仕事部屋

三つのお願い。

私はその人に、いつもいつもお願いごとをしたり、望みを伝えたりするばかりで、その人が私に何を望んでいるのかを確かめたことがなかった、だけどふといつでも全力で折り合って応えてくれるその人に気づいたとき、ようやくどうして欲しいのかを訊くことができた、とてもシンプルなその要望を私はしっかと胸に留めて、それから他にも何かその人が望んでいることがないだろうかと考えて、どうでもいいような会話の中からいくつかの言葉を拾い上げた、それはもしかしたら心から欲するような願いじゃなくて、ただなんとなくそう言っただけのことなのかもしれないけれど、私は自分のためにそれを拾ったんだろう、来年の目標として、その人との会話から拾い上げた3つの要望に応えることを決めた、1つは私の心身の置きどころの問題だからまあいい、1つは煽られたようにすぐ動き出してもう決めたからこれもいい、もう1つだけ、どうしても自分一人じゃどうにもならなくて、あちこちに協力の声をかけた、わかった見つかったら声かけると言ってくれる人はたくさんいて、それでも具体的に動き出すようなそれにはつながらなくて、タイムリミットがあるから半ば諦めかけていた、それが今日、不意に思いついた用事で信頼する同志に連絡をして、ついでのように相談したら、するすると話が動いて見通しができた、興奮しつつも「本当にやれるのか」を考えてどこか頭の芯が冷たい、もちろんすべての物事は「やれる、やれない」じゃなく「やる、やらない」だけのことなのだけど、親しい人を頼ってしまったことにちょっとズルしたみたいな気持ちがあって、そんなふうに考えるのかもしれない、ともあれ、私は野垂れ死の可能性を考えての生き急ぎ宣言をしようと思う、誰かのために何かをする、それが自分のために何かをすることだとしみじみ判っているから、私が出す結果にその人自身は満足しないのかもしれないけれど、「応える」ことがまずは最初だと教わったから、無理なんかしないしできない、そのまんまに、私は私の全力で応える、これは実際なかなかに発展的な考え方じゃあないか、なんせ私は全力とか全身全霊とかの類いがまったく苦手でそれだけを避け続けて大人をやってきた、こんな機会は二度とないかもしれない、全力が出せるかてんで自信はないけれど、全力を出したいと思えるだけで私自身にとっての素晴らしい発展なんである、やあやあ、やろうぞやろうぞ、やってみせようぞ、それまではどなたさまもどうかご無事で。
  1. 2011/11/30(水) 01:00:55|
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たまに、ひらひらしたりする。

夜中にタバコを買いに出たら空気がすっかり冬っぽくてなんだか切なかった、もう今年も1ヶ月しか残ってない、あれこれ大事なことがまだ何も片付いていないのに、妙に気持ちが焦って年末の大掃除を少しでも楽にしようと台所の掃除をしてみたりして、書き出したまま放置している小説の出だしを読み返したりもしてみるのだけど、とっくに萎えた恋のことなど今更思い出しようもなく、最中に書きゃいいんだけどもそういう最中には書けない性質で、これネタにしてやれと思う頃には終わりかけているのが大概で、終われば次にいくわけで、次が始まっちゃったら思い出せない、つまり終わりかけてぐずぐずした状態が長く続くような具合のよろしくない恋愛のことしか書けないってことで、それが自分であんまり好きじゃないもんだから恋愛モノには腰が重くなる、そもそも最中に書けないって時点で向いてないんじゃないか、恋文はせっせと書くくせに、恋をしている自分を曝すことに怖じけているのか、ただ単に妄想恋愛が苦手な現実主義だからなのか、ケチケチしているのか、出来事を書き並べるのが苦手で自分の内面ばかり面白がるところがあって観念的な文章になりがちな分、恋愛モノで鍛えたいとは思うのだけど、苦手意識が強すぎてどうにも腰が退けたまま、どうにか突破口ないもんか、昨夜はバーチャルダーリンを付き合わせて久々の本格飲み、といっても用心深くなって朝まで突っ走ることなくちゃんと階段上まで送られて深夜に帰宅、恋愛話に転がってもどちらともなく仕事の話に引き戻してしまうのはお互いの性質なのだろうけど、そこにある2人のことを話せなくなってしまった喪失感は大きい、消失したわけじゃないのにね、なんだかね、あったものがなくなるってところだけがバーチャルじゃない証明のようで、つついて壊すのが嫌だから触れないのかもしれない、居心地の良さだけを今も信じてはいる、緩やかに変質するだけの時間を掴んでもいる、私たちは代謝している、こうやってぶちまけるたび「バーチャルである意味がない。君たちはすでにリアルなのだ」と共通の友人に指摘される、けれどもやはりバーチャルでありたい、リアル恋心は意固地な立ち位置で息をひそめており、待ちぼうけが淋しいときに寝るのは二度だけと決めたデートなんぞしたところで後ろ暗さと面倒が増えるばかり、話題が尽きず安心して深酒ができるボーイフレンドと寝ずのデートの健全があって初めてリアル恋心を育める不器用を、解説せずに飲み込んでくれる人などそうそういない、そういう希有な関係性を特別大事に護るフィルターとしてのバーチャルなのだろうと思う、などと書いてしまうのも興醒めか、だけど親友って言っちゃったら色気がなくてつまらないじゃないか、しんどいときに声をかけてくれる誰かがいるってことは本当にありがたいことで、心優しい女友達は沢山いるけれど、しんどいときに声をかけてくれる男の人がいるってことで数倍のゲンキンな回復をみることだって実際のところあるわけで、男友達との間にはちょっとの下心がある方が具合がよかろう、などと言いつつもっぱらの懸念はリアル恋心を向ける人とそうやって落ち着いてしまいそうな感、メル友になるのが嫌だからリアルで顔を合わせるよう心がけ、飲み友になるのが嫌だから少しは切なさを感じてもらえるよう心がけ、いい歳して純情やってたりする情けなさのその先が、男友達に具合のいい下心で終わってしまったらどうしようと、焦れてるわりには踏み出せない、そのせいかこの頃はめっきりコドモあしらいをされ、そうなるとますます熟女の強みが色褪せる、どうしたもんかと思案の挙げ句デートのときにひらひらスカートはいてったりする自分がなんとも愛おしい、いや別に恋心の行き先になんの不安があるわけじゃなく、きちんと届いて向き合っているとは承知でも、だからって逢瀬が重なるごと気安くなってしまうとお互いふうっと息つく瞬間に懸念のそこにふいっと落ち着いてしまったりすることも可能性としては否定できないわけで、だからちょっとはひらひらしてみようじゃないかと、私のリアルなんてその程度のことなのであります。

  1. 2011/11/28(月) 04:47:25|
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ハリヌキしてきた。

金曜に無事頭の縫合箇所の抜糸、といってもステープラー(むしろ感覚的にはタッカー)なので針なのだが、6針と言われていたのがポロポロと12個の針が外されたからばっつん2つで1針計算なのか、抜いてる医者も「これ、ずいぶんひどい怪我だったんですねえ」、ともあれ自慢の種がなくなって頭がすうすうする感じのまま一旦帰宅。

さて解禁、飲むぞと意気込んで2度目の相鉄本多劇場、またも受付で出くわした寺十さんが人の顔見た途端「まだ飲んじゃダメだからね!」と釘刺し、終演後にテッタと一番乗りしての宴席では懐かしい金子清文にも会え、北村想さんを紹介して戴いて「悪魔のいるクリスマス」から21年ぶりに初めましてのご挨拶、居残る気満々だったのにまたも「まだ抜糸したばっかりなんだから」と厳しく言われてすごすごの帰路。

やっぱり「悪魔くん」はいい芝居だと思う、同じ寺十演出の「昆虫系」とは違って作品世界が完成し切らない感じが好きだ、小さい劇場なのに美術効果もあって舞台で繰り広げられる物語と観客との突き放すような距離感がいい、それがあるから役者が必死で食らいついていけるんじゃないだろうか。

土曜、実はこれが怪我の原因じゃないかと思っている階段の電球切れ、成田くんが来て電球換えてくれたので一安心、ゆったり青春H2の寺内康太郎監督作品「エレナー電気工業」観て感心、「デメキング」も好きだったけど寺内康太郎が作り上げる脱力系全力疾走な主人公が切実でいい、役者がみな素晴らしい。

「サウダーヂ」然りで身の丈人生の切なる日常を映画が描くのであれば、演劇はどの隙間を狙えばいいのか、また劇的なるものに回帰するしかないのか、複雑な人生を理勝ちに並べるしかないのか、そうやってまたそれを演じることで何かやってるつもりになる下手な役者を増やすのか。

この20年、そのままそこにいる役者を切り取るのは舞台の上が最も相応しいと信じてきたものが、揺らぐ。
ドラマチックであることにはそもそも敵わないはずだった、だからこそ身の丈のリアリティや生身の息づかい、人がそこにいてブレる空気をやろうとしていたのに、映画がドラマチックな物語を捨ててかかったら、舞台の上に残せるものはなんだろう。

ともあれ、隙間をおろおろと右往左往できる役者だけが生き残るのだろうな。
自分以外の何にもなれない役者はまだまだ求められていると信じたい。
しかしそう考えるとまた勝負所の見極めが難しくなるんだな、ますます何をすればいいのか、どこに立てばいいのかと目眩。

傷口からは体液や血液が滲み出してまたがちがち、リアル目眩は少しも治まらずメリスロンも効果なし、医者は「三半規管やられちゃったんですねえ。薬効かなくても自然に治まるけど3ヶ月くらいかかりますよ。また転んだりしないようにね」とニヤニヤ言う、3ヶ月もぐるぐるしてたら他のどっかが壊れてしまいそうだ。
  1. 2011/11/26(土) 17:02:11|
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ごうごうと。

水曜、「へばの」と「アヒルの子」の上映で渋谷アップリンク、「アヒルの子」はラインとのカップリングのときに見逃してしまったので今回が初見、頭悪くて可哀相だなあと感じたそこから気持ちが動かず、お母さん係に共感してしまうのは自分の役割が重なるからなんだろう、二十歳の女の子の揺れる自我に共感できない自分で良かったと思う。

WSに続いて飲まずの打ち上げ参加、、怪我を心配してもらうたびに傷の針を見せびらかしてうっかり朝まで付き合ってしまいものすごく冷めた気持ちで帰宅、飲まずにいると人の言葉がやたらと頭にこびりつく、振った理由が勃起しっ放しってどういうことだろうと延々考えたりとか、言葉尻のこだわりに他人を信用しないそれを見つけて寂しく感じたりとか、ちょっと前まで居場所のなさを感じた同じ面々との宴席なのにやたらと懐かしく感じたりとか。

明けて木曜は横浜、20年ぶりの相鉄本多劇場で「悪夢くん」、ちょうど受付についたときに寺十さんに出くわし「大丈夫?」と顔を覗き込まれた、「ご心配おかけしてすみませんんでした」と頭を下げるたびぐらんぐらんの目眩でふらつく有様だが、終演後も次々出演者の方に「大丈夫ですか?」とお気遣い戴いてしまって恐縮しながら傷の針を見せびらかす。

「悪夢くん」、稽古場と劇場のサイズが違うからきっと場当たり大変だろうなあ、ゲネできんのかなあなどといらぬ心配しつつだったが、転換ばっちり効果出てた、寺十さん得意のキャメラワークみたいな動かし方、実はどっかで真似てやろうといつも留め置いている、役者は女優陣が皆素晴らしく伸びやか、松浦玉恵のがちゃがちゃ感が活き活き、雪港に観客全員が爆死、歌って踊れるお母さんも魅惑、二枚目羽鳥名美子のふとした弛みに男性演出家の的確。

北村想の新作書き下ろしってだけで観に来る観客もいるのだろうか、ずっしりした枠組みと物語の力強さはそのへんのホン書きにはできない芸当、まるで動画を観ているような舞台との距離感と物語の吸引力の隙間体験は闇の深さがあって心地いい新鮮さ、あんだけいじってあんだけ遊んでも尚逃れられない物語の迷宮こそ演出家が旅する歓びになるのだろうなあ、完成された戯曲を演出することの面白さに足の裏をくすぐられる感じ、ホンも演出も難しいところには絶対に持っていかない軸の太さがあって、役者の丹念さがキラキラ光る。

来年は諸々プレッシャー仕事が控えているのでお勉強モードでもあるけれど、こんなに生真面目な気持ちでひとの芝居を観たのは何年ぶりだろう、「少しはひとの芝居を観に行け」といつも龍さんに叱られていたのにまったく観なかったのが、この夏以降はかなり劇場に行くようになった、芝居が好きなのかと自問しても好きとは答えられない、ただ何かを作ろうとしている人たちがいるところが好きなのかもしれない、「へばの」打ち上げで感じた居場所感も、そこにいる人を見知ったからなのだろうけれど、そういう感覚が自分に近い芝居の場と映画の人たちがいる場の真ん中でうろうろしていて、ますます小説稼業が遠のいているような怖さ=自分だけ何もしていないような怖さ。

きっと私はまだどこにも自分の居場所を持てていない、だけどいるんだよなあ、あちこちに、ただなんとなく、厚かましく自己主張なんぞもしながら、やっぱりいるんだ、そこに、それは私の中ではもうピンポイントの立ち位置なのだけど、なんだかなあ、ふわふわとよろよろと、落ち着きなく不安顔で、そこに踏ん張るのが精一杯になってきているんじゃないだろうか。

などと思うと、大切と思っているものが捨てるべきものに思えたりもし、捨てたものが価値あるものに見えたりもし、何してんだかなあ、なんで不安だって言わないで飲み込んでしまうのか、そんなところで突っ張ってどんだけのもんだろう、怖いなあ、淋しいなあと泣きたくなってしまう、過去を語る自分も、未来を語る自分も大嫌いだ、だけど今のことなんか語りたくない、抜け出せないクラインの壷がまだ私の中でごうごうと風を起こす。

皆さんに散々「気をつけて(太字)」と言われながらいつものように中原さんと東横線で渋谷解散、目眩でふらついているせいで「飲んでないのに酔ってるみたい」とまた心配されつつ、無事に帰宅。

ザッツ小劇場!な「悪夢くん」は27日まで。
まだお席に余裕がありそうです。

  1. 2011/11/24(木) 01:47:14|
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そこに向かっていく。

今年最後のWSも土日で無事終了、試演会には太陽肛門スパパーンのお二人とモグラ町の勝也こと山本さんらが来てくれ、山本さんは飛び入り参加でテキストやらエチュードやらをやってくれ最後の挨拶にも参列、こちらもついつい調子に乗ってつもりのなかった実演参加で山ちゃんとは5年ぶりの芝居で楽しかった。

今月の参加者はレギュラー陣ばかりだったので皆それぞれに自分なりの課題を認識していた感、できていないことを実感して苦い思い味わってもそれで良しとされるのがWSの利点、できること見せるのは稽古場、できないこと曝すのがWSと考えればサボれないはず。

宴席では相変わらず飲まずも先々の企みで談笑、飲み足りない顔の皆さんに心でお詫びしながらも終電帰宅、歩き回るときに傷に響かないようそろそろのろのろ歩くのと、動くたびぐるんと目眩がするのとで外出はやっぱりまだ極端に疲れるけど、今年のお務めを一つ済ませてほっとした気持ち。

本日の診察、朝から傷がちっとも痛くないので経過順調と実感、傷にあててたガーゼも外れて髪も洗って良いと許可、抜糸じゃなくてピンを抜く処置が残っているそうだが金曜に再診して問題なければやりましょうとのこと、目眩があると訴えると薬を出され、様子見て心配なら同院内の脳神経科を受診しろと。

傷に響かなくなってすたすた普通に歩けるようになったけど、頭を特定の方向に動かすとぐるんぐるんするので、うっかりいつも通りのつもりで出歩いていると怖い思いをする、通院に使うバス停の向かい側にキックボクシングのジムがあって、自由に動けない反動なのかむしょうにサンドバッグ蹴りたい。

そういえばモグラ町の津田牧子から16日に無事男児誕生との報せ、おとーちゃんになった武田くんとおかーちゃんになったツダマキの顔と新入り息子の顔を見られるのはいつになるだろう、「これから毎日が新しい」、その覚悟にほろり、一人一人の人生が束ねられる瞬間の奇跡を傍で眺める楽しみをありがとう、一つずつ背負ってみんな一緒に歳とっていこうぞな。

「じゃあまた忘年会で」の挨拶が出始めてぼちぼち「よいお年を」にすり替わる、そういや年内に長編書こうなんて考えもあったはずだけど今年も余すところ1ヶ月弱、覚悟も勝算もないけれど、来年は10年ぶりくらいにプロデュースやろうと思う、企みばかり抱えて足下見ない致命的な短所は重々に自覚して、足踏みでも地団駄でも踞ってるよりマシってだけの踏ん切り、そろそろ「最後の一本」を意識し始める年齢でもあることだし。

  1. 2011/11/21(月) 18:51:41|
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幻のあなた。

昨夜のうち、「悪夢くん」関係の方は誰も私を送ったりしていないと判ったので迷惑かけたわけではないと一安心、遅い時間に新宿消防署に電話して、救急車を呼んでくれた人が誰なのか同乗した付き添いはいたかと問い合わせ、今朝早くに「出動した隊員が非番なので」と代理の方が電話を下さり、「アパートの住人の方が血を流して倒れているのを発見し110番通報、現状確認した警官が救急車を要請、同乗付き添い者はなし」とわかった、電話をくれた隊員の方は名乗ってから「お怪我の具合は如何ですか」と暖かい心遣い、立派なお仕事だなあと改めて感謝、ともあれ、帰宅するまで誰かが付き添ってくれていたというのが丸きり幻覚であったとわかっただけで気が楽になった、きっと発見してくれた人や警察の人や救急隊員の人に優しく声をかけられたことを混濁した意識の中で知り合いの誰かと思っていたのだろう、時間的に判断すると、倒れて運ばれる最中で「ご迷惑おかけしてごめんなさい」とまったく関係のないところの留守電に伝言を残していたらしいので、きっと私は行き倒れて死ぬ羽目になっても誰かに詫びながら死ぬ健気なたちなのだ、そう思うと、万が一留守電にそんな伝言残して私が死んでしまっていたらその電話を受ける人はどれほどの悔いを感じるだろうなどと思い、本気でもう二度とこんな事故は起こすまいと決意した次第、今更ながら死んでしまっていてもおかしくない事故だとぞっとするけれど、幻のあなたが見えるうちはまだ1人でも大丈夫、皆に心配されながらも今日は予定通りにWS、さすがにふらふらした足取りではあったが、喋ったり考えたりすることには差し障りがないので禁酒以外は通常通りのメニュー、終わっての宴席ではまったく無口で不機嫌であったが、よろよろと帰宅して無事に犬を抱けることには心底の安堵、禁酒を褒めてくれる人もいて全治まで頑張ろうなどとゲンキン、バイトに出られないので生活費の問題が障壁ではあるけれど命あってのなんとやら。

さて、お見舞いがてら、WSの試演会にいらっしゃいませんか。
飲めませんが宴席はあります。

★試演会 11/20(日)19:30(19:20までは入場できません。近隣に喫茶店などもありませんのでご注意ください)
★会場 北池袋・新生館シアター
【アクセス】東武東上線・北池袋駅(池袋から1駅)徒歩30秒!改札出て左にすすみすぐ!
4軒目のビルの2Fです。(1Fはスリーエフというコンビニです)
※ 特急・急行・準急列車は通過しますので、各駅停車にお乗りください。
※ 埼京線・板橋駅 東口からは徒歩10分。

いらっしゃる場合の連絡は不要です。

来月は忘年会オンリーでWSはお休み、今年最後のWS、結果が出ずとも成果は出したいところ。

  1. 2011/11/20(日) 01:35:34|
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転倒大流血の巻。

木曜、横浜でやってる「悪夢くん」稽古場を見学、稽古場飲みで調子に乗って酔っぱらい、帰宅したアパートの階段で転倒して後頭部から大流血、救急車で外科に運ばれて6針縫ってもらって朝方にようやく戻る、頭に包帯ぐるぐる巻きってのはカブリモノっぽくてちょっと楽しい気分だったけど、今日行ったら「かなりの出血でしたねーまだ血が止まってませんよ、わはは」と医者、血でがちがちになっている髪を看護士さんに洗ってもらい消毒してガーゼ換えたけど包帯はもうしていない、明日と明後日のワークショップは当然ながら禁酒、しかしお酒のせいか後頭部強打のせいか事故前後の記憶がない、自分の携帯から119には発信していないから誰かが救急車呼んでくれたんだと思うし、朧ながらずっと付き添ってくれていたような気がするのだけどわからない、コンビニでスープ買ったりしてて、薬飲むためのものだと思うのだが、そんな細やかな気遣いをしてくれたのは誰なのか、そもそもどこで転けたのかも覚えてなかったのだけど、今日になって病院行くのにうちを出たら階段下にわりかし派手な血痕が残っており、ああ、ここで転けたんだと判明した次第、病院では付き添いがいたか記録してないと言われ、救急車での搬送だったことしか判らなかった、いやはやまったく申し訳ないことになった、私を助けてくれた方、どうか連絡ください。
  1. 2011/11/18(金) 18:19:13|
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APFを終えて。

うっかり珈琲をこぼしてしまったせいでMacBookAirのキーボードのF~Lまでが絶縁状態、友人にメンテナンスしてもらったまま2日以上の徹夜をする覚悟がなく放置していたPowerBookG4に一晩かけてデータの移行、ところが移行アシスタントがスムースに完了せず不具合続出、やむを得ずOS10.3からクリーンインストールしてアップデートとインストールを黙々続けてようやくPowerBookG4の限界である10.5.8の能力を取り戻したらやっぱり丸2日かかってた、合間にポレポレの限定レイトで「追悼のざわめき」観たりシチューを仕込んだり、1年に1度は家中のmac製品がいっぺんにあれこれの不具合を起こす、恒例のApplePanicFestivalであった、なのでコーチング4連勤予定の2日目は狡休み、書き物仕事はまったくしてないとはいえ仕事道具が使えないままなのはどうしようもなく不安、Airの修理いくらかかるだろう、ジーニアスなお兄さんがちゃちゃっと掃除して直してくれたらいいんだけど本日午後のジーニアスバーの予約は寝坊でキャンセル、久々に使ったPowerBookは画面が大きくて翳み目にも優しい、精魂尽きてカスタマイズまでやり切れていないけどワードの入力は圧倒的にG4の方が楽、ヤフオクで中古購入してもう6年目か、修理するたびジーニアスバーのお兄さんにも「僕なら新しいのを買うよりHDD交換してこっちを使う」などと愛されてきたG4、また一緒に仕事したい、そろそろ小説を書きたい。
  1. 2011/11/14(月) 13:27:24|
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ありがとう⇄こちらこそ。

まあこの1週間くよくよくよくよとし続けて今も思い出せば落ち込むし、これはもう一生思い返してくよくよするべきことなんだと開き直りつつもあるけれど、くよくよすることの何がよろしくないかというと新しいことを何もしたくなくなってしまうわけで、もう全部投げ捨てて海外に移住したいとか、そんなことばかり考えてしまう。

日曜に劇団ダミアンの公演「説教強盗」初日、昆虫系で一緒だった宮島健さまとテツタが出ていたので浅草の赤提灯で一杯ひっかけてからアサヒアートスクエア、大昔に某プロデュース公演で「説教強盗」をやる企画があり途中まで参加していたのだけど出演しなかった因縁の戯曲だけどやっぱり面白かった、構えなく活き活きのびのびの宮島さん、迫力の辻親八さんらオッサン達のテンション芝居とアンダー40の俳優たちのテンション芝居は質が違う、その幅が丸々飲み込めるのはホンの器なんだろうな、女優のアレンジも成功、着目の赤澤ムック嬢と宴席でお話できてうひょうひょ、終電にて帰宅。

火曜、寺十さんが演出している北村想の新作書き下し「悪夢くん」稽古場に稽古場の下見を兼ねてお邪魔、若手の役者が奮闘する様に内省モード、中原さんと終電に駆け込んで帰宅。

水曜、頑張って早起きして渋谷ユーロスペースでようやくの「サウダーヂ」、野口くんチャーミング、川瀬陽太の居方がいい、ラスト近くの花道アーケード横移動の画に拍手したくなった、土方の穴掘りの話なのにスケールがデカイ、タイトルのひねりも好きだった、映画と演劇の同時代性に役者は何を学べば生き残れるのかなどなどを連れと零し合って朝飯代わりの焼酎流し込んで解散、2丁目に移動して上京した小形くんと合流、ほんの2週間ぶりに仕事で再上京した途端財布を落として「トーキョーは怖い」、打ち合わせることあったはずなんだけどそっちのけで日常的なあれこれの報告、早々電車で戻ったが飲み足らず近所の居酒屋に立ち寄ってアケミちゃんと呼ばれている早苗ちゃん呼び出してサウダーヂの話、閉店で追い出されて帰宅。

居酒屋でアケミちゃん待ってるときに「ツイッター見たから」とぶらり陽平が現れて板チョコ2枚置いて帰ってった、自分勝手に落ち込みを喚き散らす私を健気に心配してくれる若い人たちがいて、そりゃもうワークショップの皆さんや友人たちは「またか」と思いながらでも優しく見守ってくれている、温かい、有り難い、情けない。

凹んだり疲れたりの波の中、ああもう無理だ限界だと思う瞬間を掬い取って際ゝのところで守られる感じ、それほどタフじゃねえよと泣き言ぶつけたくなるときもあるけれど、といってぽろり嫌みの一つでも零せば自分ですぐに嫌んなって八つ当たりを謝ってみたり、そういうやり取りが少しずつ重なって、なんかこういう加減が出来上がっていくんだなあとも思う、束の間、瀬戸際、大事な時間を分けてもらえることにゆるり解けて、自分の脚で立つこと、そこにいることを思い出す、「ありがとう」に「こちらこそ」と返されるその時間がもう随分と積もっていることに、今更気づく。


さて、何から取り戻そう。


  1. 2011/11/10(木) 14:39:14|
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謝意猛省。

1年ぶりのWastedtimeは酩酊大失態、ライブ音源聴いて泣きそうになった、いや聴かずとも演ってるときに判ってた、歌詞は忘れるし構成は間違えるし芝居なら誤摩化せるんだけど歌にはまだそこまでの技がない、技がないならもっと真摯であるべきなのにどうしてああも傲慢になるのか、あんなにいいメンバーで曲の出来もいい具合だったのに台無しにしてしまった、あれでも気力でなんとか最後までやりきったつもりだったけど、あんなこと絶対にあっちゃいけない。

時間とお金を戴いて謝るなんてのも失礼な話だけど今回は謝りたい、無論どうであれ本当は謝っちゃいけないのも承知だけど、時間とお金の大切さを知らないわけじゃないのに、やっちゃいけないことして謝るなんて、ほんとに最低だ、やっぱり「ありがとうございました」と言うしかない、色んな気持ちを込めて、立つ側にはその言葉しかない。
本当にありがとうございました。

恥ずかしさと悔しさと申し訳なさで更にべろべろになり、見捨てずにいてくれた友人たちと心優しい弟子たちを付き合わせての朝帰り、自分で片付けた覚えのない持ち物や差し入れで戴いたものやらは全部勝呂がちゃんと持って来てくれていたのだけど自己管理だったiPhoneは紛失、飲んでた店にも交番にも問い合わせたが見つからず、明日にも機種変更に行かねば。



下北沢の短編映画館トリウッドで公開中の作品「金星」、渡辺真起子と稲増文のモグラ町コンビが視覚障害者の介助人兄妹役で共演、視覚障害者の難役を演じた主演男女の加減がよく爽やかなスケッチ、一般1,000円で観られます。




渋谷ユーロスペースで11/19から2週間限定レイトショー公開の短編映画プログラム「NO NAME FILMS」、大雑把に言うと傑作2/凡作2/秀作6の10作品、すべて15分の短編で公開時にはAプログラムとBプログラム5本ずつの上映になるそう、どの作品も全部同じ製作費だと聞いたけど、短編だからってワンアイディアで乗り切ろうとしてるのはおしなべてモノ足らず、物語の構成に頼れない分、役者の魅力が大きな柱になるんだろう、センスと丁寧さがくっきり作品の出来になる、個人的な好みでの傑作2はAプログラムの「ニューキッズオンザゲリラ」とBプログラムの「ふたつのウーテル」。


「金星」は【才能の発掘ではなく、自分の腕で食っていく覚悟の確立を狙う】トリウッドスタジオプロジェクト作品、「NO NAME FILMS」はUNI JAPAN人材育成プロジェクト作品、自主製作作品にも素晴らしい輝きはたくさんあるけれど、この手の作品はお金を使える強みがまんま反映されるから観客には間口があっていい、金出すからやってみろというプロジェクトは観客にも作り手にも有益かつ有意義な試みだと思う、幸運を乗りこなしてこの先どう打って出るか、答えがすぐに出ないことをやる人がいると思うと心強いじゃないか。



そうなんだよねえ、こういう勝負どころに強い奴ってのは確かにいるんだよ、勝負どころに勝てる才能と、地道にコツコツ外さずにやっていける才能ってのは別のものだろうと思う、だけど、勝てる才能もコツコツ外さない才能も20年30年先に続けられるかというとわからない、やり方を変えなきゃいけなかったりする時がいつかあったりするんだよね、そのときにそれまでの自分を棄てるなり拡げるなりでどう折り合っていくかってのが肝心なんだよね、そんで、その時にはなんだかさ、今はできて当たり前に思うことができなくなってたりもするしさ、好きなことを続けていくのってこんなに難しいことだっけなあとか思うんだよね、ああ、なんだかもう人前に立つのとかやめて地道に黙々と暮らしたい、お金の心配や醜態の反省をせずに粛々と生きたい、何もかもやめて生まれ変わりたい、別の人生をやりたいなんて思うことがあるとは、若い頃にはまるで想像もしないんだよなあ。

もうほんと、飲んで歌うのやめます。
もっと真面目にやります。
いろんなこと。
また付き合ってください。

  1. 2011/11/05(土) 02:54:05|
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