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仕事部屋

ワークショップのこと。

もう今週末かあ。
これまでやってきたことから考えると、上限15人下限6人といったところがうちのスタイルには最適なんじゃなかろうか、と思ってはいるが、情報にそう表記するとはなからやることが決まっているような感じがするので人数を限定した募集はしないことにした。

第三回第四回とぽつぽつやっていくつもりだけれど、この先20人の応募があるかもしれないし、たった一人しか申し込みがないかもしれない、その場合は劇場レンタル代に足らず赤字の自腹ワークショップという情けないことになるのだが、だからといって中止にはしないし、そのときにいる人たちとできることをその時々に一緒に考えるのがワークショップというスタイルだと思う。

もちろんテーマを絞ってやるからには、ある程度のメニューは自ずと決まってくるのだけれど、たとえばそれは「自由参加のエチュードをやってみましょう」という程度の大枠であって、お題を決めたり、それをやった上でどういったアドバイスをしようかなどと決めてしまっていては、ワークショップの意味がないんじゃないだろうか。

そこにいるその人が、少しでも自由になれるそのための何かを、その瞬間に見つけてあげられたら理想的だと思うし、演出する立場としてはその訓練の場でもあり、個人的にはそれを一緒に探していくのが何よりの面白みだ。

最初にやったワークショップは、池袋西武が主催するコミュニティカレッジでの短期講座だった、やってみたら面白かったので、その後、新宿御苑にあったダンス・スタジオのメニューとして新設してもらい、ちまちま募集をかけた。

新設コースなので説明会もやって、説明会に来た人たちがそのまま全員参加したのが第一期のメンバーになり、週一回で6ヶ月1クール、やってみて6ヶ月は長いと思ったので次から3ヶ月1クールに変更したけれど。

何期までやったのかもう定かではないけれど、八年ずっと続けた人もいたし、途中で抜けて出戻ってきた人もいたし、当時高校の制服で参加していた人が二児の母となった今も忙しい毎日の時間をやり繰りして最近のワークショップに参加していたりもする。

当時は毎月二人芝居の新作をやっていたので、公演のお手伝いなども頼んだし、とにかく毎週ワークショップの後には朝まで飲み続けるという、ものすごくファミリー的なグループだった気がする。

「アクターズ・ジークンドー」というワークショップのテキストもあった。
ブルース・リーが提唱する截拳道という武道の思想を演技者向けに解釈したもので、中村頼永先生に原稿を読んでもらって、ちゃんと使用許可を戴いている。

確か「インターネットぴあ大学」の「前川麻子研究室」で連載したのが初出で、その後テキストを小冊子にまとめて公演のときに無料配布した。
吉岡は、それを読んでワークショップに参加したらしい。

その頃の参加者が「舞台美術の勉強をしてみたい」という友人を連れてきて、美術セットは使わないからチラシをよろしくと都合よく使わせてもらううち芝居を観に来てくれた編集者の目に留り、小説誌の挿絵でデビューしてイラストレーターとなったのが岩清水さやかちゃんで、さやかちゃんを連れてきた子はワークショップ在籍中に志願していた宝塚歌劇団の演出部に無事入って、宝塚のきれいな生徒さんたちに先生と呼ばれていたりする。

新宿御苑のスタジオの頃には月謝が高かった。それが理由で「次のクールはお休みしたい」という人もいたので、思い切ってスタジオでのワークショップを止め、よくある小さな劇団の稽古のように、あちこちの出張所を借りる方式にしたのが、Aクラスというシーズン。

出張所を抑える手間は参加者にやってもらい、その代わり月謝はそれまでの半額となって、月謝の中から一人頭5000円の積み立てをして制作費にし、三ヶ月に一度のワークショップ公演を打つスタイルで、「インドに行きます」と言ってスタジオでのワークショップを辞めていった吉岡が出戻ったのも、まだ専門学校の学生だった小形が参加したのもこの時期からだったと思う。

ワークショップ公演は第一期からやっていて、公演に使ったのは六本木にあるキャラメルというショボいクラブだった。
その頃のキャラメルは前川のフランチャイズ劇場と呼ばれるほど好き勝手をやらせてくれて、二人芝居のシリーズには、みのすけとか相ちゃんとか小宮さん堺くんなんかが月代わりで相手になって毎月新作をやっていたし、ワークショップのメンバーは稽古も自由に見学できたからものすごく有益だったろう。
日頃から勉強熱心な小宮さんなどワークショップの稽古を見学に来ていたし。

クールごとに打つワークショップ公演では、ホンのあるストーリーものをやるより、エチュードから仕上げた「ネタ」と呼ぶ五分ほどの場面を脈絡なくDJ入りで構成した。
そのときばかりは私もネタを用意して参加する。といっても芝居じゃなくてヌンチャク芸とかダンスとか演武とか即席バンドとかに限定していたのだけど。

出演者にはブレイク直前のダンディ坂野氏やピン芸を試しに来たサックス奏者の宇田川寅蔵もいたし、キャラメルでの名パートナー星野DJと歌って踊れる開業医Dr.スシのユニットもレギュラーで、みんな酔っ払いながらやっていたっけなあ。

それはひとえにキャラメルという伝説のクラブがあったから完成したスタイルで、それをやり続けるうち、空間ありき、人ありき、の演出をするようになった。

その後、キャラメルの閉店に伴って、同じビルの上階にある系列店のショーパブを会場にした公演を何本か打った。

そのときから、ワークショップ公演としてではなく、私が役者として出演する公演にワークショップの参加者は皆出演してくださいとなって、ラサール石井清水宏なんてゲストとやれたのだから、これも贅沢な話だ。

そのときにやったのが「木村座」という架空の劇団の話で、毎回ゲストを座長にして色々な話をやったのだが、観客のいる空間そのまんまを全部丸ごと使って芝居にするスタイルがこのシリーズで出来上がった。

Aクラスのメンバーはその後も多少の入れ替わりをしつつ半年ごとに公演を打った。ショーパブでの公演にも限界が見えて、当時まだ広尾にあった桃井さんのレストランバーCOREDOでやったり、要町にある潰れかけの飲み屋でやったり、ちょっと頑張って明石スタジオで公演したりするうち、長く続けている人と1クールだけ参加した人とでは技量に明らかな差があることが歴然となってきた。公演での出来の問題ではなく、ワークショップの稽古でそれが出てしまう。

できない人にこそ続けて欲しいのだけど、できない人ほど辞めていってしまう。
まあ、そりゃそうだろう、できなきゃ面白くないもんなあとは思うのだけど。

その頃、うっかり作家になっていた私は稽古場の隅で〆切間近の原稿を書いたりしてもいて、毎週定期的にワークショップのための時間を空けることが難しくなってきてもいたし、それをなんとかやり繰りしても、クールごとに公演を打つのがどうにも厳しい。

ワークショップAクラスは、明石スタジオの公演を最後に休止した。

その後は、私が出演する公演のたびに劇場手伝いや稽古場付きの声をかけるだけになったが、やはりそれらのチャンスを漏らさず食いついて損得考えず真面目にやっていたのが吉岡とタミヤスだった。

いつ頃からか、出入りした人たちをやみくもに集合させる忘年会が定例になっていて、新旧のワークショップ参加者や公演の関係者たちが毎年わらわらと集まる。
なかには音信不通になってしまった人もいるし、なかなか顔を見せてくれない人もいるから、集まるのは毎年似たようなメンバーだけれど。

皆に声をかけるのはいつもワークショップ一期からAクラスの終わりまで参加していたアベちゃんだったが、結婚と出産で芝居を離れてからは吉岡が幹事を引き継いだようだ。
舞監助手をやっていた彼女はうちの舞台監督と結婚したので披露パーティーでは「これまでは舞台裏だったけど、これからは花道を行け」とスピーチしたのだが、その後、今どきの花道王道で離婚してシングルマザーをやっている。

そんなあれこれ、皆の前では話せないことを存分に語り合う女子限定のギャル会なる新年会もやってたなあ。
ゲイの男の子がいたときには、当然ながらギャルとして参加してどの女子よりも細やかな気遣いを見せていた。
当時会社員だった彼は、ワークショップに参加していたわけではなく、観客として公演を観に来て何故かそのまま関わるようになり、一時期は制作を引き受けてくれていた。
その後売れっ子のシナリオライターになって、会社を辞めてマンションを買ったのだから、やはり金勘定のできる人の人生は手堅い。

私はキャラメル時代のいくつかのレビューをアップしてくれている“まねき猫”氏のサイトを未だちょくちょく覗いて感傷に浸るのが好きだ。過去のことを細かく記憶しているタイプではないので、こういう観客がいてくれるのは本当にありがたく、嬉しい。

しばらく休止していたワークショップをまたやりたくなったのは、やっぱり「モグラ町」との出会いがあったからだろう。
吉岡が出演して、小形が演出助手をやってくれた「モグラ町」は、これまでワークショップの人たちとああでもないこうでもないをごちながらやってきたことが、より熟した形で盛り込まれていた気がする。
「モグラ町」の演出をやったことで、ようやく自分のやり方がはっきりしたのかもしれない。

それを確かめたのが「そのまま、そこにいるために。」と名付けたワークショップのサマークラスで、一週間の期間限定で最終日には発表会をやった。
そのときに確信したことを実践したのが「モグラ町1丁目」の稽古入り直前にやった2日間限定のワークショップ「素の表現方法」で、ここでの手応えが、今またワークショップを再開する目安になっている。

ワークショップ公演を打つ予定もなく、先のチャンスを約束できるわけでもない。
たった2日間ではできることなど本当に限られている。
けれど、知らずにいるより知った方がいい。
出逢わずにいるより出逢った方がいい。
私自身が知るため、出逢うための2日間だろうと思う。
「そのまま、そこにいる」ことは、それほど難儀なのだ。

先日お酒をご一緒させてもらった吉岡の高校の恩師であるM先生は、「俺は、生徒たちに人を大事にしろと、それだけを学んで欲しいと、ずっと思っている」と話してくれた。
「だから、吉岡が前川さんのことを話してくれたとき、ああ、俺が教えたことが吉岡にはちゃんと伝わっていたんだなあと思って、本当に嬉しかった」と。
「M先生、うちのワークショップでは『人と出逢える場所には借金してでも足を運べ』と教えてるんです」と言ったら、先生は嬉しそうに笑っていた。
私は、M先生の心持ちを想像すると、泪がでそうになる。


本日水曜から明日木曜の日替わりで、ワークショップ第一回分の募集を〆切ります。
お陰さまでいい具合に人が集まっていて今回も楽しみになってきました。

  1. 2009/09/30(水) 02:48:41|
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