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仕事部屋

モグラに重なって泣く泣く見逃していた「グッド、バッド、ウィアード」が懐かしの新橋文化で最終日、新橋行くなら手ぶらだよなと財布と煙草とiPhoneだけポケットに突っ込んで出る、手ぶらってどきどきする。

イケメン韓流スターを従えて我らがソン・ガンホ堂々の主役、ガンホのもっさりしたアクションも味わい深かったが馬乗りこなすアクションシーンがど迫力、爺さんばかりでも客席八割りの盛況で笑い声も起きていた、「母なる証明」の刑事さんも馬に乗ってました、おねーちゃんが出てこないところがストイックな作りで無駄な寄り道なし、日本軍の日本語の台詞もちゃんと芝居になってて白けることなく楽しめた、と思ったら白竜だったのか、白竜好きなのに気がつかなかったよ、「チェイサー」も評判通りの面白さだったけど私は断然こっちだなあ、公開は夏だったけど正月映画として楽しめる娯楽大作が800円、ガード下の誘惑をガンマン気分で振り切って大満足に帰宅。

新橋文化で一人ぼそぼそ正月映画なんて東京ッ子の贅沢、中学生とか高校生の頃はシティロードから破り取ったページをポケットに突っ込んで一人で映画館に行くのが最高に贅沢な趣味だった、観るものよりも空間を丸ごとっていう作るときの視点はそういう時間の中で出来上がったんだろう、流行の小綺麗なミニシアターも居心地がいいけれど新橋文化みたいな映画館の方が五感を刺激される、ガード下のおっさん達眺めて思いついたネタをメモしていたら、なんだリボルバーじゃんと気づいて削除、いやリボルバーでもいいんだけど、因みに隣の新橋ロマンでは小沼さんの「箱の中の女2」がかかっていた、牝もやってくんないかな。
  1. 2010/01/08(金) 20:07:54|
  2. 雑感
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犬実家でだらだら過ごしたお陰でウツがちょっと上向きになりつつあったのに、またどすんと落ちた。

理由は簡単、心配してくれる友人が「~はどうするのか」「~したらどうか」「~すべきだ」などのウツ状態には禁句とされるあれこれを並べ立てるから。

「同情するなら金をくれ!」の名台詞じゃないが、いい大人になれば大概のことには他人の考えなどいらないし、心配や励ましでなんとかなるのならこれだけ人に囲まれて過ごしている私がウツになどならない。
近しい人にはウツがあることやパニック発作のことなども知らせてあるし、どう対応したら良いかが書かれた参照サイトなども教えたのだけど、見ちゃいねえってことだよなあ。

ウツのしんどさは、ウツをやった人にしか判らないだろう。
心身が健康な人には甘えや怠けにしか見えないだろうと判る。

どうせ親身じゃないのだし所詮人ごととして放っておいてくれるならいいのだけど、「ウツの人に言っちゃいけないこと」を言うのとか「パニック発作のある人にさせちゃいけないこと」をさせようとするのとかは、実害があって困る。
「やめてくれ」と言うのも病気を笠に着て甘えるようで言い辛く、ひたすら耐えるのみなのだが、耐えられない。
そもそも、そういうことを人に説明するのが、辛い。

心配してくれている近しい友人にこんな思いをさせられるんじゃあ一体誰に助けを求めればいいんだ、と絶望的になる。
悪意じゃないとわかるからこちらが避けるしかなく、必然近しい人にほど会いたくない内弁慶型の引きこもり状態。

パニック映画で、何事かが起きている最中に自分の子供と離れなければならなくなった人がヒロインの元に子供を残していく、そのときの台詞に「最後まで護れないのなら、(うちの子に)触れないでくれ」ってのがあったけど。

ありがたいことだけど、同情や心配やアドバイスはいらないんです。
私にできないことを代わってしてくれるのでなければ、せめて理解と協力を。

自分でどうにかできることはどうにかしてきてる。
自分じゃどうにもできないことだから助けを必要としているのに。
こんなときくらい、私に何かを要求するのはやめて。
こんなときくらい、私の要求に見返りを求めないで。

そう思っていても、口にできない。
誰かに助けてもらおうとしている自分に絶望する。
自分のことどころか、人のためにすら何もできない自分に、また絶望する。

あなたのせいだと言いたいけど言えないから、思い知らせるためにいっそほんとに死んでやろうかとさえ思う。
けれど、もし本当に私が死んでも、そういう人ほど自分のせいとは気づかず、悔い改めやしないのだ。
死んでも無駄、と思えばまた孤独に絶望する。

自分のすべてを許して、見返りも求めずにありのまま受け止めてくれる存在なんて、神様と親以外にない。
見返りを求められることがわかっていると、助けを求められなくなる。
親のいない私には友人たちと自分だけが頼りなのに、もはや手も脚もでない。

人は生まれてきた罰として生きなければならないのだから、苦しくて当たり前。
そう承知するほど、すでに償いを終えて苦しむことから解放されたあの世の両親などを想い、どうか迎えにきてくれと祈る。

自殺などしない。だけど、生きていくのは本当に難しい。


  1. 2010/01/08(金) 00:34:38|
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