仕事部屋

防腐剤は使っていません。

今日、帰宅したタイミングで届け物をしに来てくれたアケミちゃんと呼ばれている早苗ちゃんにも「なんだか雰囲気が違う」と言われたけれど、WSの時にもコーチングの現場でも「ほっそりした」だの「ガリガリになった」だの「ギョロ目が目立つ」だの言われている、減量を始めたのは今月頭からだけど飲み屋のツマミは食べていたから実際は4/5くらいからだろうか、減量用の野菜スープとトマトジュースとプロテインを用意してパンだのパスタだのの粉ものをやめて雑穀米を一日一食で後は液体系、芝居やるときは自然に落ちるけど愛没の撮影があったから強制的に落とした、すぐに落ちてすぐに増える体質なのでインのときには5kg減の目標に届いて身体が軽くなった、体調良いのでそのまま続けているのだけど、先日名古屋のサウナで体重計に乗ったら8kg減、コーチングの現場がハードでこれまで勤務日には食べるようにしていたのに食事する暇もなく、帰ってくると疲れ果てていてプロテイン飲むのが精一杯な感じだからか、今日は現場が早く終わったのできっちり牛タン麦とろ定食とか食べてきたのだけど、鏡を視るとやっぱり顔立ちが違っている、「もっと筋肉をつけろ」だの「ぽっちゃりしている方がいい」だの「あなたは細くてかっこよくなきゃだめ」だの男の人は好き勝手を言うもんだ、「結婚したい」だの「愛人にしたい」だの「一回お願いしたい」だのの好き勝手には馴れたけど、お愛想半分で言われるそうした類いの言葉って時々むしょうにざりざりとココロを逆撫でしたりする、それはそれでまた顔色に滲むと「ほら、ダイエットとかしてるとイライラするんだよ」とか言われてデニーロが芝居のために減量してもダイエットとは言わないだろうに女のそれは全部見栄えのためのダイエット扱いかよとまた不機嫌に口ごもる、食べたいもの我慢してるわけじゃないからそんなに影響してないと思うんだけどやっぱり影響するんだろうか、考え事に集中できないような気もするけれど、つまり言いたいのは男の人は女の人の見てくれの変化に反応しなければいけないとどこで教わるのか、「髪型違うね」とか「今日、化粧してる?」とか「そんな服持ってたっけ」の類いを喜ぶ女ばっかりじゃないのだよ残念ながら、私はただ、自分の好きな自分の顔を見ていたいだけで、強制的な減量でそれを追いかけているけれど、本当は精神的な充足があれば一瞬にしてその顔が出来上がるし、本当にその顔を見せたいのは自分じゃない誰かなんだから、そうじゃない人にあれこれ感想を言われるとイラっとするじゃないか、そもそも仕事しに行ってるところで「笑うとカワイイねえ」「君が女優になればいいのに」などと暇に任せて口走りやがるそれがイラっとさせるんでほんとにもうやめてください、そう言われてきゃっきゃはしゃぐ年じゃないんですオバさんなんだから、なんてことを唯一身許を知っているチーフマネージャーにぼやいていたら「身許隠してて舐められてるんなら、名前出してもいいよ」って、そういう問題なんでしょうか、前川麻子って名乗れば泣く子も黙って男も避けるんでしょうか、そんな看板いらねえよとも思うけど、タレさんに影響したら嫌だからこのままでいいですって答えた、どうせなんの看板上げたって女やってればなんやかんや言われるし、なんてことをいつもに増してぐずぐず考えるのは決して弱っているからではなく、女の話を書かなきゃならんからで、考えれば考えるほど女ってのは不可解で厄介な生き物だなあと思うからで、自分の中にそういう面倒な資質があると気づくのはいつだって男の人のあれやこれやだなあ、男がいなきゃ女なんて女やってないだろうなあ、なんてのが今のところの思考、ハタチの時に板前カットで男役との二役をやったっけ、今度は坊主刈りにでもするかなあ、刈り込むと三上博史に似てるって言われるんだよなあ、会ったことあるけど確かに似てたなあ、いっそ人生全部辞めて三上博子って名乗ろうかなあ、なんて下らないことを割と本気で考えたりするくらい女にうんざりしながら女の話を考えており、この先稽古に入って女の芝居を作るなんて日にゃ誰よりがっつり女になんなきゃ敵わんのだろうが、いっそ負けてかかれるオジサンになっていたいとも思う、それとも女でいたくても日に日にオジサンにさせられるのかもしれないけど、ああ稽古場にALPHAのイケメン男子を数人連れて行けばいいのか、そういうことじゃないのか、しかしまあべべさんも松永さんも明星さんも今回のキャスティングは見事にサバサバしたハンサムな女優たちだ、てことはやっぱり私なんぞ中途でするりと女にさせられてしまうのかもしれない、そうなったらそうなったでちゃんと女扱いしてくれる男の人が必要になったりするんじゃかろうか、もしかしてすでにそういうところでモグラ町のおじさんたちを恋しがってる節もある、違うな、モグラのおじさんたちが恋しくなるときは女じゃなくて女の子扱いして欲しいときなんだろう、そしてきっと今の私がそうだ、むやみに下心混じりの女扱いされて疲れてしまっているんだろう、女の子になりたいなあ、なんて思うくらいだから絶対になれないんだろうけど、女の子扱いなんかされたらきっとすぐに拗ねて女の力試しみたいに押し倒したりしちゃうんだろうけど、やだなあ、そういうところが大変に女っぽいのだなあ、まあつまりどうしたって女なんだよなあってところにまた落とし込まれ、それを受け入れられた人と受け入れられない人とがいて、受け入れたつもりでしくじってる人がきっと一番多くて、世の中の女たちはどうやら女の使い道を間違ってるんじゃないかと思ったりするわけで、わたくしなんぞは自虐気味にぼやきつつもまったく正しく女を引き受けており、それは実のところ大層にシアワセなことであり、うんざりなふりをしながら満たされていたりもし、私はきっと女じゃなかったらナニモノにもなれなかっただろうなあなんてことを、四十半ばになって初めて思ったりもし、それはつまり誰か一人の女であればそれだけで充分にやっていける年になったってことで、女でも女の子でもちやほやされて初めて実感したり満足したりするようなそれでなく、充分にしっかりと地に足の着いた女になれたというような、人生史上最長の恋人いない歴がそうしたんだろうと思うと、ああきっとこの先年取るごとにまたエロいエロい言われる羽目になりそうで一体どんだけエロい婆さんになるのやらとなんだか愉しみになってきた、しかし女を考える頭の片隅には賞味期限という言葉もチラついて、愛もセックスも間に合ってるのに一体何が欲しくて愚図ついているのかと、また考えたり考えなかったり、これはいつもの書く前のウォーミングアップなのだけどきっとPは心配してるんだろうなと思ってニヤついたり、そもそも沈思黙考のガラじゃねえよ、こんだけ言葉を吐き出してもまだ飲み込んでることがわんさかあるんだから、思わせぶりに黙り込んでもかっこつかんのじゃないかと開き直ってみたり、駆け引きいらずの関わり合いを死守すべく絞り出してることなんぞ気づかなくていいから、律儀に不安がってクモの糸みたいに辿らなくていいから、どうかどうか無事でいてください。


  1. 2012/04/28(土) 03:04:21|
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偽装する。

泣きつきたいとき、泣きつきたい人がしんどそうだと泣きつけない、そもそも泣きつくのが下手だから、「どうしたの?」と訊かれても何も言えないから、そばにいてくれるその時にしか泣けないから、しんどさを先に開いてくれるその人のそれを、つい受け止めようとしてしまう、受け止められやしないのに、せめてと両手を出してしまうのだ、役に立つことなど何もない、何もしてあげられないと承知でも、しんどさを知っていてあげたいから、それはつまり自分のしんどさを知っていて欲しいと望んでいるからそう思うのだろうけど、それを言葉にするのは難しい、言葉にせずにいることで察させてしまうから、ちゃんと言葉にしなければいけないのだけど、メールだの手紙だの電話だので言えるほど気楽なことじゃなくて、その人がそこにいて私を抱きしめてくれるときに、そっと泣いてみるのが精一杯だから、そうできないときにはただ一人で泣いている、呼べば来てくれる人もいるだろうけど、そういう人の前では泣けないから、やっぱり一人で泣いている、しかしどうにも残念なことに、泣けば楽になるはずなのに一人で泣くと少しも楽にはなれなくて、泣きつきたい気持ちを繰り越しながら日々をやり過ごすことになる、だからその人に会うときにはまた笑っているだろう、そしてその人はまた察するに違いない、泣きつかせられない自分に気づいて余計なことを背負っていつかまたしんどくなる、だからまずは泣かずに、泣くのを堪えるんでも一人で泣くんでもなく、泣かずにいられる強さが必要だ、誰かのしんどさをしっかり抱きしめてあげられるように両手を空けておかなくちゃならない、つまんない哀しみを勿体ぶって握りしめていちゃだめだ、自分で自分を抱きしめていちゃだめだ、自分の手はいつだって人に触れるために空けておかなくちゃだめだ、いつだって俯いているその人がついと顔を上げたときに、「ここにいるよ」ってひらひら手を振ってあげるんだから。



  1. 2012/04/25(水) 01:21:32|
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愛は足りている。

ベテラン宮島さんが参加してのWSも無事終了、試演会には2名の観客、楽しんでもらえたことで若手も自信を持てた様子、久々参加のウッチー、下働きメインでなかなか役者のステップが踏めずにいたスグロ、ALPHAからのミシェルとスケジュール調整して来てくれたナオキらは何をどう演じるかって考え方が削れてきて人そのものを演じることに気づいての目覚ましい進歩、成果が視えてようやく自分のやり方を信じられる不確定な方法論だけど、それでいいんだと思える瞬間がちゃんとある。

いつも何かしらの不安要素を抱えてるけど、えいやってやっつけちまう腕力があると思ってた、煽られ励まされ支えられ教えられ、ココロの落ち着きを得てみれば確信は容易い、安定の中でのモノ作りなんてあり得ないと思っていたのは何故だろう、これまでだってきっとあったはずなのに、安定を自覚してみればこれほど冴え冴えしてるじゃないか、ならばまだまだがむしゃらになれる、生き急ぐ目まぐるしさは目くらましじゃないはず。



【愛のゆくえ(没)】←「没はあんまりじゃ」という声もあってまだ仮題。




あらすじ
都内アパートの一室で人目を避け息を殺して生き続ける男と、偽りの名で社会生活を送りながら男を活かし続ける女。
2011年、震災から1年を経て男はその部屋を出ることを決意する。
いつも通りの時間の中で、いつもとは少し違うお互いに気づく2人。
2人の17年間の答え合わせが始まる―。


作品解説
アンファンテリブルプロデュース公演「愛のゆくえ(仮)」のために前川麻子が書き下した戯曲の一つを、『へばの』(2008)木村文洋、高橋和博らにより映画化。


出演・寺十吾 前川麻子
監督・木村文洋
脚本・前川麻子 木村文洋
撮影・高橋和博
録音・近藤崇生
録音助手・野崎芳史 西垣太郎
制作進行・遠藤晶
助監督・吉川諒
スチール・平野敬子
特別協力・中植きさら


公開未定。


  1. 2012/04/23(月) 15:59:40|
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目まぐるしい。

水曜深夜に夜行バスで名古屋に向かう、到着朝6時にデニーズで朝ご飯、その後金山に移動してサウナ、マクドナルドで2度目の朝ご飯、ぶらりぶらりと散歩で時間を潰してからデイユースの部屋にチェックイン、スエさんの連絡を待ち駅ビルのパブで逢瀬、書くことを中心にそれぞれが抱えている課題について話していたはずなのに気づいたら愚痴っていた。

一旦解散してB級遊撃隊のアトリエで「土管2011」を観る、サイズが違うとシュールさが和らいで身の丈の話、ヤラレタ感は薄らいだけどぐいと胸をつく孫娘の健気さがより際立ったように思えた、コウスケがのびのび楽しそうだったなあ、お母さん気分で「コウスケをよろしくお願いします」なんて言ってみたりして。

終演後は佃さんのお気遣いにより味仙、再びスエさん合流して楽しい宴、そもそも諦めれば良かったのだけど予約していた東京行きの夜行バスには無論乗れず、コウスケの運転でホテルに落として貰いデイユースの部屋にそのまま宿泊、翌朝はチェックアウトしてから近所の喫茶店でモーニング、その昔名古屋にきたときは喫茶店のモーニングに味噌カツがあって仰天したけれど、ブラジルコーヒーというその店は至ってノーマルだった、喫茶店のモーニング好きは父親の影響だなあなどと思い出すのは私にとって名古屋は父がCBCでパーソナリティーをしていた記憶が一番強いせいか。

ビジネスマンに混じっての新幹線、戻ってすぐに約束していたので、朝から胃袋をキリキリさせていた、車内でもひたすらに恐怖とか不安とか感謝とか信頼とかから絞る言葉を考えて、考え尽くした先には「構えず向き合う」しか思いつかなかった、アケミちゃんが顔出してくれたのでお土産の名古屋コーチン鶏めしの素を渡し、ささっと身支度してまた外出。

今回ばかりは記憶を飛ばすことのないようもの凄く集中して頭を働かせていたせいか、話が落ち着いた段階ですっかり記憶を消失、どうやって店を出たかもわからないまま気がついたら喜多見駅のホームで終電を降りたところ、渋谷で飲んでたはずなのに何故小田急線なのか、しかも何故喜多見なのか、釈然としないままタクシーで帰宅、メーター視て泣きたくなったけど、ひとまず無事に帰り着けたので良しとして。

整理して飲み込もうと、いつものことながら遅い反応を返そうと、酔いの滲む頭でまたひたすらに考えた、集中して聞くとこんなにも情報量が多いものなのか、これまでどれほどぼんやりしてたんだとまた反省したりもしたけれど、道筋と立ち位置が視えたから、より確信に、より本質に、ただシンプルに流れ落ちる、結局言葉にできないものだけを確かめ合ったんじゃないか、必要なのはそれだったのかと、水面に浮上してぷはっと息を接いだように呼吸が軽くなった感じ。

明けての土曜はワークショップ、鵺的で共演した宮島さんが参加してくれ暴力おじさんが見知らぬ若者に絡むという都電エチュードなど堪能、今月からテキストは「愛仮」を使用、明日の試演会にも勿論宮島さんが参加する、冷やかし歓迎、会場は東池袋サンライズホールで19時から、入場無料、愛仮・宮島バージョンやっちゃおうかな。





  1. 2012/04/22(日) 02:03:49|
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学習能力が低い。

ぼちぼち7月公演の雑務も出てきてバタバタしつつACC新学期の初日、50枚分量の力作が多数提出されていたので鉛筆入れてからも2度3度の再読で臨む、個性と習性、センスと技術、俳優の仕事でも同じだけれど端的なことの積み重ねでしか結果は出ない、読む書く、観る演る、喋る聞く、新クラスの人数がWSと同じくらいでやりやすかったのもあってついついの軽口を反省、品のない講師と思われただろか、トライアル後の定番ウツを皆さんに心配戴いたが翌日には早々平静を取り戻して様々を消化、独り善がりな飲み込みでなければいいのだけれど、確かめられるのはまた次のトライアルになる、トライアルという試み自体が問題提起になりつつあってしめしめな手応え、「あってもいい」が「ない」から「やる」という意固地の向こうに、「ない」には「いらない」の理由があると知ってはいても、「やってみる」を踏まないと先に行けないんだからしょうがない、実のところ何も試してなどいない、違う答えが出るのを待って思い出したときに同じことをしているんだろう、そういや結婚もそうやって繰り返してるじゃないか、繰り返すうちほんとに必要なことが知れたじゃないか、好んで足踏みするんじゃなく、確かに越える足場が欲しいからいつまでもそこにいるのかもしれない、致し方なく、というと後ろ向きだけれど、心中はこれまでになく前向きで、苦言も失言も暴言も妄言も何がありきか心得てどっしり抱え込んでいるのだ、その証しにこれからひょいと一人夜行バスの旅、括れた腹から絞れる言葉を考え尽くして帰って来る、言葉にならない、言葉はいらないなどと言ってる場合じゃない、それしか道具がないんだから使うしかないじゃないか。



  1. 2012/04/18(水) 22:09:44|
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軽く絶望したりする。

愛没は金曜の夕方に無事クランクアップ、打ち上げもやってしまう効率の良さ、映画はあっという間に終わってしまうというボヤキにスタッフが「これからの作業がまた長いんです」、まったくそうだろう、役者なんてパーツでしかない。

翌土曜は準備会、第二回目にして稽古の方向性が大きく変化。

寺十さんから事前に「エチュードをやるだけでは積み重ねがない。稽古としての限界を感じる」との話があり、提案の一つとして、「アンダーを入れて自分が稽古をつけていけば、新しい発見もあるだろうし、芝居を作る過程を見せられるのではないか」とあって、準備会前日に碓井将仁くんがアンダーとして来てくれることになった。

当日にも「もうぶっちゃけてくしかないよね」と、寺十さんが仕切りを決意、参加の皆さんにこれまでやってきたことの問題点を打ち明けて「今日はこういうやり方をします」という説明から入り、通して本読みをすることもエチュードで全体を通して見せることもなく、アンダー碓井くんに立ってもらって寺十さん演出の中でホンへの正当なアプローチとして細かなことを重ねていく稽古となった。

14時から20時の6時間を準備会としているので稽古は3時間の区切り予定、通常の稽古ならあのまま6時間やっていくところなので個人的にはこういうやり方を見せるには時間が短いなあと思いもしたけれど、見物する人にはあれくらいがちょうどいいのかもしれない、稽古後の意見交換会で「退屈しませんでしたか」と聞くと、参加の皆さんは口々に「ちっとも!」と言って下さった、自主映画系の女優さんや監督、演劇の演出家や俳優など、やはり創作過程に興味のある方々が多かったせいもあるだろうけれど、本来の「公開稽古」の意味合いがより強く打ち出される結果になったと思う。

意見交換会でも積極的に意見や質問をして下さる方がいらして、新しい課題も戴いた。
参加の皆さんが自然にお互いの感想を話し合ううち見知らぬ人と和やかに飲み交わす、良い雰囲気。

が、時間で一旦仕切り、居残り組の深酒となったあたりでぼちぼちと寺十さんの本音が漏れ出し、「ワークショップでは仏のようなのに俺と飲んでると鬼のようなことを時々言う。こないだもヒドいことを言われた」と恨み節、こと準備会の意義に関しては私とのシビアな言い合いに周囲がやや強張る瞬間もあって、つくづく泥酔してなくて良かったと。

会場は終電解散、碓井くんを連れ帰って朝6時まで延々芝居の話、あれこれ聞くほどに自分の考えややり方の反省が重なる。

逃げられないところに踏み込んでしまったと感じているのはお互いにそうだろうし、それはスタッフワークを手伝ってくれているWSの連中や、忙しい中顔を出してくれる11月公演のスタッフも皆そうなんだろうけど、本当にどうにも恐ろしくて足が竦むこの感覚を、まずはなんとかしなければなあと、たっぷり眠って目覚めた今朝も解放感のないまま考え込んでしまう。

寺十さんにも「すぐに楽な方を選ぶ」だの「俺はもう前川麻子の芝居に飽きた」だのなんだの散々に言われた、どんな仕事でも楽しみ方を見つけ出すのが第一にすべきことと思うが、楽しむことに対しての真摯さが私には足りていないのかもしれない、それは寺十さんが手がける何を視ても必ず気づかされる、敵わんなあと歯噛みする、いっそもう役者なんか金輪際やめてしまおうかと追い込まれる、私は何がやりたいのだろうと途方に暮れる、そして、そうなることをわかっていてわざわざこういう企画を立てたんじゃないかと思い出し、頭抱えて踞りたくなるような苦しみの中、その苦しみこそ自分が必要としていたもので、ちゃんとそれがあるじゃないかと考え直すのだけれど、それでもやっぱり苦しいものは苦しい、楽しいばっかりの現場に帰りたいなあ、モグラ町恋しいなあなどとまたヒヨり、私はきっと留まりたいだけなのに、前に進みたくなんかないのに、前に進むことでしか留まる手段はないってことなのかと、軽く絶望したりする。

なんだろう、この、毎回毎回、終わったあとにうんざりする感じ、全部捨てたくなる感じ、死にたくなる感じ。




  1. 2012/04/15(日) 16:26:07|
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3分の1の実感。

日曜にキャスティングの面接一件、ピーちゃんのサロンでメンテナンス、アケミちゃん付き合わせて台本の読み合わせ、万全な体勢で月曜に「愛のゆくえ(没)」がクランクイン、そういやちゃんとしたカメラ担いでるバーチャルダーリンみたの初めてだった、朝8時に荻窪駅周辺の撮影からスタートして午前中一杯はそう多くない単独シーンの屋外撮影、角を曲がれば昔住んでいた家があるはずというロケ地で懐かしかった、昼飯前に顔色悪い共演者ピックしてロケセットに移動、飯休憩後に屋外の残り撮って遮光して前半のイブニング~ナイトシーン、精鋭6人のスタッフながら1人1人が優秀で概ね快調、オミットしたとこもあったけど芝居場面を予定より多く撮って初日は終了、一場面先に上がった共演者と終電あるスタッフが帰って徒歩30分の駅前で初日打ち上げなるもスタッフ全員が監督へのダメ出しに終始、全員腹の底ぶちまけても険悪にならないのは監督が打たれ強いキャラだからなんだろう、何をやるかは後からついてくる、どんだけの人を集められるかが最初の一歩なんだから文洋にはしっかり才能があるんだな、荻窪に18時間滞在して帰宅の深夜から翌日にかけて共演者に宴席で話したことの報告、現場どうだったとお伺いしたら「まだ手探りだけど楽しい」と返ってきたから文洋はモノローグ映画捨てられるんじゃないか、監督の撮りたいものやることだけが俳優部の仕事じゃない、監督に撮れないものを、たとえ見せるだけだって、やったらいいんだと思う、コーチングでも顔見世でもなく自分の居場所がある現場は久しぶりだからどこか気負っているのかもしれない、予想以上に現場で気楽に馴染める自分がいて安堵した、戸惑ったり身構えたりしているのは私より周囲の誰かだとわかればいつもの太々しさも取り戻せる、3日なんて撮影日数あっという間だろうけど準備会の生殺しが続く間の集中できる短期決戦があるのは幸運かもしれない、重たい場面ばっかり残して2日間のオフ、しっかりメンテナンスして次のことや次の次のことにも少し触れておく、この時期の多重債務を消化すれば後がきっと楽なはず、世の中は花見に浮かれて穏やかな季節なれど、今年は勝負続きでため息つく隙もない。



  1. 2012/04/10(火) 13:49:30|
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いつか辿り着く。

第一回準備会に代役で客演参加してくれた瀧下くんが出演する劇団S.W.A.Tを観に花冷えの下北沢「劇」小劇場、素晴らしい完成度と安定感で驚嘆、熟練の妙、なんたって第45回公演。

観ている間、私は何を捨ててきたんだろうと考えていた。
そうしたら涙が溢れてきて、止まらなくなった。
終演後、タッキーに挨拶してからとぼとぼ珈琲を飲みに行ったけど、珈琲を飲み終わるまでずっと涙が次から次へと溢れてきて、ずっと止まらなかった。

そこには、20年前に私が捨ててきたものが、前よりずっと力強くキラキラしてて、それが愛おしくて懐かしくて切なくて、憧れるような気持ちになって、私はそれをいらなくて捨てたんじゃなかったんだなあ、なんて思ったし、もう取り戻せないのだから、先に進まなくちゃなあ、などとも思った。

折しも、twitterでは7月企画のキャスティングが公表され、いくつかの反応が上がっていて、勇んでコメントをつけながら、ずいぶん遠いところに来てしまったんだなあと思った。

一緒に観たかった人の顔がいくつも浮かんだ。
きっと、今その顔が目の前にあったら、抱きついてわんわん泣き出してしまう。

泣いてしまうから思い出さないようにして来週の撮影の為にちょこっと買い物しての帰路で7月企画のプロデューサーからキャスティング相談のメールをやり取り、そうだ、先に進まなくちゃ、振り返って懐かしんでる場合じゃないんだからと思うのだけれど、やはり胸が痛む、亡くした犬を思い出して嗚咽を上げるのと同じ痛みで、今も泣いている。

劇団S.W.A.T


だがセンチに浸る暇もない、明日は7月企画のキャスティング面接、明後日は愛没のクランクイン、アップしたら準備会、翌週にはワークショップ
やっぱり遠く遠くへ走るしかないのだ。

愛仮ブログに『前川麻子へのメールインタビュー(1)(2)』『第一回準備会レポート(稽古編)(ご感想編)』アップしています。現在、5月に予定している第三回準備会までお申し込みができます。先着20名さま限定。

朝日カルチャーセンター主催の『プロ作家が教える小説講座 ベーシック編』4月からの新規受講お申し込みを受け付けています。学期途中からの受講もできます。

「モグラ町1丁目7番地」「台所純情」の楽曲を担当してくれた熊坂義人率いる【大福】がアナログ盤レコード『輝ける毎日』を作りました。
私も『輝ける毎日』レコ発ライブに出演します。
大福:contrabass 熊坂義人,accordion・piano スパン子,alt sax バッキー,accordion オラン,
bandneon 大久保かおり,guitar 小沢あき,asako maekawa 前川麻子,舞踏 安田理英
19:00open 20:00start
carge:前売り3500yen,当日 4000yen
5/10 渋谷・SARAVAH東京


私は一体どこに辿り着くんだろう。
辿り着くんだろうか。





  1. 2012/04/07(土) 19:11:52|
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それでも私は引きこもらない。

先週は劇場通い、合間にちょろちょろとDVDは観たけれどなんだかすんなり飲み込めない、生身の人を凝視するなんてしんどいときには出来なかった、今はスクリーンや小さな画面を眺めることができなくなってしまっている、なんだかそういうサイクルがあって、tsumazuki 大楽を観終わって呑み屋であれこれ芝居の話してるのもしんどくて、芝居の人たちとも当分会いたくないような、自分の中の演劇力を使い果たしたような気分だった、じゃあ今映画観たいかってえとやっぱりモジモジしてしまう、じっとそこにいるというのが辛いだけなのかもしれない、映画やっとる連中は本当に日々呆れるほどに映画を観ているし、芝居やっとる連中はもう頭がオカシイんじゃないかってくらい芝居を観ているし、小説書く人たちだってきっと貪るように日々読書をしているんだろうと思う、それは趣味だし勉強だし努力だし分量はともあれ絶対に必要なことだと思う、思うけど、そこに根気が持てずにうんざりしたらすぐに逃げ出してヘラヘラ足場を変えてしまう自分を自覚するだけだから、そういう人の近くにいるのが怖い、結局何一つモノにできずにいるっていう焦りばっかりが嵩む、本気にならなきゃ死ぬ気でやらなきゃと長年の課題に掲げながらやっぱり私は一度もそれができない、そこで本気と死ぬ気を見せられる人からすればまるで不真面目だしまるで不良だしまるでキチガイなのだ、だけども私は日々大真面目に生きており、呆れるほど頭がオカシイんじゃないかってほど貪るように生きているんであり、その他のことに全力を使い果たしたらきっと生きることをサボッちまうに違いなく、そのとき私はさぞかし自分にがっかりするんだろう、色んな人がいて色んなやり方があって色んな気持ちがある、そのことだけ護られていればよく、演劇の未来や映画の行く末や小説の書き方なんざ考えたくない、考えたくないのに考えさせられる、それは作品の力ではなく人の力だと思う、ああなんでこんなに必死にバイトしてんだと、なんでどこにも行けないんだと、なんで誰も抱きしめられないんだと、一体何を覚悟すればいいんだと、私は何を手放そうとしているんだと、朝イチに龍昇の声を聞いたせいなのか、演劇なんか大嫌いだと思った、今は映画観たくないし小説も読みたくない、逃げ出す先にするにはバイトの立場は足場がヤワ過ぎる、私は役者でいたいけれど役者をやるのが演劇か映画しかないなんてどういうことだ、そりゃ演劇だって映画だって果てしなく自由な平地だけれど日常ほどの自由はない、つまりあれだ、舞台上の俳優もスクリーンの中の俳優もどっかしら不自由そうで胸が痛む、だから観たくなくなるのかもしれない、もちろん彼らはその不自由さに焦がれてそこを選んでいると知っている、きっとちっとも不自由なんかじゃないと言われるんだろう、けれどけれどけれどけれど、などと際限なく自我を訴えたくなるから演劇人とも映画人とも今は話したくない、話せる言葉が見つからない、淋しいのかな、淋しいんだろうなあ、淋しいなあ、私は私のままでしかいられないから呆れるほど頭がオカシイんじゃないかってほど貪るように生きるしかないんだと、誰かがわかっていてくれたらいいのになあ。



  1. 2012/04/03(火) 02:28:22|
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