仕事部屋

明滅。

日々ぽつぽつと呟いているせいでまとまった文章にするほど思うことが溜まり込まない。
数年抱え続けたものが変質して弄くり回せるものが無くなったようにも思う。

2つのアルバイトで1週間を過ごして休みこそが日常と思っていたそれもユニオン参加の連中が絶え間なくあちこちで某かの芝居に出ているので出来るだけ観に行こうと予定を組むと日常を失うのだが、わずかな隙間に日常を取り戻そうと寝不足を無視して動く自分がいたり、どうにもできずに怠ける自分がいたり、「いつも通り」をやっていくのは意外と難しいものだなあと感じる。

友人を招いて飲む機会も格段に減ったのだけど、夜勤で出かけた後に「行っていい?」と言うから鍵の在処を教えたら夜勤明けで帰宅するとゴロゴロしてたりもし、一緒に飲めるわけでなくとも顔が視れる安心感で迷惑どころか有り難く、都合というのは1人で無理繰りするもんじゃないんだなと思ったりもする。

「都合をつける」というやり方は法則が至極曖昧で、結局のところ「したい」という意思の都合でしかない。
勿論「しなくちゃ」という半強制的なものもあるし、「うっかり忘れる」という意思の裏切りもある。
どうにもうまくいかねえやと思うそこに都合をつけてくれる誰かがいると、「したい」のに「できない」やら「したい」のに「してない」やらの後ろ暗さをそっと掬い上げて貰ったような、都度を合わせる意味合いを改めて知らされる。

そうやって、変質したそれを、改めてじっと視れば、1人で抱えてたわけじゃないとわかって、その変質こそが都合というものだとも思い、益々に安堵して、どんなに使い道が下手糞でも時間ってのはちゃんと味方でいてくれると確信して、大人ってのはそうやって気長になっていくんだと。

仕上げたつもりのここにきて長篇は大きな欠点が浮かび上がり大改訂に着手している。
目標として設定した〆切には間に合いそうにない。
だが〆切に間に合わせることはクリアできる目標だということも判り、今の自分にとって必要なことは納得のいく仕上がりなのだと言い訳してすり替え、根気よく書き続けて練り上げるという新しい課題を得た。

その作業の中でも小説そのものが変質していく過程を体験するので、より一層に時間こそが自分自身を変えて行く最大の力なのだと判る。
無論、変質を受け入れる覚悟とそれを面白がれる視点がなければ良い結果とは言えないそれもあるのだろうが、変質を悪化と呼ぼうが停滞と呼ぼうが喪失と呼ぼうが、今のままではない何かに変わることは、やはり最大の救済に思える。
「そのままそこにいる」という在り方が微かな明滅そのもので、当たり前に軽やかにあったりなかったりする繰り返しが「いる」や「ある」なのだろう。

今日も私は何も失っていないと実感できる日々は、何かを得たと実感する日々よりも、きっと幸せだ。
不幸せと比較してかろうじての幸せではなく、満たされることの本来の意味として、得ることではなく失わないことなのだと思う。
最大で、最上の、心底からの切なる希望は、それだった。

あれこれを棄てたり手を伸ばしたりの明滅に燦然と「失わない」を持ち続けるなんて、とてもヌケヌケしいことだが、
そういうことだと思う。
ヌケヌケしさとか図太さとかって、生きようとする人にしか身につけられないから、魅力的に見えるんだろう。

そう思う自分こそが図太いとも知っているけれど。



  1. 2013/11/22(金) 11:54:43|
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