仕事部屋

月の入り口はコチラです。

今年1年はカウントダウンみたいな心持ちで過ごし始めたのだけど、もうすぐ6月が終わる、4月から隔週で始めたワークショップ新設クラスの全6回も終了、結局のところ他人は変えられない、せいぜい化学反応が起こせるよう劇薬でありたい、自分自身が変化していくしかない、学ぶことは能力の一つで誰にでも当たり前にできることではないんだなあ、意欲や環境や努力の度合いと関係なく「学ぶ才能」の違いだなあと痛感する、チャンスを掴むとかいうこともその延長にあるね絶対、そもそもお稽古ごとってのはお金と時間を費やしてその場に身を置くってだけで学んだつもりになり易い、一つの道筋への入り口として開いてきたワークショップだからどこにも行かずに居直られても困るわけで、「掴みかけた気がするから続けたい」と学びの要望に背中を押されて第二期の準備。

actor's JKD workshop 第二期定期クラス募集中。


こないだの大っきな月、ぽろり落ちてきそうだった。
「月は気を惹きたくて地球から離れる」って歌は佃さんのホンだっけ。
見失わず、ぶつからず、重なり合わず、「そこにいる」ってこういうことかと知らしめる、引力。


  1. 2013/06/26(水) 02:39:14|
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あのころ。

15歳で家族ゲームに参加して、そのあとなんか自分でやってみたくなって、カメラを触ったこともないのに8ミリ映画を撮ることにしたのは、自分たちで演劇をやる方法があるなんて微塵も思ってなかったからで、そのちょっと前に大阪芸大の人たちが撮る自主映画に参加したのもあって、そのときに知り合って後に劇団員になった大阪のベンちゃんとかに来てもらって、一朗太と、当時仲の良かった友だちとで、ヘタクソな8ミリ映画を作ったのが16歳で、PFFに出したら松田政男さんが気に入ってくれて上映プログラムに選んでくれて、当然ながら入選はしなかったけど審査員だったほしのあきら氏や大久保賢一氏とはその時に知り合って、それが劇団を旗揚げするという暴挙に繋がった。

そのへんの、怖いもの知らずだった頃に、長崎監督とも会ったことがあるのだけど、ご記憶ではないだろう。
あの頃、私はPFF同期の人たちに無関心だったし、つい数年前に大久保さんから七里監督を紹介されて「PFFのころから知ってます」などとからかわれて、その後あの人もこの人もと教えてもらって自分の傍若無人さに今さらながら戦き、自分の作品のどうしようもない不出来さもあって申し訳ないやら恥ずかしいやらでPFFのことは自分的には封印されていて記憶も薄れてしまっているけれど、当時上映されたプログラムの作品名をみると、やっぱり覚えていたりして不思議だ。

「蒼白者」が公開されている常本監督はいつの間にか知り合ったような気がしていたけれど、よくよく確かめるとPFF同期だった、当時の記憶はすっかりないし会って飲んだことなんかも多分ない、そのくせずっと名前を気にかけていたのは、劇団を旗揚げして以降の活動を根気よく見守ってくれていた人だからで、今どきらしくtwitterとかでまたちょこちょこ連絡が取れるようになって、ご本人が「やっとです!」と言われていたのでやっとなのだろうけど、堂々たる作品公開はなんだか誇らしい。

随分と早くからそうした場に触れていたのにどうして映画を作ることに傾倒しなかったのか理由は明白で、私には本当に何もできることがなかったからだ。

今も何もできない。
何もできないと知っていながら愛着だけは感じていて憧れや尊敬が消えずにあって、「闇打つ心臓」なんて作品はあの頃もう向こう側にいる人の作品としての認識だったので、こんなふうに愛仮と並ぶこともあるんだなあとまったくぽかんとしてしまうのだが、高橋Pの思い入れは同世代としてじんわり沁みて、そこに便乗してしまえばきっと自分にとってももの凄く思い入れのある作品のように記憶をすり替えることもできるのだろうけど、私はきっとこの日に、高橋Pと同じくらいどきどきしながらスクリーンに食いつくんだろう。


「愛のゆくえ(仮)」連続上映 vol.4 ×「闇打つ心臓」


なかったことにしたいような過去を引っ張り出して恥じ入る時間は、きっと身悶えするだろうけど、日々の自分にも恥じ入り続けてきた今なら、ちょっと懐かしんだりできるのかもしれない。


  1. 2013/06/13(木) 18:46:44|
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大きくなったら山羊座になりたい。

土曜の夜ポレポレ坐、開場前にワンタッチして受付にいた監督に折り込み用のチラシを渡しさっさとミスド、一服しながらあー自分で折り込みすべきだった、受付手伝えばよかった、戻ろうかななどと考えたのも束の間、持参の筒井康隆新刊を開いたらすっかり忘れて夢中で読み耽る、iPhoneを持たなかったこの1週間、スマホがないと時間ができると実感。

程よい時間に戻ったら前回のゲストだった山戸監督がいて「ドイツいってきます!」と誇らしげ、いいなあドイツ行きたかった、愛仮の上映は各地全部に行くつもりだったのに結局どこにも行かずで悔しい、トークぶりにお会いした島田監督にも真っ先に受賞おめでとうを言えば良かったのに忘れた、いつでもそういうことをやらかして半刻遅れて反省するのにタイミング逃して取り戻せず悔いばかりを溜め込むのはなんとかならないのか。

スクリーンでは二度目の「ドコニモイケナイ」、観ているときは色んなことを感じるのに終ったら忘れてしまう、人の顔や名前もまったく覚えられない、トークしたのに島田監督にも声をかけてもらうまで真横にいて気付かなかった、飲み屋ではこの人の顔を覚えようと意識してじっと見つめたりしたのだけど次に会っても気付くかどうか自信がない。

愛仮にしてもさすがに顔を忘れたりはしないけど観ているときに色々感じて終った瞬間に忘れているのは同じ、あ今感じたことはこれまでに感じたことのなかったことだとか、やっぱり同じところで同じことを感じるなあとかの印象はあっても、それがどんな場面で何に対してどう思ったかは思い出せない、10代の頃のように観るもの全てが鮮烈に刷り込まれたあの感覚は今はほとほと磨り減って鈍り腐っている。

合間に山ちゃんとガマさんを発見、時間のやり繰りをしづらい演劇の人たちがわざわざ足を運んでくれるのは本当に嬉しく、アフタートークにも飲み屋にも付き合ってもらってちょっとはしゃいだ、先輩方を持て成すつもりが身勝手な気楽さに甘えてしまいせっかくの宴席だったのにイケナイチームのお二人とは殆どお話せずに終えてしまいこれも帰る道すがらに反省、終映後に会えた景虎も宴席移動のときに見失ってしまった、あーあ。

愉しかったはずなのに自分の軽はずみのせいでモヤモヤを纏ったままタクシー帰宅、原稿作業をせずにいる焦燥すら湧かず、それでも平然ではない証拠に朝は必要以上に早く目覚めてしまう、勿論体調が良いはずがないのだが二度寝するのは後ろ暗い、書かなきゃと思いながら洗濯などをし、書かなきゃと思いながらソファーに寝そべってA・ロメールのゾンビなど観て、書かなきゃと思いながらそのまま転寝し、書かなきゃと思いながらだらだらソファーから起き上がれずであっという間に1日が過ぎた。

舞鶴の京子ママを見舞いたいのにことごとく予定がずれ込んで毎週末にああ今週も行きそびれたとがっくり項垂れることを繰り返しもう3週間が過ぎてしまった、連絡しなきゃとリストアップしている案件のいくつかも放置し続けている、気が乗らないと言えばその通りの部分もあるのだけど、TODOリストにチェックを入れる快感を知らないわけじゃないのに一つ後回しにしてしまうとそれをやってからと思ってしまって他のことも続々後回しになってしまう悪循環。

根がそれなのにいざ動くとうっかりやら案の上やらの悔いにしかならないんじゃどうしようもない、いつもお尻に火がついてるみたいにせかせかと気短で今日できることをやらずにはおれない性質だったはずなのに、急激に時間の使い方が変化したのか、能力が追いつかなくなったのか、そういや視力も随分と落ちた、人としての機能が日々衰えていく漠然とした恐怖、きっとこれを初老という、年齢に関係なく実感としてのそれ、初めての老い、去年までは更年期の実感があったのにそれを終えたら次は初老とは忙しないものだなあ。

それに馴染んで乗り越えて再びの活力を取り戻したのであろう先輩をたくさん知っているから、彼らに心配されるとまったく切なくなる、年若い連中に説教される方がまだましな気分、4月に無闇に馬力を絞り出していた反動の一種なのだろうけれど全能感のツケは怖い、そういやジョーコさんから鱧が届いたのだったなどと思いつくといそいそ台所に立つくせに、優先度の高さが消化に必要な気力と比例していつまでもリストのてっぺんに残ってしまう。

書かなきゃ書かなきゃとぐずついていた日曜、文洋からさりげない一報あって救われた気分になった、この人のこういうところにいつも助けられている、私が不動の信頼を置く男たちは何故か誕生日が並んでいて、羽目を外す隙とウツの気はあれど大概は一定の幅の中で安定しているように見え適当にやり過ごす加減も持ち合わせていながら手段が堅実で姿勢が謙虚で発言が慎重、どっしり根付いた自信とバランスのよい小心で勝負強い努力家、そういう人になりたいものだと常々切望する長所を持つ山羊座の男たち。

8月、こんな調子でサボり続けて未だ書けていないホンを演出するのも山羊座の男のひとり。

七里ガ浜オールスターズ公演の情報はコチラ。

どう書いても面白くなるキャストが揃っていてむしろ書きづらいのだが、書いて渡せば終わる役割だからなあ、単発企画だし愛着の分ずるずる書き上げるのを引き延ばしているようなところもある、書けるはずのところをまだ本調子じゃないと躱してるには違いなく、思えば自分が演出しないホンを書くことが滅多にない、これまでにホンを渡したのは流山児さんとケラさんだけで、それらには役者で参加していたけど今回は客席で観られる。

書かなきゃなあ。


  1. 2013/06/03(月) 03:14:34|
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