仕事部屋

特報!




6/30よりポレポレ東中野で公開される「死刑弁護人」の上映時に流れます。

公式サイトも公開しました。

映画「愛のゆくえ(仮)」公式サイト


  1. 2012/06/28(木) 23:39:12|
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果てしなく拓いて、乾いている。

稽古が順調過ぎて通し二回やっても20時には終わってしまう、役者たちと飲んで帰るにもぶらり飲みに行くにもちょうどいい時間なのだけど誰も付き合ってくれなかったので真直ぐに帰宅、昨夜は松永玲子のことしか考えてなかったのに明日は稽古が休みと思ったらふいっと芝居のことが頭から抜けてパンドラの箱を開けたようにこのところ押込めていた「今はいらない思考」が立ち昇った、うわちょっとヤバいかもと思ったところになんのテレパシーかベベ子、N.Y.の日比くん、佃さんと、ニコニコできるようなメールを次々貰って救われた、人のつながりに助けられてるなあと実感して、どんなにしんどくても人とはしっかりつながっていこう、後がどれほど無惨なことになってもその為にはどんなことでもしようなどと改めて飲み込んだ、考えてみれば、そう決意して食らいついて通じなくて萎えて、ずたずたになって助けられてまた決意して取り戻すことの繰り返しなのだ、それを繰り返すことでしか生きていけないのだともう散々に知っているのに、それでもやっぱりココロ折れるときがあって、捨てられないのわかってるのに投げ出したくなったりする、たった一つ望んだことの見通しが無さ過ぎてもう諦めようかと煮詰まっていた、望んだこととは違えどそれならいっそ自分なんぞ捨ててしまって新品の人生をやってやろうかと、実のところかなり具体的に考えていて、タイムリミットも設定していたし、それまでに果たさなければいけないあれこれを並べ、もうすぐ全部捨てるのだと決めたつもりで、それだけを希望にして走ってた、そういやこないだ川瀬陽太に「このところやたら詰め込んでるね」と言われて「生き急いでるからね」と答えたら「それはでも昔っからそうでしょ」と指摘されて「そうかも」と、だけど生き急いでるのは自分の都合じゃないんだよなあ、信頼する人たちが、愛おしい人たちが、うかうかしているとさっさと人生を終えていなくなってしまうのを知っているからだ、あなたのためならなんでもやりますと言える人が10人くらいはいて、本当にそれをやろうと思ったらそれだけで人生なんてあっという間に過ごしてしまうんだから急ぎたくもなるじゃないか、どんだけへとへとになったって今そこにいる人の手を取って走らないと辿り着けない気がする、怖がったり戸惑ったり熟考を理由に先延ばしする余裕がない、粗忽だろうが無謀だろうが行き当たりばったりだろうがまずは取っかかるしかないじゃないか、そもそもが答えを出すよりも問題に取り組むことに歓びがある性質なんだろう、取り組めばいつかは答えが出る、より良い答えを想定する隙なく取り組めばどんな答えが出たって失望することはない、失望はいつだって取り組まなかったことにあるんじゃないのか、絶望はいつだって答えを想定するときに脅かされるんじゃないのか、だからやっぱり捨てるのだって拾うのだって想定する必要なんかない、満たされることを思い描いたりもしない、いつまでだって乾いててやる、果てしなく拓いて、乾いていればいい。


  1. 2012/06/28(木) 02:46:39|
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こんなふうに生きていれば。

日曜は舞台監督が風邪でお休み、演出助手の小形を役者が手伝いながら準備をしての通し稽古をALPHA出演者の乃木くんやらが見学、役者にはこの先殆どダメ出しはなく皆さんがどうやって芝居の時間に立つかを試す時間にしてくださいと言いながら段取り整理が気になって結局細々の変更があったりする、衣裳、小道具などもここにきて新案出したりしているのだが、役者の芝居が見えてこないうちに道具や衣裳でイメージを縛るのが苦手なので大体いつも決めるのが遅くなる、稽古の進め方といい仕上がり想定といい結局これまでの「モグラ町」と然程の違いがない、つまり演出するときの自分のペースがこうであるとこの一本でようやく知った、そもそも芝居でやりたいことがなんなのかも同様、遡れば「何日君再来」も「主婦マリーがしたこと」も目指していたのはこういう芝居だったような気がする、まあきっと自分が書いたホンしか演出してないからだろうけど、今回はずいぶんとその傾向が明確になっている感触、これは「モグラ町」で覚えた手法の発展型と自分でも判る、加えてワークショップでコツコツ重ねてきた試演会のおかげで、その方向性がもはや自分にとっては実験や勉強の域を一歩出て実存の主体性を持ち始めたということなのかもしれない、おずおずとではあるけれど、その一歩はずっしりとこれまで関わったたくさんの役者たちに支えられた一歩だと、稽古場でのベベ子にかつて愛した女優や恋した役者たちの面影を感じて知り、彼らに観て欲しいと切実な願いが湧き上がる、私はいつでも下手な演出家だったけれど、一本ずつおずおずと少しはましな芝居を作るようになった、年長の役者たちに煽られたり諭されたりしながら、これまで多くを学んで今もまた学ぶ、「コルセット」では「ああ、こんなふうに生きていれば良かったのかと思いました」という台詞が一番好きだ、劇場入りまであと一週間。


オフィスコットーネ・プロデュース「コルセット」
7月4日(水)~9日(月) @下北沢スズナリ 
作・演出 前川麻子
出演 伊佐山ひろ子、明星真由美、松永玲子、有薗芳記、白井圭太、十貫寺梅軒


WSの20年選手・テルコが「コルセット」では一念発起の稽古場付き、綿貫Pから稽古場日誌を任されている。
→「コルセット」稽古場日誌






  1. 2012/06/25(月) 12:07:47|
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あんたたちがそこにいてくれて嬉しい。

稽古休みの今日は、下北沢で大西さんのネオゼネレイタープロジェクト「アイスブレイカー」、愛仮公開稽古にアンダーで来てくれたマー君やらモグラ町・キムケンやら昆虫系・中山くんやら、役者の緩さが初見の私には好感度になったけれど、ガツンとこないのはホンが役者のそれに甘えてるからだよなあと思った、あの話ならもっと良いホンになるのに時間切れか、「コルセット」照明の阿部さんも今はココなので来週からよろしくと挨拶、寺十さんとコウスケがいて終演後一緒に移動してのハシゴ観劇2本目は寺十演出の「グリーンベンチ」をサンモールスタジオで、そういう役って聞いたから宮田さんを奨めたのだけどそれにしても宮田さんに頼り過ぎなんじゃないか、若手の良さが若さだけなんて物足りない、演出の小技はさすがの効果、なるほどなあと思いつつやっぱり私はこれやれないなあを再確認、女のああいう話って男の人が演出するとホラーにしかならないんだろう、息子の冷め切った視点が一番面白い、終演後、一緒に行った娘と小形とWS竹内と演助でついてる成田+こうすけ・ツマズキ大高さんエリちゃんらと一緒させてもらい大人しく終電間際に解散、小形は娘の手を取って二丁目に寄り道してった、赤ペン瀧川くんも今日が初日、早稲田ではサボが稽古してるし、龍さんもまだまだへこたれてない、劇場の折り込みで知る近況も色々あって「へえ」と思う、友人たちが皆それぞれのやり方を信じてそこにいる、それを観られることは実際すごく恵まれた環境じゃないか、知ってしまえば観ずにおれん、このところエンゲキづいているのは義理だのなんだの以上に何より「観ずにおれん」と思うからだったりする、同じ時代に生きている人たちが今何をしているか、音楽だって映画だってエンゲキだって観たいと思い始めたら本当にキリがない、今そのときに観ることでしか感じられないことが絶対にあるからだ、さて「コルセット」稽古も明日からは通しメイン、小技のない演出だから役者に踏ん張ってもらうしかない、通しがたくさんできるのは稽古場としてとても恵まれた環境ではある、ネオゼネの緩さとグリーンベンチの小技が私にあればなあとも思うけど、ないんだからしょうがない、自分が観たいものだけははっきりしてるから信じてくしかない、いやもちろん、不安なんぞヒト欠片もないのだけど、いかんせん演出としての幅のなさ、謙虚に実感して積んでいかねば、そこにいるのは作り手だけじゃない、客席にいてくれる誰かに、今ここにいられて良かったなあと思って欲しいから。


「コルセット」宣伝動画がアップされています。
うちのべべ子が一生懸命に喋っているので是非観てください。
もちろん芝居はもっと一生懸命にやっております。べべ子。




  1. 2012/06/23(土) 01:36:57|
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いつだったか言われたそれ。

「コルセット」稽古場では初通し、1時間20分の芝居として書いたホンだから1時間15分の初通しは優秀なのだが、上演時間としては短過ぎてううむと小形くんと2人唸る、つまり芝居は面白い、初通しながら60点がつけられるくらい出来上がっている、てことは後はどこに何をどうすればいいかが限られている、短くたって面白けりゃいいじゃんと思いもするのだが、スズナリで4200円取るのならもう一粘りとも思うわけで、しかも初日までまだ2週間あるとなれば手を打つのが役割。

見学に来ていた千葉ミクと松永玲子との女子飲み、千葉の大仕事に犯され役経験であれこれ余計なアドバイスをし、千葉が先に引き上げてからは初のサシ飲みになってエキサイト、2人して頭おかしいだろってくらい延々芝居の話ができる至福、でも松永さん千葉には「前川さんと一回やってみなよ、ムカつくから」と言ってくれた、これを言ってもらえる私のむずむずする歓び、千葉にはまだわからないだろう。

帰宅して話してたこと反芻しながら思った、私はホンの解釈で芝居を創り上げられるタイプの演出家じゃあない、そもそも愛仮の公開稽古やってて寺十さんに散々言われてる「マエカワは前川麻子のホンの扱いがゾンザイだ」と言われる課題、公開稽古をこれまで何度かやってきて毎回思い知らされるそれは、コットーネ7月スズナリでの演出に向けて私にとって最大のプレッシャーだった。

寺十さんはホンの読み込みで芝居を創る、書いた私の数十倍は読み込んで、某かのアプローチを持ち込んでくる、その相手役である私は自分の書いたホンになどこれっぽちの価値も感じずにただの叩き台と思って自分の生理を上乗せする、そちらの方がより価値あるものと思ってかかる、それが私にとっては演出の役割を引き受けるときの最大の課題と思っていた。

寺十吾は名優である、これは誰がどう言おうが私がそう思う、その名優がホンを飲み込むときに生じるホンとの隙間が具体化されたところに寺十演出が成立する、つまり寺十演出は名演出なのだ、ところが私の演出はそうではない、私の演技は私の生理でしかない、だから演出が必要になる、ところが生理を演出できる演出家はなかなかに少ない、よって放置される場合が多い、生理は生理のままが良いのだと誤解もする、要するに、寺十さんにはホンを立ち上げるための演出ができるのに、私にはそれができない。

寺十さんはホンを書かない人だから、ホンを読むときに「なんでこんなことが書かれているのか」「どんな考えの中でこう書かれていくのか」を知りたいと思うのだろう、知りたいから読み解く、読み解いたことが演出になる、そういうルートを私は持てない、持てないからやらない、結果ホンの解釈がぞんざいになる。

「コルセット」は、とても難しいホンになった、「主婦マリーがしたこと」と同じように事実が基にあって小説もしくは映画という作品が生まれ、それを叩き台に芝居を創るというややこしい手順になる、そのときに何を目指すのか、何がやりたくてコレなのか、という点に曇りがあれば無論出来上がりが曇るということは過去に痛い思いで学習しているはずなのだが、といってすっきり答えが出せるほどの経験が私には足りていない。

〆切があったからホンは書いた、書いたが演出するときのことまでは微塵も考えない、考えないのではなく考えられない、ホンはホンお話はお話で、演出するとか出演するとかはまた別の話と思うのが私の感覚なので、ホンを書くときはまったく無責任に、役者が決まっていればただひたすらの充て書きで〆切に間に合わせてそれなりのことを書くだけだったりする。

今日飲んでて松永さんに打ち明けたからここでも打ち明けるけれど、「コルセット」も稽古初日の本読みの時に役者たちの顔ぶれと読みの具合を視て「あ、違うな」と思った、違うと思ったのは、私のホンに対する解釈と私が作りたい芝居のテイストというか、少なくとも私にはこのホンはホンのまんまに演出できないだろうし、私の演出はこのホンには必要ないなという感触で、もちろんそんなこと役者の前では言わなかったけど、〆切に間に合わせて書いたはいいが、そのホンをどう演出していいのやら、私には脱稿の時点でさっぱりわからなかった。

稽古入り二日前だったか、寺十さんの稽古場に顔を出して稽古を見学させてもらい、柳美里の戯曲にがっぷり取り組んでいる寺十演出を目の当たりにして尚のこと、「私にはホンを立ち上げる演出ができない」と思い知らされた、といって落ち込んでる暇もないので至極単純に「ホンの解釈ができない、演出プランが見えない」と泣きついたりもして、そうしたら寺十さんは「俺も」と言った、「俺もノープランだよ」と、そんなのまるでウソなのだけど、まあ見事に単細胞な私はそれで「なあんだ」と安心したりもし、アホのように「俺も」を信じてノープランで稽古に入った。

そして気付かされた、プランなんぞいらないのだと、プランがないからこそ視得るものがあり、それこそが私が掬い取りたいものなのだと、ホンの解釈をしていたら絶対に採用しないそれ、もしくは役者に要求しないそれ、そうした「解釈から零れたそれら」だけが観たいのだと、私は自分が観たいそれだけの為に演出をすればいいのだと、ようやくそんなふうに思えた。

稽古に入ればそのまんま夢中になる、観たいそれが次々と具現化していくのはなんて至福のときだろう、プランを実現するための演出なんぞクソだと思うし、演出家のプランのまんま立ち上がった芝居なんぞクソにしか見えない、そう思うくせに演出の役割を引き受けるときにはそうじゃないことを考えていたのだ、それをそうと気付く間もなく稽古というものは日々進む、つまり気付いたときには遅い。

旧友みのすけにして「ナイロンで前川とやれるのは松永しかいない」と言わしめた(らしい)松永玲子も抜群に巧い役者なのだが、その松永さんが「ダメ出しされて、あ、ここね?と狙ってかかるのに、そのたびに、うーんそこじゃなくて、と違うところを指される」と言うくらい私の演出はいい加減なのだが、初日に向けてなんとか安定したい、安心したい役者と、安定と安心を奪うことしか考えていない私の演出との鬩ぎ合いが「コルセット」だ。

「コルセット」に取り組む今の時期に、寺十さんが柳美里のホンと格闘していたことが私には助けになった、ホンをがっつりと立ち上げる寺十演出を観てきたからこそ「私が観たいのはそれじゃない」=「私がみせたいのはそれじゃない」が感覚として掴めた、それがあったからこそ私は今まっしぐらに迷うことなく自分が観たいもの、自分がみせたいものだけを目指していける、そのことが「コルセット」の演出の役割の中でどれほど重要か、そのことが稽古場にいる人にはしみじみ感じられるのだと思う。

私にはホンを読み解けないことがコンプレックスだった、ホンから芝居を立ち上げる演出力のないことが演出としての力のなさに感じられていた、だがホンなんてどうでもいいじゃんと思って読むものとして「コルセット」のホンは真実どうでもよく、どうでもよいと思って作る芝居にとってはこの上なく都合がいい台本で、結局のところそういうホンを書くってことはハナからそこにしか興味がないってことなのだろう。

寺十さんの演出する「グリーンベンチ」を観ればまた「勝てないなあ」と感服するのかもしれない、だけど今は「コルセット」が負ける気もしない、そんな傲慢すら言えずにいたこれまでの気持ちの在り方を考えれば、これは私にとってかなりの進展じゃないかと思ったりもする、勝負じゃなくて共同作業じゃないかと言われればそれまでだけど、気力なんてのはそんなところでちまちまブレてるもんじゃないのか。

「どんな案配?」と連絡し合って「◎◎点かなあ」と返し合って「上出来じゃん」とか「もっと狙える」とか言い合ってお互いの稽古期間を過ごした、客席に座ってそれぞれの案配を自分の目で確かめて、また羨んだり悔しがったりほくそ笑んだりするんだろう、ようやく私は「寺十さんみたいな演出はできないからなあ」という負け気分を、まったく同じことを思いながら負けない気分で乗り越えることができるのだと思う。

だって、負けてかかっちゃこの先が面白くないじゃないか。
勝負するつもりじゃないけれど、この先を面白くするには、喰ってかからなくちゃ。
尊敬と憧れと信頼と嫉妬の果てを見届けて、私は、私の芝居を知るのだろう。


作・柳美里 演出・寺十吾 「グリーンベンチ」20日から。

作・演出 前川麻子 「コルセット」7月4日から。





  1. 2012/06/19(火) 03:17:16|
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復調。

病欠後の稽古に出発する1時間前にようやく微熱程度まで下がったので気合い入れて稽古場、病欠前に改訂した30ページ分を打ち直した原稿を配って軽く読み合わせ、これまでついてた段取りも全部変更して一気に段取りをつけていく、確かに私の演出は大雑把なのでペース早いのだがそれにがっつりついてくる役者陣はほんとに見事な集中力、龍昇企画では何度も「あさこ、ちょっと待って、ちょっと待って、いっぺんに覚えらんないよ」と泣きが入るので毎日のスケジュールを早めに立てて「今日は#1~4まで」と区切っていたし、そういうやり方でいきますと今回も宣言したのだけど、皆が余りにも飲み込み早いので少ない場面だと時間が余ってしまう、改定後の台本は場面が20あって15までが前半で16からが後半というバランス、この日ようやく後半部分まで全部の段取りがついたのだけど残すは一つオープニングをやっていない、これもいつも通りのやり方でオープニングだけは一番最後に作ることにしている、私の場合は台本で書き込むオープニングが面白かった試しがない、つまり書く段階でイメージできない、全編が見えてからイメージが湧くのを待って湧いたときにその場で作るのがいつもで、大好きなモグラ町のオープニングもそうやって出来上がった、明日は予め決めていた稽古休み、明けてからのスケジュールを稽古終わりに取り決めて早め解散、べべさんとお喋りしながら真っ直ぐに帰宅、体調は稽古始まった途端に良くなった、むしろ絶好調でぶいぶい遊びに行きたいくらいだ行かないけど、思えば高熱が出ただけで喉にも鼻にもこなかった、ということは病欠前に稽古場で台本の改訂作業をやっての知恵熱だったんだろう、そういや初めてエロ短編を書いたときにはエロ熱が出たんだよなあ、昨日分の雑務を黙々でまた夜更かしの時間帯だが明日は稽古休み、段取り一通りつけてからの稽古休みは貴重なリフレッシュ日なので芝居のことはできるだけ考えないで過ごしたい、できるだけ。



  1. 2012/06/15(金) 02:34:05|
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病欠しました。

火曜、稽古中からひどい悪寒、確かに寒い日ではあったのだけどそれにしても尋常でない寒気、いつか高熱で救急車に載せられ肺炎で入院させられたことを思い出しぞっとする、稽古後はガタガタ震えながらスズナリの下見、「さらば、豚」組がバラシた後の空舞台を舞台監督と美術家とでああでもないこうでもないと歩き回る、大した案は出てこないし、ここであの芝居やるのかと考えて不安に思ったりもするのだけど熱っぽいせいかさして落ち込まず、小形くんとつけ麺屋に入ってみたが半分も食べられず根負けしてタクシーで帰宅、暖房がんがんつけて体温計握りしめて布団に潜り込む、身体の節々が痛くて熟睡できないので目覚めるたびに熱を計って39.8℃とかの数字にびびって計り直したりして、40℃越えたら救急車の覚悟ではあったが、アケミちゃんがポカリスエットの巨大なペットボトルとインスタント味噌汁やらおにぎりやら差し入れてくれたのでポカリガブ飲みして冷えピタ貼ってひたすら横たわって、今朝はやはり風邪気味だった小形くんの「熱は出ていない」に救われた気分で「自主稽古」宣言、つまり私は病欠、が結局稽古は休みになった模様、松永さんも旅から帰ったばかりで連日稽古だったしちょうど良かったのかもしれない、熱が38.6くらいになってようやく熟睡できる感じ、今さっき目覚めて計ったら37.0℃まで下がっていたので起き上がって味噌雑炊など作りごっそり薬を飲んだとこ、思い出すのは数年前、まだ娘が高校生だった頃、娘が数日怠いだるいと言い続けていて熱っぽいだのなんだの言うのを「じゃあ早く寝なさい」とか「行けば楽しくて忘れるから」などと煽り立てて学校も休ませず、家では容赦なくいつも通りに家事を手伝わせ、どうしてもシンドイと言い張るので医者に行かせたら肺炎でそのまま入院してしまったことがある、自分が熱で苦しむたびそのことを思い出して、辛かっただろうな、可哀想なことしたなあと悔やんだりするのだ、ちょっと前まではありていの風邪で寝込んでも誰も看病してくれない、このまま孤独死するかもしれないと独り身を拗ねて鬱になったりしてたけど、今は体調不良くらいじゃそんなふうに思わなくなった、実際に駆けつけてくれてもくれなくても「いつでも行きますから!」と言ってくれる人がいるだけで大丈夫なのは私がお調子者なせいだけど、年々心身の弱さを曝せるようになっているんだなあと、このまま年取れば普通に見知らぬ介護サービスの人のお世話とか受けられるんだろうなあと思ったりもする、明日は稽古休めない、なんたって火曜に後半部分を大きく改訂したばかりなのだ、来週から通し稽古の予定なのだ。


オフィスコットーネ・プロデュース「コルセット」7月4日から、下北沢スズナリ。


  1. 2012/06/13(水) 21:17:31|
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遠泳。

人と会って話すとき、人の話など殆ど聞いておらず自分が思いつくまま喋ってるだけだったりするのだけど、どう聞かれるかどう受け止められるかも得られる情報の一つなのだ、深酒の翌朝はいつも怒涛の情報量で頭の整理が追いつかない、出来事の時系列、人物の記憶、関係性の裏表、立ち位置覚束なくとも怒涛に飛び込んで泳ぎ切る力は年齢に従って重なる、たくさんの人の中でふわふわと岸辺の灯りが近づいたり遠ざかったり、疲れ果てて沈みかけても縋れるところにあるそれが泳ぐ力になるのだ、耳の中のざわめき、たった一つの時間、ずけずけ切り捨てる潔さ、愛おしさ、尊さ、眩しさ、深まるそれを味わえる心地よさ、確かなものはそれ一つ、あの人もこの人もあの時もこの時も、全部を飲み込むたった今には遠くの波、だからせめてありがとうやごめんなさいを上手に言えるオトナになろう。


  1. 2012/06/11(月) 10:46:53|
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追い風の夜。

6日、コルセットの稽古をお休みさせて貰って新橋のTCC試写室で「愛のゆくえ(仮)」初号、今どきはフィルムじゃなくてDVDだから初号ってのはおかしいけれど、それでも初めて見るときは初号って言いたくなる、アフレコしたわけじゃないし、ラッシュがないからほんとに初めて観るのだ、平日の昼なのに続々見知った顔が集まりカズPも文洋もそわそわ落ち着かない、この日はポレポレ東中野の支配人をお招きして、上映が決まるかどうか勝負の試写でもあった、上映前に監督からの挨拶、今にもゲボしそうに緊張した顔で何やら喋りいよいよ、「へばの」でさんざ観ている「TEAM JUDAS」のクレジットに「2012」がついているのが感慨深い、一ヶ月前に撮ったばかりなのに遠い昔の記憶をなぞるような不思議な感覚で20年ぶりにスクリーンの自分を観た、こんな場面あったっけ、こんな台詞喋ったっけってくらいの別物になるのが映画の良いところだな、40代の男女が主人公の映画ってないよね、これいい企画だよねシブいよねと撮影中に盛り上がっていたスタッフ陣、観終わって「シブ過ぎる」と笑っていた、なんせ今どき白黒映画、元ネタはオウムの平田容疑者の出頭、奇しくも菊地直子が逮捕され、身許を隠しながらの事実婚が報道されドラマ化だ映画化だと盛り上がっているところこちらはすでに平田ネタで撮って公開準備中と一手先の勢い、それでも華やかさや軽やかさとは無縁で事件もの扱うセンセーショナルもない、つまるところ「シブい」としか言いようがないなんとも不思議な後味、だけど企画で狙っていた「オトナの映画」にはなっている、しかも一大メロドラマ、文洋はメロドラマの監督だからそれが出ていれば文洋の映画として成功しているってことだろう、自分のホンとも自分の演技とも思わず、極めて客観的に好きな映画だったのが嬉しかった、太陽肛門スパパーンの花咲氏による主題曲が見事なので芝居でも使わせてもらうことにした、上映後は近場で打ち上げ、監督とPは別の場所でのポレポレ支配人会議に向かい、我々は祝酒でも慰労酒でもいいよう所在ない気持ちで先の乾杯、しばらくして戻った二人から「時期は未定ですが上映が決まりました」との報告あってようやく打上った、スタッフ陣は映画の感想より先に裸の感想をあれこれ言いやがる、それでも皆がかなりの集中で仕上げたのがわかるから有り難い、稽古中で主演不在だったのでそこそこで切り上げて報告に向かったがすれ違い、居残ってた演出助手チームに合流、途中愛仮制作靖子ちゃんから電話あって何事かと思ったら演劇版にも超朗報、ますます勢いづいての朝までコース、物事が動くときは人の思惑に関係なくするりと動く、逡巡がいかに無駄かを思い知らされる、良いだの悪いだのはどうでもいい、ただどうしようもない流れがあって乗るともなしに飲まれるだけ、人の想いなんてのはいつだって小さな孔があって、何かが透けてるもんだなあ、孔から吹き抜ける風に背中押されてれば良しと。


  1. 2012/06/07(木) 10:49:03|
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アフタートーク出演

ポレポレ東中野にて連日21:00より上映中の
井土紀州監督作品「ふたりのシーズン」

6/9(土)上映後、井土監督とのアフタートークに出演します。

詳細はこちら 




  1. 2012/06/04(月) 13:16:45|
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