仕事部屋

あなたを置いてどこかに行きたい。

雑遊でマチネを観た高木さんとムックに私と瀧川くん合流してチーム愛仮がプチ顔合わせ、「ほどほど」を合い言葉に呑み始めて2時間、赤ペン瀧川先生と上京してきた小形くんと3人で2度目の「ストレンジャー彼女」、愛没チームの4人も観てくれ呑み屋で決定稿ざっくり、毎度の長っ尻に翌朝名古屋に戻ってしまうスエヒロケイスケ氏とナカマイちゃんを付き合わせてしまいマチネが気がかりながら翌日はコーチングで出勤、愛没、準備会、7月スズナリ企画もろもろ全部がいっぺんに動いていて仕事の合間にもなんだかぽかんとしてしまう、長台詞割らないって言われたから愛没の決定稿をひたすら読み「あらかじめ失われた恋人たちよ」を観る、検査入院から戻って以降体調すこぶる悪し、酒飲んで人と話してるときは具合悪いの忘れてるのに「身体大事にしてくださいよ」なんて優しい言葉がずんと沁みるのは、やっぱり調子悪いってことだよなあ、春の暖かさを穏やかに味わう日があるのだろうか、現場で旅行の話をしていたらむしょうにニューヨークに行きたくなった、この季節の、ブルックリンのあの桜が見たい。


  1. 2012/03/31(土) 02:55:39|
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生きることは生まれたことの罰である。

tsumazuki no ishi 「ストレンジャー彼女」初日、スエヒロさんのホンはいつもタイトルが良いな、書きたいことちゃんと視えてないとつけられないタイトルだもんな、そういうとこも含めて、tsumazuki no ishi は偉いなあ、ちゃんと真っ向からエンゲキに取り組んでるんだなあというのが一番大きな感想、死人と死体ばっかりが出てくる話をやって「生きる」を見せる、逆説なのだから浮き彫りになるのは当たり前だけど、拘り過ぎない加減がいい、きっとほぼ同じ資料に目を通しているから人物が登場しただけでネタ元全部判ってしまうし、あんなの出来事に引きずられてしまうに決まってる、格闘の果てに辿り着いた作家自身の「生きる」実感に思えてちょっと泣きそうだった、けどさ、やっぱり優し過ぎるよね、視点が、スエヒロさんも寺十さんも、男だからどうしようもないんだろうな、「救い」の感覚が違うもんな、芝居がつまんなかったらわかんねえくせに中途な同情すんじゃねえって絡めるところだけど芝居面白かったからいいや、塩野谷さんは「生きる」を描いてエロスがないって怒ってて面白かったって言った私にまで喧嘩売ってたけど、私は喋ってない役者を視るのが好きだから、喋らないでずっとそこにいる人がたくさんいて楽しめた、稽古あと3日あれば良かっただろうに、よく間に合わせたなあ、カウントダウンの中で色々折り合いつけながらでも確実に最善を探り当てる根気と野心にはいつも敬服させられる、「劇情コモンセンス」をまんま tsumazuki no ishi でやってくんないかな、今日はマチネあるから芝居の出来は明日あたりが一番いい具合になるんだろう、こういう芝居は毎日通って全ステージ観たいなあ。


日曜夜に追加公演が決定、4月1日まで新宿space雑遊。




  1. 2012/03/29(木) 13:40:03|
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指先のうつろ。

土日のWS、ALPHA出演のシノちゃんやミシェルが参加、津田牧子が赤ん坊連れて顔出してくれひとしきり和む余裕、試演会には乃木さんら来てくれて盛況、大河ドラマ出演中のタミヤスが相方のキー坊と共に来てくれたのも嬉しく大はしゃぎの打ち上げ、深夜になってから宴席にぶらりオノジが現れ車で送ってもらう朝帰りの贅沢、出来の悪い子ほどカワイイと言ったりするがALPHAに関わったすべての人たちが愛おしい。

お酒抜けないままの月曜、7月スズナリ公演のプロット直しやっつけて夜は大福ライブの打ち合わせで熊ちゃんとデート、出来立てほやほやのアナログ盤聴きながらあれやこれや、途中数年ぶりにMくんの電話もらってクリビツ、ぱたり途切れてもヌケヌケ繋いでいくのがオトナのご縁て奴だわな、だって誰かの記憶に少しでも残れることはやっぱり嬉しい、「今どうしてるんですか」と言われ「独身だよ、独身」「あ、じゃあ口説く目的で行きます」なんて言ってくれる男の子だから嬉しいのか。

今朝は井土監督の新作がクランクインでバーチャルダーリンも出動、そちら終わったらこちらなので諸々が楽しみ、そういやタイトルどうするんだ、元は「愛のゆくえ(没)」だけども、つまり二人芝居として書いた「愛のゆくえ(仮)」台本2種のうち没にした方のリサイクル、カズさんが拾ってくれて文洋が乗った、流血の顔合わせで始まって撮影は再来週、実はこの私が台本持ち歩いてるほどの構え、長ゼリフ割ってくんねえかな。

ぼやぼやしながらもなんだかんだ企んであっという間に3月も終わろうとしている、4月は撮影、5月はライブ、6月からは稽古入りじゃないか、進むしかないのなら瞬きの如き日々の流れに救われ赦されで反省を重ねるのも決して悪くないと思う、すっかり大人になったタミヤスが「ちょうど今、俺とマエカワさんが初めて会ったときの、マエカワさんの年齢になりました」なんて言うから自分だけ足踏みしてるような気になったけど。

出鱈目だな、まあ出鱈目なもんだ、とっちらかったまんまただ日々目の前のことを片付けるのに精一杯になってしまう、ちょっといい結果が出るのは紛れ当たりみたいなもんで、すべては人に助けられ支えられでようよう乗り越えている始末だ、それでも一応は大切に思うことがある、見失わず手放さずにいられればいいなんて、ただ放ったらかしてるのと同じかもしれない、こればかりはと願うだけで身動きの取れないそれを、いつまで握りしめていられるだろう。


愛のゆくえ(仮)第二回準備会の詳細はコチラ
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  1. 2012/03/27(火) 11:30:54|
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you protect me.

あのとき、私はとてもうんざりしていて、自分のすることなすことに飽き飽きで、それでもまだ同じことをしなければならず、責任でも役割でもなんでもない、果てしなく自由なところにいたはずなのに結局うんざりなまんま、うんざりさせられることをし続けていて、それが大層ひと様には喜ばれるという皮肉な状況に一人勝手に傷ついて、そうしてしまう自分のことやそんなふうに思う自分のことをやっぱり延々と考えて、自分で自分を計る必要などないのだと結論したはずだったけど、いつだって少しも片付いていない問題だった、なのに次には自分でも驚くほど身軽で、そんな問題など少しも思い出さずにいられて、ほんとにこんなんでいいのかってくらいのびのびと本来そうであるべき自由な気分を楽しんでいて、それは今にして思えば、私が倦んでいた私自身をそれなりに捉えた上で、そんなものはいらないと、それほどにうんざりしてることをわざわざここでする必要はないのだと、今ここに欲しいものはそれじゃないと、最後の最後まで護ってくれる人がいたからで、それは結果がたまたまそうだったという幸運な偶然の一部なのかもしれないけれど、少なくとも私が倦むことは間違いなく何一つ不必要であったし、それじゃあどうしましょうと答えのないまま一つの方法を棄ててかかることを支持して、別の方法を見つけるまでただ黙って視ていてくれる人がいたということだけど、胡乱な私はそのことにまったく気がつかず、むしろ別の受け止め方をしてひたすら孤独を気取って闘う心構えにすらなっていた、アホやな、まるきりアホやなと今ようやく思う、それに気づいたのは今また私は凝りもせずうんざり飽き飽きするようなことをしでかしそうな気がしているからで、そうか闘うべきときはあのときじゃなくてこのときなのだと思ったことと、相変わらずうんざりすることを無意識にも私に求める人がやはりいるのだと思うことと、ではもし闘ったらどうなるのだろうと考えるとき、今の私には絶対の安全地帯としての共闘が、護るつもりがあろうとなかろうと護られるだろう結果が、何より確かなものとして、それだけが私にはあり、本当にあるのはそれだけだなあと。

そして今強く思うのは、ああ、私はあなたのような人になりたいなあと。




  1. 2012/03/22(木) 04:12:31|
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あなたが手を置くそれが核爆弾のスイッチであろうとも、私はあなたに手を添える。

オフィス・コットーネのプロデュース公演「黄色い月」@スズナリに伊佐山ひろ子女史を誘って雨の下北沢、高田恵篤氏の演出は確かにあの戯曲に合ってるんだと思う、が、強烈な何かを残すに至らずでちょっと物足りない感じ、今の自分が欲するものが違う質のものだからだろうけど。

終演後べべさんと新雪園、芝居に付き合ってたテルコとチバミクに色々気遣ってくれる様子にちゃんとオトナの人なんだなあと失礼ながら感嘆、スズナリで会った塩野谷さんも合流して、オトナのお兄さんお姉さんに生意気言いながら紹興酒のボトル6本、勿論コドモたちは先に引き上げた。

最後は塩野谷さんと20年ぶりのサシ飲み、ここ一週間の反省含めて今抱えている不安や怯えを打ち明け、懇々と慰められ励まされ、ちょっと泣きました、我々はいつでも芝居の話しかしないけど、教わっていることはたくさんあるんですよ、兄さん。

バイトだと思って早起きしたら現場がお休みだった、二度寝でお酒抜いて、昨夜のうちに成田くんが届けてくれていた準備会の稽古映像をチェック、やっぱり真打ちパートだけは記憶がなく映像で視ても何一つ思い出さなかった、確かにへべれけ、けどエチュードとしてはそんなにマズくない。

勿論マズくないなんてところに満足はない、酔ってふわふわココロが軽くなって面白いように揺れる、画像を視ていて自分が相手の台詞にがっつり傷ついてるのとか怒ってるのとかくすぐられてるのとかがわかるからちゃんと芝居になってるじゃんと思うけど、それと同じことを飲まずにやれなきゃしょうがない、これじゃまるでさや侍。

いろいろ、ほんとに色々なことを、もういいだろってくらい考え続けた、昔の私だったらもっとどうしようもなく凹んで、全部投げ棄てて逃げ出していただろう、我ながら根気よくなったもんだと感心する、「絶対に大丈夫」なんて言葉、昔は怖くて使えなかった、だって今でも「絶対」なんてこの世にはないと思っている、それでも今は言える。

それは根気じゃないのかもしれない、きっとただ信じる筋力がついたんだろう、ココロなんて危ういものを、状況や状態なんて不安定なものを、運やタイミングなんて不完全なものを、待てるってことは信じてるってことだろう、そう言葉にするときは揺らいでいるときなのかもしれないけれど、揺らぐことが怖くない、それがいつかとの違いだ。

伝えたい言葉は未だ見つけられない、初めは飲み込んでいる感覚があったけれど、今のそれは飲み込むでも溜め込むでもなく、言語物質が生成されていないという感覚、ふと思い出した、かつて私がそうだったのはいつだったか、潔いほど言葉を使わずに日々を過ごしていたあの頃は、毎日芝居をやっていて、他人の言葉ばかりを喋っていた。

体内にこぽっと湧くもの、それは自然にしていれば自分の言葉になって排出されるものだけど、他人の言葉を口にするという不自然なことをするときには必要な物質として吸収されてしまうのかもしれない、次々吸収されてそれでもまだ足りなくて、身体はこぽこぽ湧いてるのに、言葉にはならない。

あの頃の私が書いた芝居には、「言いたいことがひとつも言えない」という台詞があった、台本には書かなかったけれど、稽古していて付け足そうと思いつき、登場人物全員がてんでばらばらなタイミングで客席の中を歩くときにぽそりとその言葉を呟く。

つまりあれだ、体内には言葉になりきらないもやもやしたものがいつだって湧いていて、そのモヤモヤを抱えてるってことが、演じる状態、物語る身体であるってことなんじゃないだろうか、であるならば今の私は随分と久しぶりに演じられる状態に届いているんじゃないだろうか。

稽古映像で自分の芝居を分析するとかつて「スイッチングの芝居」と言われた自分の資質が随分と変化していることが判る、その頃は両極に広い振れ幅がキャラクターに見られていたけれど実際のところはスイッチング操作をしている自分を隠していたんだろうと思う。

あるとき、ワタシには振れ幅なんてない、ただのスイッチャーだと気づいて、がっくりと自信をなくした、人様に見せられるものなんて何一つないと恥じ入って演じることが怖くなった、それからしばらくしてもう一度芝居をやろうと思ったときには、スイッチャーとしての自分を曝すことから始めた。

今も薄々に私はスイッチャーとしての自分を曝す、スイッチング操作ができないスイッチャーとして、スイッチに手をかけて小刻みに震える自分を曝す、如何にスイッチしないか、幅の中に取り込まれずにそこにいられるかを試しながら。

そうか、「演じる私」は着ぐるみだったんだな、重たい着ぐるみだからジタバタと大振りに動く、着ぐるみを脱いだワタシはただそこに踞って一歩も動けない、目を凝らし耳を峙て様子を窺う臆病な動物みたいなもので、撫でようとする人には噛み付いたりもする。

まあいい、ココロなんてわからない、手がかりはもういらない。




  1. 2012/03/19(月) 01:32:03|
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とぼとぼの夜。

バイトでくたびれ果てての帰路、電車は遅れてるしiPhoneの充電は切れるしでげんなりしながら地元のデニーズに行ったらたまに遊ぶ近所の大学生が「いらっしゃいませ」と迎えてくれ、あー似てるなあーとぼんやり思いながら「喫煙席で」などと案内され「こちらでよろしかったでしょうか、マエカワさん」と言われるに至ってようやくそれが似てるんじゃなくて本人であると気づき「うーあー」などと唸りながら深夜零時過ぎてようやくの夕飯、離乳食のように頬張りながら考えるはここ数日悩ましい没台本のファックシーンのこと、自分でも結論出せぬままちょっとだけやり取りして黙々離乳食、いつしかまた別件のこと考え出すのは少しストイックさを取り戻したのか、食後に煙草ぱかぱか吸って働く大学生を眺め、演技の生理と論理について言葉を探す、言葉が届いていないからといって何も思っていないわけじゃない、ただ相応しい言葉を見つけあぐねている、気安い言葉は必要じゃない時だから、こういうときこそうんと深いところまで言葉を探すのが良いのだ、この頃ひどいことばっかり言われてるからそりゃまあちょっとは凹むけど、泣きついて頼りたい人に今度ばかりは意地を見せる、きっとどうせ「への字」の顔が見えてるだろう、デニーズ出たらやっぱりまだ風が肌寒い、暖かい腕に抱かれてぐっすり眠りたいもんだなあなどと思いつつ、とぼとぼ帰宅。


  1. 2012/03/17(土) 01:56:50|
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果報。

出てくる名前は結局80年代小劇場の名優たち、それじゃあ代わり映えしないなあ、感覚を共有できる世代で固めちゃつまらんなあと延々候補が決まらず、そそられる役者に会いに行けば話には乗ってくれるがスケジュールが合わず、こういうのはご縁だからねえと慰めつつもじゃあどうしようとまた悶々、とにかくこちらの企画を面白がってくれる人、しっかり客が呼べる人、呼んだ客を裏切らない力量で、できれば普段はこういう役をやらない人…などなど次から次へと欲ばかり、それでも絶対に諦めない、絶対にタイミングと要望とお互いの興味が合う人はいると信じての悶々が三ヶ月以上、予想以上のご縁がつながって、ようやく「愛のゆくえ(仮)」全キャストが決定しました。

2人芝居で全キャストってところが企画の目玉です。
詳細は愛仮ブログで。



  1. 2012/03/16(金) 11:59:04|
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上出来じゃないか。

また同じ失敗で猛省の自己嫌悪、今度は心配させるわけにもいかず黙々自己軟禁で内省、耐えきれず夜中の散歩で大きな月、くっそう!と珍しく悔しがってみたりして、どうしようもなくなって放置していた構成案一本を概ねまとめて夜中に送信、明けての今日は反動でがむしゃらの活動日、正午に仕事の連絡あって俄然意地が湧く、まずは渋谷で試写、道すがらメールでやり取りし始めた案件が試写の終了と共にいっぺんに動き出し、そわそわしながら新宿でFPアドバンス社長と打ち合わせ、解散後、駅の通路に立ったままひたすらメールのやり取りで雑務を進め、次までの空き時間を確認して下北沢に移動、チャンスをがっしり掴むためワンタッチの挨拶済ませ、電車内で書類関係の雑務をやりつつ阿佐ヶ谷でバーチャル・ダーリンと合流、興奮気味だった心持ちがほうっと解けたのも束の間、忘却の彼方であった準備会稽古映像の一部を見せてもらい絶句、自分がしたことなのに観ても何一つ思い出せない、感覚も感触もない、しかもなんでそんなことになったのかまるで想像がつかない展開の稽古になっていて心底の驚愕、バーチャル・ダーリンにも「飲み過ぎ」と警告されだらだらと反省の弁、映画やら芝居やら恋愛ごとやらを挟んで結局は愚痴、私はどうして必死になれないのか、何故に一生懸命ができないのか、どうしていざというときに踏ん張れず逃げるのか、適当にそこそこやって、その結果に満足できないから未だここにいるのに、必死の結果を出すのが怖くてまたそこそこで誤摩化してしまう、つまるところ目前の問題一つに絞って集中できない性質なんだよなあってのはダーリンと話した通り、一つ一つを丁寧に置いてかかれない、枝葉の広がりばかりに目がいってしまう、大事な結果を出せない、次こそ踏ん張ろう、今度こそ必死に食らいつこうと思いながら、必死のつもりでいても余力を残してしまう、その余力をすべて振り絞った先の結果を誰よりみたがっているのは自分自身のはずなのに、どうしてそれほど自分を信じられないのか、もしくは何故私は私を赦してしまうのか云々、早めの解散で帰宅して日中の活動に伴う残務少々、別件を電話で確認、メールで反省を追伸、落ち込む暇こそないけれど未だ反省は続いている、反省しているはずなのに頭の中にはまた別のことが浮かんでいる、それでもまあ今日に限っていえば、旧い人と十数年ぶりに偶然の再会をし、新しい人と意図的に初めての面会をし、反省すべきことを抱えながらも進めなければならないあれやこれやをぐいぐいと動かし、ささやかながら他人様の手助けをし、愚痴ろうとも落ち込まずにやり過ごしたから良しとしたいところ、だけどきっと世の中の働く人にはそれが当たり前の毎日なんだろう、そこで自分を甘やかしているからいかんのだろう、そうだろうとは思うけれど、一日にこんなに動くなんて私にしては上出来だ、誰にも褒められなくともやればできるじゃないかと言いたい、しっかりしろとエンジン蹴り上げたい、じくじく内省して何かやったつもりになってちゃいかん、明日死んでも悔やまない毎日なんて生温いじゃないか、悔やまないよう加減よくそこそこやってるせいで生きてるうちから悔やんでるんじゃないか、あんな言葉は二度と聞きたくないし言わせたくない、もういっそしんどいもん全部こっちに持ってこい、全部やってやるって気になるんだから、これも一種の調教なんだろうなあ、腹立たしいことだなあ。




  1. 2012/03/14(水) 02:43:55|
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現在書店に並んでいる幻冬舎の文芸誌【GINGER L】に短編「しゃぼん玉ホリデイ」が掲載されています。
立ち読みデキマス。


  1. 2012/03/12(月) 14:05:42|
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生殺し。

前夜の段階で寺十さんの参加が決定し、うきうきとテンション上がって眠れず2時間の仮眠、ALPHAの神父オノジが車で迎えに来てくれドライブ気分で13時に稽古場入り、黙々一人で照明の仕込みやってる神保さんと、稽古場管理の中山くん、続いて制作チームの靖子さんと勝呂が到着、オノジが色々手伝ってくれて用意万端、13時半に石塚くん到着、ほどなく寺十さん来て石塚くんと何やら雑談を弾ませていた、こちらはそわそわと居場所がなくビール飲み始め迷子になってたタッキーが到着していよいよな感、定刻開始でまずは本読み休憩挟んでの3セットでビール3本、その後のエチュードは石塚タッキーが1時間目処、4缶目のビールとワインのフルボトル1本を空け、真打ちとのエチュードは寺十さんの全裸と焼酎飲み始めたこと以外まったく記憶なし、その後の懇親会も撃沈で失礼、目覚めたらうちの玄関で寝ていた、今日になって観に来てくれていた三浦くんから「首締めるのが良かった」など聞いてぽかん、オノジや靖子さんから少しずつ状況を聞き例によって大反省、改めてのお詫びに「ウケはいいけど芝居にはなってなかった」と寺十さんのダメ出しあってまったくしょんぼり、稽古で良かった、これより酷くはならない、自分自身の演じるという感覚についてかなり真摯に考えている、久々に演じることが怖くなった、早く稽古したいなあ、まだ半年以上も先なんだよなあ、生殺し企画だわこりゃ、明日があるようでないようで走り出すタイミングが見えない、長患いの病気してる感じ、なんかほんと変な感覚。


第2回準備会は4/14(土)、参加お申し込みはブログの申込フォーム、またはCoRich!からどうぞ。


  1. 2012/03/11(日) 22:04:38|
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