青春Hシリーズ、鎮西尚一監督の「ring my bell」をサンプルDVDで観せてもらった。
もうね、そもそもわたしは鎮西さんという人が(鎮西の映画が、ではない)大好きなものだから、始まりからドキドキしてしまうし、わたしはただ鎮西さんの見ている世界が視たいのだと、3分くらいで確信してしまった。
野暮なワイルドさ溢るる男子2人と短い合宿生活を送る幼なじみの女子1人、その3人を中心に、少しもエロくない人たちがまったくエロくない日常を送る、その「エロの気配のなさ」にものすごくドキドキした、これは単純にわたしのエロのツボってことなんだろうけど。
いくつかある「水辺の二人」の距離がどれもいい。
いつもの朝練に異物が混じった瞬間の、うっすらしたやる気の見え方がいい。
自転車仰いで抜ける空がいい。
朝と昼と夜があるのがいい。
俳優たちは皆、一挙手一投足がぎこちない。
恐らく演技の技術などは欠片もなく、「演技をする」という意識に支配されて日常的な感覚を見失っていたりする。
映画出てよと言われてのこのこやってきて、「そのまんまそこにいる」人たちに見える。
そこに、「演じる」というフィルターがしっかりと置かれている。
つまり「自然な演技」という一番たちの悪い大ボラがない。
当たり前に「演技」ができる人なんて、日常では圧倒的に異質なわけで。
そういう人たちがずらり並んで「自然な演技」なんぞお披露目したりするともはや魑魅魍魎の世界じゃないか。
宝塚歌劇団のように作り込むことで完成された非日常世界であればともかく、「そのへんのものを借りてきた日常世界」(の延長であるローバジェット映画の物語世界)にそういう人がいると、わたしなど猛烈な違和感を持ってしまう。
そういう「日常との違和感=演技」みたいなおかしな理屈を飲み込んでいる人たちが作り手側にも観客側にも存在するのは事実だ。
だけど、その手の俳優は、つまるところ、「日常に生きられない」=「そのままそこにいることができない」不正直な、中途半端な技量の、ろくでもない役者なのではないか。
ほんっとーっうに徹底した巧さを持つ役者なら、そうはならないんだと思う。
この、至極曖昧な持論における「そうはならない」という立ち位置を意図的に目指すのは至難の技だ。
演技がもの凄く巧いか、演技などまったくできない(もしくは演技しようとしてしまうぎこちなさが残るような)ものすごくそのまんまか、どっちかしかないんじゃないかと思っている。
「ring my bell」の役者たちは、言わずもがな後者だ。
彼らは、「演技をする」意識を持たずに演技ができてしまう人には絶対に辿り着けない向こう側に、生きている。
鎮西さんは、絶対にそういう人たちを「そのまんま」撮りたかったんだろうと思う。
そういう人たちを「そのまんま」いさせるには、コツがある。
そこんとこがものすごく徹底しているから、「巧い!」と手を打ちたくなる。
絶賛公開中の「終わってる」は鎮西さんがやったこととはまったく別の手段によって構築された世界で、あの役者たちを「自然な演技」(わたしの理屈ではまったく不自然なわけだけど)と評価する人も多いんじゃないかと思う。
もちろん、「終わってる」の役者たちは皆どうこうの理屈じゃなく「いい」わけですが、それは俳優のお仕事としてのやるべきことがきちんと過不足なくこなされているってことで。
でもさ、やっぱり「そのまんま」には敵わないよなあ。
「そのまんま」を要求されている以上、それができるのは同じように過不足なく役割をこなしているってことなのだし。
彼ら、きっと自分たちの手で向こう側のドアを開けたんだと思う。
「演じる」ことの本質を、体感したに違いない。
わかんないけど、少なくともこの映画には、そう映ってる。
いけねー奴にはどうあがいても一生いけねー世界があるんだよ。
その瞬間を、映画としてそこに切り取れるのは奇跡だと思う。
だから、わたし観終わって「おめでとう!」と思った。
この映画が撮れたこと、観られること、関わった人たちみんなに「おめでとう!」と祝福したくなった。
青春Hシリーズには、エロに頼った挙げ句すってんてんになった過去を忘れたのか、という意見もあると聞くけれど、わたしは青春Hシリーズの価値はエロじゃないと思うんだよなあ。
井土監督の「ピラニア」と今泉監督の「終わってる」があり、古澤監督の「Making of Love」と鎮西監督の「ring my bell」がある、その幅の中にも外にもちゃんと未来があるじゃんと。
鎮西さん、「モグラ町」好きと言ってくれていた。
へえー、ああいうの好きなんだってちょっと不思議な感覚だったけど、わかった。
わたし、多分ちゃんと鎮西さんが見ているもの、視えたと思う。
ま、実際のところ、作り手が何を思ってどう撮るかなんてこと、わかりっこない。
だけど、こんなふうに「!」と、きっと観る人それぞれ好き勝手な「!」を某か思わせるってことが重要なんだから、全部誤解と笑われてもいい。
ああ、やられたなあ。
ぐいっときました。
鎮西さんがこれ撮った、てことを考えるだけで、胸が熱くなる。
泣きそうだ。
「終わってる」があって「ring my bell」があって、「再会」。
榎本さんとトークで話せること、たくさん浮かんできた。
青春Hシリーズ 鎮西尚一監督作品
「ring my bell」3/19~3/25 榎本敏郎監督作品
「再会」3/26~4/1 ※3/30 アフタートークに出演します
ポレポレ東中野にてレイトショー公開
2011/03/11(金) 03:40:12 |
雑感
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