ワークショップで長年照明をやってくれている神保さんが、WSの内容を紹介するブログを立ち上げてくれたので、興味のある方は覗いてみてください。
前川麻子演劇ワークショップ 公式ブログ
- 2012/01/29(日) 17:54:25|
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月曜にエロ短編の直し作業を済ませて火曜から「ALPHA」稽古場に合流、亀戸をカメイドと読むことも知らなかったんだけど稽古場は主にそのへんらしいので来月の今頃には愛着湧いてたりするんだろう、稽古初日から13時22時、追い込みになったら10時22時というスケジュール貰っていて文句たらたらだったんだけどいつの間にか全日13時22時という比較的人間らしい予定に変更されていたので折り合うことにした、三浦くんはその日の予定を消化したら早めに切り上げてくれるので有り難い、が、飯休憩なしってのは勘弁して欲しい、芝居の中身はまだまだ前途多難なれど役者はみんな気のいい若者で稽古場の雰囲気は大変に良好、火曜も「早めに終らせるんで」と三浦くんが口にした途端それ聞いて俄然やる気になった役者どもが「おらおらしまっていこうぜ」のかけ声、宣言通り20時前に終ったのだが私は飲みに行かず直帰、なんせ翌水曜は8時起きでアクティー号の小旅行、雰囲気ある洋館でのコーチング勤務は飯休憩15分の過酷な現場、毎度デートのお誘いを振り切って帰宅、現場でモテるのは有り難いけど後ろ暗いんだよね、こんなにストイックに働いてんのになんで誘惑するんだと憤りすら感じるが愛想良く躱すのも芸のうち、コーチングに入ると帰宅が午前1時を回ることも多く日常の雑用済ませるとどんなに頑張っても3時4時になるけれど、しばらくはこのペースで稽古バイト稽古バイトが続き、そのうち稽古稽古稽古稽古になったらもう劇場入り、朝は疲労と寝不足で窶れているのに夜はストレスで過食気味、寝る前にリポD飲まないと朝起きられないんだから虚弱だわー考えただけで倒れるわーと思っていたら今日の稽古場は中野でお散歩気分、稽古場でスケジュールの確認してたら案外ちゃんとオフ日もあるが友人からのメールやDMと首っ引きで観劇予定を調整したらみるみる埋まっていく、しかも三浦くんは私の人並み人生を支持するかのようにちゃんとバレンタインデーにオフを入れてくれていた、万歳したいとこだけどデートは独りじゃできないからなあ、中野なんて有り難い距離の稽古場で6時半に稽古が終った今日も整体寄って飲まずに帰宅しいそいそ料理して洗濯して掃除して合間にせっせとメールしてちょっとだけ取り戻し気合いを入れ直した次第、デートできないストレスより家事ができないストレスに弱いタイプだけど、デートできないまんまじゃまるきり亡霊で怖くなってしまう、外面を取り繕う分そういったことぶつけられるのは当人で、デートはできないわストレスはぶつけられるわじゃあっちだって踏んだり蹴ったりだろうなあと思うけど、いかんせん今は飲み込む余裕がない、いつかそんな愚痴をバーチャルダーリンに零したら「みんなそんなもんですよ」と言っていた、確かにそうだよなあ、忙しいときにはわざわざ恋愛しないもんなあ、なんて考えるとじゃあ今のそれはなんなのかってことになる、恋愛じゃないから紡げるのかわざわざしてる恋愛なのか、自分が伝える言葉はどれほどの意味で通じているんだろう、ただそこにいることにいかほどの価値があるんだろう、わたしたちは何を待っているんだろう、これまで気にせずにいられたことが独りになるたびあぶくになって浮かんでは消えるけど今はそれすら考えてる余裕がない、つまりは忙しさに救われてるところだってあるわけで、暇なときにするデートは誰とでもいいんだよ、暇じゃあないからデートしたいんじゃんってワガママなんだろか、因みにデートは2週間前に誘ってください、〆切は今月中です。
今月中のご予約には割引特典があります。
ALPHAのご予約は
こちらから。
- 2012/01/26(木) 21:58:52|
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WS1日目、夕飯休憩の隙間に寺十さんが稽古場に到着、「とりあえず読んでみましょう」と決まって、テキスト2種を読み合わせる段階から見取り稽古の開始、それから「短い方のテキストを使ってエチュードやってみますかね」となって、15分で声をかけてもらう形でエチュードを開始、2人とも台本をしっかり読み込めていない状態でのエチュードなので、出てくるネタでそれぞれがざっくり読んだ段階で何をひっかけてるかがわかる、自前のネタをぶつけたとき、相手がきちんと芝居に帰結させてくれる、どれほど転がしてっても絶対に設定から漏れない、何を投げてもその時間の中できっちり拾っていってくれる安心感、およそ2時間そのまんまの居方を確かめ合っての初手合わせ、みんなに感想を一通り述べてもらって、稽古場飲みに突入、なんだろうな、寺十さんとのエチュードは手つないでぶらぶら散歩する感じかな、行き先なくとも見えるものが一緒で互いが寄り添える感じ。
朝帰りしてぐったり眠っての2日目、WSの開始時間に現れた寺十さんが皆と一緒にWSのプログラムに参加してウォーミングアップ、夕飯休憩の後から、昨日やってない方のテキストで90分ノンストップのエチュードを開始、台本にある展開をどこまで運んでいけるか試したわけだが、必要な情報もネタも行きつ戻りつの中で一通り吸い出して83分で台本ラストまで、さすがに運びは見事でこの日はただ乗っかっていられた、芝居場での駆け引きもいつどこでどう引くか、どこをさらっていくかが読めるので戸惑うことがまったくない、まるで自分が演出しているように、もしくは自分が演出つけられているように安全地帯の中で遊べる、90分のフルエチュードなんて久々にやったけど、この日は自分が仕掛けるネタを思いついていたから直前に緊張して胃薬、絡み展開があったので後から「あのときは寺十さんがなんか仕掛けてきたりしたんですか」と立会人の中山くんにニヤニヤ訊かれたけれど、仕掛けられて照れ仕掛けて照れさせ、どこまでみせればいいのかの加減の取り方が同じだからここでも違和感なし、2度目ということで皆からは感想ではなく演出としての意見をしてもらい、なるほどそう見えるのかと合点して特別企画が終了。


たった2回の手合せなれど呼吸だけは計れる、とにかく何しても違和感がない、緊張の置きどころにしてもふっと緩ませるタイミングにしても、ただ息をするように嘘を重ねるっていう芝居の組み立て方が同じなんだろう、初めて観たときにドッペルゲンガーと感じたのはまったくその通りだったと確信、あんまりにも「そのまま」過ぎてそれが芝居であることを忘れてしまう感じがなんだか物足りない、テキストはこっちがああでそっちはこうとなんとなくの検討が一致、エチュードの面白さは駆け引きの面白さなんだろうけど呼吸が合い過ぎて駆け引きにならない、であればテキストに取り組みましょうが結論か、しかし尚のことこの2人を演出できるのは誰かと悩ましい、なんてことをだらだら飲みながら話していたのだけど、気がつくと寺十さんがすっかり出来上がっていて今までそんなに酔ってる姿を見たことなかったのである意味エチュードより面白い、エチュードの口調のまんま叱られて、「あ、なんだよ、さっきエチュードの中で零してたあれはこれまで言わずにいた本音だったのか」と気づいたりもして、エチュードでは謝らなかったけど今度はちゃんと「仰る通りです、すみません」と項垂れて沈没、ぐだぐだの朝帰り。
2日目の朝に目覚めてWSが終ったような心持ちだった、何曜日なのかわからず長い夢を見ていたようなふわふわ感、準備の手順が少なくて日常の延長でそのまんまだったからだろう、今もあれはなんだったんだろうと現実なのか妄想なのかの区別がつかない感じで心細い、今日中に直し指示が残ってる原稿作業終らせて明日から「ALPHA」の稽古に合流、こちらは自分自身との距離がある役どころなのでふわふわしたまんまじゃできない、これからしばらくはハードボイルドな日々。
- 2012/01/23(月) 17:05:33|
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バイトがハード過ぎてバイト感覚じゃやっていられないと愚痴ったりぼやいたりしながらの黙々バイト生活、この年になるまでバイトで生計を立てたことがなく、世の中の人は偉いもんだなあなどと眺めていたが、まったく偉いもんだとこの頃は自分に頷ける、あやふやな肩書きでの一年に少しは成果があっての大仕事だからほんとにバイト感覚じゃやれないのだけど、それを専業にするにはきっと多趣味過ぎるのだろう。
火曜にバイト終えてからは今夏企画のあれこれを熟考、水曜昼に電話打ち合わせ、夜はACC年明け最初のクラス、200字の短文課題を全員が共有して、好きなものを択んで続きを書いていくという共作の試み、起・承・転・結を意識して四本揃ったところでそれをプロットにして今度は20枚に膨らませましょうという課題を出してみた、限られた文字数で削るのはキャラクター、シチュエーション、ディティール、エピソードだから、20枚に増やすには、逆にそれらを盛り込んでいけばいいと口頭で説明しながら、まったくその通りとここでも自分で頷いた。
帰ってからは自分の原稿作業、大昔に取材したネタ+ライター仕事で取材してポシャって行き場がなくなったネタにキャラクターとシチュエーションとディティールとエピソードを盛り込んでのリサイクル、徹夜の作業で三分の二まで進み着地点見えたところで行けないだろうと諦めていたチェロ・テロリスト坂本弘道氏の公演に行くことにし、ぎりぎりで切り上げて明大前キッド・アイラック・ホール。
坂本さんのチェロはたまに弾いてあんまり弾かない、小豆を投げつけたり鉛筆でぐりぐりやったりグラインダーで火花出したり、時には燃やしたりもするそうだが、この日は舞踏のダンサーと影師とジャグラーという共演者とのセッションで、その空間に存在する人の気配がちゃんと音色になっていく面白さを堪能。
出来事を心地よく共有できるってとても劇的だと感じて何しろ自分で驚いた、これまでの私であればそこに物語を探し出そうとしただろうけれど、そうじゃない観方が少しずつできるようになって、徹夜明けの作業途中で感性が全開になっていたせいもあるかもしれないが、とにかく目の前にあるものすべてにわくわく身体を乗り出してただただ「面白いなあ」と見物。
美味しいワインもほどほどに抑えてちゃんと電車で帰ったけど頭はなかなか切り替わらず、呟き倒して頭を空にし、さてと再びエロいところから作業再開、〆切当日である今朝8時にひとまずの57枚を脱稿して送信、キーボード叩き始めれば2分で埋没できるから小説書くのは楽しい、頭いっぱいになるけど芝居やるのも楽しい、バイトだって稼ぎになるなら楽しい、そんな当たり前の感覚が今までなかったことが自分の大きな孔だったんだと思う。
心当たりはほんの一点、犬の教えに従って乗り切る覚悟のそれが、想像以上に難儀なため余程意識しないとうっかり教えに逸れる、そのために意識していることがすべてにおける働きになった発見が続いて、凄いことだなあ、もうなんか触れるとか触れないとかの距離のことじゃないよなあ、今はもうそれが自分の芯になっているんだなあ、面白いものだなあ、有り難いことだなあと、ほんとのほんとに、毎日目覚めるたび眠ろうとするたびに思っている、願いが祈りに、祈りが真実に、虎がぐるぐるバターになってくみたいな。
さてそうなると今月WSの目玉であるエチュード大勝負、もう参加申し込みは締め切ったのでバラしてしまおう、今月のWSでは
tsumazuki no ishi の寺十吾氏をゲストに迎え非公開WS限定企画で台本からエチュードに展開させる稽古をする、つまりWSの参加者はマエカワと寺十の稽古を見学する見取り稽古ができるという大変に愉快かつ豪華かつヒヤヒヤものの企画がこの週末に控えている。
それにしても初手合わせが恐ろしい、「すんごい緊張してる」と言ったら「へえ、緊張してんの?へへへ」と嗤われたのがまた悔しい、もうエチュード稽古なんてすっ飛ばしていつもみたいに飲んだくれませんかと今にも日和そうな心を奮い立たせて立ち向かう、まあね、どのみちどう気張ってもやれることは同じで「そのままそこにいる」だけ、それがお互いそういうタイプだから勝負なんだけども、なんだかすっかり負け戦な気分、じっちゃんもマエカワも明日の夜はどんな顔して飲んでんだろうなあ。
- 2012/01/20(金) 12:15:00|
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昨夏参加の鵺的公演「
昆虫系~改訂版」が演劇情報のポータルサイト
CoRichの2011ランキングにて第9位に択ばれたそう。
撮影/石澤知絵子鵺的はそもそも脚本家の高木登氏が主宰して劇団員は2人だけの正しく鵺的な劇団、高木氏の作・演出による新作「カップルズ」もまもなく開幕。
日曜、2月末からの株式会社FPアドバンス公演「
ALPHA」が顔合わせで始動、キャスト紹介、配役発表、初見読みとこなして全員で打入り、「ハードボイルドやります」と宣誓の三浦演出はキャスティングで一つの方向性を明確に示し総勢19名の役者たちを先導、チラシもなく出演者も決まらず配役も判らず演出家と会っただけ台本貰っただけの1ヶ月に不安は多々あれど顔ぶれ視て演出支える覚悟は固まった、20代のキャストが多い中、大人チームはぐだぐだ飲みで朝5時。
詳細な情報ページは鋭意製作中とのこと、CoRichの
情報ページはこちら。
今月末までのお申し込みは割引になる
チケットのご予約はこちらから。
今週はACCの講座、短編の〆切、WSとフル稼働、なかでも今月のWSはゲストを迎えてのエチュード実演を計画しているのでじんわり緊張感、小劇場的にはまあちょっとした事件には間違いない、よっていつもなら大開放なのだけど今月は一般の方もWSメンバーも見学不可で参加申し込みの受付のみ、定員まであと3名、
お申し込みは金曜正午まで。
- 2012/01/17(火) 09:42:07|
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コーチングの合間に拡げた新聞を読むうちむしょうに書きたくなってiPhoneのテキストアプリで黙々打ち込み、そうなるともうそのネタのことしか考えられず帰宅後に速攻でワードに移して18枚の台本が完成、それだけでちょっとした興奮状態になり不安の欠片など足裏に張り付いてる感じ。
そうかつまり落ちるときには強引にでも何か書けばいいのか、今更だけど確かに自分はそういう資質だった気がする、その勢いで通常モードに切り替えてしまえば自分以外の全部はなんてこたあなくいつも通りだったりするもんだ、それでも反省は充分、馴れない多忙と許容量を超えた疲労による余裕のなさでこれまで常に心がけていたことの全部をすっかりぶっ飛ばしてしまっていた、自分が何かやらかしたときってそれが判ってる分妙に神経過敏に顔色窺うようなところがあって、その「らしくなさ」が改めて心がけるきっかけになったりする、平常心で立ち向かえば不安の素への対応策だってなくはない。
ここ1週間ばかり以降の稽古とバイトのスケジュール調整にかかりっきりで、ようやく目処をつけたところでクライアントと打ち合わせ、3月の公演終るまでお休みが1日もないスケジュールにごり押しでデート日をねじ込み、実際にはするはずがない夏の芝居のホンの準備と泣きついてなんとか週1ペースで休みを見繕う算段まで取ったがその分稼働日の入り時間が大幅に繰り上がるツケ、向こうも勝負時だからこれまでみたいにお気楽なバイト感覚で夕方からぶらり出向いて実働時間がなければんじゃお先って訳にはいかないとは承知だし、ちゃんと契約体制も整えてそれだけのギャラが貰えるんだから全力で取り組む覚悟だけれど稽古の合間を全部明け渡したらほんとに日常がなくなってしまう。
そもそもはやりたいことがあってそれをお金に換算せずに楽しむために必要としているバイトなのだけど日本には定着していない俳優のコーチングという仕事を少しでも安定させる責任はそれなりに感じていて、若手の監督さんに「今度現場で呼ばせてもらってもいいですか」なんて言ってもらえると凄く嬉しいし、これまでの事務所契約で現場タライ回しじゃなく今回のようにこの期間のこの現場に入ってるタレントさんにつくという明確な契約だと現場での仕事にもステップを作れるし、手探りながらもやってきた分はなんらかの手応えだってある、業界内の理解が足りないうちは大々的に営業できない口コミ頼りの仕事だから成果がなければすぐにクビを切られる立場でひとしおのプレッシャー、そんなこんなの泣き言が書くことで誤摩化せる、その辺りにやっぱりこっちでもプロにはなれないなあとため息。
いつまでたってもこれという肩書きが持てずどこに行ってもその場に便利なとこ択ぶばかりで何をやっても何者にもならない根性なしをこの世に繋ぎ止めるのはただの資質であると改めて、まあいいや発狂するか倒れるまでは踏ん張る、結果を導くのは過程しかない。
開き直るそばから調整完了したはずのスケジュールにバレンタインデーなる世知辛いイベントが漏れていたことに気づき、なんだよせっかくクリスマスイブとか三が日とかをクリアして人並みに浮き足だってきたのにとがっくり、もっと若いうちからそういうことをちゃんとやってきたら良かったのだけどこれまでそういう気分にもそういう恋愛にも縁がなかったもんだから、今年はそういうことをないがしろにせず人並みにやってやろうじゃないかと密かに企んでいたのに、ちぇっ、人並み世間並みのあれこれは本当に難しい、あっちが忙しいときにはこっちが調整して隙間を盗んでいたけれど、こっちが忙しくなったらあっちはわざわざ調整してくんないんだろうなあ、そしたらそのまんまだよなあなんて不安は恐る恐るに切り出す指定日を飲んでもらうことで解消するけれど、やはり折り合わせてしまったと後ろ向きに思ったりもして人との関わり方のバランスがどうにも巧く取れていない感じが不安の素でもあるのかもと考えてみたり。
喧々諤々にやり合って調整つけたご褒美に降って湧いた今日のオフもぶらり映画でもと思っていたら目覚めた途端に来週〆切のタイトルとネタが浮かんでしまい雑用そそくさ済ませて作業すんべかなあな資質だし、来週からは毎朝8時起きで出勤なんて人並み世間並みが果たしてこなせるだろうかと新社会人みたいな小心、必死で取り組め、必死で取り組んだらその結果を真摯に受け止めろと頭は慰めてくれるけど、芝居もきっちり関わりたいしバイトも失いたくないし大切な繋がりも後退させたくない、急いてるつもりはないけれど、足踏みして疲れ果て気がついたら全部が遠ざかっていたりするのは嫌だ、なんてことだけは人並み世間並みの欲望なんだけどなあ。
結局、自分の芯のところ、そこんところに触れるものばかりがざわざわ蠢いているから不安になるんだろう、せめて大切なそれだけでもしっかりと掴めれば何したって生きていけるのに、どうあろうと自分の思うようには動かせやしない、気休めに占い遊びをしたら「割り切りよく諦めがよい性格」と出た、ご機嫌どうあれ束の間でも二文字でも独り合点でも頼むからそのままにいてくださいと祈るそれ、割り切れず諦められず、といって縋ることもできず、祈り続けて私は大丈夫、私はここにいると、それを信じてくれていると、つまりは自分が信じるしかない、それだけは大丈夫、揺れることは多々あれど決してぶれることのない、諦めや割り切りに似て非なる確信だけが頼り、いつかいつかを追いかける馬人参でもあるけれど、もはや修行のようにも思うから、春にはどこかにふらり出向いて滝に打たれたりしたいもんだなあ。
- 2012/01/14(土) 14:08:42|
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日頃からこそこそとお腹に溜め込んでいる不安袋に、ちいさな孔が穿たれて、しゅうしゅうと洩れ出した。
何をしていても薄ら黴たような不安が立ち昇って涙目に咳き込む。
深い愛情と強靭な意思と確かな技術のあるそれを間近にして、敵わんなあと逃げ腰になる。
いつものことなのだけど、今は逃げられない、避けられないと思うほど、しゃがみ込んで泣き出したくなりもする。
あれやこれやを面白がるくせに何一つまともに取り組めない。
随まで絞る覚悟が微塵もない。
大きな好機は度々与えられるのに、そういう性質が祟って無駄にしてしまう。
よくよくわかっていて、なんとかしようと足掻いているけれど、恐怖に太刀打ちできない。
誰も助けてくれない。
誰にも助けて欲しくない。
なのに「助けて」と今も叫び出したい。
心優しい誰かに泣きついて不安のありったけを吐き出せば、そのときは救われるだろう。
赦されて、気丈を取り戻して、また歩けるのかもしれない。
だけど、覚束ない足取りで辿り着くところは目指せない。
いつものようにそうやって、支えてくれる人をいちいち振り返っていては、届かない。
泣きつかせてくれる人も優しくしてくれる人も弁えられる分別も欲しいけど、何より自分の足で駆け抜ける脚力が欲しい、不安の泥沼から這い上がるだけの腕力が欲しい、余計なこと全部弾き返す筋力が欲しい。
力が欲しい、なんて思ったの、初めてだけど。
こわい、こわい、怖くてたまらない。
新しい1年が始まって控えていることの全部に身が竦む。
月が昇ることも朝日を浴びることも、眠りに落ちることも覚醒することも怖い。
本当に、そんな気持ちで、毎日めそめそと泣いていたりする。
そんで、はっと時計を見上げて、顔洗って、バイトに行ったりするわけで。
そんな自分にうんざりして、俯きながら急ぎ足で駅に飲まれ、電車に乗り込めば思考が停止するわけで。
もう何一つやり過ごしたくなんかないのに。
- 2012/01/12(木) 15:39:33|
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はっとさせられることが、しばしばある。
そんなこと言ってはいけない場で、もしくは言わなくていい場で、言ってはいけないようなことや、言わなくていいことを言ってしまう、それ。
私は出しゃばりで誰がどんな話をしていてもすぐに口を挟んでしまうので、たいがい5分くらいして赤面する。
黙ってればお利口なのに、反射反応のように口を挟む。
飲んでると特に酷い。
飲み始めの3分くらいは口を挟まずにいようと心がけているのに、人の話を聞きながら頭の中には自分の話したいことが湧いてしまって、抑えようとしているうちに酔って、自制心などみるみる決壊して、後は果てしなく自分中心に口を挟む。
本当にみっともないと思うから、5分おきに赤面するけど、どうにもできない。
他愛のない話に口を挟む出しゃばりだけなら、場を弁えない奴だと嗤われるだけで済むんだけど、調子に乗って立場を弁えない出しゃばりをすることがあって、これはもうデフォルトで3日くらい凹む。
どの失態も、余程でなければその場で気づく。
挽回しようと黙り込む。
が、やはり気がつくと喋っている。
帰って独りになってひたすら反省して、できるフォローはするのだけど、そんなもの何の役にも立たない。
その場、そのときの立場を汚す振る舞いは、その時にフォローできなかったらそのまんまだろうと思う。
そこにいる誰かに恥をかかせたり、嫌な気持ちにさせていたりすると思うと、全裸になって踊り狂ってすべて帳消しにしたくなる。
卓袱台があればひっくり返したい。
だが、ひっくり返せる卓袱台などあった試しがない。
そのときに気がついてフォローまでできるんなら、自制すればいいって話だから、やはりフォローには至らない。
もう何年もそれを繰り返していて、若いときには「若いのに出しゃばる馬鹿」だったのが、大人になってしまった今は「いい年して分別のない馬鹿」になった。
ほんとにココロから改めたい。
酒をやめるのと喋るのをやめるのと、どっちにすればいいのか真剣に考えた。
喋らずに飲むと酩酊するたちでもある。
これまでの経験では言いたいこと言わずに飲み込むほど深酔いしてテレポーテーションしたり頭割ったりしているので、それも大迷惑だ。
てことは酒をやめればいいのだけど、飲まないと人見知りが激しくて人の顔が視られないし物も食べられないしまずもって普通に会話ができない。
アルコール抜きで他人と会うときには精神安定剤を飲むのが常だ。
と、こうして反省を綴っていて、壊れてるなあ、と思う。
人見知りが酷いのは子供の頃からで、それを治すために児童劇団に入れられたのだけど、治ったんじゃなくて誤摩化す術を覚えたってことなんだろう。
演技の中では人の顔も視られるし物も食べられる。
演技の中で喋る言葉は台詞だし、台詞は自分じゃない誰かの言葉だから、無責任にいくらでも喋る。
芝居をしているときが一番のびのび解放されて自分らしい自分でいられる、という不自由。
演じていないときには7歳の自我しかないと医者に言われたのが27の時だから、そこでリセットされたとしても今年45になる私の自我は25歳程度ってことで、ほんとに25なら物事が弁えられなくても仕方がなかったりするんだろうが、実際は45になるんだからそうもいかない。
酒飲みになって更によろしくない状態になってしまったなあ、なんてことを今更気づいてもどうしようもないのだけど。
まともな大人でいるには演じ続けるしかない。
仲間内との酒の席でも、デート中でも、家族の団らんでも。
だから、何度結婚してもご破算になるし、たった一人の家族である娘とも一緒に暮らすのはしんどい。
演じ続けるにしても、24時間人生まるごとじゃ、おかしくなってしまう。
誰かと一緒には暮らせない。
こんな自分をそのままに見てくれる人、受け止めてくれる人との出会いはたくさんある。
だけど、そういう自分を、どうしても自分自身が受け入れられない。
まともに見ちゃいられない。
しかも、他人にそういう自分のダメなところを見て見ぬ振りされると身勝手に傷つく。
「おまえ、ほんとそういうとこダメだよね」と言ってくれれば、赤面する甲斐もあるのだが、見ぬ振りをされると居たたまれない。
ひとの優しさってのは、人それぞれの形があって、見て見ぬ振りをしてくれる優しさもあれば、「それダメ」と突ついてくれる優しさもあって、どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、そのときに適した形を選ぶこと自体が思いやりというやつなのだろうと思う。
つまり私には、そういう思いやりが働かないときがあって、適切ではない形を自分の気分だけで投げつけてしまう。
へろへろに疲れてるとき、飲んで調子が上がってきたとき、そういうときほど一緒にいたいと思う大切な人の前でそれをしでかして、大切な人たちに苦い思いをさせている。
そうやって他人に甘えてるからどうにもならんのかもしれぬ。
年齢とともに、少しずつ、もうなんかどうせダメな人だからと開き直りつつあるのだけど、そこだけは譲れない、人としての最低限のもののように思ってしまっている。
すべての人を思いやったり控え目な性格になるのは無理だとしても、せめて物事を弁えた人になりたい。
水曜、劇団昴 ザ・サードステージ「
暗いところで待ち合わせ」@池袋シアターグリーンを観た帰り道、とぼとぼそんなことを思っていた。
乙一の原作は読み手に優しく、秋之桜子の脚本は役者に優しく、寺十さんの演出はそこで生きているものに優しい。
優しさってのは抱え込む懐の深さってことなのか。
見ぬ振りも突つくのも背負うのも切り捨てるのもそれぞれ優しさの形だとは思うけど、それはつまり「触れる」ということ全般が抱え込むってことに他ならず、目の視えない人にどう「触れる」かってことが、ちゃんと人の形を成している芝居だった。
だけどなあ。
私は優しい人になりたいわけじゃないんだよなあ。
ただ、物事をきちんと弁えた人になりたいのだ。
そこにこそ、思いやりだの優しさだのの曖昧なそれらが加減するんだろうから。
なんてことをぐちぐち零していたらバーチャル・ダーリンが「たまには甘えていいんですよ」って言ってくれた。
弁えようとするほど甘えるのが下手になるって問題も残ってるのか。
はあああ。
切ない。
劇団昴 ザ・サードステージ「暗いところで待ち合わせ」池袋シアターグリーンで1月15日まで。
- 2012/01/12(木) 02:10:41|
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大晦日の夜、あと数時間で一年が終ると思ったら不意に猛烈な寂しさに襲われて耐えきれずにメール、ようやくの正月休みでタイミング良かったのか珍しく返信あったので調子に乗って初詣にでも誘ってみようと勢い込んだところにトントンとノックの音、これでドア開けたらメールの相手!だったりしたら大層にドラマチックなことだがドアの向こうにはお重を抱えた勝呂が「おせちを作ったので良かったら一緒に」と立っていた、これはこれで充分にドラマチック、いつも稽古場に手作りのケーキを差し入れしてくれる勝呂、新年はおせちだなんて余程の勝負年なんだろうか、ひとまずメールにはその旨の報告、寂しがれなくなって甘えるチャンスも空振りし初詣も約束できなくてがっくりしたけど振り向けば勝呂、2人で黙々雑煮啜っておせちつまんでいるうち新年を迎え、挨拶を交わしてから「ごちそうさま」と送り出した、深夜になって続々若年男子からのあけおめメール、モテてんのかと思ったらただ彼らにはそういう習慣があるってことらしい、それでも無沙汰の人からの連絡あったりすると嬉しいし、挨拶を交わすことは気持ちがいい、今年も賀状をサボってしまったことを早々反省。
新年のハードスケジュールに備えて早起き習慣つけるべく早寝したのに目眩するまんま寝たせいか目眩で転倒しまったく起き上がれないという嫌な夢、初夢これじゃあなあとやり直したが初夢は元旦の夜に見る夢と元旦夕方に今半のおせち持参で遊びにきてくれたノヤミキに教わった、ノヤミキとヒラケイは勝呂のおせちを絶賛、今半のおせちはさすがにきらびやかでお正月気分、ガールズトークも佳境のときにバーチャルダーリンから「何してますー?」とメール、「来てー」と返して小一時間後には黒霧島と濁り酒とスパークリングワインを差し入れにダーリンが到着、キッチンのカウンターでがやがやと賑やかな飲み食い、女子たちが引き揚げてからはダーリンとの初サシ飲みが続き恋愛系与太話、どんなオプションをつけたいかと話すうち訳あってがっくりきていたダーリンもとうとう沈没、ソファーに寝かせてからゆったりお茶でおせち、娘ともようやく連絡取れて「今年もよろしく」をメールで交わし、今年のお正月は満腹でおしまい。
突っ走れるのか見た夢まんまに転倒するのか、もつれる足でも進めればいいけれど、ふと立ち止まりたいときに肩を貸してくれる人が、踏み出すときに手を引いてくれる人がそこにいて欲しいと願うのは甘ったれなんだろか、弱って甘えたときばかり「ん?」と構ってくれるから、まだまだ踏ん張れるのに構われたくてすぐに弱音を吐くような自分になりたくないけれど、寂しいときに甘えられないんじゃ踏ん張りどころで力が出ない、とか言う割にはかなりしょっちゅう甘えてたりもするし、もしかしたら世の中では弱ってないときに余力で甘えてみせることが女子力とかいうものなのかとも思うけど、侘しさには馴れることができても寂しさは時に深々突き刺さる、自分のココロの在処だけを信じて立っているせいかぐらり足下が揺れる隙がどこか残ってしまう、何か一つが錯覚であるならその他のすべても錯覚なのかもしれないと悶々の反芻で膝を抱え込むようなそれ、なのにどうしたことか、そういう頭が働いていてもココロだけはまだしっかりとそこに根付いていて、それはきっと、むしろそれこそがきっと根付かせるものがあるってことの確信だなんて思い直したりもして、やっぱりケジメがつかぬまま、まだまだここにいるんだなあと他人事のように眺める。
じんわりそれが視えてきて、次に必要になるのは、基本パックはこんな感じです、さてオプションはどうしましょう?という話か、それともまだ基本パックの内容を検討すべきか、どうにでもできますは何もできないのと同じ、これしかできません、こうとしかなりませんてな具合にいかないのは俗にいう器用貧乏、ただシアワセでいたいだけなのに何故それほどの二の足か、どうせ正解や本質なんて見通せない、だから応えでは計らない、ただ手が届くところにそれがあるか、呼びかけが届くのか、私がそこにいるのかと見つめる、そういうのが時々ものすごくめんどくさくなったりもするし、そればかりが日々の支えになったりして、自分で自分を確かめながら居続けるしんどさを痛感した年を越えて、またそこに立ち向かうのは、正月なんつってもやっぱり同じ毎日を繰り返すだけとわかるほど正月なんて面倒だと思ったり、繰り返しだからこそケジメが大切なんだと思ったり、区切れるもんなら区切りたいと思ったり区切れないそれがいいと思ったりで、どうあれ世の中はひとまずの新年、てのと同じでね。
渋谷ユーロスペースで連日21:10~レイトショー公開中の筒井武文監督作品
「孤独な惑星」も、寂しさに足下揺らす大人の女の子の可愛らしさ。
1月7日(土)アフタートークに参加します。
- 2012/01/01(日) 23:18:53|
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