仕事部屋

稽古入り。

劇団鵺的【昆虫系~改訂版】、稽古入り。
稽古初日に台本を戴いて、初見で台本読み稽古、さくっと終わってその後は飲み会と、まあどこに行っても大体そんな感じか、演出を担当していると稽古初日からずっとあれやこれやと考えること決めることが続いて頭が働き通しになるのだが、今回の鵺的は役者参加なので大変に気楽、考えることも決めることもなくて何やら手持ち無沙汰な気がしてくる。

第三エロチカの宮島さん、流山児事務所の栗ちゃん、広尾コレドのSOUL OF COLORSシリーズに出てもらったテッタさん、WSサマークラスに参加してくれたことのある平山くんと、馴染みの顔の奇遇も心地よいのだけど、初めましての俳優さんたちが興味深い。

うちお一人はこれまた奇遇にも睦雄さんの大学時代の先輩の彼女であられたとかで、睦雄さんもチラシのお名前で大変に懐かしがっており、その俳優さんも過日にお渡しした台所純情のチラシですぐに睦雄さんと気づいたらしく、へへえなんだかくすぐったい時代のくすぐったい思い出に挟まれて不思議な気分。

神農幸さんは、だいぶ前に拝見した映画で屋根の上を走っておられ、その印象がとても強くて素敵な女優さんがいるなあと珍しく記憶していた方なので、今回ご一緒できることは大変に嬉しい、しかも、モグラ町や台所純情で音楽を担当している熊坂くんの、お兄さんの映画にも出ておられたし、その監督である熊ちゃんの兄さんとは今年の正月に心の実家としている熊坂家において初めてお会いしているので、それらの微かなつながりを頼りに人見知りせずお話させて戴いている。

寺十吾(じつなし・さとる)氏は名優であると川瀬陽太くんなどから聞かされているが、演出作品を一本拝見しただけで、未だ正体不明な感があるも、初日の感触では、丁寧かつ適当な加減の方とお見受け、これまたきっちりきっちり隙なく構築された高木さんのホンをどう解釈されるのか楽しみ。

高木さんのホン、面白かった。シナリオライターが本職の方なので私などが面白いとか言うのも偉そうで失礼だけど、ト書きも細やか、動線まで神経症かってくらい書き込まれていて、これはこれでもう既に世界が出来上がっているので、役者がやることは、それを一旦再現した上で壊して組み立て直すことになるわけだが、なんせ稽古は一ヶ月ちょっきり、かなり前のめりになっていかんとならんなあというのが印象。

本読みの感触で、この座組での自分の役割はなんとなくわかったので、そこんところを中心にどれだけ幅を持って遊べるかを試したいところだけど、うふふ、さて何ができるだろう。

余り大きな劇場ではなくお席に限りがある上、既にぐいぐい前売りが出ているステージもあるそうなので、ご予約はどうかお早めに。
専用ページがありますのでコチラのフォームをご利用ください→ 劇団鵺的【昆虫系~改訂版】


来週は稽古をお休みさせてもらって、ちらっと富山、かねてから親交のあった富山大学の深谷先生との二年越しでの計画がようやく実現、「へばの」上映。

午前は大学構内、夜はギャラリーでと変則的な上映ですがどちらも無料、原発映画と言われるのは不本意に違いないのだけど、核を持つ国で暮らすことを身近に捉える間口となる物語、それでも真の目的はモノ作りの土壌がある富山の若い世代に、作ったモノをどうするという問いかけをすること、「へばの」を制作する桑原くんのチームがどのような姿勢でそれを続けているか、それを伝えに行くことが目的。
入場無料、夜の部は座談会もあるので、足を延ばせる方は是非遊びにいらしてください。

【へばの】上映会@駅地下芸文ギャラリー ←クリックするとフライヤーがダウンロードできます


先日、親方が新居に遊びに来てくれ、作り置きのおかずを並べて夕食、その後は差し入れ持ってきてくれたKちゃんやIさんとちまちまおかず談義、新居のキッチンが玄関の真ん前、部屋全体の中央にあるオープン型なので自然そうなる、越してきてから何より嬉しいのは台所の充実で、なんだかんだ部屋にいる時間のうち半分くらいは台所に立っている、三食きっちり作って食べるので大変に健康になった。
椅子がたくさんあるせいかしばしば友人が立ち寄ってくれる、一人暮らしでないと息が詰まるくせに、そうやって賑やかな時間を保たないと張り合いが持てない性質らしく、それに見合った「君らしい部屋」と親方、暮らしは大事だなあとしみじみ思う。

その中でようやく長編小説の案がまとまり、充てのないままプロットに取り組み中、先日お会いした岸川真さんにお知恵を戴いたりしながら、初めてついて戴く編集氏とこそこそ相談を重ねているところ、稽古があるので時間ばかりはままならないが、これまでのなんでも一気集中で大雑把に取り組むやり方を変える時期なのだろうと思う、その為の充実であるよう台所ど真ん中の暮らしを心する所存。

深酒は相変わらずの悪癖で、先日も「高田純さんを偲ぶ会」で懐かしい人たちと顔を合わせ、うっかり二十代の気分で飲み続け、ちゃんと帰ったはいいがアパートの玄関前で数時間眠りこけるという失態、そんなことも含めて、やっぱり今の暮らしが楽しい。

真夏に備えベランダにゴーヤのプランターを置いた。
他にもくちなしや虫食いでみすぼらしくなったレモンの木、小さな花の鉢がいくつかある。
Kちゃんから分けてもらったレバーの糠みそ漬けがびっくりするほど美味しかったので真似したく、今年は糠床作りにも挑戦の決意、毎日コツコツ少しずつ時間かけても丁寧にという、私にとってかなりの難儀をテーマにするのに、糠床ってのはちょうどいい気がする。


講談社から刊行された【日本の作家60人 太鼓判!のお取り寄せ】という本に参加しています。

お取り寄せ

美味しそうなものがずらりの本です。書店でお求めください。

  1. 2011/06/28(火) 13:14:27|
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6.20

随分とブログをサボってしまっています。

長らく引越荷物の段ボールが片付かずにいましたが、モグラ町や台所純情で美術担当の井上さんが引越祝いに壁一面の棚を作成してくれ、それが搬入された途端にすべてが片付いて快適な新生活です。
いつも仕込みに来てくれている井上さんのところのスタッフさんも一緒に資材を運び込んで、その場で微調整をしながら組み立てる様子はテレビの改装バラエティーのようで劇的でした。

そして、棚のお披露目会。
WSやガンホ会の連中10人以上が集まってわいのわいのと自宅飲み。
犬小屋に居候状態だった旧宅とはまるで別次元の賑わい、いつの間にかたくさん集めてしまった椅子の全部に人が座っている状態が、この先にまたあるかどうか。
酔っぱらったらベッドに直行できるのが自宅飲みのありがたさ、起きたら客人達がきれいに部屋を片付けてくれていて、感激しました。

WSでは、かねてより計画していた都電に乗車してのエチュードを遂行。
Ustにアップしています。
【都電エチュード】1日目 #1 #2
【都電エチュード】2日目 #1 #2
周囲の反応と役者たちのしれーっとした顔が面白かったので、またやりたいです。

合間に、一色伸幸氏と岸川真氏との会談にお招き戴いて若くない物書きで会食、たくさんの知恵を分けてもらって書くことをちょっと思い出しました。
作・演出のお仕事相談などもあって、演劇からもまだまだ離れられない感じ、別の日は深夜にタクシー走らせて七里圭氏、木村文洋氏、高橋明大氏に合流、原発や放射能の憂いから遠く離れた下世話な話題を提供して呆れられての朝帰りなど、中央線ならではの飲みライフが始まりつつあります。

さて一週間後には稽古入り、その前に久々取り組み体勢の書き下し案をまとめたり、高田純さんのお別れ会があったり、あたふたするうちきっとすぐ、本番終わるまでは体力勝負。


  1. 2011/06/20(月) 14:12:26|
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若きロッテちゃんの悩み。

青春Hのセカンドシーズン【青春H2】が始まっている。

第一作は白石晃士監督作品「超・悪人」、冒頭のしじみの存在感がすでに怖いのだけど、そこが怖過ぎちゃってその先の凄みがかき消されてしまった感じ、宇野祥平は魅力的だけどベルギー映画「ありふれた事件」のブノワにはなれず、白石さんとはお会いしたことないのだけれど、モグラ町は余りお好みではなかったようなので、単に好みの違いなのかもしれないですが、「超・悪人」が「悪人じゃない」のは悪を「超」えてそこに行く流れと思ったのに、最初から悪人じゃない辺り、草食系。

二作目は我らがいまおかしんじ監督作品「若きロッテちゃんの悩み」が6/4~6/17 @ポレポレ東中野でレイトショー21:10の公開。

これは傑作だったなあ。泣いたなあ。ほろほろ泣いた。
どこでキタとかじゃなくて、なんかもう女の子の若さとか男の若くなさとか女の子の彼氏のクズさとかその彼氏が連れ込む女の不貞腐れ具合とか、泣くしかないようなシチュエーションがぴっちり埋め込まれていて、時間の経過と共にほろり涙した。女の子が部屋に帰ったシーンは「牝」だわね。

観ながら、今岡さんはもう若くないんだなあ、なんてことをふと思った。
出だしは「老いて尚童貞心を忘れない男」とキャッチフレーズをつけそうになるくらいのトーンだったけど、進むうち、あ、これは老いだな、成熟だな、と感じた。

振り返ればすぐそこに青春があるような世代には、こういう映画って撮れないんじゃないだろうか。
なんだろう、距離感かな、青春の日々との。
車窓に切り取られる海辺の景色の違和感、やむを得ずなのだろうけど、あんなところもぐっと詰まる。

継ぎ接いだ記憶に時間を流し込むことが、我が身の切り売りってもんだよなあと。
経験や記憶をそのまんま組み立てて映画にしたってどこも痛まないよなあ。
継ぎ接いで、すり替えて、しれっと他人のふりをする距離感に、アイタタタタ…って思うもんなんじゃないのかなあ。

少なくとも、私はそうだ。
小説でも芝居でも、最後の最後には我が身から絞り取ったものなんて、一針分くらいしか残らないけど、経験や記憶や感情を「切り取る」「継ぎ接ぐ」=物語に「すり替える」って作業を夢中でこなして、別のものになったと思った瞬間が、いっとう痛む。

その昔に観たいまおか作品にはまだ今岡さんの触感みたいなものが残っていて、生々しく感じたように記憶している。
吉岡が出ていたからそう感じたのかもしれない。
でも、今岡さんは自分の身代わりにできるようないい具合の俳優を見つけたんだなと思った。

いい映画をたくさん撮っている人だから、もっと名高い傑作もあるのかもしれないけれど、私が観た数本の中ではこれが一番好き。
青春て、まっただ中でなくてもいいんじゃんね。
キラキラしてなくても、甘酸っぱくなくてもいいんじゃんね。
がびがびのぐずぐずのぼそぼそのそれだって、それが青春なんかじゃなくたって、「失われゆくもの」が見える距離に立てれば、そこに見える景色は「青春」なんじゃんね。

いい映画だったな。
実は、私の新居はポレポレ東中野にかなり近い。
これまではユーロスペースやアップリンクに近かったのだけど、どうしたことか今度はポレポレに近い。
今岡さん、深夜にしか戻れないけど、飲むとき電話ください。
映画、褒めてあげるから。






本日6/3(金)、【母娘監禁・牝】@渋谷シネマヴェーラ最終日!
上映時間は 12:25/15:15/18:05/20:55 です。

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いまおかしんじがこの映画を観てわざわざ水戸のテレクラに行ったという傑作青春映画!


明日6/4 10:00~、鵺的【昆虫系~改訂版】チケットのお取り扱いを開始します。
こちらのページからお申し込みください。 → http://ticket.corich.jp/apply/21832/008/


昆虫系本チラシ表面

前評判上々、チケットのお求めはお早めに!
  1. 2011/06/03(金) 04:40:54|
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淡々のとき。

改訂版のホンは書き上がっていると鵺的の高木さんから聞いて、緩やかに緊張を高めている。
まだまだ部屋の半分は段ボールで通販購入の椅子ばかりが続々届いてすでに狭苦しく、復帰したバイトは連日予想外にハードで、書いてない、書けない後ろ暗さから世話になっている編集者への返信ばかりが後回しになる。

全部吐き出したつもりだった純情が、身体の内側にこびりつくように残っていると気づいてから、日々が重い。
何事でもないはずのこと一つひとつを繰り返し反芻して懐かしむように病んでいく様はまるで恋の病だ。

まだ慣れぬ道のりを深夜にとぼとぼ歩いての帰り道、一人で生きることはとても美しいことだと感じた。
淋しさやなんかの、決して有り難くはないそれらをコンビニ袋に詰め込んで、明かりのついていない部屋へ黙々向かう自分を、強いなどとは思わないけれど、そういう痛みを持ち得る自分の現在が、そりゃもうなんだかとても尊くて、ちょっと鼻歌混じりになったり。
誰のためでもない自分のための時間や空間を持つことの誇らしさだろうか。

護るものを持つことを不自由とは思わない。
そこに今の私が感じることとの違いはない。
捨て切れないものを持つことで自由を感じることだって絶対にあるのだ。
かつて首輪やら鎖やらをつけられて生きていきたいと願っていたはずの私なのに、今はもうそれがいらない。
そのことが、嬉しい。

嬉しい楽しいなどと能天気に生きるにはそこそこに食わねばならず、そこそこに食うにはそれなりに働かなければならず、それなりに働くにはそれ以上の歓びを隠し持たねばならず、歓びを隠し持つには耐え忍ばねばならず、耐え忍ぶには与えられるものがなければならず、与えられるには自ずから与えねばならず、そうしたメビウスの輪の中をとぼとぼ歩き続けることを生きることと呼ぶのであれば、しっかと生きているに他ならず。

自分を見失って覚束なくなるのは舞台の上だけでいい。
実際、現実にいても見失って覚束ない自分であろうと、「しっかと生きてるではないか」と足元を見る隙だけはある。今はまだ。

体調はすこぶるよろしくない。
稽古入りに備えて体調や生活を整えなければならない時期なのだけど、まだもうちょっと燻っていたいような気がする。
護るつもりがあるわけじゃないのに、捨て切れないものだけが、何かあるような気がする。

善博さんも由美香さんも先に逝ってしまった。
とぼとぼ生きる自分の時間を秒刻みに愛おしく感じることは、残された刹那なんだろうか。
このまま終わればさぞや美しいだろうに。

若い人が思うそれとはちょっと違うのだろうけど、「何をしたいわけでもない」、強いて言えば「何もせずにいたい」時間。
生きることをサボっているような後ろ暗さを振り払いながら。

けれどやっぱり今の私はかつての自分とは比較にならないほどに健全で、純情で、単純で、不器用なのだろう。
そういう自分でいられる時間を楽しんでいるようでもある。

失恋の特効薬は新しい恋だと言う。
まったく同じように、今は次を欲している。
何もせずにいたいと思っている自分を試すことに過ぎないと承知しながら、落ち着きなく動き出したい気持ちがある。

明日も来週も来月も、自分がどうなるのか、今は皆目検討がつかない。
「どうにもなりゃせんわい」と開き直ってもいるくせに、「どうなることやら」と不安がっていたりもして、そういう覚束なさを日常に取り込むのが久方ぶりなものだから、もう少し味わっていたいんだろう。
恋のようなというよりは、赤ん坊の指しゃぶりのようなそれ。
言葉にするほど真実から遠ざかるそれ。

だけど湧き上がる言葉を溜め込むのは重い。
こんなとき、小説が書けたらいいのになと、小説書きのくせに焦がれる。

自分がいつの間にか、待ったり願ったり望んだり逃げたり疎んじたりせずに日々を過ごせるようになっているとわかって、鼻歌。

何もないわけじゃない。
何もないはずがない。
だけど、私のそれは体内に同化して、淡々としている。
流したり煮立てたり冷ましたりせず、 截拳道の教えに従うまで。
今しばらくは、淡々のとき。

その間、お風呂マットの値段に詳しくなったりしてさ、しっかり掴んだはずの掌をみれば空っぽで、一瞬だけぽかんとする、そんな日々をね。
  1. 2011/06/02(木) 05:07:38|
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