十八の頃、家出をして、友達の家に転がり込んだ。
旗揚げ公演の稽古中なのに稽古場に行く電車代もなくて、十円玉一枚を握って公衆電話に走り、稽古場に電話して迎えに来てもらった。近所の鳶の親方の家に上がり込んで、晩ご飯を食べさせてもらった。駄菓子屋でおばあちゃんが作っている一個二十円のたこ焼きを三個食べられたら贅沢だった。
ずっとそんなんだったけど、ハタチを過ぎたら、いつの間にか食えてた。
毎日芝居をやってるだけでギャラらしいギャラなどそれほどもらっていなかっただろうに、お金の心配をすることなく、本当に芝居のことだけを考えて暮らしていたのは三年くらいだろうか。
この一週間、そんな頃をしみじみ思い出すほどの貧乏暮らしをしている。口座には107円しかなく、財布には今日の煙草代しかないから、どこにも出かけられない。
現代でもこんな貧乏に陥ることがあるんだなあと自分で驚く。
四十になった大人が、しかも世の中に向けて自分の名前で本を出すような仕事を持っていながら、お金がないとは一体どうしたことか。
返すお金がないとか、貸せるお金がないとか、支払うべきお金がないとか、欲しいものを買うお金がないとか、行きたいところに行くお金がないとか、貯えるお金がないとか、そういう「お金がない」とは違う「お金がない」には、悩みもない。
突発的な貧乏だから、大した不便はない。
暮らしに必要なものは揃っているし、助けを求めれば駆けつけてくれるだろう友人もいるし、売ろうと思えば売れるものだって持っている。所詮は体験貧乏に違いない。
そもそも煙草が吸えてるうちは、貧乏じゃないよなあ。となると、本物の貧乏体験などしたことすらないわけだから、これから新しい経験をすることになるのかもしれない。
面白がっていられるのも今のうちだけだったりしたら、困る。
- 2007/11/22(木) 14:54:40|
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