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仕事部屋

母の日。

母の日のメッセージらしきメールが娘から届いたのは数日前、文字化けしていてなんだかわからなかったので「ん?」と返したら「まだだった」と返ってきて、母の日当日にはすっかり忘れられていた。

私も毎年忘れてしまう、5月には父の誕生日と母の日があるのに、もう何年も墓参りに行っていないし仏壇の類いがないから線香すらあげていない。

娘がまだ小さかった頃、娘を母に預けて夫婦で芝居なんぞやっていて、その時に初めて渡辺真起子と共演したのだけど、母の日の楽屋で、真起子が「麻ちゃんもお母さんだからね」と花をくれたんだった。あれが、私にとって初めての、「母の日」の贈り物だ。

少しずつ、周りに「お母さん」が増えてきて、ああ今日はみんなにカードを贈ればよかったのに、どうしてうっかりしてたんだろうと、さっき思って、残念な気持ちだ。
でもきっと、いつかもうちょっとしてから自分の子どもに贈られるそれが何より嬉しいんだろう。

私は、母に贈り物をしたことがあっただろうかと考えて、思い当たらず、涙が出た。

子どもの頃の私は子どもが嫌いで、それは子どもじみたことが嫌いなばかりでなく、子どもらしくあることも、嫌いだったから、お母さんやお父さんを歓ばせたいなどとはきっと一度も考えたことがなかったんじゃないかと思う。

私は、子どもであることがとても恥ずかしかった。
そういうひねくれた子どもだった。
ひねくれていて、硬質で、「ガラス細工みたいにすぐに壊れてしまいそう」だと、周囲のオトナたちに言われていて、それがまたひとしお嫌だった。

今の私はどうだろう。
なんとも伸びやかで、真っ直ぐで、やわやわとしている。
あの頃に比べれば、むしろ、ぐずぐずなほどに。

そして強い。
言われた通り、何度でも懲りずに壊れるうち、弱さを曝せる強さを覚えたんだろう。
したたか、であってもいいし、しなやか、なら、なおいい。

私より年上の男の人が、自分の母親のことを話すとき「お母さんが」と言っているのを聞いたとき、
しなやかな人だなあと感じたことがある。

私の母はずいぶんと早くに亡くなった。
もっと生きていたかったのかもしれないし、さっさと死ねて救われたのかもしれない。
だけど、少なくとも私は、早くに親を亡くしたことで、確実に助かっている。
自分なりのやり方で「生きる」ことを考えられるようになったし、生きられるようにもなった。

お母さん、ありがとう。

私は、母が亡くなってから、初めて母に感謝する気持ちを持てた。
届けられない感謝は、ずいぶんと、さびしい。

私は、母のことを少しでも思い出すと、いつも泣いてしまう。



  1. 2012/05/14(月) 01:08:00|
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