仕事部屋

11.24

11.16「ラザロ 蒼ざめたる馬」「ラザロ 複製の廃墟」11.17「ラザロ 朝日のあたる家」11.18「行旅死亡人」を連日観て渋谷ユーロスペースへの井土詣もひと段落、ラザロ三部作は三本目「朝日のあたる家」から明確に今の井土監督の特色につながるものが見えた気がする、12年前の作品「百年の絶唱」に感じた混沌がすうっと鎮静した感じ、「行旅死亡人」は長宗我部陽子の類い希な美しさと確固たる力量を堪能、それでも食い足らないのは長さん突出で他の俳優がお粗末になってしまった副作用なのだろう。

ラザロ2日目トークゲストでいらしていた脚本家の高木登さんとお話したら高木さんは「モグラ町」の劇評をネット上に書いて下さっていた、高木氏主催の劇団鵺的の主演俳優がうちのワークショップに来てくれていたのも高木さんが「モグラ町、観に行け」と薦めて下さったからだった、ご縁はつながる、巡り会う、循環して還元して渦巻きのように世界が広がっていく。

土日のワークショップはメールサーバーの不具合を通知して再送の申込を受け直し12人の参加で再開、朝日CCでやったワークショップやモグラ町でのワークショップからの参加者、日曜は京都から遊びに来ていた人の飛び入り参加もあって男女半々なれど、男子は映画系20代の若手が殆どで女子は概ね30オーバー、言い争いのエチュードをやってみたら男子から「女子って年じゃないでしょ」が飛び出して女子組が食いつき、終了後の飲み会では男子たちが恐る恐るに「いや、まじ全然見えないっすよ」などのフォローするのでお姉さんたちニコニコ、どちらも可愛らしいったら、映画系で知り合って来てくれている人と朝日CCのWSに参加してくれていた人が過去の共演者であったり、飲み屋で「私も誰それとこのWSで偶然に再会した」系の話、高校の先輩後輩だとかもあるし、世の中に数多ある渦巻きの一つが小さく存在している実感は嬉しい。

月曜に「犀の角」観てアフタートーク、素面だったのでテンション低かったけど睦雄さんが頑張って話を捌いてくれたので暢気でいられた、「役者は時間を作る存在」という井土監督の俳優論あまりにすんなり共感したのでお客さんのために広げられなかったのが反省点、ロビーには単行本や文庫本持参してサインを求めて下さったお客さんもいらして、新規客層が「犀の角」観てくれたのだとしたら役割果たせたかもと気を取り直す、宴席には来場してくれたWSの子らも一緒させてもらい、「へばの」木村文洋とも久々に話した、木村くんが連れてきてくれたバイト先の友人という人が第三エロチカの元劇団員で、なんと奥様がうちのWSの卒業生、ここでもまた渦巻きに飲まれて朝帰り3日目。

「犀の角」は一揆上映作品の中で一番好きな映画になった、井土監督の過去と現在が緩やかに混在してふわり抜けた空に広がっている、映画学校の卒業制作として撮られた作品なので、学生俳優を見つめる暖かさと先を歩む人としての鼓舞、今なお先頭に立ち続ける荒々しさがそこかしこに散りばめられどの役者より監督自身の思いが映り込んでいるように感じた、小さな町に流れ着いたカルト教団の残党という設定があるせいか宗教を扱う難しさについて語られがちな作品と思うけれど、そんなものは人物の背景に過ぎない、ならばいっそそれらすべてに関わる情報を思い切り薄くしても良かったのかもという話を、これが脚本デビューだった川崎龍太くんと話したりもしたけれど、いやいや充分にバランスの取れた出来の良いホン、バランスよく見せられた大きなポイントは役者の居方にあって、主演の学生さん二人がしっかり自分の時間を映画に持ち込んだこと、助演のプロ俳優二人が役割飲み込んで加減よく働いていることにあるんじゃないか、そしてその具合のいい采配ってところで、やっぱり井土監督が「辿り着いたもの」に思う、もちろん次が続いていくんだから長い旅の途中にひょいと腰を下ろして一息ついた、という意味なのだけれど、ちょっとね、ガス・ヴァン・サントみたいで素敵。

「犀の角」上映は11/26(金)まで、連日21:00から渋谷ユーロスペースにて。
映画一揆 井土紀州2010」はまだまだ続く。
  1. 2010/11/24(水) 03:12:46|
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WSお申込みの皆様へのお詫び

大変申し訳ありません。
info☆maekawa-asako.com
(WSお申し込み・お問い合わせメール)
にて障害が発生していた模様です。
11/7以降にお送り戴いたメールが届いておりません。
ワークショップ申込フォームご利用時に自動で返信されるメール以降、私の個人名での返信が届いていない方がおられましたら、
大変恐縮ですが blog56☆mac.com まで再送戴けますようお願い致します。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。



因みにdesk☆maekawa-asako.com(お仕事用メール)でも同様の障害が発生しておりました。
そちらに連絡下さった方、未だ返信のない方がいらしたら、大変恐縮ですが再送戴きたくお願い申し上げます。
  1. 2010/11/18(木) 19:21:41|
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11.16

怒涛の映画一揆が始まって連日のユーロスペース通い、口開けは噂に名高い12年前の作品「百年の絶唱」、大変な大入りで立ち見まで出るも収まり切らずに急遽追加上映が決定という快挙、丁寧に丁寧に塗り重ねられた油絵のごとく思想と実践、生活と創作の厚みを感じたのは12年ぶりの上映という枠の中でのこと、映画を出来事として観られる貴重な機会に巡り会わせたのは幸運。

2日目3日目には二部構成のドキュメンタリー作品「レフトアローン」、描き方には井土さんのエンタメ職人気質が覗けていた、「これって、新左翼版あの人は今、だろ」が零れた荒井晴彦+上野昴志両氏とのトークもシャープ、語れるものがある世代の顔、凪いだ表情、呪術めいた言葉の波がひたひた沁みる。

日曜は母校100周年の同窓会で、初等科卒業ぶりの懐かしい顔ぶれにそれぞれを想う、二次会抜けてタクシーで渋谷に向かうも酔っていたので途中から自宅に向かうよう指示してしまい「円山町っておっしゃってましたが」と運転手が呟いたのを聞いてはっと我に返った、顔や言葉がごっちゃになって足立正生が母校の先生だったように感じたり同級生がアジってたような混乱、みっしり苦労と幸福とをスーツの下に纏った同級生たちは持たざる者が生み出そうとするこんな生き方知らないんだろうな、四十過ぎて映画のために走り回ってる連中はスーツ着た闘い方知らないんだろうなと大雑把に分別して同窓会の三次会に戻り能天気な朝帰り、醒めて思うのは私自身が未だ何もせずにいる焦燥。

映画一揆、今日と明日は劇映画「ラザロ」三部作、本日は「ラザロ~蒼ざめたる馬」と「ラザロ~複製の廃墟」、明日が「ラザロ~朝日のあたる家」、明後日の「行旅死亡人」までそれぞれ一日限りの上映が続く。
その後11/19~26「犀の角」、11/27~12/3「土竜の祭」、12/4~10「泥の惑星」があって、映画一揆は終了。
12/18からは吉岡がモグラ町稽古入り直前に撮影した最新作「ピラニア」がポレポレ東中野のレイトショーで封切り。

スピリチュアル・ムービーズの吉岡Pが「金がなかったら時間を使うしかない、時間がなかったらやっぱり金を使うしかない」と言ったそうだけど、血の滲む言葉だ。


  1. 2010/11/16(火) 17:11:46|
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11.11

5日にアップリンクで「眠り姫」、翌日に差し替わりで「ホッテントットエプロン-スケッチ」ともに七里圭監督、インディーズで有名な二作品を今更ながら確かめて、ふむなるほどと勝手に共感、PFF同期というだけでなく、何かしら七里さんに「わかってもらえそうな」気がするのは解体の方法論かもしれない、演出の孤独を感じたとき、七里さんが来てくれていて、その顔を視た途端に涙が零れた、演出の役割を承知してる人だからね、てな話を吉岡にしたら「いまおかさんの顔じゃダメなんすか」と、確かにその日にはいまおかさんもいたのだけど。

「ホッテントット~」の前には巷で評判の「スプリング・フィーバー」を観にシネマライズ、配給が猛烈なテコ入れしてる印象だったのに客席は淋しげ、天安門事件に触れた映画を発表したことで映画製作を禁じられている中国のロウ・イエ監督がこそこそ家庭用ビデオカメラで撮影したという映像が美しかった、確信するものがあることの美しさ。「天安門~」でメロドラマに感じた部分もこれくらい悲愴さを纏うとかえって淡々としたものになるんだなあと、描くものがある人の強さを感じた。

9日には阿佐ヶ谷ロフトAで映画一揆のトークイベント、井土紀州氏を筆頭にインディーズ映画作家そろい踏み、Ust配信を大宣伝しながらそうした方法論についてのアンチテーゼを唱える切り口も面白かったし、若い作家の揚々と若くない作家の悶々が噛み合ないままの実直な進行にかすかな希望が見えた気がする、そもそもトークやって問題が究明できちゃったら映画作る必要なくなっちゃうもんねえ。

芝居終わってどっと押し寄せる疲労の波が、そんなこんなで遅れがちだった今週、千秋楽からようやく一週間なのにもう三年も五年も昔のことのように思えるモグラの日々、作り手ばかりが顔を集めるところに居座ってると毒が回る気がするんだよなあ、自家中毒、皆の話は聞き漏らさずにいたいし自分のことも少しは知って欲しい、けれど偉そうなこと喋るそばから「何者でもないくせに」と自分を責める気持ちが湧いて恥ずかしくなってしまうのも事実で、できれば口にガムテなど貼って飲み屋の片隅でじっとしていたい、いい年しての自我の悶々、どこに向ければいいのやら、何者かであろうとする力強さに触れるたび、もっと薄く淡く黙々淡々何者にもならないままで生きていけたらと自分を消してしまいたくなる。


自我の悶々に堂々決着をみせた男、井土紀州の全作品連続上映が、今週末からユーロスペースで連日21時。
11/22(月)「犀の角」上映後には吉岡睦雄と井土監督のトークに私も参加します。

七里圭監督「ホッテントットエプロン-スケッチ」は今週金曜までアップリンクXのレイトショー、連日20:50~。
美しく優しく力強い、遠景。
  1. 2010/11/11(木) 00:58:46|
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さよなら、モグラ町。

モグラ晴れの水曜、いい芝居になってきれいな千秋楽を迎えたモグラ町、打ち上げに誘いたい若手にバラシを手伝わせて自分はスパン子とモミーさんに合流してちょい飲み、そもそも終わった芝居の宴席など面白くもなんともない、明日があるから飲むんじゃないか、打ち上げはいつも退屈。

号泣やら告白やら説教やら慰めやらで打ち上がっている皆と別れ、真夜中にタケちゃんのビッグマウス、早朝タクシーで帰宅して、次男が暴れたような部屋を見ぬふりしながらベッドへ。

目覚めた瞬間「ヤバい!」と焦る、「今日は何時のコヤ入りだっけ」と考えるうち「あ、終わったんだっけ」と思い当たるが不安が消えず、チラシとカレンダーを確認して「そうか、終わったんだった」とまた眠りに落ちることを数度繰り返し、夕方にようやく起きて部屋の片付けを始める。

まずは犬を迎えに行きたいのだけど諸々の外出を予定しているのでタイミングが見つからない、早く犬とだらだらする生活に戻りたいんだけど、公演中に放置していたあれこれをやらなければならない、かれこれ一ヶ月近く新聞も開いておらずメールのお返事も滞っていて世の中から隔離されてた気分。

たくさんの笑顔を戴いた一週間、またいつかお会いしましょう。


再開のワークショップ情報はこちら
  1. 2010/11/05(金) 01:59:49|
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残り3日。

台風を呼ぶ【モグラ町1丁目7番地】、折り返しての残り3日、アフタートーク、ワークショップと気の抜けないイベントも無事成功に終えて、ようやく芝居に集中と言うと、これまで観て下さった方には失礼なようだけど、正直そんな気分。

「そのままそこにいてください」という気持ちで書いたホンを芝居として組み立てる過程には、いくつかの嘘を要求することもあって、その作業の中で役者たちは自我を混乱させていくんじゃないだろうか。

芝居の稽古は洗脳に近いものだと思う。
自我の混乱が起きているところに繰り返し繰り返し同じ言葉を吐き出させ、身体に負担をかけさせ、ある意味では機械的に台詞や動作をこなせるところまで叩き込む。
そうしておいて、最後にきちんと自我を取り戻させるための、解放をする。
自我を取り戻しても、叩き込まれたものは残る。
意図できないバランスの中で、夢の中を彷徨うように、「芝居の時間」が立ち上がる。

嘘が嘘ではなくなる瞬間、ほんとのことが嘘になる瞬間。
その隙間を掬い上げることが、そもそも「劇的」なのであって、「劇」は創り上げるものではなく、その瞬間に生まれるものだと信じている。

「こいつ台詞飛ばしやがった」とか「やべえ段取りずれた」とか、舞台の上の役者は決して無心ではない。
その一種の気の逸れ方こそが「隙間」であって、その隙間なくみっしり「劇」を埋め込んだところでは、観客と共有できる「劇的」な瞬間を起こすのが難しいように思う。

「劇」として完璧に作り上げられたものの面白さも知っているけれど、観客の日常の面白さに比べれば、バカバカしくすらある。
それらは繰り返し繰り返し、何事の「劇的」なるものも挟み込む隙間なく、調和を保ち続ける。
もちろん、演じることの仕組みとして、役者の日常は密かにそこで息づいている。
だが、「劇」の中でのそれは、あってはならぬものとして隠し通される。
「やべえトチッた」という役者の生身の感情など「劇」にはあってはならない。

だけど、実は、役者だってスタッフだって、同じことを繰り返す作業の中でのそれを一番楽しんでいる。
日常を共有する者だけにしか見えない「劇」の隙間を、楽屋で、調光室で、うはうは笑って面白がる。

狡くね?
そう気づいてしまうと、完璧に創り上げられた「劇」なんて、バカバカしく見えちゃうよ。
といって、「日常」そのまんまを楽しめるほど酔狂な趣味はない。
時間や労力の費やされていないものにお金を払うほど、鷹揚でもない。
私は、観客席にいる私の日常と、創り上げられた「劇」の、隙間、「劇的なる隙間」を覗きたい。

作り上げられた「劇」もあって、なおかつ、役者自身が個々に持つ日常での「劇的」なものがあれば、そのバカバカしさを乗り越えられるんじゃないか。
「劇」でもなく「日常」でもない、その隙間にある「劇的」な何か。

それを見せることは役者の仕事だ。
だって、舞台空間の上にそれを持ち込めるのは役者だけなんだから。

「隙間」を面白がるのはもしかしたら、親戚の子どもの学芸会を見物する感覚なのかもしれない。
だけどやっぱり完成度なんて豚のケツだろ、と思う。

私はそれが観たい。
それだけを信じて、それだけを追い求めて、そのためにあらゆる労力と時間を費やす。
裏切られることもある。踏みにじられて傷ついたりしてもしてしまう。

それでも、諦めたくはない。
なしくずしの志であってはならんのだ。

舞台の上には、切り取って永遠に残せるような時間が創れない。
だからこそ、一瞬の隙間を求め続けること、追い続ける志だけが、永遠なんだろう。

【モグラ町1丁目7番地】11/3までの公演で残すところ4ステージ。
11/1 19:30 11/2 15:00と19:30 11/3 15:00
当日券のお問い合わせは こまばアゴラ劇場 03-3467-2743まで。


千秋楽まではどの回も大変に混み合いますので、ご予約下さった方、前売りをお持ちの方は、どうかお早めに受付をお済ませになって、よいお席を確保して戴けますようお願い致します。
当日券の発行、受付開始は開演60分前。
受付順に発行される整理番号順のご入場で、自由席です。

中央~下手(舞台に向かって左側)寄りのお席が、観易いお席です。
劇場の構造上、上手(舞台に向かって右側)寄りには、一部、楽団の演奏が見えないお席がございますので、ご了承ください。

劇場でお待ちしています。
  1. 2010/11/01(月) 11:08:45|
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