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仕事部屋

週末は歌の練習だけに集中して、後はすっかりだらだら何もせず。お陰で復調、リズムって大切だなあと今更に痛感。

毎週月曜〆切のブルハをやっているうちに、土日は休んで月曜午前中にがっと集中というリズムになっていたせいか、土日に休息できないと月曜に馬力が出ないとか、月曜の午前中から用事があると前倒しにしなきやならなくて、その分平日に休息を取るとか、なんだかそういう不器用なことになっていたんだろう。

原稿の〆切というのは変則的なので、生活リズムが作りづらい。某先生のように毎日朝から夕方まで時間を決めて執筆、というふうにしたいと過去何度も挑戦したが、無駄だった。
書きたくなったときにすぐ書ける状況でないと書き出せない、という致命的なスタイルだったし、書けないことに恐怖心があったから、神経症的に一日中モニターの前に座っていたりしたけれど、それが自分の生活リズムなのだと開き直って続けていたのは只単に不規則な生活で、それは家族の存在に甘えていただけなのだ。

犬との二人暮らしになって、平日は留守番させがちな分、土日は犬とだらだら過ごすことを必須にし始めて、なんとなくリズムができてきた。
以前から割と「普段はどんな生活をしているんですか」と質問されることが多かったのだけど、これまで決まったパターンがなくて答えようのなかったそれにも、今は答えられる気がする。

朝八時起床、コーヒー飲んでベランダの鉢に水やって部屋の掃除してメールチェック及び雑用少々、銀行や郵便局などの用事があるときは犬の散歩がてら午前中に済ませ、朝食。
それから原稿作業を始めて、早く終われば犬連れでコインランドリーや買い物に行くし、終わらなければ夕方までは作業、取材や、体調が悪いときの休息もこの時間帯。
打ち合わせや歌の練習や遊びに行くのは大概夜なので、入浴も夕方が多い。んで、出かけるか、本を読んだりDVDを観たりしながら夕食を済ませ、午前三時くらいには就寝ってのが平日。
土日はものすごく適当で、二日酔いで動けないときもあれば、午前中から出かけて半日以上と犬と散歩してたりもするし、ベッドでDVD5本立てなんてこともあるけれど、基本、用事や約束は入れたくないし、よほど差し迫っていなければ原稿作業はしない。

こうやって書き出せるパターンがあるってところが新鮮です。
続かないとしょうがないんだけど、快適さがもたらす効果の大きさは感じますな。
ビバ!別居。

まともな人でいたい。まともな暮らしをしたい。
つまり、人並みに対する昔からの強い願望が日頃の自分に失望する原因になっているのだけど、まともを目指す以前に、まずはそれなりに暮らすことが大切なのだったと、今更に気づいた次第。

多分あたしは、親や娘も含めて、誰かと一緒に暮らしたり、結婚生活を送ったりする基礎力が足りていないんだろう。物事の考え方も、暮らし方も、感じ取る距離感も、きっと一人仕様もしくは仕事の現場仕様の二通りしか持っていなかったんだろうと思う。
この先、そのまま一人でいるかもしれないし、老後の淋しさに負けてまた結婚生活に戻るかもしれないし、別の誰かとの暮らしを考えるかもしれない。
しかしまずは、と思う。
なんにせよ、今までの自分のままで暮らしていくのは、自分自身がしんどいし。
暮らしの基礎力、大切よねえ。
ようやく、生きることに対してフラットに目を向けられるようになったのかもしれない。

子供を産んで育てている間、「生きる力」を持たせることを最優先にしてきたのは、あたしに足りてないじゃんってことを自覚していたからで、それがないとこんなにしんどいよってのを教えたつもりになっていたし、子育てを優先させて自分のことを後回しにしたことは一度もなかったと思ってたけど、こんなところにありました。

そりゃそうだわなあ。
子供育てる生活の必然がなければ、苦手な結婚を次々してなかろうし。

自分で書いた婦人公論のエッセイを読んで「へえ、こういう人もいるのねえ」などと思います。
あれはなんだか不自由な感じがするから。
多分、あたし自身は、もっと自由に、心地よく生きているだろうと思う。

てことは、表現が不自由ってことかもしれないが。

それでも、子供を産んでいてよかったと思うし、基礎力つける暇もないくらいに次々結婚してきてよかったと思う。
こうして今、大切さを感じて真摯に取り組めてこそ、意味があるんだろうと思うし。

調子がよかったり悪かったりするし、足りないものもあるけれど、つまるところ、心はおおむね満ち足りて生きている。幸せなことだ。
  1. 2007/11/12(月) 12:16:08|
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