FC2ブログ
仕事部屋

阿佐ヶ谷でWSに来てくれた出世魚ズのコントラバス奏者・熊ちゃんの新バンド「大福」お披露目イベント、モミーさんに「モリヤンの友達です」と間抜けな挨拶して握手してもらっちゃった、アミナ・マイヤースやヒカシュー思い出しながら大福を前にしてもやもやと着想、即効でマツジュンに打ち明け、熊ちゃんに交渉、一年かけてでも口説くつもりが案外ノリノリ、大福メンバーの皆さんに挨拶していたら某青年が声をかけてくれた、曰く「犬の記憶」観てますって私が16のときに参加したほしのあきら監督の自主映画、聞けば多摩芸のほしの先生のとこにいた生徒さんで、「品行方正もバーグエポックから観てます」と、こちらが思い出せないような旗揚げ2本目の芝居のタイトルまで覚えてくれている旧いお客さん、そういう人に出逢うと自分の全人生と全存在が丸ごと肯定されたような気がしてもの凄く幸せな気分になる、今はドキュメンタリーで熊ちゃんを追いかけているそう、ははあ、これは昨日観た「バーナードとドリス」でスーザン・サランドンが力説していたカルマって奴なんだろう、気分よかったので終電一時間前の阿佐ヶ谷解散に物足りなくて大久保でぶーちゃんの「はち」に寄り道、案の定ハナコがいて楽しく小一時間、大久保の終電逃して新大久保までぶらっと歩き、健全かつ安全に終電前の山手線で帰宅。

子供のころ、母の親友の久江ちゃんの旦那さんがN響のコントラバス奏者だった、遊びに行くとでっかいコントラバスがあって、たまには弾いてるところも見ていたと思う、私がもっと大きかったら、もっとたくさんのことを教えてもらっていただろうけど、小さい私はもっさりしたその音がひたすらに退屈で気難しいものに思えて、とても優しくて繊細だったその奏者であるミツルさんも、そのまんまもっさり気難しい苦手な人だった。
母と親友の久江ちゃんは喧嘩して、いつからか長いこと疎遠になった、仲直りしたと聞かぬまま、私から母が亡くなったことを知らせたとき、久江ちゃんは絶句して、すぐに駆けつけてくれた、久江ちゃんはミツルさんもすでに亡くしていて、子供のいない夫婦だったので、一人きりだった、久江ちゃんは秋田の人で、母と仲良くしていた頃には毎年きりたんぽを持ってきてくれていたので、私は今でもきりたんぽが好きだし、コントラバスの音もいつからか心のすごく深いところで好きになっていた。

アコーディオンには憧れがあって、友人のライブに前座で出ていた日本語を喋るアメリカ人アコーディオン奏者・ALANをその場でナンパして芝居に出てもらったりもしているけど、あの頃の私はまだまだ山師臭い部分があって、ALANにも結構しんどい思いをさせたんだろうと思う、その後久々に会ったときには「もの凄く楽しかった、いい経験になった、とても大事な経験だ」と言ってくれて救われた、大福のアコーディオンの音にはそういう自分のはったりが通用しないと思った、はったりで進むことならはったりも厭わないけれど、そんなふうじゃなくもっと、不器用でも危なっかしくても、そのまんま胸を張って並びたくなる音だった、アルトサックスの音も、彼らが短く発する声も、全部が、私の何かを呼び込むように感じた。

きっと、大福を聴いた人は皆同じように感じるのだろう。隠しているところを突つかれる。

やるぞ、大福と前川。演出家も決めた。イメージもある。
音を聴いていて、そこに乗っかる自分の声や言葉が見えたんだ。
きっちりじっくりで、十年使える出し物を作ろう。
動き出すのは明日かもしれないし、来年かもしれない。
作る力を情熱で摩耗してしまわないよう、大事にしていこう。
全力120の段階で熊ちゃんを口説く。

ノースモーキングバンドが難しいならゴースモーキングバンド、いいや大福そのまんまと前川がそのまんま、ここ十年くらいの間にぼんやり願うだけだったあれこれが、熊ちゃん決死の大福を大皿に一品できた感じ、余分なこと検討せずそれがちゃんと伝わって、興奮してくれる熊ちゃんに愛を感じる、作り手だなあ、生きざまだなあと、衝動は原動に、情熱は継続に、出逢えたことは熊ちゃんを誘ってくれたマツジュンに多謝なのだけど、磁力なのか原子なのか出逢うべきときと場所と人が揃って始まる細胞単位の活動が、ひたすらじわじわ心地良くて、これは出逢いとかそういう段階をつるりと超えたところにいるんだなあと思う、皮一枚のところに、出逢うだけなのか、出逢いなどどうでもいいような細胞単位の活動がすぐに始まっているのか、そういうのがあるとして、始まっているのだと。

ああ、いいもん見つけちゃった、いいこと思いついちゃった、な興奮に大はしゃぎなのだけど、また飯の種から遠ざかったなあとも。
  1. 2010/01/18(月) 02:01:25|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:0