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仕事部屋

今年のおさらい。

帆太郎先輩はいつ電話しても「元気いっぱい」、月曜にレントゲンと言われていたのだけど、元気過ぎたのか整復したピンがまた曲がってきているとの連絡あり、そのままにしておくとピンと一緒に脚も曲がってしまって歩けなくなってしまうのでやはり手術した方が良いだろうとのことで、今日の午後が手術だった。

月曜にはまつじゅんの公演、マチネ千秋楽を観てだらだら飲んで打ち上げ合流で始発帰宅、その時点でブルブルがたがた震えていたのだけど、案の定の発熱で39℃越えの大盤振舞い、ちょっと治まったかなあと火曜の夜に近所の蕎麦屋まで出たのがよろしくなかったか、上がったり下がったりで現在は37.5℃をキープ中、手術の立ち会いしたかったのだけど、こじらせてまた自分も入院とかになったら年明けに予定している出張取材に差し障る、麻酔事故かなんかで帆太郎が目覚めなかったら入院させたあのときが最期になってしまうなどと考えるといてもたってもいられない。

自分自身この2ヶ月はらしくないほど出歩いていた、一年分の不義理を年末に解消するのが恒例になりつつあるけれど、それにしてもよく身体が保つもんだと我ながらに感心すらしていたので、一通りの予定を終えてほっとした隙間に悪質な風邪菌が入り込んだのだろう、5日からの出張前に終えねばならない自宅作業まだ二本あるので今日一日は無理矢理でも休養する覚悟。

ガタガタ震えて寝込んでるときほど犬の温もりが恋しくて寝入ると悪夢にうなされる、娘に来てもらおうと思ったら合宿中とのこと、侘しいなあと思っていたら小形くんがリポD一箱持って様子見に来てくれた、この頃孤独死の不安を散々聞かせていたからだろう、小児用バファリンと冷凍の鍋焼きうどんを買いに行ってもらい「よいお年を」と見送ったら院長から電話。

手術は無事に終わり、中のピンを抜いてプレート留めのつもりだったが骨を削らなければピンが抜けないので、ピンを入れたままプレートをネジで留めた、これで骨が真っ直ぐになったのでもう心配ありませんとのこと、安心して一眠り、熱があるときは寝入るのが早くていいのだけど、眠り続けていると身体のあちこちが痛くなる、風邪の高熱なんて子供の頃にはなかった、今年は犬も私も入院した、年末になってそれぞれおさらいしてる。

年を取ると愚痴っぽくなると俗に言うまったくそれを痛感する、不義理解消で立て続けに人と会いながら自分の話題がボヤキばかりで情けない、ちょいとは浮かれたこと言いたくて男の子の話したりするんだけどオチは結局ボヤキ、愚痴ったりぼやいたりしてるうちは色っぽいご縁も寄り付かない、せっかく独身になったんだから風邪で寝込んでるときくらいおかゆ作りに来てくれる男の子がいればいいのに、まあ駆けつけてくれる弟子がいるんだからそれも贅沢な愚痴だけど。

皆様におかれましても体調など崩されませんように。
穏やかな年の瀬をお過ごしください。


  1. 2010/12/29(水) 21:00:08|
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全裸元年。

帆太郎募金に協力下さっている皆様のお陰で、不安な気持ちがずいぶんと楽になりました。
本当にありがとうございます。
直接に「お見舞い」としてお金を下さる方、物資支援で私の生活を心配して下さる方、振込、郵送、ぷちカンパでの様々なご協力を戴き、有り難い気持ちでいっぱいです。

入院中の帆太郎に毎日電話をするのだけど「元気いっぱいで食欲旺盛です」と言われると、経過は順調と判っていてもやはりほっとする。
飼い主の姿を見ると興奮して動いてしまうから「帆太郎ちゃんに気づかれないようにしてください」と言われて見舞に行ってもガラス戸のこちらからそっと視るだけがいつも、こっちが淋しくなるので今回はまだ行ってない。
一週間もすれば動き回るようになって治癒が遅れるところ、三週間も入院させておくのだから、退院後の治りも早いんじゃないかと期待して淋しいのは我慢、それでも未だふっと犬の姿を部屋の中で探してしまう。

昨夜はWSの忘年会、今年は睦雄が欠席で後輩たちに申し訳なかったのだけど、長い付き合いになった元日活キャメラマンM氏がいてくれたし娘も来た、映画一揆俳優部も忘年会のハシゴで参加、自分の劇団にはナイショでWSに来ている某女優もいたし、滋賀から忘年会参加のため夜行バスで上京する物好きもいて、無事盛況。

何年前の忘年会だったか、三次会で流れたいつもの店で「脱げ」という話になり、睦雄や小形やタミヤスが全裸で踊ったことがあった、その話はよく皆にしていたのだけど、今年はブラック&スマートな小形が「前川さん、これでいいですか」と呼んだので見ると全裸でニコニコ立っていた、その横では全裸のままカウンター椅子から立てずにいるウッチー、店に居合わせたニューハーフのお姉さんが喜んでくれたので、見物に回っていた忘年会初参加組の男子を煽って全裸、局所に靴下を嵌めた青年たちが店を練り歩き、釣られて半裸になったニューハーフがきゃあきゃあその後を追いかけるという「吉岡越え」の儀式、言えば女子も脱いだだろうな、さすがに飲み屋では言わないが。

演劇のヒトはよく脱ぐ。
裸になることが気持ちいいらしい。
が本質は「そんな思い切ったことができる自分」を見知ることの興奮やヒトに笑われることの気持ち良さなんだろうと思う。
飲み屋で脱ぐことと演技で脱ぐこととは、まったく違う。
むしろ演技で脱ぐ方が恥ずかしいんじゃないかと思う。
酔って脱ぐわけじゃなく、脱ぐ瞬間に醒めるに決まってるんだから。
WSでは「演技する自分を恥ずかしく感じる」ことを教える。
恥ずかしく感じる心が素のこころなんじゃないかと思う。
人前で全裸になる恥ずかしさを知って、恥ずかしいと感じる素のこころを巧く自分の中に蓄えてくれたらいい。
何より、ささやかな踏ん切りで新しい経験ができる。
成長ってのは大きな変化じゃなくて、そうしたささやかな経験を積み重ねていくことだ。

昨年の忘年会帰りはテレポーテーションだったので今年はウコンとサフランで警戒、問題なく帰宅。

帰りの電車でウッチーと二人になったとき全裸一揆の話になって「なんかもう、こいつらの人生背負わなきゃなあと思ったよ」と笑ったら、「よろしくお願いします」と真顔で返された。
いやいや、もうすでに充分なんじゃないか、とも思うのだけど。

そういや今年のモグラ町でも全裸のおじさんたちをずらり並べたんだった、忘年会では全裸の青年たちがずらりで、なんだか助平な中年みたい、今度のオムライスに「裸好き」とか書かれたら嫌だなあ。


photo_20101224021900.jpg モグラ

photo-1_20101224021900.jpg 別居人

photo-2_20101224021859.jpg アゴラ麻子


  1. 2010/12/24(金) 02:21:19|
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帆太郎、手術。

帆太郎募金の厚かましいお願いに快くご協力下さった皆さん、本当にありがとうございます。
続々カンパ戴いて、心強い限りです。
現在、WebMoneyのポイントをキャッシュに交換しての計算で16,000円ほどのカンパを戴いています。
他にも「わんちゃんに」と直接手渡して下さった方、カンパしたいと連絡下さって口座に振り込んで下さった方もいらして、そのお気持ちに支えられています。

犬が怪我したくらいで大袈裟なと自分でも思うけれど、保護者(飼い主)としてはやはり凹んでしまい、自分の生活力のなさを改めて思い知らされてまた凹み、挙げ句、同級生の訃報が届いて不安絶頂、今もし私に何かあったら誰かが見つけてくれるまで犬が飢えるのだと考えると泣けてくる、毎日連絡を取り合う人もいない、訪ねてくる人もいない、出勤する会社もない身には、ある意味経済事情よりずっと切実な不安、twitterもしくはブログのどちらかが24時間以上更新されていなかったら訪ねてきてくれるよう、友人たちにお願いしたりして、いや本気で。

昨日、A動物病院の担当獣医であるA院長と電話で話し、本日15時からの手術で、以前挿入しているピンを抜いて新しい骨折箇所を金属プレートで留めると説明、手術は全身麻酔、特別麻酔に弱い犬種と聞いているのでいつも麻酔を入れるときに立ち会うことにしていて、本日も立ち会いでA動物病院、手術室でちょっとだけハグして、麻酔でぐったり脱力していく様を見届け「覚めたら連絡をください」とお願い。

病院を出たら、院長が追いかけてきてくれ、「伸ばすと真っ直ぐになるんですよ!」、どういうことかと慌てて手術室に戻ったら新しいレントゲン写真、ピンが挿入されている周囲の骨が折れているので皮とピンと神経と筋肉で脚がつながっている状態なのだが、そのピン自体が見事な90°で上向きに曲がっている、なので、ピンを真っ直ぐに戻すことができれば、そのままギプス固定して骨がくっつくだろうとのこと、切開手術は取り止めて、皮と神経と筋肉をむーんと引っ張って、ピンの部分を皮越しにぐいぐい押込む処置をすることに。

ぎゅむむむーん、ぐいぐい!とやって、レントゲン撮影、現像した写真視てピンの具合を確認、「もうちょっとかな」と見当つけてまたぎゅむむむーん、ぐいぐいぐい!とやって、レントゲン。
これを5回ほど繰り返したが、どうしてもピンの修繕は30°止まり、それでもそれだけで骨はすでに真っ直ぐに整えられ分断された隙間が残るだけの状態、ピンの曲がり具合が45°だと骨がくっついてからでも体重の負荷でピンが折れたりするそうで、院長曰く「30°なら大丈夫って言われてる」、あんまりぐいぐいやって中のピンが折れちゃ困るってのもあってピン30°でギプス固定、更にギプスを首に巻いたカラーのへりにガムテで固定、ヒトが腕のギプスを肩から吊るして固定するのと同じらしい。

帆太郎、ギプス終わったあたりで目覚めて猛烈な勢いで私の元へ身体を乗り出すも四肢に力が入らずに腰砕け、その後また麻酔を入れてうとうと気持ち良さげに目を閉じて眠ったところで病室へ運ばれて行った。

プレート手術はせずに済んだけどレントゲンばしゃばしゃ撮ったし、病院の正月休みもあるけれど、私が正月明けの出張取材があるので入院は前回より長め、来月10日が退院予定。
前回から考えると、その後2ヶ月くらいは経過観察、骨がくっついて骨折線が消えたらギプスが半分サイズに縮まって、また1ヶ月くらいの経過観察、ギプスついて歩くようになったら取り外し、という感じだろうと思う。
こないだんときは最初に2本埋めたピンがずれちゃってすぐにまた再手術してピンを1本抜いたのでギプス外れるまで6ヶ月かかったんだった、しかも「もう若くないから骨のくっつきが遅い」ってことで看護もへとへと、今回は長めの入院で順調に回復してくれるんじゃないかと期待。

プレート入れずに済んで良かった。
帆太郎の娘のみどりも骨折してプレート手術したし、完治の前にまた同じ脚を骨折したりしたんだった、そのみどりが一歳半で死んでしまって遺体を焼却したとき、お骨の中にぴかぴかしたスチールのプレートがあって、あんなに小さい身体でとなんだか切なかった。

動物を飼えば大概が死に際を看取ることになる。
そりゃもう筆舌に尽くし難い辛さだけれど、それを背負うことも動物を飼うことの責任だと、腕の中でみどりを見送ってしみじみ思った。

どんな人生だっていいから、犬より長生きしなくちゃなあ。

帰りに下北沢に寄ってWSのカズエちゃんと合流、カズエちゃんがカンパの代わりにおばあさまからたくさん贈られて来た蜜柑を分けてくれると言うので貰いに行った次第、一人で真っ直ぐ帰ったらたちまち落ち込んだろうから付き合ってもらえて助かった、お茶飲みながらバイト情報をあれこれ教えてもらったのだけど、聞くほどに自分にできることが如何に少ないかを思い知らされたけど。

私は、電気釜だな、と思う。
白米を炊くだけで、保温やおかゆモードやタイマーセットができない、旧式の電気釜。
新しい上等な炊飯器は野菜蒸したりできるのに。

それとも、下ろし金。
大根下ろさないからってフライパン代わりにはならない。
小説書いたり、芝居やったりする他に、私に何ができるだろうか、自信も確信もない。

凹んでいてもどうにもならないのでひとまず休息する。
来週以降の忘年会数件は、私が参加しないわけにはいかないし、せっかく犬の留守番気にせず飲めるのだし。
昨夜から手術の不安で一睡もできていない。
このところ栄養失調気味なせいか、足元がおぼつかず人前でよく転ける。
友人のところに行くのに自転車に乗ったら駅につく前に息切れして喘息発作が出そうになったので、帰りは友人のところに自転車を置いてきた。
因みにうちから駅までは0.9km。

明日は本当に絶対になんとしても休息する。
  1. 2010/12/18(土) 23:06:09|
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帆太郎募金にご協力ください!

私と帆太郎は6畳弱の狭いワンルームで肩を寄せ合って暮らしている。

寒かったから留守番がよかろうと犬を置いて出かけた。
食材の買い出しなどしていそいそ帰ったら、ドアを開けた途端にぎゃんぎゃん鳴き始めた。
みると、脚がねじ曲がっている。
ああ、またやったな、と抱きかかえてしばらくしたら泣き声は治まった。
かかりつけの獣医に電話して、状況を伝え、赤ん坊のように両腕で抱えて飛び出し、タクシーを拾った。
運転手さん「怪我ですか」、「骨折したみたいで」「行きつけの動物病院があるんですね」「はい」「…それ、カンガルーですか」。
前脚を縮めたまま、後ろ脚だけは硬直してぴーんと伸ばしているのを赤ん坊のように抱っこしていたので、カンガルーに見えてもおかしくない。むしろカンガルーなら骨折などしないだろう。

骨折箇所

左前脚は曲がるはずのない部分がぐにゃりと「?」の形になっている。
目的地に着いたが、両腕で抱いているので財布も出せない。そもそも財布にタクシー代があるかもわからなかったがひとまず待っていてもらい、動物病院に駆け込んで、レントゲンを撮ってもらう間に待たせていたタクシーに戻って料金を支払う。しっかりメーター上がってました。世知辛い。

レントゲン写真を前に「これは大変なことになってます」と獣医。

今年の1月に骨折してピンを埋め込む手術をした。しかも、一度はピンが抜けてしまったので二度に渡る手術。
動かすうちにピンがずり落ちてきて皮膚に当たるようになるかもしれない、そうなっても放置していると皮膚を突き破る可能性がある、皮膚に当たったら痛がるだろうからそうしたら連れてきなさい、と言われていた。
前回は、一目見て完璧に折れてるのがわかるくらいぶらんぶらんになっていたので、ぐにゃっとなっていた今回はピンがずれたのだと思った。
「新しい骨折ですね」!
ピンが通っている周囲の骨が折れたらしい。
「痛いんだけどピンが入っていてぶらぶらしないからまだ耐えられている」状態で、以前の骨折箇所と近いのでかなり難しい手術になる、治りも遅いだろうとのこと。

帆太郎はいつもベッドの上に常駐で、留守番のときには布団の中に潜り込んでいる。
私が帰宅する気配があると、猛烈な勢いで布団から抜け出し、ベッドを飛び降りて玄関に駆けつける。
この、ベッドから飛び降りる、というのがどうも下手らしく、前回も今回もこの着地で転けたんだろう。
同じ脚を先に着く癖があるのでしょう、と獣医。
メタボ気味と他の獣医にも言われていたから、着地のときに自分の体重を支えられないってことなのかもしれない。
まったく情けない!などと叱るわけにもいかない。
とにかく動物の不具合は不憫で居たたまれない。
犬は痛みに強い動物で、多少の痛みはじっと耐えるものだそうだから、あれだけぎゃんぎゃん鳴くのは相当な痛みなのだろう。
何より、あの困った顔。
「なんだか脚がぶらぶらしててうまく歩けないんだけど、これ何?」と訴える顔。

しかしこちらも困った。
タクシー代を支払ったら財布が空になったので、そのまま入院させるも請求された内金が支払えず。
前回の治療費は二度目の手術が格安対処でおよそ25万、とても都合できない。
私はこの1年、友人たちからの借金で暮らしていて、出歩く用件が多かったこの二ヶ月ほどは自分の食費すらおぼつかない有様で、もはや借りるあてもない。

恥をしのんで見知らぬ方々のご厚情に縋るしかない窮状、笑って小銭を施して戴ければ、有り難いです。

帆太郎募金WebMoney ぷちカンパ

ぷちカンパというシステムを利用しています。
ぷちカンパってなに? → http://www.webmoney.jp/service/kanpa/useKanpa.html
コンビニなどで購入できるWebMoneyを使ってカンパしてください。
WebMoneyってなに? → http://www.webmoney.jp/guide/index.html

そういや今日、センキが数秘術を見てくれた。
曰く「才能があり強運に恵まれた人生、だが、思わぬ落とし穴に注意」。
落とし穴だらけの人生やってる飼い主に寄り添ったのが運の尽き、寝て食べて走るだけの犬人生、また走れるようにしてやりたい。

どうかご協力戴けますようお願い致します。                           帆太郎サンタ 
  1. 2010/12/16(木) 22:11:05|
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12.8

火曜、井土紀州監督の新作「ピラニア」試写@アートポート、スピリチュアルムービーズのY氏、真起子、いまおか監督、古澤監督ら続々集結して、テレビ鑑賞の妙味。

青春Hシリーズ」かなり厳しい条件での企画と耳にしているが、第一弾の「Making of LOVE」(古澤健監督)がとても面白く、うまく続けば日活ロマンポルノのような創ることの純粋さを生み出せるかもと期待が湧いた、いまおか作品は見逃してしまったが井土作品の後続にはモグラ町メイキングでお世話になった榎本監督、いつもお話できるのが楽しみな鎮西監督も控えているらしい。

「ピラニア」、少女と少女が惚れたイケメン、それを見守るダメ男の吉岡睦雄が主軸の変則恋物語、「犀の角」以降の井土作品に覗けた軽妙さ、明るさ、優しさが随所に煌めいて素敵、個人的には井土さんの底暗さを活かしてかつてのATG映画のような男の屈折純情が観たかったけれど、きっちりダークサイドを盛り込みつつ青春Hのお題に相応しい可愛らしを孕んでいる。

真起子は「やっぱり吉岡は女の子の扱いが巧い」と感心していたが、ド素人丸出しの少女が眩しげだったのが吉岡の功績だとしたら大した役者になったもんだと思う、リアルとデフォルメきわきわの人物造形で空虚に転ばないバランスは持ち前のセンスだと思うが、いつかどっぷり本質的な屈折純情を演って欲しい。



井土紀州監督作品「ピラニア」は12/18からポレポレ東中野にて10日間限定レイトショー公開。

古澤健監督作品「Making of LOVE」はセルまたはレンタルのDVDで。

試写後ぞろぞろと桜ヶ丘のジョイタイムに移動してお茶やらビールやら、良き時間にまた連れ立ってユーロスペースに移動、映画一揆「泥の惑星」、最初に観たときにさらっと見落とした好きなカットを発見できただけで充分に満足、やっぱり私は本物の青春にはキュンとこない体質なんだなあと痛感、若い子たちが「がんばりました」と言うほどに「大したことやってねえじゃん」と嗤いたくなる底意地の悪さをひた隠してまた宴席。

「がんばってる」若い人を見て感じるのは、かつての自分を映し込む甘酸っぱい小っ恥ずかしさなんかじゃない、もっと質の悪い、軽蔑と嫌悪だ。
がんばってる若い人を柔らかい気持ちで見ることのできない自分が恥ずかしいから、若い人が嫌いなのだ。
誤解を恐れずに言えば、若い奴は皆死ねばいいのにと思うことすらある。

自分だって子供の頃には「がんばりました」と涙する舞台を毎年やって育ったのに、大人の七転八倒を見知ってからは子供である自分のすべてを恥じた、以降は若い奴を徹底して見下している、羨ましく思うことなど微塵もない、若いってだけで、ただひたすらに無知で怠惰で傲慢無恥な、ただの阿呆としか思えない、年上の人から見た自分ですらその枠だと判るから鏡映しに嫌悪するのだけど、若い頃大人に混じっていると自分も大人になったように錯覚して恥をかいた、それと同じように、今の自分が若い人と関わっていると自分もまだまだ若造であるような錯覚で傲慢無恥になる自分を恥じ、挙げ句に実年齢と経験の差にはっとさせられ、また恥じる。

結局のところ、一生恥じ入って生きるんだろう、何故なら恥ずかしいと思う感覚があれば何だってできるから。
確かに私は羞恥心のない人を信用しないし、尊敬しないし、魅力を感じない。
といって「生きることの恥ずかしさ」からは、やはり逃れられない。
あらかじめ失われた子供時代への歪んだ羨望と嫉妬なのだろうけれど、たとえ一歳でも若返りたくなどないし、もう一度子供からやり直せと言われたら死んだ方がマシだと本気で思う。

ああ、寝て起きたら60歳とかになっていればいいのになあ。

映画一揆「泥の惑星」は渋谷ユーロスペースにて、いよいよ金曜までの21:00~レイトショー。
  1. 2010/12/08(水) 21:35:58|
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師走。

一ヶ月前に公演が終わったばかりとは思えない、なんだかもう大昔のような気がする、終わったらあれもこれもしなければと思っていながら何もできていないせいか、七里圭に始まって井土紀州という同世代監督の仕事を追いかけ続けているこの一ヶ月、当然のように宴席に上がり込んで相変わらず偉そうなこと言ってるのだけれど、最早そういう自分を恥じる暇もないほどに毒されて、ぐったり朝方に帰宅してもなかなか寝付けない日々、犬に添い寝されながらイライラじりじりと自分の行く末を思い、不安と焦燥で眠りも浅い。

やたらと映画に詳しい若い人たちと話していて、ふわっと優しい気持ちになれることも多いのだけど、ざくざく足踏みしている若者の大群に飲み込まれているような錯覚で恐怖することもあって、憧れて近づいた諦めと開き直りと我道の力強さすら蝋燭の炎みたいに思えて触れられない、ついこの間まで同じ作り手がそうした場の熱気にやられて倒れ込む様子を視るたび何をそんなに怯えるのだろうと不思議だったけれど、ああこれは怖いやと気づかされた。

今年中にやろうと思っていたことが何もできないまま想像すらしなかった出来事の対応ばかりに追われていたと自覚しつつも、期待したような進歩も変化もなく、落とし前のつかない人生やってるなあ、うっかり放り出せないものばかり抱えてるなあ、身動き取れなくなる一方だなあとため息。

親もなく夫とも子どもとも離れ家も仕事もない、ようやくこれまでの短い人生で一番自由な時期を迎えているのに、いざとなると何もできない及び腰、環境やら体調やらのせいにするほど大した野望はないけれど、自由はいつから呪詛になったのか、何でもできるどうにでもなれると思うほどに何をすべきかと考えてしまう、それ以前に違う自分になれやしないと承知しているせいなのか、ただもうかつてわずかな自由を手にしていたときほど自分が若くはないという現実のせいなのか、ひたすら借りが嵩む人生のせいなのか、いっそもっと飢えればいいのにと思ってみたりもして。

私の置き所がなく立ち竦む少女にも、女のやり場がなくなって迷走する中年女にもなれない、闘う若さも護る賢さも持てない、長年願い続けたように這いつくばってでも生きる図太さには近づいているのだろうけれど、それはこんなことじゃなかっただろう、ただあと一歩を前にして張り付いている足にばかり目がゆく、焦るな焦れるなと言い聞かせて多くを飲んできたツケかもしれない。

他人と出逢い関わることだけで人生が動いてきたこれまでとは、もう違う。
今の私が出逢い関わることで動くものはすべて他人のそれだ。
留まるところを望もうが望むまいがそうなる時期なのだろう。
すべきことと覚悟は整っているし、恥を重ねる時間はまだまだこの先いくらでも余ってるし、タイミングだけが掴めなくて焦れてるんだよなあ。
承知の上で、頭の中の焦れが自分の足先に伝わるまで、まだ待つ。
そのときがきたら大変な忙しさになるぜと暢気な自分を、周りはもう動いているよと煽る自分もいる。

そうか、5月にはまた芝居やるんだった、てことは3月には台本ないといかんのだ、その前に動いておきたいいくつかのこと、それを考えると待ってる場合じゃないよなあと、ほらもうジリジリが駆け巡る、つまり束の間何もしていないときはいつもそんな感じで、何かを待ってじっとしてたことなんぞありゃしないのだが。



12月ワークショップ 参加申し込み受付中
12.11~12 18:00~22:00 @南阿佐ヶ谷ひつじ座
申込〆切は12.10正午まで。
  1. 2010/12/01(水) 18:31:28|
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