仕事部屋

Adult Children Don't Cry.

起きてボーイフレンドからのメールに返信、午前中に月曜〆切の仕事を全部終わらせ、また色々うっかり思い詰めてしまうも、マキに電話して「麻ちゃん…女子高生?」と突っ込まれ、タケに電話して「俺らだって芝居やってた頃は云々…」と諭され、結局折り合いのつけどころはあたしにしかないんじゃんと気づき、反省体勢。
それを待ち構えていたかのようなタイミングでボーイフレンドから電話があり、「怒ってる?」「怒ってないよ」とあっさり陥落。

なにやってんだかなー。

別につまんないことで怒ったっていいのにね。なんか、もの凄く腹が立っているときでも、こういうことに腹を立てるあたしって…と考えてしまい、その多くは、何もこんなにつまらんことで腹を立てなくても…と感じた時点で、感情を飲み込む癖がついているようだ。

やっぱり基本性質がACなんだろう。
ACが話題になり始めた当時、定義を知って「うっ」となった。あんまりにもすべての項目に当てはまる。これだったのか、と長年抱えていた苦しみが解けるような気がしたが、結局、あたしは自分でそれを否定している。いや、ACには違いない。その自覚はちゃんとある。だけど、ACなんですと開き直りたくない。そう認めてしまうと、余計に自分が苦しくなるような気がする。

だってさあ、今ここでACだと自認して何かいいことがあるんだろうか。
演出家に言わせれば、性格の歪みが女優の才能。編集者に言わせれば、性格の歪みが小説の個性。
ACと開き直るより、女優でしかも作家なんです、と開き直った方が楽だしなー。
AC/DCでいーじゃんか。

なんて書くと、またいろんな人に気にさせちゃうからやめとこう。

このところ、鬱状態から出た不安神経症がちらほら。

あたしがあんまりにも「不安だ、不安だ」と言うので、ボーイフレンドが今日はまめに連絡をくれた。
もちろん、不安にさせないようにと配慮してくれるのは、素直に嬉しいし、ありがたい。
だが、病的な不安感を持つ人は「不安にさせるな」という要求を正当だとは自分でもまったく思っていない。故に、配慮されればされるだけ、自分が手間のかかる面倒な奴だと自覚して、その自覚が次々に新しい不安を生む。
配慮と自覚があって感謝に結びつかないところが、不健全な精神状態になっている証拠だ。
といって、そのまま鷹揚に「だいじょぶ、だいじょぶ」とあしらわれることにも独り勝手に傷ついたりする。つまり、何をされてもぶくぶく勝手に不安が湧く。

こんな話、面白いですか。続けてもいいですか。

このぶくぶく勝手に湧き上がる不安は自分が生み出しているに違いないのだが、そこがよくわからないことに、自分でも何が不安なのかが判らない。ただ漠然と、自然派生した靄のような不安であり、恐らく原因などない。しかし、本人はこの曖昧な不安感によって猛烈に苦しめられる。だから解消したい。解消したいから、あれこれ原因を追及し、解決策を考え出す。
もちろんのこと、そもそも原因がないのだから、それらはこじつけであり、すべてが頓珍漢な結論となる。こうなってるときに自分で考えて判断したことなど、すべて信用ならない。
そうわかっているから、頓珍漢な結論を伝えたすぐ後に、自らそれをまったく無視した行動を取ってしまう。結果、周囲を呆れさせたり、混乱させたりを繰り返し、そのことによってまた、自分はなんと面倒な存在なのかと落ち込み、その落ち込みから次の不安が生まれることの悪循環。

この先は、ちょっと面白い種明かし。

どうすりゃいいのかというと、薬を飲むしかない。
ラリっちゃうからなるべく飲まないようにしているんだが、どうしようもない時だけは飲む。んで、薬が効いている間に、猛然と仕事を片付けて、薬が切れないうちにボーイフレンドに連絡をする。…てところでタイミングが合わなくて、コールバックのときに薬が切れていたりすると、昨日のような頓珍漢な怒りになる。

んもー、あんたがすぐに連絡くれないから薬が切れてダメダメなあたしに戻っちゃったじゃないのさ、どうよ、そうなったら嫌な思いするのはあんたじゃないさ、だからってあたしだって薬にばっかり頼りたくないんだから、さっさと連絡してくれりゃあいいじゃないの、という顛末。

確かに、不安を植え付けるタイプの男というのもいるし、不安を寄せ付けないタイプの男というのもいて、これはその人の性質以上に相性みたいなもんなんだろうと思う。
付き合ってみると、十人に一人くらいの割合で、顔みただけで不安にさせられる男の子がいたり、同じくらいの割合で、どんなに危機的な状況に陥ってもヤバいほど不安を呼び起こさない男の子がいたりして面白い。

不安が起きた場合は、大概がそこからぐずぐずとダメな恋愛になり、ぐじゃぐじゃのいやーな思いをさせて後悔と自己嫌悪のうちに終わる。その場合、自分のよろしくなかった部分はさっさと忘れてしまうたちだから、その人との交際そのものも、かなりピースが抜け落ちて適当な記憶になってしまう。
不安が起きなかった場合は、その心地よさや信頼や安心感が終わった瞬間からものすごく美化強調されて実際にはあんまりよろしくなかった部分もすべて素晴らしい思い出に脚色され、まるでその人との交際が今の自分を象っているかのようにいつまでも細やかな記憶を残す。
若い頃の恋愛ばっかりが記憶に残ってるのは、そういう理屈じゃないんだろうか。
ま、もちろんこれも頓珍漢な結論になっている可能性は充分にある。

そういや、去年の今頃もパニック障害になって薬飲んでたなー。木の芽どきだしなー。
友人とのお喋りには一時的に薬用効果があるのかね。いや、今日はバレバレだったかな。
まあ、出かけて飲んでる方が誤魔化せていい。捻挫治りかけのひょこひょこ歩きも大分スピードアップしてるし、連休はゴージャスに飲み歩く予定を立てた。連休明けにある〆切の原稿作業の予定はまだ立てていないけど。

しかし、ほんとに思うのですよ。
人というのは、多かれ少なかれ、こうして不自由に生きているものだと。
それを愛おしく思えるようになっただけ、ちゃんと真面目に年取ってきて良かったなあと。

AC/DC , kiss kiss kiss.
  1. 2007/04/29(日) 04:12:25|
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善処せよ。

ボーイフレンドがメールに返事を寄越さない。
むろん、仕事が忙しくて手が離せないからだろう。

時折、事情として早めに返事が欲しい案件があるのだけれど、どうしてか、そういう案件に限って返事がなかなかこなかったりする。どうでもいいことへのどうでもいい返事であれば、「ちぇっ」と拗ねるくらいで済むけど、彼の返事を充てにしている場合は、こちらが立ち往生してしまう。

仕事が忙しいのは充分にわかってる。だがしかし、仕事が忙しいことと、連絡をしないことは、まったく別のことなんじゃないか?
「忙しくて連絡ができない」事情は承知だし、彼も「忙しくってごめん」などと言う。だがやはり、「忙しい」ことと「連絡ができない」ことは別のことだと思う。

「ごめん」の枕詞は「忙しくて」ではなく「連絡ができなくて」が正しい。そう言わないのは、「忙しい」ということで「連絡ができない」ことを正当化しているからだ。正当な理由だと思っているから、それを言う。
忙しいのは彼のせいではないけれど、連絡をしてこないのは彼のせいだ。そういう正当化をするのは、自分の落ち度を認めない姿勢に他ならない。
どこから湧くのか、その傲慢。

そういう男はたまにいる。それだけで長編小説が一冊書けるくらいに、よく存じてる。
「今まだ忙しいから落ち着いたら連絡する」と返信してくれるだけ、まったくマシではあるのだが、それだけの文字数をメールで打ち込む時間があったら「大丈夫です」とか「無理です」とかの返事くらいできそうなものじゃあないか。

彼にとっては、あたしをがっかりさせないような返事をするということが優先されているのかもしれない。だけど、それって、あたしがなんのためにその返事を待っているのかというところにまったく理解が及んでいないわけで。つまり、こちらの状況を慮ることのない対応なわけで。

そりゃ、返事してよーうわーんバカバカーみたいな部分も少なからずあるにはあるのだけれど、そんなことはそれこそお互いが暇になった時にじっくりやり合えばよく、ひとまずは相手からのメッセージが何を求めるものなのかを読み取って頂かなければ困る。彼は、それが読み取れないほどバカじゃないはずだから、つまるところ、こっちのメールをまともに読んでないってことなんだろう。

恋人からのメールも落ち着いて読めないほどに忙しいとなると、そりゃもうあなたのキャパシティーを超えた仕事量なんじゃないの?健康はともかく、仕事のクオリティーは大丈夫?などと嫌味な心配すら、もうする気にはならない。

こうして書いているうちに、一度ならともかく、返事を必要としているのに返事がなされないまま「ないがしろにされている」案件が他に二つあると思い出したせいだ。
その二件にしても、恐らく忘れられているだけで意図的な放置ではないし、もしかしたら忘れているわけではない意図的な放置なのかもしれない。

理由はどうあれ、あたしの送った案件は、ないがしろにされている。それが彼にとってどれほど正当な理由だとしても、ないがしろにされているという事実は変わらない。

以上のような理由で、あたしは彼からの電話に出るのを止めている。冷静かつ本格的に腹を立てているのです。しかも、まだまだ本当の怒りに達していないところが、自分でも恐ろしい。そして、腹を立てているあたしは、自分でもちょっと面白かったりもする。
だからって、ちょっとやそっとの謝罪では折れませんぜ、兄さん。
  1. 2007/04/27(金) 23:49:16|
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ブルハの原稿、一日待ってもらっていたのに夜も書けず朝も書けず、自棄になって梅酒のぐい呑みしたら朝方から続いていた寒気が悪化したので不貞寝、のつもりが眠れずに意味なくしくしく泣き寝入り、午後遅くにボーイフレンドから慰めと励ましの電話を貰い、急速に気力が回復してようやく作業開始したところ、いつもより早くに書き終わる。
続けて明日戻しを予定していた文庫版「パレット」のゲラ作業、明日の昼ぎりぎりかなーと踏んでじっくり取り組んだのだが、これも意外にさくさく進んで、朝方に終了。
どうやら、久々にどん底まで落ちていた鬱状態からは完全に回復して、やたらと興奮気味の躁状態に突入したらしい。

こないだ旅先で「すきもの」のゲラやったときにも再読が面白く感動したが、「パレット」も大変に面白い。両方とも6月に文庫版で刊行予定、「すきもの」は講談社文庫で解説が安部譲二さん、「パレット」は光文社文庫で解説が亀和田武さん。どちらも素晴らしい人選で、解説文は猛烈に楽しみ。
ピュアフル文庫でやったアンソロジーのシリーズも、書き足して一冊にまとまるし、ブルハ一期も書籍化の準備中、ぼちぼちヤバい感じだったお仕事が、こうしてまた紡がれていく幸福。

いやー、暇つぶしの手習いに書いた小説でデビューして、こんなにたくさん小説を書くなんてまったく想像していなかった。もとより書くことには苦がないから続けることには不安がなかったけれど、果たしてあたしの書くものが小説として通用するのか、仕事として注文があるのかという不安は常々あったわけで、ここまで書き続けられるとは思っていなかった。
毎年毎年、いやもうそりゃ毎月毎月、いつ仕事がなくなるかと先の見えない不安に追われながらやってきているわけだが、今はまだどこかに拾ってくれる編集者がおり、お金を払って本を買ってくれる人がおり、書いたものを読んでくれる読者がおり、凹んだら励ましてくれる恋人がおり、徹夜作業の傍らで夜食を作ってくれる夫がおり、バイト代で夕飯を奢ってくれる娘がおり、躁鬱を忙しなく右往左往しながらもまだもうちょっと書けそうなあたしがおり、なんだか世界はバラ色ですな。あと、欲を言えば印税の前借りをせずに生活できるようになりたいです。

ともあれ、しんどかった鬱から回復して晴れやかな気分。外はしとしと雨なのに。そういえば、足のギプスも今日からはサポーターにした。

それから、永らく忘れていたのだが、あたしは鶴見辰悟が大好きだ。顔も芝居も。
そして、今日初めて、実は香川照之が尚大好きだと気が付いた。
これは、いつの間にかなのです。
だって、香川照之って、なんだか控えめな存在感の人だと思うのだけど、映画観てもいつも出てるってあんまり意識しないで観終わっちゃうっていうか、観ている最中に特別「すてきー」とかって思わないままだったのに、今日、ふっと気が付いたら、好きになってたわけで、そういうじわじわ染みてくる存在感とか、気づかないうちに絡めとられるような魅力とかって、なんだか変だし、すごいことだなあとも思う。好き勝手を言えば、「いつか愛になるなら」を映画化して編集者の役をお願いしたい。「愛という」を映画化してコンビニの店長の役もやってもらおう。てか恥も外聞もない贅沢を言えば、もの凄く共演したい。キャラメルの二人芝居とかで 笑
いや、ワーニャおじさんとかもいいな。やりませんか、鴎座。

さあ、躁状態でふつふつとラリってきたので、絶好調のまま、寝る。
  1. 2007/04/25(水) 06:05:42|
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捻挫の具合は非常に良く、今朝はすっかりダッチワイフの足のようだった甲の腫れがひいて、ひょこひょこ歩行が可能に。ギプスを外して温湿布を当て、恐る恐るに足首回してみたところ、かなりの回復を自覚。体育会系の医者は歩けるまでに一ヶ月と言っていたけれど、鍼の先生は「腫れがひいたら患部にびしびし打ちましょう」と言っていたので、明日あたりびっこ引き引き鍼へ。
この調子で回復すれば、連休明けにはビリーズブートキャンプだってできるはず。

反面、昨夜から精神状態はずぶずぶ落ち込む一方で、原稿が書けやしない。
再開したばかりのブルハ原稿、今日の〆切を一日待ってもらうことにしたが、未だ手つかず。
こうなると、すべての発想が後ろ向き。自己犠牲のふりをした自分勝手な理屈で、できるだけ悲劇を派手に演出するきらいがある。ぐじゃぐじゃ言い出すと、無限ループに嵌まって、ぐじゃぐじゃ言ってる自分がやんなって、えいやといい方向に転換させる気力も失くし、だめーな感じにうんざりしつつ、頑なにその状態にしがみついてたりしてさ。
かつては、そういう時に一緒になって落ち込んでしまうボーイフレンドがいて、一発で地獄巡りになるので落ちてる時にもそれを見せられなかった。その後、そうはならないでいてくれる人を無意識に択ぶようになったのか、親方は辛抱強くケアしてくれるので、安心して落ちていられる。落ち切っちゃえば勝手に浮かぶもんなので、まあ、これが妥当かと思っていたが、今のボーイフレンドはまた違う対応で、プチ放置というか、つまりまともに取り合ってくれない。結局あたしが折り合う羽目になるのだが、放置は不穏だ。ほんとに落ちたときには余計に酷いことになるんじゃないかと、今から自分が心配になる。

品行方正児童会を経てジャズ歌手になったN.Y.のナブは、確か去年の今頃に生死の境目を彷徨ったんじゃなかったか。その精神力には感嘆したものだけど、捻挫くらいで凹んでるあたしって、なんてヤワいんだろか。

そんなことでまた凹みそうになっているのだが、アントンがようやく名作PV「コマネチ」を観られるようにしてくれたので、ちょっと凹み止んだ。

PEACEって、こういうことなんだなー。かわいい。

あたしは、理屈をごねてるときの自分が嫌いだ。
つまり、割といつも自分のことが嫌いだったりする。
だけど、自分のことが嫌いなまんまだと、人に「好きになって」と言えない。
嫌いなものを人に薦めるわけにはいかないから。
だから、理屈じゃない部分に必死で追い縋る。
理屈を封じるくらいの、圧倒的なものを必要とする。
それをもって自分を支えるしかなかったりするのだ。

バカバカしいことのようにも思うけれど、それを手にするためには、他人の一人や二人、傷つけたって構わない。もしくは、ちょっとくらい自分が血まみれになっても。

ああ、なんか、やっぱりまだダメな感じ 笑
  1. 2007/04/23(月) 23:18:05|
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あたしだけが棄てない。

怪我のせいか気力が萎え気味、うつ状態へ向けて緩やかに下っている感じ。

それでも意固地にWastedTimeへは出向く。
昨日は、リハを終えた親方が迎えに戻ってくれ、おんぶ+タクシーで渋谷、おんぶ疲労の親方も隣で鍼、連日の鍼とお灸でようやく腫れに埋もれていたくるぶしが見えてきた。「はたらけ、くるぶし」と念じる。
道路渡っておんぶで階段を下り、松葉杖用特等席に座ったままでオーダーする横着ながら、三上さんのGreatful Setsにニマニマ上機嫌、6月生まれの三上さんに誕生日プレゼントと称してミニチュアSGをプレゼント。「一番よく見えるところに飾っておく」って!きゃーっ。
DRIffSHOESラストライブはあくまでもさりげなく、ベースがやたらいい音だったりと地味に盛り上がって、テルコの「好きにさせといて、ヒドーイっ」、星野さんの「これから俺はどこにブルース・リーを聴きに行けばいいんだっ」に笑いつつ、「ま、またやりたくなったらやりましょ」と挨拶抜きのステージで、さっぱりと解散

ドリフシューズ右足、左足ともお疲れさま。楽しかったっす。またいつかやりましょう。
ソーマ君、2ステージ付き合ってくれてありがとう。楽しみ上手で信頼できました。
ムーさん新プロジェクト、A1の腹の決め方、それぞれにも期待してます。
思えばちょうどいいタイミングと、ちょうどいいスパンでやれたのかもしれない。
本気になりそうだったちょっとした浮気、お互い大人の引き際上手な情事てな感じ。
ちょっとした未練が残ってナンボですな。

おんぶ+タクシー帰宅して、このところナーバスらしい親方を慰めつつ幸福な人生についての会議、WastedTimeで今年の結婚記念日のイベント決めたはいいが、離婚発表になったりするんじゃなかろうか。

旅+負傷によって、安住していたところに少し退いた目線を持ったのもあり、常々気づいていながら手を打てずに放置していた綻びに目がいく。
諦めきれないそれぞれの何かに、どう折り合いをつければいいのか、理解と信頼に深く余計な誤解がない分、慎重だし、深刻になるんだろう。互いに今のタイミングで案外しんどいじゃんって気づくんだから、やはり夫婦としてはとてもバランスよくやってきているのだ。

離婚って面倒くさいよねえという話になり、親方に「あなたはよくそんなにしんどいことを何度もやってきたねえ」と感心されたが、まったくそう思う。
結局のところ、日常生活における変化というものが、面倒くさい。それでもどうしようもなくなるときがあるからそうやってきているのだが、家具一つ買い替えるのも面倒でそのままにしている日常で、今更何ができるのか。

正直、こうでありたい人生などはもうなく、誰を傷つけるのも平気になった。ただ自分のいいように、心地よく生きることに全力を使いたい。大切な人にもできればそう生きて欲しいと願う。
支えたり支えられたりは貴重な休息であっても、生きる術ではない。
つまるところ、人の人生なんて背負えない。といって、まるであてにされないのも淋しいから背負えるふりをして見せる。そして結局、放り出す。
自分の人生を自分のためだけに消費し尽くしたいというエゴばかりだ。
あたしは、つくづく父に似た性分なんだろうと思う。

あたしには「いつか棄てられる」とぼやく夫と、同じことを呟く恋人がいて、その違いは冗談のつもりがあるかないかだけだったりするのだが、なんてことはない、棄てられているのはいつでもあたしだ。
あたしだけが、あたしの人生を棄てない。
  1. 2007/04/21(土) 15:06:17|
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負傷、その後。

昨日の午後に近所の総合病院を受診、スポーツクリニックとやらに回されてレントゲンは撮ったものの「捻挫、捻挫」と体育会系の対応に気持ちが癒えぬまま帰宅したところ、負傷の知らせを聞きつけた昔のボーイフレンドが鍼灸で劇的に捻挫を改善した人の様子をメールしてくれていた。

弟子に鍼をやってるのがいるんだけど、まだ動ける程度なのにわざわざ来てもらうのも申し訳なく、といってこちらが出向くのはちと遠い。
教えてもらった鍼灸院がWastedTimeのすぐ向かいだったのも都合よく、タクシーで乗り付けて受診。

20分の鍼とお灸でみるみる腫れが退き、ちょっと床に着いただけで走る痛みも消えたので、馴れない松葉杖の使用と原生林の登山及び滑降下山で力が入らなくなっていた両腕+右足にも鍼を打ってもらう。
お陰で帰りは松葉杖ながら軽やかなステップ、今日のドリフライブの前にも予約したから、うまくいけば難所と覚悟していたWastedTimeへの階段も一気に飛び降りられるのではないか。
鍼の先生が若くてなかなかキュートなのだが、体が弱ってるときって、どうしてこう揺れるのか。

そう言えば、旅行中の車椅子使用で、映画の「ジョゼと虎と魚たち」を思い出したんだった。
映画を観たときには弱者との恋愛って歪な自己愛だなあ、ありゃ抱えるのしんどいやろなあと感じたのだけれど、歪ならではの強さ、体の奥底まで捩じ込まれていくような愛の感覚っていうのが、なんとなく、体感できた気がする。
依存:逆依存より、もちょっと複雑なもの。世話する側にあるのは支配欲の充足、広げれば監禁飼育願望にも転じそうな、微かにほの暗い部分。される側にも、多分、同じものがある。
まあ、つまるところは加減なのだが。

うちの親方も、ベッドに寝ているあたしを見下ろして満足げに「ふははははは」と笑っている。
ちくしょー。早く回復して、また遊び歩いてやるー。

さて、いよいよ。
来週月曜の夜9時から、ケータイlivedoorの携帯小説「ブルーハーツ season2」が配信。

今回は、新しい試みとして、岩清水さやか嬢による「書き下ろし待ち受け画像」がリンクする。小説誌の短編にある挿絵と同じ感覚で、毎週書き下ろしてもらうんだからスゴい。
そして、今シーズンはブログが先行。先週分からすでにseason2のエピソードに先行しての話題が展開中。小説のスタイルは相変わらず主人公が週代わりの輪舞形式だが、今シーズンは毎週ごとに恋愛のステップを順に追ったテーマをつけている。

つまり、これを全部同じ主人公で通して書けば長篇恋愛小説が書けるってことなのだが、読み飛ばされてナンボの携帯小説で、それをやるつもりはない。
拘るのは、あくまでも、そこらへんにありそうな恋のあれこれ、一瞬に覗ける断片。
「ブルーハーツ season1」も、現在書籍化の準備が着々と進行中なので、詳細が決まり次第、ご報告します。

…てことは、また〆切、〆切、〆切の三ヶ月が始まったということだ。
ちくしょー。恋人が一人や二人じゃネタが足りん。といってこれ以上抱え込むのは身が持たん。
他のことは妄想逞しく書けるのに、なんで恋愛モノだけは実感と経験でしか書けないんだ?
恋愛モノばっかり書くようになったら、早死にしそうだなあ。
  1. 2007/04/20(金) 10:23:39|
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世は情け。

取材嫌いの自分に鞭打って、強引に取材旅行を敢行。
到着してすぐに入った飲み屋で来訪目的を告げたところ、美人ママがすぐにあちこちに電話して手配をつけてくれ、行けないかもしれないと半分は諦め気分だった無人島行きがスムースに実現。ついでにビジネスホテルも教えてもらい、無人島へ渡船してくれる船着き場まで朝からママの運転で送ってもらったり、何から何まですっかりお世話に。

無人島の原生林を無理矢理に登山、滑降下山して足腰ががくがくになり、整備された平坦な道で転倒、元看護婦さんだったママの車で整形外科に直行、期せずして人生初のギプス+松葉杖+車椅子を経験。

夜は勿論、松葉杖でひょこひょこママの店に行くわけだが、怪我のお陰でホテルでのゲラ作業が捗った。
難儀な帰路もへこたれず、すっかり車椅子ユーザーの顔で、新幹線への乗り換えついでにちょっとした観光もして、へらへら帰京。

迎えに来てくれたタケの車で帰宅したら仔犬どもがずいぶん大きくなっててびっくり。
思った以上の大げさな怪我人ぶりに、出迎えてくれた親方もびっくり。

面倒なばかりで苦手だった旅なれど、色んな人にお世話されて嬉しく、俄、旅好きになったかも。
  1. 2007/04/18(水) 20:20:24|
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昨日は日中ぎりぎりまで仕事して、夜はカナリア観にStaxFred、びっくりするほどいいメンバーが揃ったイベントで深夜まで楽しく居残り。あたしヤスヨちゃん好きだぁー。

今朝は雑用の残りを片付けて午後からauの解約、いつもの仕事できるお姉さんだったので「長い間ありがとう」とお礼、整体で保険診療、帰宅してぐずぐずパッキング。旅慣れしてないせいか、心配性のせいか、四泊五日計画なのに荷物が多すぎる。しかもゲラ二冊と辞書がどうしても入りきらなくて、別口の荷物になってしまった。悲しい。こんな大荷物でどこかに移動することなんてほんとにできるんだろうか。とほほ。

てなわけで、明日14日より18日までは不在、初めての取材旅行。

帰ったらまたバタバタとDRIffSHOESライブ。
4/20 @SHIBUYA WASTEDTIME
OPEN 18:30 START 19:00/ ON STAGE 20 :50
adv.1000y /door 1500y +2order

三上さんと対バンだなんて、しあわせ。
  1. 2007/04/13(金) 22:51:44|
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ここんとこ。

サボっていたわけじゃないんだけど、いつもよりちょっとだけ忙しい。

まず、取材旅行の日程をフィックスさせてしまったので、それまでに前倒しでやるべき仕事が割とあって、ああやっぱり連載の再開前に行っておくべきであったと反省しつつ、ぶうたれながら仕事をしている。しかしまだまだ、机の上には次々届く案件が積み上げられていて、どうにも減っていかない。

次に、そんな状況でもりもり書かなきゃならないにも拘らず、これまで使っていた携帯電話を棄ててWILLCOMに乗り換えたもんだから、あれこれの登録やカスタマイズに気を取られて丸一日中いじってたりして仕事はまったく進まない。

その上、他の仔より発育の遅かった仔犬長女に先天性の疾患があることがわかり、これが食餌の与え方の工夫でしかよい状態を保てないという厄介なものなので、他の仔が家中を走り回るくらいに育っている中、長女だけ特別な保護を必要としていて、まったく手が離せない。

お陰で、親方はなんだか落ち込み気味で、ゆううつな顔してため息をついていたりもするし、仔犬よりむしろそんな親方の様子が心配だったりもする。

そんなこんなしているうちに、秘密プロジェクトのコーチが帰国したので、またお互いのスケジュールを調整しようとしているのだが、なかなかままならず、コーチ不在中に進めておく予定だったことはちっとも進んでいないし、いくらのんびりコツコツ推進のプロジェクトとはいえ、これで見通しが立つのかと少なからず心配になってきた。

そういえば、来年の龍昇企画の芝居も日程がフィックスした。出先の電話で聞いたので日程メモしてFAXしといてくれるよう頼んだのに未だに届いていないけど、確か3月の上旬。
タイトルは「もぐら町」、去年やった「真夜中のマクベス」を下敷きにして書いたまったく別の話で去年渡したときには没になった、つまり漱石の「行人」とシェイクスピアの「マクベス」をモチーフにしている。久々に演出やれるのが嬉しい。

それから、小遣い稼ぎでボーイフレンドの仕事を手伝うようになったので、それはなんだかワーキングガールじゃんと楽しいが、ちゃんとプレゼンや打ち合わせに行ったりもして、馴れない仕事にみしみしと責任やプレッシャーを感じる中、仕事の早さだけを自慢に大真面目な取り組みっぶりなんである。

ところが、こうなって初めて親方が俄なヤキモチを見せ始め、曰く「彼氏だのなんだのと言ってる分にはちっとも構わないのだが、仕事となると危機感を持つ」んだそうで、それはつまり、あたしが日頃からこと仕事という名目には一心不乱な傾倒を見せているからなのだろうけれど、危機感を持たれることは不安要素であっても明らかな嫉妬心を見せられるとむずむず嬉しくて、うふふ、なんて思ってしまう。

そんなさなかの週末にはカナリアのライブにも行ったし、小形が仕切ってくれたお陰で吉岡の受賞祝いも一応はかっこついた。吉岡らと久々に新宿へ出向いたのだが、やっぱり行く先々にどこかほっとする感じもあって、渡部とよく飲んだ店→北見ちゃんのところ→朝方のdmと、かつて馴染んだコースを回って、出勤ラッシュも終わった頃に電車で帰宅というハードさも懐かしい。

そして今日は、ボーイフレンドとランチだったのだが朝まで原稿作業をしていたので寝坊、「おいおい、今日デートなんじゃないのか」と親方に起こされた次第。それを話したらボーイフレンドは「俺ならシメシメと思って絶対に起こさない」とぽつり。
一旦帰宅して仕事の整理を少ししたら、夜は年末ぶりのMARCO会でまた飲みに。

まあ、相変わらずそんなこんなの日常で、週末の京都行きまでにどれだけ用事が終わるのやら。
今のところ、手つかずのゲラ二本は旅のお供になる予定。
  1. 2007/04/10(火) 17:42:35|
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真実は、いつも単純で、無意味なものだ。

家族と恋人は両立しない。

恋人が落ち込んでいるときに支えてあげられないあたしが、恋人の役割を引き受けていることの限界。
家族に大事が起きたときにそこにいるとは限らないあたしが、家族であることを望んでいるという限界。
どちらにも常に役不足でしかないという限界。

かつて誰かの娘であった頃には、恋人を優先することが許されていたけれど、それは、娘の恋には未来が拓けているからで。

今更何言ってんだってなことだけど、ほんとに今更に思い知らされたわけで。

中途半端な決意を口にするたびの拒絶も。
ごめんと言うたびの、謝らないでという懇願も。
笑えない冗談を逆手に取ったさりげない逆襲も。
絶対に口にしないだろうことを探り出そうとする根性悪も。
試したり試されたりを繰り返してようやく触れられるかすかな安堵も。

何もかもが解けないまま紡がれていくことの限界。


「そうだ。京都行こう。」って、ほんとに巧いコピーだなあ。

が、あたしはまだ旅立てず、旅立ったところにはまた別のあれやこれやがあるはずで、そのために済ませるべきあれやこれやもまだまだ片付いていない。


ああもう、もっと人をちゃんと見よう。覚悟のない軽口は、ほんとやめよう。
虎が仔猫にじゃれついてるようなもんなんだろう。気が付けば血まみれにしている。
  1. 2007/04/05(木) 05:57:34|
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