仕事部屋

ふたりのシーズン

抱き合える確かな手応えだけが本当は何よりも実際で、確かめたくなる「あなたの気持ち」だの「わたしの気持ち」だのはその実どこにも形作れないじゃないか、時間の中の身体、存在をそこに置くということでの実証、次々暴かれる日常では手応えなどないあやふやなものが心地よくて美しい、それも一つの真実だけれど、そんなものは日々の生々しさの中でたちまちに霞んで散っていく、ただ匂いだけを残して、記憶に漂い続ける、いつかは懐かしむと知っていても今の日々で抱き合える身体が必要なんだろう、あなたを確かめたいのではなくて、きっとわたしを確かめたい、わたしを確かめてくれる誰かが欲しいのだ、抱きしめられていないと自分の身体がそこにあることさえ忘れてしまうから。


彼女について知ることのすべて」公開を終えたら差し代わるように早速の新作が公開の井土紀州監督。
ふたりのシーズン 6/2~15 連日21時からポレポレ東中野

職人だなあ、軽妙なんて言葉、井土映画の感想で浮かぶとは思わなかった、役者の質の違いなのだろうけれど、成長したサッカー少年に作り手の愛、大事な仕事だったんだなあ、カズさんはこれを撮った直後に「愛仮」を撮ったのだけど、視線同じだなと感じた、エロい画も撮れるじゃないか、しかも上質な。


日々を、しっかりと掴みたければ、恋など捨ててしまえ。



  1. 2012/05/31(木) 22:54:10|
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四日目、三日前、いよいよ。

拘束必要になるくらいの激しい鬱を抗うつ薬のドーピングで誤摩化しながらWS、「昨夜から激しい鬱で朝まで泣いていたので今日は非常にテンションが低いです」と懺悔してからの始まり、それでもメニューはいつも通り、大福で踊っていたヤッスンが都電デビュー、試演会には長野から熊ちゃんとほうすけが観に来てくれた、何しろ土曜は終わってから真っ直ぐに帰宅するという不健全さ、多めの服薬でどろり眠ったらおかしな夢を見た、目覚めたら妙にすっきりした気分なので夢判断で調べてみたら「すべてが少しずつ良い方に動き出す」予兆なのだと書いてあって信じようと思った、日曜は試演会が非常にまとまり良くWSメニューとしても有益だったためご機嫌取り戻して朝までコース、真夜中に「完成しました」と木村組愛仮カズPより電話あったのではしゃいだ気持ちだったが、反動きて月曜は一日中寝たり起きたりで更にひどい落ち込み、集中できず頭も働かずじっとしていると不安になるのでDVDも観られない、最低限の雑務だけをなんとかやっつけて早寝、火曜は愛仮のチラシ用写真撮影、また一層どんより気分だったので薬効いてないんじゃないかと調べたら「一般的な副作用の一つとして二日目~四日目にかけて不安感、絶望感、虚無感、無気力感、自己否定といった精神症状が現れる場合がありますが、約一週間後には回復するケースがほとんどです」とあってのまさに四日目であった、しかし多めに飲んでいるせいか唐突に瞬間的な多幸感があったりもして妙な具合、終わって手短に打ち合わせ、赤ペンとムックの知恵を借りて寺十対策の心強さ、チーム愛仮はひとまず私にとって肌の合う様々なタイプが揃ってるってことだ、夕方以降に打ち合わせの予定あったので帰宅したが明日の午後への変更連絡あって夕方からまた寝たり起きたりしつつ8月トライアルの日程決めたり、そうこうするうちコルセット稽古入り三日前、日数も余りないし台本読んで演出プランくらい立てなきゃと思う反面、構えずにいつも通りノープランで入って稽古見て考える方がいいんじゃないかとも思う、明けて水曜は服薬の影響かひたすらに眠い、鬱傾向は緩やかに治まって午後からコーチングの面接一件、今月中に三日間だけの個人レッスンと予定していたのが諸事情で流れてしまい面接くらいしかやれることがない、タレさんと面接してコーチングが必要な仕事なのかコーチングで成果が出るのかなどなどを吟味していらないと思えばやらないわけで、いわば演技カウンセリングみたいな面接なのだけど、この日は知ってる方だったのでコーチング不要と判断してあっさり終了、時間できたので夕方から「グリーン・ベンチ」稽古場を覗かせてもらい宮田さんと十年ぶりだかにご挨拶、寺十さんに愛仮企画書の内容チェックをしてもらって業務完了、アケミちゃんをこーしゅんラーメンに呼び出していつも通りの酔い加減で帰宅、本日木曜は朝から写真のチェックや企画書の修正連絡などなど、愛仮も7月8月準備会と本チラシの準備進めておかないと稽古に入ったら身動き取れなくなる、合間にカズPより初号試写の連絡、それぞれ着々じゃないか、鬱も消失してようやくの通常営業、いよいよ明日から稽古なのだが別件のしておくべきこと漏らしてないかとそちらの方が心配、ケラさんに明日から稽古入りですの挨拶電話したら妙に高まってきた、少しは台本読もうかと思ったりもするが多分読まずに行く。


  1. 2012/05/31(木) 18:08:49|
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やがて私を失う。

仕事のトラブルと稽古のプレッシャーと日常のストレスで昨夜はとうとうダウン、小形くんは打ち合わせに出ていたしアケミちゃんはまだ帰ってないしの時間帯で近場の後輩KにSOS発信、まずは台所の包丁をバスタオルで包んでガムテ巻き、次に大量に飲んでしまいそうな薬を流しに捨てて、最後は自分の両手首をガムテで拘束、後輩Kは道に迷いながらも「今行きますからね、すぐですからね、大丈夫ですからね」と小まめに電話くれ、その間にアケミちゃんが「大丈夫ですか、寄りましょうか」と電話くれたのだけどK向かってくれてるから大丈夫と応え、ありがとうアケミちゃんこういうときは男の人でなきゃダメなんだよと胸の内、到着したKにぐるぐる巻きにした手首を解放してもらい一服、Kは他愛のない話をしながらしくしく泣き続ける私のそばに朝まで寄り添っていてくれた、ありがたいやら申し訳ないやら情けないやら染み入るやら、この気持ちどっかで経験したなあと不意に思い出したのは「ブレイクタウン物語」、兄貴分に捨てられてその舎弟と心中したのは16歳のときだったのに、うんざりするほど成長してないじゃないか、こういうときほどバーチャルにも仮にも甘えられず「借」になってしまうのがたちの悪さだなあ、助けを求めていないからいてくれないことを恨みはしないけれど、助けを求めないのは応えてもらえない怖さを知っているからに違いない、よくよく考えてみれば受け入れると受け止めるはまるで違うことなのにと、不意に見えてきたりもしたけれど、今は何も考えちゃいけないと無理矢理にねじ伏せる、助けを求めたときに応えてくれる人がいる幸せと、何一つ求められてはいないような不幸せの隙間で、ココロのゆくえが今は何一つわからない、こんな状態で稽古入るのやだなあとか思うとまた追い込まれるばかりだけど日々は容赦がない、それを安定と感じるか淀んだ濁りと感じるかは自分の状態次第だけれど、「ここにいる」自分にうんざりすることだって、たまにはある。


  1. 2012/05/26(土) 13:37:03|
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あなたのお役に立てるなら。

昨日はあんなに暇だったのに目覚めたら色々やらなきゃならないのにやってないことを思い出して大焦りで動き始め、多忙な人たちの調整を一発で決めてやったぜと思ったら一ヶ月間違えて調整したつもりになっていたりして愕然、へこたれて投げっ放し状態、昨日の暇が勿体ないほどのバタバタ。

夕方の早い時間からコーチングの面接、現場しばらくないと言うので三日間だけ個人レッスンをしてみて、次の現場につくかどうかのお試し期間を設けようという結論、稼ぎにはならないが、仕事があるのは嬉しい。

終わって、急遽決めたヒラケイと小形くんとの打ち合わせ、これもバタバタあちこちにメールしたり電話したりしながらに終えて、漏らしてないかと眉間に皺寄せつつの帰宅、へろへろ日報に返信あってそのまま雑用の合間で2時間に渡るやり取り、熟考し始めたら不意に途切れてあちらが熟考か。

twitterで旗揚げ公演のときのスタッフと久々言葉を交わした、同時に公開中の「love macine」を観た睦雄が古澤くんにダメ出ししたって話、人とつながっていられることはありがたいなあ、などと思っていたら赤ペン瀧川くんが面白い記事を書いた。

このブログのサイドバーにはメールフォームもあって勿論匿名でも送信できる、コメント欄でも非公開という選択ができてそれは管理者の私だけが読める、だから色んな人から色んなメッセージが届く、つまり受け取りたいから開いている。

だからってゴミ捨て場じゃないんだよ、とも思う。
だけどゴミ捨て場にしてくれてもいいよ、とも思う。
人の不要品が自分のお宝になることだってあるんだし。

少なくとも私は、懐かしい恋人が、おずおずと様子を報せてくれるためにも、開いていたい、匿名だろうがなんだろうが、その向こうに人がいることはわかる、だから、名乗りたくない、名乗れない、名乗らない心情を重ねて、受け取る。

何が返せるかわからない。
それは、客席の暗闇と同じだ。

瀧川くんは、あの記事を書くのに力つきたことだろう、どれほど気遣って書いたのか、読者を、記事にしたその人を、自分の仕事や立場や役割を、エンターテナーだな、ただの赤ペンじゃない、血のにじむ赤ペンだったりしてるんだろう、思うにエンターテナーの本質は生真面目さだと思う。

瀧川くんがどんなに生真面目でいい奴かと言うと、彼はたまにUstでネタ作り中の自分動画を配信しているのだけど、それを観ながら「ピースしてみせろ」とか「タバコを逆さまに咥えて火をつけろ」とかメールで指示を送ると全部やってくれるくらい生真面目でいい奴だ、しかも無駄口なく。

それに比べれば私なんかただの個人主義だ、知人や友人や家族は犠牲にするけれど、誰だかわからない向こう側にいる人にはそれができない、まあ、ヘタレの一種、ネット弁慶というか文字弁慶なんである、個人的な関わりにおいても、常に文字の方が饒舌で社交的なんだよなあ。

「あなたのお役に立てるなら」と呟きそうになって、世の中廻ってるなあと思った、私にもそう思ってくれる誰かがいて、今日一日を乗り切った、大切な人に負担を背負わせることは怖いことでもあるのだけれど、それでも関わってもらいたいと思えばそうする、そして「ありがとう」と言う。

瀧川くんがホンモノの「あかね」さんの汚名を晴らせて良かった。ほんとうに。


  1. 2012/05/25(金) 03:34:12|
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ゼリー状のタマシイ。

この10日間、コーチングの仕事が飛んでぶらぶら過ごしていたわけだが、映画観たり稽古場に顔出したり翌日の心配なく飲めたり犬の散歩したり一日考え事したり、まあつまり去年2月までの日々と同じ、これまでよく仕事がない不安に耐えてきたなあとちょっとばかし働いただけでも痛感する、働くことは精神衛生上大変によろしい、気ままに動ける時間も大切だけど、やるべきことは働きながらでもそこそこできるんじゃないかと、ようやくそんなふうに思えるようになった自分に気付いて、いやほんといつの間にこれほど人並みな健全さを取り戻したのかと驚いた。

働くといっても自分の食い扶持を稼ぐのがやっとでぐずぐずと働かずに過ごしていた時期の借金は未だ少しも返せていないけれど、働くことが自分の精神の一部をしっかり支えてくれていると本当にようやく思えるようになったわけで、この精神の健全さがあれこれに繋がって、ちょっとしたことでがっかりしたりどっきりしたり傷ついたりはしゃいだり、なんだかまるでハタチくらいの心持ちで毎日楽しいなあなんて思うわけで、そんな暮らしの中で仕事にどれだけ時間を割けるのかというと普通に働いている人の半分以下でしかないのだろうけれど、そこはやはり必要最小限がすべての物事の基準になってるからで、たとえば駅で配ってるティッシュを貰わないとかって類いのそれで、以前は物でも愛でも時間でもストックがないと不安だったのに、必要最小限でありたいと思うようになったってことは、きっととても健全なことなのだろう。

そうした健全さは何かしら人にも頼もしげに見えるのか、このところ毎晩誰かしらが相談事を持ちかけてくる、健康のこと恋愛のこと仕事のこと家庭のこと人生のこと、それに応えられる自分であるように見せたいという利己的な部分には目をつむってもらいながら思うことを言うだけなのに、自分が大丈夫であるというだけのことがこれほど他人を助ける力になるんだなあと、アイムOKであることの価値を、人の苦しみを通して知ったりするんである。

暇にまかせて今日はタマシイについて考えたりもした、引き寄せられる何か、触れたくなる何か、見つめたくなる何か、揺さぶられる何か、意固地であることよりもそうやってふわふわしてこそのタマシイじゃないかと思うから、それはそれでいいんだと思う、だけどもたとえば私は自分で自分の行く末を決められるんだな、身の置き所、立ち位置とかいう奴を、自分で決めることだってできるのだ、タマシイなどふわふわ後からついてくればいいのだ。

小説を書く時間もたっぷりあったのに書かなかった、書き出すだけ書き出して進めていない、その隙間に私はちゃんと新しい気持ちを知った、新しい考えを持った、書きたいことの芯にもちゃんと触れたままでいる。

つまりあれだ、信じてくれていることを信じていられるうちはまだまだだいじょぶってことだ。
ちょっとくらい揺れたっていいじゃないか。
揺れてるのが透けて見えてんだろうから。


  1. 2012/05/24(木) 00:26:07|
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やらかした。

演助の小形くんが進行を仕切る中「コルセット」の顔合わせ、キャスト・スタッフ・マネージャーさん方の紹介と本読み、終わって近場で軽く飲んで解散、圭太と帰り道一緒で早稲田に付き合わせて稽古場覗いたら龍さんの白髪頭があってはしゃいでしまった、佃さんに「俺スケジュール渡したもんな」と言われてなんだなんだと考えたら、先日誰の何のスケジュールだか判らないメモを見つけて「?」と思っていたそれ、なんの話やらまるで覚えておらずで叱られた、龍さんと高田馬場で軽く飲んで帰宅後、もやもや考えていてすっかり思い出し改めて「ひー」と悶絶、どう謝るか悩むうち寝落ちして日報サボり、目覚めたらまた別件問題も浮上して自棄気味の思考停止、「コルセット」稽古入りは6月なのでそれまで黙々働くつもりだったのに現場が飛んだまま次がない、働けずにいるとしんしん不安が積もる、不安抱えて考えると逃げ腰案になるから働きたい、乗り切れる予定だったんだけどなあなどとボヤいてもしょうがないのだが、ううむ、今日はどうも頭が働かない。


  1. 2012/05/23(水) 13:47:23|
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ロケットパンチのこと。

Wと知り合ったのは出会い系のサイトで、メールのやり取りをしばらくして、一度デートして、Wは気に入ってくれたんだけどタッチの差で私は他の男の子と付き合い始めて、Wとは何も始まらなくて、付き合ってた男の子とあっさり終わってしまった頃に、またWと逢うようになって、ほんの少しの間だったけど、一緒に過ごしていた。

飲みに行ったり、飲みに行ってるときに迎えに来てもらったり、幼なじみの仲間にも紹介したし、読んだ本の話をしたり、散歩したり、日曜の朝に私が目覚めたらWと娘がいなくて慌てて探したら近所で2人でご飯食べてたりして。

本名も、勤め先も、住所も知らないままだったけど、これまで付き合ったどんな男の子よりも私を安心させるのが上手だった。
何をしてくれることよりも「安心させてくれる」ってことが何より大事にされている気がするもんなんだと、その時に知った。

飲んでいて、見知らぬ男の子に声をかけられてWと一緒にお喋りしていたら、その見知らぬ男の子が「カレシさんなんですか。俺、この人口説いてもいいですか」なんて酔狂を言い始めて、それでもWは鷹揚に「いいよ。俺も口説いてるのになかなか落ちてくれないから」なんて言っていて、私はすっかりWのものだと思っていたのに、ずいぶんじゃないかと思ったりもしたけれど。

ちょうど、つい数日前にWのことを思い出していた。

なんで思い出したのかと言うと、その人がWみたいなことを言ったからで。
飲んでいて、見知らぬオジサンに声をかけられてその人と一緒にお喋りしていたら、オジサンが「ダンナなのか」なんて浮ついたことを言い出して、私たちは「ダンナです、ダンナです」とふざけて言っていて、「将を射らばまず馬って言うでしょ」なんてその人も調子に乗っていて、でもオジサンが話のノリでほんのちょっと私の肩を叩くようなことをしたら、「触らないでください」って怒ってみせたりもして、そういう出来事で、Wを思い出した。

似てるところがあるかもな、と思ったり。
いや全然違うな、と思ったり。
ただ、似た場面に出会して、するっとWの残像が重なったんだと思う。

Wは私にたくさんの言葉をくれた。
Wが思うことは、するすると言葉になって、歌みたいに届いてた。
Wの言葉には独特のリズムがあって、それがすごく心地よかった。

Wが私を好きだと言ったのは1度かせいぜい2度あったかどうか。
でも、いつもそれがちゃんと伝わっていて、不安になったことはない。
何をしている人なんだろうとか、騙されているんじゃないかとか、本当は別の恋人がいるんじゃないかとか、そういうことを想像して怖がったこともない。

年は、五つか六つか、私より年下だったと思うけど、身体もココロも大きな人だったから、私はすっかり甘える側にいた。
本当にWのことが大好きだったのだけど、安心させてくれるぬくぬくした気分にうっとりしていて、Wのことをちゃんとみていなかったんだと思う。

いつか俺だけのアサコになってくれると思ってたんだけど、と言って、Wはいなくなってしまった。

それから私はまた他の男の子を好きになったりして、でもWに逢いたくて、連絡したりもしたのだけど、「逢わない方がいい」って言われて、その通りだと思って、我慢した。
結婚したよって報告をしたときには、Wも「俺も結婚したんだ」って言ってて、良かったなあ、きっと可愛いお嫁さんを見つけたんだろうなあと思って、それきり連絡はしなかった。

未練とか、そういう生々しいものじゃないんだと思う。
ただ、好きなまんま離れた人だから、ずっと好きなまんまで。
嫌いなところを見てしまうほど長い時間じゃなかったからかもしれないけど。

やっぱり、きっといつ会っても、私はWのことが大好きだと思う。
だから、とてもとても逢いたい。
でも、もし逢ってしまったら、あの頃と同じように愛して欲しくて、安心させて欲しくて、じたばたするだろう。
私はまた、あの頃と同じにうっとりするばっかりでWを真っ直ぐに見ないまま、欲しがるだけ欲しがるんだろう。

Wがくれた安心毛布の大きさを、私はようやく覚えた。
Wを思い出させたその人をそうやって包めたらと思う。
もし、その人が、うっとりするばかりで私を真っ直ぐに見てくれないのだとしても、私はあの時のWみたいにしびれを切らせたりはしない。
だって私はあの時だってWを愛することを諦めてなんかいなかったから。

ちょっと待って、もうちょっと待って、もうすぐだからって、あの時の私みたいに、もしその人が思っていたら。
私がいなくなってしまうのは、あの頃のWがいなくなってしまったときの私みたいに、とても悲しいと思うから、私はまだもう少しここにいる。

それさ、最強でしょ? 最強じゃない?
それが、Wに教わったロケットパンチ。

恋する女友達、ロケットパンチでぶんぶんいこうぜ。


  1. 2012/05/21(月) 20:41:31|
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続 ロケットパンチ。

泣けてくるなあ。

うんうん、そうだね。
ほんとにそうだ。

ありがとう、ありがとう。

ここには、あなたのことこれまでにもたくさん書いているんだよ。
忘れたことなんかない。
CKBのCDも貸してるし 笑

あなたとは最初から不思議なつながり方だったね。
今も、そのまんま、つながってるんだなって思った。
つい数日前に、twitterであなたの名前を呟いたところだったから。
届くんだなあって嬉しかった。

かっこつけらんなくなったら、逢いたいと、あなたを呼ぶから、
たまにはこのブログをみてね。

ワタル。


  1. 2012/05/21(月) 19:03:46|
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ロケットパンチ。

あなたのことをよく思い出す。
逢いたくて泣きそうになることもある。
逢わない方がいい、と言われたことも、忘れてはいない。

あなたと入れ替わるように私の家族になった犬が、今も私のそばにいる。
あなたの言葉は、いつどこで見かけても、きっとわかる。

あなたが私を思い出してくれて、とても、とても、嬉しかった。
ありがとう。
幸せでいてください。


  1. 2012/05/21(月) 18:16:55|
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誰よりモヤモヤしてるのは。

トライアル終わってまたまた反省と感謝と課題への逡巡モード、試みは試みた時点で結果の一つになっているはずと信じるからやってることへの疑念を持つ訳ではないけれど、そこですべきこと、みせるべきことについて考え始めるとまだまだ他の試みがあって良いと思える、宴席で叱られるのも茶化したこと言われるのも拗ねたこと言われるのもこの頃は馴れた。

アンダーで来てくれたコウスケとどうしてもやりたくてのフルエチュード、「新しくみるものなかった」と演出からは一刀両断されるもこちらにはそれなりの感触があった、そうやってみえることを積みたいと思えばエチュード稽古は捨て難い、それと同じことをホンから掬い上げたいからエチュードでは追いつかない、どちらも真実だから折衷は容易くない。

俳優座マチネを蹴って来てくれたスエさん、旧くの縁あってと珍しく七里さん、トライアル2度目の西山真来、コルセットの圭太、twitterで言葉を交わしたMMPの坂井くん、パソ通からの懐かしいお客様ハルさん、アフレコついでに居残って見守ってくれていたダーリン(バーチャル)、コウスケ見届けてくれたMちゃん、皆さんありがとう。

「みせる」「みられる」という本質にこれほどがつりと触れる機会があったことは試みの大きな収穫、うんざりするくらいにディープなそれも、ブレないもの掴めた上での振れ幅だからいい、飲み席でのやり取りは無駄に煽られて相変わらずビリビリする不穏さがあるけれど、ここにきてようやくいちいちおたおたはもうしない、まあ愚痴を聞いてくれる小形くんが帰ってきたこともあり。

考えることがあるのはありがたい。
急がず、拒まず、捨て置かず、真摯に。



  1. 2012/05/20(日) 21:54:52|
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