仕事部屋

正午から代官山ぐるぐる、久々に外を歩けて帆太郎さんもご機嫌、帰宅して一休みのつもりがすいっと眠りに落ちてしまい恵比寿映像祭に出遅れた、16時からの上映が観たかったのに残念、マックとエクセシオールで時間調整、今日は3Fから攻めようと。

ウォーホールのスクリーン・テストが観られて嬉しい、クリス・バーデンのコマーシャルにはニヤッとしたくなるし、ジェネラル・アイディアはやっぱりカッコいい、19時からは1Fホールで『映画』と『絵画』の境界線をテーマにした映像作品群、原将人の焼けたフィルムの質感やクリス・チョン・チャン・フイの頑なフィックス画面と生活の気配に惹かれた、映画と絵画の境界線上はきっと「音が何を描くか」だと思う、無音の映画はあるけれど、上映するときにはカタカタ言うじゃないか、岡田憲一の触れる作品「エモートスコープ」がそこんとこきっちり承知してる感じで愉快だった、あれ欲しいなー。
  1. 2009/02/28(土) 22:00:53|
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昨夜は龍昇企画「風景の没落」をシアターイワトで、夏のモグラ町新作に出てもらうミカさんをご案内、途中樫葉の声が気持ち良くて爆睡してしまいました、杏里さんのずたずたになった声帯から絞り出される声も案外好きでした、やっぱり役者は日頃の訓練をしないとね。

山本さんと千里さんが客席にいたので飲み屋も自然モグラテーブル、次回の内容をみんなちょっとずつ探り出そうとするが、小形くんにだけ準備することをこそこそ指示して役者にはまだナイショ、プロデューサーが栗ちゃん出さないかと言うので飲み屋に最後まで居残って面談、大好きな役者だけどモグラ町に巧い役者はいらないからなあ、って当たりも正直に話して、栗ちゃんの志を確認したところで出演してもらうことに決定、その頃には龍昇が一人へべれけで大暴れ、栗ちゃんに任せてタクシーに押し込み、こちらは一人とろとろタクシー帰宅、しっかり食事してから就寝。


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雨続きで散歩に出られないし留守番ばっかりさせられるしで不貞腐れ中の帆太郎さん、餌も食べず布団から出てこない。
  1. 2009/02/27(金) 13:25:40|
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24日がみどりちゃんの誕生日だった、一日しくしく泣いてから夜になってお花とお香で静かなお祝い、みどりちゃんの分の命を貰ったに違いない実家の虚弱児イチコは足の長いチワワみたいに育っている、兄弟が元気な毎日を送れますように。

25日、ばたばた雑用済ませて「Leavung Home, Coming Home」の最終上映、早めに行けたのでインスタレーションのいくつかを鑑賞。

チャン・ヨンヘ重工業の作品は四つのモニターに日本語と英語で男女の会話がセリフの文字だけ映し出される、モニター二つずつで違う会話なのだが、ずっと流れている音楽に合わせて文字がリズミカルに映し出されることで、文字が人が発した言葉のように躍動する面白さ、シンプルなのに何故か魅了する。
この作品はオフサイド展示として、映像祭の開催期間中に渋谷のいくつかの大型ビジョンで見ることができるそう、時間は18:01~18:03、タワーレコードビジョン、ヒューマックスパビリオンビジョン、シブヤセンタービルビジョンなど、通りかかったらちょっと足を留めてみてください。

ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの作品は、縮小した映画館になっている木箱を覗く仕組みで、小さな映画館の大きなスクリーンで上映されている作品を眺めながら、添えられたヘッドフォンを耳に当てると「ポップコーン、まだある?」などと隣にいる女性が話しかけてくる声が流れる映画館の疑似体験、客席にいる人それぞれの日常のドラマを想像させて面白い。

ジェス・マクニールの階段を行き交う人々の影だけが切り取られている作品「オペラハウスの階段」もすごく面白かったけれど、ずっと観ていると不安になってくる。
その日に観た中で一番好きだったのは絵画のような映像作品、縦長の長方形の額縁に収まった会がのようなモニターに映し出されている夕暮れの風景を鳥が飛び交う、写真という媒体が持つ普遍的な美しさと、動いているものを記録する映像が持つ再現性の刺激が過剰でなく調和していて、いつか家を持ったら寝室の壁に飾りたい、すごく好き。
もう一つ、ベッド脇に倒れている女性を固定アングルで記録する映像にはわんわんわんと吠え続ける犬の声、音声だけが時間を切り取って、無情な時間の流れが切り取られていた、確かにこれは写真ではできない表現。

どれも、ビデオ機器やモニター機器、コンピュータによる映像の技術開発あってこそ生み出される作品群だが、絵画でも写真でも、生み出すのは常に人で、その人の視点や発想がどれだけ豊かに注がれているかが面白さであるのは同じ、ビデオカメラが欲しくなった。

二度目の「Leaving Home, Coming Home」、日本で観られるのは最後かもしれないとあってそこそこの集客、前回は映画全体を眺めていたところ、今回は被写体であるロバート・フランクと撮影者であるジェラルド・フォックスの視点それぞれを特に意識して観てみた、がそれでもやはり視点が解け合い、過去と現在、人物と作品が寄り添う印象、ジェラルドがもぐもぐサラダを食べながら「人物ドキュメンタリーはコラボレーションだから」と語っていた言葉の通り、ロバートがかつて撮った写真や映像はジェラルドの作品となり、私が観ているジェラルドのドキュメンタリー作品は被写体であるロバートの作品となっていることが確かめられた。

上映終わって出てきたらテルコに会った、ブログ読んで学校抜け出して観に来てくれたそう、有り難や、嬉や。

帰宅後、昨日DVDで観てなんだかもの凄く面白かった「ZODIAC」を再見、事件のあらましより漫画家が謎解きにのめり込んでいく後半の緊張感が面白い、マーク・ラファロの感情を押し殺したもの静かな喋り方が全編に渡って効果的なのだが、付録として収録されていたインタビューでモデルの人物に会って役作りをしたと語っていた、その割り、モデルであるその人はとても快活で明るい印象のお爺さん、ふむ、役作りとはそういうことだよなあと納得。

photo-5_20090226104444.jpg 今朝の帆太郎くん。絵画のように代わり映えしない…。



  1. 2009/02/26(木) 10:45:58|
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ふむ。はたと気づいた。
「マエカワは、父親と母親の両方をやってくれて、ずっと娘でいさせてくれる男でなきゃだめだろ」と、かつて桃井章に言われたそれ。

理想の人は、やはり永遠に父親なのだ。
父親的な愛情で、父親的に自立を尊重してくれる存在。
それを求めるから、結婚という形に向かっていくんだろう。
恋人という対等な人間関係にはすぐに疲れ果ててしまう。
庇護されずに生きていたくない。
何があっても生涯私を見捨てることのない絶対的な保護者としての父親というイメージを求めて、自ら家族の役割を買って出るのだが、家族で父親をやるときの男は、私の娘の父親になってしまうから、私の父親にはなれない。

私の娘には、私がいる。
片親の家族が大概そうやって機能しているように、私が彼女の母親であり、父親である。
私の娘には、私以外の父親はいらない。
ただ、きちんとした大人として関わってくれる他人がいればよく、
幸いにも、それは友人たちによって充足してもいる。

父親が必要なのは、私自身だ。
母親役は、時折、娘がやっている。
私と娘は、お互いに必要なことをほんの10%ずつ、交代でやっている。
母親の不足は、私自身と娘とがやれることで、案外足りてしまう。
けれど、娘にはまだ父親役ができないし、私自身のそれでは、私には足りない。

父親役を引き受けてくれる男とは恋人でいられる。
けれど、誰かの父親になってしまった男とは、うまく関係が作れない。
誰かの父親なんて欲しくないし、夫もいらない。
だから、私はすぐに家族を放棄してしまう。
「ちげーよ、あたしが欲しい家族は、こんなんじゃねーよ」と。

そして、私の恋人であった男もやはり、
「ちげーよ、俺は娘が欲しいんじゃねーよ、女房が欲しいんだよ」と思うのだな。

夫になりたい男や、恋人でいたがる男はいらない。
喜んで父親役を引き受けてくれても、父親としての能力が足りない男はいらない。
父親に失望したくないから、失望した時点で父親とは認めないのだ。

これは、一般的な本物の親子関係でも同じはず。
つまり、多くの人は、実際の自分の親の性格や言動とは別物としての、「父親」や「母親」のイメージを持っていて、そこから外れたときに失望したり、怒りを感じたりしているんだと思う。
それって、いつどこで誰に刷り込まれるんだろう???

失望しても、本物の親は「ちげーよ」と切れない。
仕方ないから諦めるし、どこかで妥協する。
その妥協ラインこそが、「理想の異性像」なんじゃないのか。

自己犠牲を厭わず庇護して、命より大切と信じ、生涯かけて心から愛でる。
成長を見守り、自立を助け、陰で常に支え続ける。
娘であり続けることだけが約束で、見返りを求めることもなく、献身の要求もない。
父親は、どんな女にも理想の恋人だろう。

本物の親から早くに切られた分、あたしは妥協できずにいる。
諦められないから、父親そのものを求めてしまう。
あたしは、父親としてちゃんと機能する、父親じゃない男が欲しい。

あたしの恋人だった男の人たちはみんな、いつかとてもよい父親になるだろう。
けれど、残念なことに、あたしの父親には、誰もなれなかった。

かつて、たった一人、限りなく父親的な、ものすごく理想的な恋人がいた。
私より年下だったけれど、二人ともお金を持っていなかったけれど、その頃の私はいつも全身全霊で庇護されていて、とても自由で、晴れ晴れとした気持ちでいられて、毎日けたけた笑って過ごして、自分の力でなんでもできるような気がしていた。
けれど、その人も今は誰かの父親になってしまった。
今は十年に一度会うか会わないかだけれど、私の誕生日を覚えていてくれる。
彼は本当にどこまでも父親のように愛情深い人なのだ。

資質ってことなんだろう。
母性が滴るような女性がいるのと同じに、父性に満ちあふれる男性もいるのだ。

ならば、私は娘性豊かな女と自覚するしかない。
少女性とは微妙に違う。
娘性は、少女性のような美しいものではないんじゃないかと思う。
もっと歪んだ、エゴイスティックな資質。
それは、母性や父性と同質の歪みだ。

母性の強い女は得てしてうざい。
父性の強い男も、それを必要としない女にはものすごくうざいに違いない。
これらの資質は、お世話する対象がないと発揮できない。

娘性はお友達関係を結ぶのに最適ではあっても、特殊な親密さは育みづらい。
恋人としての一時期は素晴らしいパートナーかもしれないが、母性を発揮するのを嫌悪するから、相手を赦して受け入れることがない。
そうすることでしか娘性を持続できない。

皆、歪んでいる。
そして、皆、真っすぐに正しい。

人はみんなどっか欠けていて、必要なものを求めるものだから、それでいいじゃんか。
欲しいものがはっきりしてれば、探すのだってちょっとは楽だし。
自分のことを知っているのは、そう悪いことじゃない。

私は未だに時折、「おかあさーん」と声をあげて泣くことがある。
一人きりで、どうにもやりきれないとき、涙が込み上げて、しまいには何故か「おかあさーん」とわんわん泣く。
これほどに父親を渇望しているのに、そういうは絶対に「おとうさーん」じゃないってのも不思議。

これもまた、いつかどこかで誰かに刷り込まれたんだろうか???

因みに、某新聞に連載中の、幼女が主人公の漫画、気持ち悪くて大嫌いです。
幼女の姿形をしていながら、非常に「オンナオンナ」している主人公が薄気味悪く、その娘にデレデレしてばかりの若い父親も異常者にしか見えず、そうした日常をいつもにこにこ優しく見守っている可愛らしいお母さんというのも人生捨ててる感じがして、毎日読むたびに、そう思ってしまう自分の屈折を感じて、げろっとしてしまいます。

オンナってのは、セックスできる息子が欲しい女か、セックスできる父親が欲しい女の、二種類しかいないでしょ。
んで、オトコってのは、セックスできる娘が欲しい男か、セックスできる母親が欲しい男の、二種類しかいないでしょ。
そのどっちでもない女は、多分まだ女じゃないし、男も然りだと思ってます。

そこから当たり前に目を反らして家族やってる皆さんにげろっとするんだけど、それをこんなふうにぬけぬけ言うあたし自身が、なんだかもうげろげろです。
そして、これぞコンプレックスやのう、としみじみ面白い。
人は皆それぞれ、こういうげろげろな歪みと一生付き合ってくんだな。
愛おしいです。




  1. 2009/02/23(月) 04:47:04|
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昼過ぎにセンキのとこで髪を切ってもらい、すっきり気分で散歩しつつ帰宅、暖かかったせいか帆太郎さんも上機嫌、来週は映像祭や龍昇企画公演とバタバタなので、今日は仕事の資料に目を通した他は何もせずにのんびり。

photo-1_20090222214310.jpg バスの帆太郎さん。ドッグランじゃなくて残念。


  1. 2009/02/22(日) 21:45:12|
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朝八時半、ネットで注文したクールな靴箱が届く、なんてことはない無印の組み立て段ボールのシューズボックスなのだが、クール便のトラックに積まれてきたらしく、組み立てるときも大変クールなのだった。

クローゼットに詰め込んでいた靴を整理、荷物部屋の往復、靴磨きであっという間に昼下がりを過ごし、慌てて身支度して東京都写真美術館へ、恵比寿映像祭の初日。

写真家ロバート・フランクを追ったドキュメンタリー映画「Leaving Home, Coming Home」は、撮影には協力的だったロバート・フランク自身が映画の出来上がりに「一年に三回以上の上映をしてはならない」と条件をつけたという赤裸裸さ、R・フランク自身も、かつてストーンズのドキュメンタリー「Cocksucker Blues」を完成させた後にストーンンズから上映すべからずと言い渡されて苦い思いをしたにも拘らず、と、本作の監督であるビル・マーレイを二周りくらい大きくしたようなジェラルド・フォックス監督が上映前のトークで言っていた。

なるほど、ロバート・フランクにしてみればちょっとプライベートなことを見せ過ぎちゃった感があるのかもしれない、だが観客はその分とても興味をそそられる、ロバート・フランクの写真家としての技術をそのまま模倣したような撮り方が、ドキュメンタリーの作り手の存在をうまくかき消して、「彼はこういう人」的な解釈の主張を感じさせない、人の存在そのものに忠実な記録映画として、成功しているんだと思う。

映画や写真を志す人には何度も繰り返し観たくなる映画だろうに、一年に三回しか上映が許されないとは残念、だが今回は、プログラマーも監督本人も、「Best!」と言うくらいに画質音質ともに素晴らしく美しい、恵まれた環境での上映なので、観られてよかったなあとつくづく。

オープニングパーティーに顔を出したのだがアルコールは売り切れだし煙草は吸えないしで、結局、K女史とO氏のご夫妻をご案内ついでのままジェラルド監督にもお足運び戴いてリオンで夕食、映画に関する雑談を拝聴、日本人形と近代美術と映像祭とロケ、明日の弾丸スケジュールを効率よくこなす段取りを教えてあげました、日本語で、地図つき。

観るべき、と押し付けがましく言うのはこの映画に相応しくないのだが、「Leaving Home, Coming Home」は、2/23 13:30からと、2/25 16:00から、あと二回の上映がある。
一イベントが一カウントなので、この映像祭の三回の上映で一年分というわけではありませんが、次はどこの国でいつ観られるのか、という状況を考えれば、やはり「観るべき」と言いたい。

東京都写真美術館はガーデンプレイスの敷地内、入場は無料、映画の上映は、美術館入り口左手のホールにて別個の受付あり、有料。

photo_20090220232137.jpg 今日の帆太郎くん。俺も観てえよ、それ。


  1. 2009/02/20(金) 23:22:38|
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午前中からせっせと洗濯だの買い物だの、午後からは縫い物、帆太郎のアンダーウェアとお揃いの端切れでブラ・ショーツのセットをちくちく。
残りの生地で十年前に娘から頼まれた人形でも作ろうかと検討したが、ちょい生地足らずなので次の機会に繰り越し、成人式までには作ってやるよ。

小説現代3月号は超短編官能小説特集、超短編「ルヘリデの夜」が掲載です。

明日から恵比寿映像祭、開幕日16:00からの上映作品「Leaving Home, Coming Home 写真家ロバート・フランクの旅路」には監督が来日して挨拶されるそうなので見物に行ってきます。他にも観たいプログラムがたくさんあるので、開催中は日参するかも。

散歩コースだし犬連れて行こうかと思っていたけど、明日は雪って予報だからなあ。ほんとかなあ。やだなあ。ダウンジャケットしまっちゃったじゃん。

photo-11.jpg 今日の帆太郎さん。寒いってさ。

  1. 2009/02/19(木) 20:28:45|
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黒猫の宅配、日に日に来る時間が早くなる、これまで早くても八時半だったのに今朝は八時十分、「出なければいいんだよ」と言われるが向こうも効率よく仕事しようと頑張っているんだし、たとえ相手が宅配便でも居留守は性に合わない、二度寝しても九時過ぎに今度は郵便局がやって来るからなあ、対策は早寝しかないのだろうけど、それがなかなか難しい。

朝っぱらからあれこれの思いつきを片っ端に連絡、仕事絡みの反応遅くてやな兆候、この頃思いつくネタは取材が必要になりそうなものばかり、ストック切れってことか。

久々にレコードプレイヤーなんぞ使ってはっぴいえんど、レコードずたずたに傷ついていて「たてちつてとたと…てとたと…てとたと…」とまるでカリキュラマシーン、と書いてなんの曲でなんのようになっているかが分かる人はもう壮年。

トス「モグラびと」はニューヨークの地下生活者のルポ、猫ほどもある鼠を掴まえて頭を落として皮をはいで丸焼きにする描写などなど気分悪くなるのでものすごく面白いのだがなかなか読み進まない、翻訳の渡辺葉はニューヨークでの一人暮らしをエッセイにもしている、翻訳していてリアルに気分悪くなったんじゃないかしら、椎名誠氏の娘さんだそうだから冒険気分ですいすい訳すのかも。

photo-10.jpg 今日の帆太郎さん。昨日とは微妙に気分が違うらしい。



  1. 2009/02/18(水) 22:32:26|
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「シーズ・ソー・ラブリー」豪華キャストなのに地味、ところでショーン・ペンって普通の人の役をやったことあるんだっけ、演じる方は普通の人をやってるつもり、ってのはあるのかもしれないが、今まで観た中ではこのショーン・ペンが一番普通、正しく言えば「一番普通のキチガイ」、ショーン・ペンで鎌田行進曲やればいいのに、ハリウッドはネタを見逃してる。

「FAKE」を再見、何度も観てるのだけど観るたび「そこにいる人」から新たに感じさせられるものがある、アル・パチーノってすごい、最後に家を出る場面で毎度号泣。

写真集「着倒れ方丈記」、あたしも出演すべきだったんじゃ、などと思いつつ熟読していて、気づけば部屋の片付けを熱心にしたりしてる。




photo-9.jpg 今日の帆太郎さん。



  1. 2009/02/18(水) 00:54:26|
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古本屋で買って来た川端康成を一編ずつじっくり読んでいる、「浅草の九官鳥」の文体にびっくり、新鮮だなあ。

昼の散歩で久々にみどりちゃん公園を通った、絶賛工事中で淋しい、隣接する児童公園に遊んでいる子供を眺めてぼんやり突っ立っているイタグレ二匹を発見、やはり緑地公園で走らせていたんだそう、「代々木まで行かないとねえ」「ほんとにねえ」とぼやき合う、かっこいいダウンジャケットを着ていた、帰路の坂道を下ったところでもぎんぎんにドレスアップしたイタグレに遭遇、恵比寿~広尾~白金~目黒のエリアは元々イタグレ率が高いんだろう、ちょっと暖かくなるとぞろぞろイタグレが出てくる。

肌触りよいので寝間着にしていたアンダーウェアにかぎ裂き、渋々に裁断して帆太郎の服に仕立て直し、どうせ何を着ても変だからと雑に作ったのに案外よく出来た、が、これを着て歩くのはジャージでコンビニ行くみたいでおっさんになった帆太郎には侘しい風情、仕立て直してもやっぱり寝間着。
  1. 2009/02/16(月) 23:23:44|
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