小説を書いている、と言うと「すごいですねえ」などと言われるのだけど、あたしにすれば、ちゃんと毎日決まった時間に決まった場所へ通うこととか、楽器が弾けることとか、歌を作れることとか、家族のために働くこととか、病気の人の世話をすることとか、働きながら自分の好きなことを続けていくこととか、みんなで仲良くやることとか、片想いし続けることとか、何かを売ることとか、smile0円とか、そういうことが「すごいですねえ」に値するんであって。
カナリアの練習を見学してきました。見物、じゃなくて、見学ね。ばっちり学んだから。クボちゃんと真夜中のWastedTimeで三上さんの話をしたり、のオマケも楽しくて。引越準備の合間の息抜き。って、確か昨日だかも息抜きしてたけども。
ちょっとした断片なのだけど、友達と恋の話をするのは楽しいもんなんだと思った。いつものあたしがそれを話す相手は、たとえばMとかTとかAとかの、ごくごく親しい、家族のような友人ばかりだし、そういう人と話す恋の話は、ついつい身内話というか自分語りというか、枝葉は全部笑い飛ばして根っこのとこだけ剪定するみたいなことだと思うので、いつもは笑い飛ばしてしまう枝葉のことを、ふいっと口にしてみると、改めて自分の耳に届く口調の印象なんかも含めて、文字にすること、読み物にすることとはまた全然違うことを感じたりもして、新鮮。
ま、当事者同士で自分らの恋をああでもないこうでもないとわざわざ語るのも面白いけれど、もっと健全で単純で自然な楽しみがあるような気がする。
一人の時間や空間を取り戻せるのは、すごくいいことだな。あたしはなんでもややこしくしがちだけど、とても単純な部分の働きだってちゃんとまだ持っているし、家族といると使わずにいたそこんところを、一人の時間ではまた使うんだろうと思う。
家で仕事をしているあたしにとって、家は家ではないし、仕事をするそこは仕事をするそこではなかったりするから。家にいる人たちだから家族なんだけど、家と思わないそこにいる人たちは、きっとちょっと違う何かだったりするのかもしれない。
外に仕事に出かける人とは、家族がいるってことの意味や影響のされ方なんかが、微妙に違ってくるんじゃないかしら。
父も最初のうちは家で仕事をしていたけれど、やがて仕事場を持って家に帰らなくなった。それは大層父にとって健全な環境であったのだろうと思う。
父はダメな人ではあったが、素晴らしい仕事を遺して、がっつり彼の人生をやって、自分一人は大満足していたんだろう。父が死んだのは四十五。あたしは今度の夏で四十。幸せになりたいなあとずっと薄ぼんやり願い続けていたけれど、要するに、あたしは、父のようになりたい。そうでなければ自分が満足しないだろうと、この年になってようやくわかった。どこかでわかっていながらも、そうと認めなかったのは、父が幸せだったかどうか確信がなかったからで、それは今も「絶対に」なんて言えることは見つけられないのだけれど、それはなんだかとても幸せそうなことだなあと感じるようになってきてもいるし、たとえそれが間違っていたとしても、やっぱり、あたしは父のようになりたいのだと、今ははっきりそうわかる。
それはつまり、あたしが父を真似ると、大切な人に、母のような孤独を持たせることでもあるのかもしれない。けれど、母には、音楽やら家族のための仕事やらがなかったし、あたしはお手伝いさんとばあやと父のお弟子さんたちに育てられたから、もしかしたら母には母の役割すらなかったんじゃないか。
あたしの父は、決して家族のために働いたりはしなかった。ただただ自分の才能に追い立てられるように仕事をし続けて、その結果、あたしたち家族は裕福に暮らしたっていう、それだけのことだ。母は毎日のように西武デパートで買い物をし、料理はせずに外食をし、子供を寝かしつける時間には飲み歩いていた。そして、父をとても尊敬していた。
父のような男の人を見つけられたらいいのだが、そうじゃない人を好きになって家族に択んだのだから、それはいい。できれば仕事なんかしたくない、喰わしてもらって遊んで暮らしたいという欲望は、もうすっかりすり切れた。
他人の稼いだお金で自分が暮らすことにも自分の稼いだお金で他人を暮らさせることにも強烈な違和感があって、そのくせ一人で生きていけるほどたくましくはなくて、都合のいいときに都合よく家族を必要とするばかりで主に自分は家族として役立っておらず、そのことにも特に傷ついたりはせず、傷つかないから反省もなく、孤独やしんどさには益々鈍くなり、生きてくことより死んでくことの方が近くなってきてもおり、ただなんだかあたしは楽しくやってるなあと時々は思うし、思わないときには次の仕事のことを考えているし、次の仕事がないときにはぽかんとしているだけで、家族だの恋人だの税金だのにはすぐに興味を失うし、友人の支えもたまにあるだけでよく、とにかく今は光ファイバーの工事がいつ入ってくれるのかと気を揉みながら愚直に歌の練習などをしてああ鍋買わなきゃ鍋などとそわそわしているあたしを、家族とか友人とか恋人と思ってくれる人がいることに、ありがとう、と思う。
すまん、とも少しだけ。
ひどい人生に踏み出すのは、なかなか楽しい。
- 2007/06/28(木) 05:22:32|
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荷造りで、家の中がごちゃごちゃだ。生活を一時中断してわわわっと一斉にやってしまえればいいのだけれど、今はまだ仕事場だけの引越なので生活の機能を残した空間の中で荷造りせねばならず、といっても引越当日まで片付かないわけだから当然生活は侵されるわけで。
仕事を前倒しで片付けたので時間のゆとりはできたはずなのに、あれこれの手配や買い物や行く末の心配や犬の発情やらで結局はバタバタしており、そんな中でちょっと息抜きに深酒したら、手帳を紛失した。行った店は覚えているので訪ねていけば忘れ物として置いてくれているのかもしれない。が、そういう時間がないのでしばらく放置することになるし、手帳を失くしたことより、「ああー、なんだか忙しくて色んなことが後回しになっているなあー」という自覚に凹む。
犬嫁、産んだ仔が巣立ちきらないうちから、またシーズンがきてしまい、本人たちも「ちょっと勘弁してよぅ」という顔ながら本能に突き動かされてふんふん鼻を鳴らす様子がおかしい。仔犬が巣立ったらだねえ、とのんびり構えていた犬息子の去勢手術を急遽。
まったく、どたばたしている時に限って更にどたばたするようなことが起きるのは、もう人生の定番なのね。
ジャイブが出してくれるブルハの単行本、営業の反応がよく初版部数を増やしたんだそう。素敵。
爽やかで可愛らしくてちゃんと物語を感じさせる秀逸なカバーに若々しいコピーが効いた帯で、これが初めての文芸単行本となるジャイブの気合いがびしっと。中身はちゃんと縦書きだし、携帯の画面で読む横書きの印象とまた違う、いい具合の連作短編集になっているはず。
「ブルーハーツ」はピュアフル文庫のジャイブから単行本として
7/19に刊行、ご予約ください!
携帯小説は現況、作家ではない人による体験手記チック投稿チックなものが流行していて、作家は携帯小説というジャンル自体に「正直ウザい、けど無視はできない」感を持っているんじゃなかろうかと思うが、クソ真面目に取り組めばちゃんと文芸やれるんだと、ちっちゃい声で訴えたい。
携帯小説を作家にやらせるってのは、期待したほどPVが稼げず読み手が少ないのに面倒が多くて原稿料が高い厄介なものだろうし、他社はすでにもっと新しい方向に興味を向けていて、すでに「今どき」じゃなくなってる感じだけども、やっといてよかったなあーと、ほんとに思う。
読み捨てられるだけの運命だったブルーハーツを、「お、ちゃんと文芸やってんじゃん」と拾ってくれたジャイブって会社も、面白い。初めての文芸単行本に携帯小説の書籍化って、結構勇気のいる判断だったんじゃないかと思うけど、season2を連載しているうちに出したいという我侭をきいてもらったんで、書店さんの反応が良くて予定より多く刷ることにしました、なんて報告にずいぶんほっとした。
そういうあれこれな思いを初代担当編集者としみじみ飲んで語ったりするから、どっかに手帳を忘れてきちゃうんだよなー。ちっ。まだお酒が抜けないし、今日は暑いし、ああもう。
- 2007/06/27(水) 10:57:50|
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通販で購入した犬グッズに付録していた小冊子の記事に「
犬の十戒」が引用されていて、初めて読んだのだが、うっかり泣きそうになった。
リンク先とは本文も訳もちょっと違うけど、これはその小冊子にコラムを書いていた人の訳かな。
ネットで広まって犬好きの人で知らない人はいないほど有名な文章なんだそうだが、知りませんでした。書籍になってるらしいし、映画化もされるんだそうだ。確かに名文だけど、映画化って…。
以下は小冊子のコラムを書き写しました。
1.
My life is likely to last ten to fifteen years.わたしの一生は10~15年くらいしかありません。2.
Give me time to understand what you want of me.わたしが「あなたがわたしに望んでいること」を理解できるようになるまで時間が必要です。3.
Place your trust in me - it's crucial to my Well-being.
わたしを信頼してください ー それだけでわたしは幸せです。4.
I have only you. Talk to me sometimes.わたしにはあなただけしかいません。時にはわたしに話しかけてください。5.
Remember before you hit me that I have teeth that could
easily crush the bones of your hand but that I choose not to bite you.わたしを叩く前に思い出してください。わたしにはあなたの手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど、私はあなたを噛まないようにしているということを。6.
Take care of me when I got old ; you, too, will groe old.わたしが年をとってもどうか世話をしてください。あなたも同じように年をとるのです。7.
GO with me on difficult journeys.最期の旅立ちのときには、そばにいてわたしを見送ってください。8.
Never say, "I can't bear to watch it." or "Let it happen in my absence".「見ているのがつらいから」とか「私のいないところで逝かせてあげて」なんて言わないで欲しいのです。9.
Everything is easier for me if you are there.あなたがそばにいてくれるだけで、わたしはどんなことでも安らかに受け入れられます。10.
Remember, I love you.そしてどうか忘れないでください。わたしがあなたを愛していることを。 NAKAMURA NOBUYA @
the park日曜、雨上がりの午後、ヨタロウが巣立った。
新しい暮らしにどきどきわくわくしているんだろう。尻尾をぴゅんぴゅん振りながら、新しいお母さんに抱かれて、にこにこしながら出かけて行った。
見送って戻ったら、他の犬たちはみんな妙に静かで、今もずっとぐでっと眠り続けている。
兄弟がまた一匹いなくなったことや、たまに遊びにきたときにこいつとは兄弟だってことなんかを、感覚的にわかっているんだろうと思う。
もしかしたら、とても哲学的なことを考えているのかもしれないし、案外と外国語なんかもちゃんと理解できる能力があるのかもしれないし、人間には想像もつかないような真っ白な頭の中だったりするのかもしれない。
ちゃんとご飯を食べて、しっかり糞尿を出して、走りたくなれば走り、齧りたくなれば齧り、眠りたくなれば眠る、それだけの生き方を、一日なんて感覚なく、今日とか明日とかの区別なく、意思だの志だのもなく、ただ与えられた命いっぱいにやってくだけで。
きっとみんな幸せなんだなあ。
犬のように愛したいよねえ。犬のように愛されたいもんねえ。
ごちゃごちゃ言わんとこ。
- 2007/06/25(月) 01:54:47|
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理想の高いヒトは、いつか理想の壁に押し潰される。
幻想と諦めているヒトは、いつか足下の穴に落ちる。
ただ、ひたむきに、今すべきことを、黙々と。
ぐちったり、地団駄踏んだり、泣いたり、わめいたり、憧れたり、妬んだり、軽蔑したり、裏切られたりしながら。
上や下や辺りをきょろきょろ見てばかりいないで、自分の掌をしっかり見つめなきゃ。
今すべきことをしてないヒトほど、絶望に迷い込む。
今すべきことをしているヒトには、絶望する暇がない。
行くとか帰るとかって、なんだろう。
帰るところのないあたしには、想像がつかないけれど。
自分でありさえすれば、どこだって同じなんだから、居心地で択べばいい。
時間やお金や友人は作ればいい。
作ろうとしても作り出せないものを持っているうちは、何よりそれを護ればいい。
すべきことはたくさんあるけど、できることはそう多くない。
つまりは、できること全部を片っ端からやっていけば、絶望せずに過ごせるんだろう。
ただなんとなく生きていけるしぶとさを手に入れたければ、今できることのすべてをやってみるしかない。
明日が見えないのは今日をちゃんと生きていないからで。
今日をしっかり生きていれば、明日は必ずくるわけで。
年のいったヒトに同じことは言えないけど、あなたはまだ若いから、続けるだけで必ず何ものかになれる。「やめない」って才能が、どんなことにも一番大事なんだから。
明日逢えないのはとても淋しいけれど、あなたがたった今もちゃんと生きてると信じている。
元気でやってらっしゃい。
- 2007/06/24(日) 01:01:41|
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JIVEで二本進めているので、やってもやっても入れ替わり立ち代わりに分厚いゲラが届く。一日早く上げれば一日隙間ができるだろうと思ったら、その隙間を狙ったように他社のゲラが届いたりしてさ。筆圧が高いから鉛筆を使うゲラチェックは右手の親指の爪の脇が痛くなる。6Bでもダメなのか。眉毛描くにはちょうどいいのだが。
先日、井筒センセイと麻布十番でネギ焼き、センセイが「鞄屋の娘」の抄録の挿絵を思い出して下さり、うっかり忘れていたあたしもその後で資料引っ張り出してしげしげ思い出した。デビューしょっぱなからお世話になっているんだなあ。
仕事の話はもちろん仕事場の話や犬の話、インターネットの話などなど、いつも穏やかでゆったりしておられるので、ついつい三倍くらい喋ってしまう。
帰りに仔犬を見に寄ってもらい抱っこ攻撃でアピールしたのだけど、センセイはなんだか遠い目をしていた。
朝から掃除と洗濯して、銀行、区役所、郵便局。近所の団子屋にはもう「氷」の暖簾。
戻って今週中にやらなければならないことをあれこれ整理、どうもあたしは机の前で準備する時間が長くて実働時間が少ない気がする。
雑用が多過ぎて歌の練習がままならず、こちらは一ヶ月ほど遅れた進行。あと二ヶ月で、人前で歌える出来になるんだろうか。芝居作るのは早かったけど、歌はてんでダメだなあ。でも、ananの星占いには今年始めたことはモノになるって書いてあったし。
8/23@WastedTime 、詳細はまた後日に。
雑用は仕事場の引越準備なのだが、ブルハseason2最終話の〆切を終わらせてからでないと机周りは何も触れられず、頭の中だけが引越のことでいっぱいいっぱい。
深夜になって思い立ちタケとレンタカーの段取り、いつも通り舞監に任せとけばいいものを、大人ぶって自分で段取り組もうとしちゃったのね。人に自分の要望を伝えるのは馴れているが、人の要望を取り入れながら何かを決めることに馴れていないので、いちいち確認する手間がかかった挙げ句、結局最後はタケに手配してもらった。やはり舞監は出し抜けないんだなあ。
そもそも予定が控えているって状況がすごく苦手なので、予定があるのに現状では何も手が打てないという状況に苛々そわそわして、なかなか自分のテンションを調整できずにいる。
もっと大らかな人になりたい。
書店の文庫新刊には「すきもの」と「パレット」があるはず。二冊も同時に配本されてるなんて、売れっ子と間違えられやしないだろうか。来月17日には「ブルーハーツ」、続いて「海へ向かう」はピュアフル文庫のシリーズを一つにまとめたもの、8月には「本が好き!」に書いた短編が「旅を数えて」というアンソロジーに収録されて刊行。なんて書いとくと売れっ子と間違えられるに違いないのだが、書き下ろしの目処が立ちません。捻挫までして取材したのに、ちぇっ。
ところで、
ゲラの語源って、何ですか? いつも編集者と会ったときに質問しようと思っていて忘れてしまう。誰か教えてください。
- 2007/06/21(木) 07:16:57|
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ちゃんと届いてる。それだけは、本当に、何度でも、しつこくしつこく、言っておくよ。
皆さん、大丈夫だから、安心して、どんどん遠くに出かけて行くといい。どんなに曲がりくねった道のりを進んでも、真っ直ぐ届いてるってのが、いつだって最短距離なんだし。
真っ直ぐなものは、ちゃんと届くんだよ。
土曜の夜の、
STAXFREDで、そう思った。
- 2007/06/18(月) 10:16:08|
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うっかり記事を書かずに過ごしてしまった。
仕事が忙しいわけじゃなく、身辺が忙しいので、なかなか一日の境目がつかないでいる。
徹夜っちゅう覚悟も気合いもないまま、ただひたすらにだらだらと調べ物や考え事を続けるうち昼になり、意識朦朧としてふらふら家の中のあちこちにぶつかりながらベッドに倒れ込み、四時間ほど眠ると妙な焦燥感で目覚めるって感じは、長篇の書き下ろしをしている最中とすごく似ているのだが、残念ながら長篇は書いていない。
ただね、なんか色々と忙しい一週間だったって、それだけ。だって恋人ともあんま逢えてないし。
そんでも、やっぱり朝まで飲む日が一日はあるし、恋人じゃない人とのデートの約束はついつい入れちゃうんだなあ。
さて、週末はブルハ・モードに切り替え。
来週も、またバタバタします。
- 2007/06/15(金) 01:01:58|
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親方と恋人の、電話番号交換。
ベルリンの壁に、レンガ一つ分の隙間。
夫婦って面白い。結婚生活には面白くない出来事もあれこれあるが、夫婦っていう形の他人との関係は、かなり面白いものだと思う。恋人も準ずるのだが、やはりどこか危うく、その危うさがないという一点だけでも充分に夫婦は面白い。だって、危うくない他人との関係なんて、なんだかいかがわしいじゃないか。
自分以外の誰かは、必ずいつかいなくなると信じてきたからね。
親だってなんだって、いつかどこかに行ってしまうってのが、あたしにはデフォルトだから。
夫や娘や友人や恋人やらがいて、どんなに近くても、みんな自分以外の誰か=他人で。
ふと気づけば、いつの間にかそれらの他人とこれほど深く関わって生きてるわけで。
いつかいなくなる人だとしても、いなくなってしまういつかまでの、その間の部分には面白いことがいっぱいあるなあと。そこの部分を面白がりたいなあと。
ずっと拘ってきた家族観が、少しずつ変わっていく時期なのかもしれない。
大事なものは手放さない。何をどう抱えようが、いっぱいいっぱいに背負い込もうが、自分の足でちゃんと立つ。そういう当たり前のことを、これまでサボっていたんだろう。
まずは自分の足下を。よろけたときに肩を貸してくれる人が、ちゃんといるんだし。
などと、ちょっとした覚悟をしてみたりした今日この頃。
「すごーくいいのを貰いましたよー」と得意げに報告してくるばかりで、装画も解説文もあたしには見せてくれなかった担当氏は配本日も初版部数も教えてくれないのだが、講談社文庫で初登場になる「
すきもの」の見本刷りが届いた。

装画・デザインともに、連載時から挿絵をくださっていた井筒啓之さん。
帯文句さえ読まなければ、中身がエロとはわからないってくらいに美しいカバーです。
が、ばっちりそそるんですよ。特に、帯に隠れてる部分が。
解説文は安部譲二さん。
お会いしたことはないのだけれど、父ほどの年齢の先生に褒めて頂けるのは、なんだか得意な気分になる。見抜かれた一文あって、しみじみすげえなあと思った。
多分、近々に書店に並びます。清潔にエロいカバーを見つけたら、解説から立ち読みしてください。必ずや買いたくなる名文です。
通勤電車でもこそこそ読める文庫サイズの「すきもの」、単行本をお持ちの方も、光文社文庫「パレット」とあわせて、是非お買い求めください。
- 2007/06/09(土) 05:42:01|
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彼は、かけがえのない友人でもある。一緒に過ごす時間には、景色、音楽、仕事、友達、いろんなことを少しずつ共有する、心地よい距離感がある。お互いが知らない過去のことを聞きかじって想像して今の彼に結びつけたり、それぞれが思い描く未来を自分なりにイメージして、目の前の彼に重ねることは面白い。あたしの知らない時間があって、彼の知らない時間がある。見えなくなって不安になったり、確かめたりするのは、そういう距離を取り戻すためだろうし、そういうふうに適切な距離を保っていられる心地よさは、今のあたしには、とても大切だ。
あたしが独身であれば、それをずっと手放さずにいるだろう。その過程に、より濃密な関係を結ぶことになったり、何かの約束に辿り着いたりすれば、それはきっと健全な恋だ。
そうではない、という現実。
あたしと彼の間ではごく自然なことも、一歩退いて周囲の中に置けば不自然なことだったりするから。楽しい、心地よい、面白い、愛おしいという快楽を優先させて、後回しにしていた現実を、このまま避け続けるわけにはいかんわけで、渋々に考えてみたりする。
ところが、いくら考えても、楽しい、心地よい、面白い、愛おしいっていう、それしか答えは見つからない。共に過ごす未来など求めていないし、過去を背負わせたいとも思わない。きっと彼もそうだろう。つまるところ、あたしたちは、罪悪感や責任や覚悟とは関係のないところで楽しい時間だけ続けたいっていう、ただのお調子者じゃんか。せいぜいが、今のそれを抱えるために多少の自重を覚悟したっていうだけの。だから、今あるそれしか見いだせないのは当然だと思うのだけど。あたしに彼の心は見えないし、彼にあたしの心は見えないし、もしかしたら、それぞれが自分の心すら見えていないだけかもしれない。
結局は、そういう不確かなものでしかないのに、何かを犠牲にしてそれだけを得ているのだと思うと、途端に心細くなったりもする。といって、その心細さを解消するために、重しを増やして形を歪めて、背負いきれないような何かにしてしまいたくはない。
いつか不意に逸れてそのままになってしまうだけの刹那的な楽しみを得るために、二度と取り戻せない何かを失いつつあるのだとしたら。
本当は、たった今にも、とても孤独なのかもしれない。
ものすごく情熱的な恋愛関係とかだったら、すべてを棄てても手に入れたいなんて突っ走ったりするのかもしれないけれど。そういうのはもういらないと思っていて、それでも抱えるだけの別の何かがあって、そういうんじゃないものとして、あたしの内側にするっと入り込んだようなそれだから。今あるそれを手放したくないと思うけど、もし今それがなかったら、手に入れたいと思うだろうか。
どこかで必要としていた。だから、出逢って向き合って、いつの間にか失くせないものとしてしっかり手にしていた。人だから、そういうふうになる。なのに、世の中的には「人にあらず」なこれを解消するには、元のところからやり直さなくちゃならないんだろうし。
つまるところ、あたしのような人が、誰かと何かの約束を紡いでいるという不自然なのかもしれない。
いつになったら不確かなものを量ろうとするのをやめられるんだろ。
どうしたって、あたしは、あたししか信じないくせに。
量ろうとするから、いつもどっかで不安になるってよーく知ってるのに。
欲しいものは求めればいいのに。
欲しがらずに求め続けて、待ち続ける心を誤魔化すから、うんざりしてしまうのに。
自分が何を欲しがっているのか、わかってないのかしら。
あたしが一番不確かなんだな、きっと。
一つだけ、自信がもてること。
あたしは、間違えることが、怖くない。
- 2007/06/05(火) 02:27:28|
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