仕事部屋

本名修行。

一昨年の年末に思いがけず体調を崩して入院したことによって精神的にも身体的にも大きな反省を促されたが、何よりダメージが大きかったのは経済的な部分で、蓄えがないことは無論その日暮らしで凌いできた生活がガタガタになり、区の融資相談や生活保護の窓口にも行った。結局、治療費から当面の生活費までを多くの友人たちの援助を受けて立ち直ったが、これじゃいかんと追い込まれたのは言うまでもない。

その後、体調を取り戻してまずは賃料の安い部屋に引越をし、生活費のためのアルバイトを探して生活環境を改善したので、後は自分にどれだけ生活力があるかを試すだけとなりぼちぼち1年になろうか。新入生でも新学年でもない3月の数日間に似ている。

病院でも役所でも賃貸契約でも履歴書でも本名だから、本名人生1年生な感じもする。

月々に支払う家賃が数万円削減されただけでも精神的負担は倍の解放、しかも引越先は利便性と環境が良くそれまでより部屋も広くて建造物としても好ましい好物件、引越したことは手伝ってくれた数人にしか言わなかったので煩わしいストーキング行為も一掃と引越は正解で、その時点で随分と日々の活力を得た。

暮らしぶりを安定させるために次はネットを駆使してのバイト探し、契約しているコーチング業務も続けなければならないので勤務時間の調整が難しい上に体力にも社会性にも自信がない、どこか及び腰の求職活動であったが、2ヶ月ほどの間に10件以上の不合格連絡を受けるも何故か気力だけは萎えず、面接を重ねるごとに学習できることもあり、最終的にはベビーシッターとして週に3日のアルバイトが決まった。

週に3日、夜遅くに高級住宅地の億ションへ通い、仕事でへとへとになって就寝中のご両親に代わって、子どもの夜泣きに対応する。希望の時間帯に働けて個室で自由に過ごせるアルバイトがあるなんてと、その仕事は気に入っていた。時給が安いことも気にならず、クライアントであるご夫婦にもとてもよくして戴いたので働くことは楽しかった。

契約は直接ではなく派遣会社が間に入っていた。派遣会社というシステム自体に無知だったせいで、雇用契約書も研修もマニュアルもなく「では3日後にお願いします」とクライアントの住所が伝えられるという事の進み具合もそういうものかと思ったのだが、どうやらそうじゃないらしいと、6ヶ月働いてそのバイトを辞めた後に知った。

深夜勤務には雇用形態に拘わりなく基本給に手当が割増しされる時間帯があるとか、働くときには契約に関する様々な条件を取り交わして書面に残す必要があるとか、そういったことを最近になって知り、ははあ世の中はよくできていると思ったのだが、つまりは私を雇っていたのは労基法的にアウトな派遣会社であった。

労働基準監督署に訴えるとか深夜手当分の支払いを求めるとか、今さらになってそうした面倒なことをする気になったのは、シングルマザーが多く雇われていること、何らかのミスなどではなくはなからアウトなところで人材の使い捨てをするつもりの会社であることを認識してだったが、結果的には少額訴訟を起こして調停で和解した。

その調停の席には、被告となった派遣会社が雇った弁護士がやって来て、原告である私の訴えに対する答弁書なるものを提出したのだが、そこに並べられた都合のいい嘘八百と自分たちの正当性を訴えるために私個人を貶める様々な揚げ足取りに驚かされつつ、ヤル気のなさそうな司法委員に切々真実を訴えたところ「和解に至らず判決となればあなたが勝つだろうけど、向こうはその後に業務妨害の訴えを起こすと息巻いている」と言われ、世の中って恐ろしいと思いつつ。

はっきりした決まり事があるからこうした訴えもできるんであって、日頃小劇場のあれこれでは私自身が支払えなくてゴメンナサイを何度もやらかしている後ろ暗さで賃金の請求をすること自体に抵抗がある。今までなら何をどう知っても何もしなかった。訴える手間隙を嫌って何もできずにいる労働者や情報がなく搾取に気付かず働き続ける人も多いだろうと想像がつくようになって初めて、当たり前に行動した。

シッターのバイトを辞めたのは子どもの成長段階を理由にクライアントがシッター不要と判断したからで「シッターさんにはなんの落ち度もありません」とわざわざ会社に伝えてくれていたし、その後クライアントさんと直接にクリスマスやバレンタインに贈り物をし合う程度には問題なく役割を果たした。

バイトがなくなって1週間は途方に暮れたがとっぱらいコーチング業務で生活しようとはもはや思わず、2週間目には求人サイトを開き吟味の1件に応募して、無事採用されたのが年末、もう1ヶ月ほどで研修期間が終わるが、今のアルバイトは労働環境も条件も仕事内容も人間関係も不足なく、日々起こるあれこれも面白い。

最初は週4日の希望を出したのだけど、1ヶ月働いて自信がついて休みの希望を減らしたら今や週に5日とか6日とかになって生活時間も完璧に夜勤仕様、幸いにもコーチング業務が忙しくないので寝ずの出勤でなんとか兼務、稽古の時期は勤務時間をズラしてもらえるし休みもひと月前のシフト申告で自在なので今のところ不自由はない。

以前のバイトは「楽」だった。今のバイトは「楽しい」。
しんどいバイトを続ければ苦役列車が書けるのかもしれないが、世の中というものはこういう些細な違いが積み重なって色々なことに大きな違いを生み出しているのだろうと、一端が想像できるようになった。

あんまりにも私がバイトのことばかりを話すからエンゲキの友人たちとは「役者がバイトしてるなんて昔は言えない空気だった」という話に毎度なる、今も昔も小劇場の役者なんざアルバイトありきで暮らしていたはずなのに、昔はそれがコンプレックスで、今は社会とのつながりにおける最後のプライドみたいなものにすり替わってるんじゃないか。

クズだけどクズじゃない、みたいな。

エンゲキやってます、生活楽じゃありません、バイト楽しくありませんのナイナイ尽くしより、バイト楽しくやってます、エンゲキも頑張ります、生活なんとかなりますの方が余程自由なのに、どっちに対しても成し遂げられない言い訳としての不自由さを手放せずにいた日々が、私には確かにあった。

そういやこないだ久々に睦雄と飲んでいて、某監督のオファーに調整の結果「バイトあるから無理」となった話をしたら「それはやっちゃいけないことです」と叱られた、「それ助監督さん困ったと思いますよ、他の現場ならまだしもバイトかよって、監督にどう言えばいいんだよって困っちゃいますよ」と言う睦雄に、そこがポイントかと感嘆したし、素直に尊敬した。

時間は限られているから動かせるものは動かすし動かせないものは動かせない、価値を計ることじゃないと判っているのに、動かせるからと価値を軽んじた結果、アルバイトが誰か他の人でもいい仕事をやっているという歪んだコンプレックスになってたりするのかもしれない。役者だろうがなんだろうが他の人でもいいわけだが、そうと認めないちっぽけな自我だから、そういうことにもなる。

何かを犠牲にしながら他の何かを成し遂げるとして、それで満足できるだろうか。
気にならない程度の犠牲であればはなから抱えずとも良いわけだから、犠牲にするという意識を持つならばそれなりに大切なものであるわけで、そこを犠牲にした分、成し遂げる他の何かにケチがついたりしないだろうか。

この1年で、自分の身の丈を知ったと思う。
お金がないから飲みに行かない、バイトがあるから遊ばない、稽古があるから眠らないなどなどの自分にできる調整の数々と、エンゲキの仲間も小説を書く自分も生活そのものもどれかを犠牲にするとどれにも満足できないという自分の中の重要性から算出する自分に何ができて何ができないかという身の丈。

ご飯を炊いて、味噌汁を作って、おかずも何か簡単に用意して。

日々の食卓を整えるのと同じ程度のことが、この年になるまで出来なかったってのは置いといて、身の丈が知れたことは私にとって生きていくための根が生えてきたようなものだと思う。

いつ死ぬかわからないと感じたからこれまで放置していたことをきちんと片付けようと、そのつもりで動いた1年で、こうやって生きていけばいいんだと思える根が生えたのだから「つもり」なんてもんは結局その時にあるものでしかない。

今の居心地のいいバイト先もいつ潰れるかわからないし、この先ずっと小説が書けないままかもしれないし、何かが起きてエンゲキなんかやってられる状況じゃなくなるかもしれないし、私自身がいつまた倒れるかわからない。
そういう覚悟というか諦めというか先の見通しをつけなくなったのもこの1年で学んだことだけど、それは良いことかどうかわからないな。

ただこの1年これまでになく精神的に安定しているのは事実で、不安っていうのはいつも先のことに潜んでいるから、そう考えると先の見通しをしなくなったことでそれを排除できるようになったわけで、先の見通しを立てなくなったのは今やって出てくる結果があるからなんじゃないかと思う。

引越だってアルバイトだって良い結果になる確信があってやってわけじゃないし世の中では当たり前とされる細やかなことだけど、その時の私には今やって出せる結果だった、評価としての何かじゃなく変化としての何かを手にして自分に都合良く解釈しているだけだとしても、自分で得たものだから気持ちいい。

大昔に姓名判断をしてもらって、前川姓だと家庭運が悪く本名姓なら家庭運は安定と言われて、本名姓は離婚したときにしか使わないのに変だなと思っていたが、家庭運てのは独り暮らしにも当てはまるらしく、前川麻子をやってるときより本名で暮らす日々は確かに安定している。

それでも前川麻子を辞めずにいるのはもはやそれを苦しむほど背負っていないからかもしれない、性同一性障害に悩んで自殺寸前だったのにコスプレに走ってちゃっかり生き延びたってことか。この場合は「姓」同一性障害だけれど。



  1. 2014/03/06(木) 04:32:56|
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