親しい人としか会わないし、知らないところには出かけない引き蘢り生活。年々、その期間が短くなってる、というより、サイクルが早くなってきた。
あとさあ、寒いのはなんとかならんもんだろうか。
今年は冬眠してないしなあ。もう暖かくなったと思って活動を開始したのに、また寒くなったりして、本当に嫌だ。

ああ、なんかもう、仕事してないストレスだろうか。あれこれやだやだ。
しかしきっと世の中の人は、常日頃からこういう気分を割りかし抱えていたりするんであろう。
そういう蓄積されたストレスに比べればまったくどうってことはないのだが、それでもやっぱりむしゃくしゃヤダヤダな気分だったりする。
  1. 2007/03/18(日) 23:45:39|
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昨夜のデートはまたも深酒に終わり、今日はお酒の抜けないままDRIffSHOESのライブ。
SOMA君入ってのドリフはロックバンドで、楽しそうだった。
終わった頃にようやくエンジンかかって飲み始めたのだけど、休日出勤があるA1も帰っちゃったしで、最後は親方とのサシ飲みで、朝六時に酔って帰ってのあれやこれやを聞かされ、愕然。
面白すぎる…いや、ほんと、飲むとひどいことになってるらしい、この頃のあたし。
今日はしょんぼり帰ってきました。
イツモスミマセン…

  1. 2007/03/18(日) 01:06:13|
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それぞれの興奮。

不眠症にもさすがに限界がきて八時間ほどぐっすり眠り、起きて諸々の雑用。
夕方から下北沢へ出向いて、桐生典子女史とデート。

髪を切られた女史はまるで女優さんのように美しく、顔を見た途端どきどきし始めた。
小説のことにつかず離れずで、あれこれ思いつくままの会話。
喋り過ぎることなく(多分それほどヒドくなかったはず)飲み過ぎることなく(リード上手な女史のおかげ)の数時間、言葉がきちんとしている人との会話は心地よい。
きれいで、知的で、会話が上手で、正直で、酒呑みで…年上女性にドキドキする青年の気分を、かなりリアルに実感。

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よい頃合いに現地解散してから、興奮状態で一人ふんふんと鼻息も荒くひたすらに茶沢通りを歩く。さすがに疲れて道玄坂上からタクシーを拾ったが、帰宅しても尚興奮覚めやらず。
家では親方が新しいベースを手にやはり興奮気味。

素敵な人とデートする時間って大切だなー。
そういえば、この頃女の子とデートしてなかった。
もともと大勢の飲み会が苦手なので人とは基本サシ飲み路線なのだけど、女の子を誘うのはやっぱりちょっと勇気がいるもんだ。昨夏からデートの約束をしているレストラン店主のKちゃんに電話してみよっかな。そんで渋谷のあの店に連れてってあげたい。彼女は普段どんな毎日を送ってるんだろう。これまでどんな恋をしてきたんだろう。あたしのことどう思ってるんだろう。

…いやー、考えるだけで興奮する。いっそ男子になりたい。
  1. 2007/03/16(金) 13:16:36|
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そりゃそうだろうとも思うのだが、blog記事を読んだ身内からは続々と私と親方の夫婦関係を心配する声が寄せられている。
親方自身はこれくらいの記事で動揺しない図太さを持ち合わせているし、親方を動揺させるような出来事も特にないので、夫婦はいたって平穏に=いつも通りに暮らしているのだけど。

夫とはいえデートは申し込み先着順、何も話さなければ何も知り得ない、つまるところは自分ではない誰か=他人と思えば、どれほど見知っても、判り合うことに限界がある。

そもそも、人は判り合えない。
というところの共通認識があるお陰か、私たち夫婦はお互いによく喋る。
私が言葉数を気にせずに話せる相手は親方と親友と弟子なのだが、三年一緒に暮らしていて、未だ毎日他愛もないことで三往復も四往復もメールのやり取りをするのは親方だけだし、酔って上機嫌にデートから帰ってあれこれを話して聞かせる相手もまずは親方だ。私に男の子とのデートが増えてくると、互いの予定を把握している親方は、割と要領よく休みを取ってデートを申し込んでくれる。

だからって通じ合うわけでは決してないだろうとも思っている。
ただ、関心を持ち続けること、関わり続けることが、夫婦には必要なんだろうと思う。
もちろん、その形には様々なものがあるだろうけれど、こんなことがあってこんなことを思った、というような単純な情報を共有できることは、割と重要なんじゃないか。
単純にいえば、関わり合おうとする意思ってことだろうと思う。

「私は嘘をつくのが下手だし、隠し事が苦手だ。」…という一説の真実がどうであるかは、私の主観とはまた別に、友人たちからの評価によって決められることだ。
但し、私は小説家なので、同様のことを「私は嘘をつくのが下手だし、隠し事が苦手だ、という嘘をつく。」と書いて、読者を得る。これもまた、そこに真実があるかどうかは読者が思い思いに感じ取ればいい。

かつて、ネット上に書くあれやこれやにいちいち反応されて書くことにも恋をすることにも不自由を感じたことがあったから、その後に、ネット上に書くあれやこれやが基本になる「公開恋愛」を試みたりもしたけれど、その中で学習したのは、人は他人の真実を見抜けないということだった。

私がどういう人であるのか。
そのことは常に私に相対する人の中にしか存在し得ないことなわけで、私は私に相対することが不可能なわけで、つまるところは私の知る私など、テレビの画面に映る人を見知った気になるその程度のことでしかないと感じている。
人の思う自分がどうであれ自分の思う自分こそが本当の自分であるという考えに他人とのコミュニケーションを阻まれていた時期、そうと気づいて解消した。
つまるところ、「ほんとのわたし」など存在しない。
自分自身など結局のところ誰かの価値観の中にしか存在しないのだと思うことが、今の私の基本になっていると思う。
てことは他人と向き合ったり関わり合ったりするしか、自分を知る手段はない。

どこかの男の子にとって「一回はヤッてみたい人妻」だったり「いつまでも関わりを持っていたい女性」だったり「説教臭いおばさん」であったりする私のことを、親方もまた、「どこかの男の子にそんなふうに思われているだろううちの奥さん」くらいには認識しているだろうし、そうと認識しておいて欲しいから、そうと知らせる。
多分、そんな仕組み。
そこでいちいち勘ぐったり嫉妬したりしてたら、あっという間に親方は、私のことを見失ってしまうに違いない。

そう考えると、私の存在の確かさは、親方の図太い心の上にようやくあり得るんだなあ。
自分でもなかなか筋道立てられないこういう理屈を、多分もっと単純に直感的に捉えて受け入れてくれている、もしくはそもそも共通した感覚を持っているってところに、揺るがない信頼がある。

なんつっても、他に行くときゃ行くし、行かないときゃ行かないんだけどさ。

そんな親方のDRIffSHOESは土曜。

3/17 sat @ 渋谷WastedTime 03-3461-8383
18:30 open,19:00 start / 21:00 on stage
adv. 1500yen+2order / door.1700yen+2order
booking: RIE/CALA獅子/小林未郁/DRIffSHOES
ご予約は office@driffshoes.com までメールにてお名前と人数をお知らせください。
当日受付にて予約料金でのご精算を致します。

Drsが入ってずいぶんロックな感じだそうですよ。
小林未郁ちゃんとはこないだ飲んだ。並みならぬ強さを感じさせる女の子だったので、どんな歌が聴けるのか、楽しみ。

ああ、あたしは理屈から解放されたくて音楽に惹かれるのかもね。
  1. 2007/03/15(木) 14:30:32|
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