仕事部屋

劇場に入ってほっとする自分を嗤いながら、演出代行として瀧川英次が仕上げてくれた芝居を土曜の通し稽古で観て、いい作品に仕上がったなあと他人事の感覚、自分が仕上げていたらこれほどの間口にはならなかっただろう英次らしいブラッシュアップは、去年英次の演出で「オーラスライン」をやった時に見えたことと同じだが、短い期間の付き合いなのにこれほど愛情を持って彼らと関われる英次の懐を、何より感じさせられた。

「かと万 〜モグラ町3-5」、とてもよい作品でした。
お足運びくださった皆さん、ご声援下さった皆さん、力を貸して下さった皆さん、本当にありがとう。
エンゲキ人、かっこいいす。

たくさんご迷惑をかけてしまうこと承知で、以降しばしお休みを頂戴致します。

愉しみな企画だった「(仮)の事情」ですが、公演は延期を決定致しました。
いつ、という目処がまだ立てられません。
私の体調が主な理由です。
ご期待下さっていた皆さん、スケジュールを空けてくれていたキャスト・スタッフの皆さんには本当に申し訳ありません。
すでに佃さんが書き始めている戯曲の、冒頭の場面が手元に届いています。
やらねばならぬホンです。
せっかくの阿部定祭り、旗を振るつもりが欠場となって無念ですが、万全の体勢で取り組み、最高の作品として仕上げるため、いつもの無理押しを臆病にすり替えることを決めた次第です。

長めの制作準備期間を頂戴したつもりで虎視眈々に、かっこいいエンゲキ人を目指します。
待っていてください。

お知らせ→ http://et.maekawa-asako.com




  1. 2014/04/21(月) 20:05:24|
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コヤ入り。

本日よりユニオンコヤ入り、無事に合流を果たして皆に「お務めご苦労さまっす」とムショ帰りのような出迎えで場当たり、3日間という短い期間だけれどやっぱりコヤは落ち着く。

ご心配戴いている皆様、ありがとうございます。
退院しました。脱走じゃありません。
大きな声も出せずきびきびとも動けずですが、客席に特設された楽ちん仕様の演出席で場当たり指示もできるし、その後ちょいと飲んだりするくらいには回復しております。

土曜夜、日曜夜とも前売り予約は予定席数を販売終了しました。
日曜昼はまだあるかも。
どの回も開場60分前から当日券を10枚ちょいの販売となります。
席数少ないのと、あんまりきゅうきゅうに詰め込んじゃうと役者の芝居が変わっちゃうってのもあっての限定席数です。
ごめんなさい。

取り急ぎ、退院ご報告まで。


  1. 2014/04/18(金) 22:54:00|
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何が起きたのかというと。

一昨年の入院で、身体の中に「なくていいもの」が見つかって、そいつをどうするかってことがずっと問題だったのだが、まあ「なくていいもの」だからとっちまえばいいと医者は言う、しかしせっかく五体満足に産んでもらって好き勝手に生きた挙句に「なくていいもの」だからとって捨てちまいますという気分にはなれないもので、仕事が休めないだの芝居の予定があるだの金の都合がつかないだのとグズグズ言い訳をして放置していた、それが、無論それらの言い訳はどれ一つ嘘じゃないのだけれども、何も今日この日でなくたってというタイミングで不具合を起こしたもので、渋々ながらに取って捨てちまった次第。

その日はいつも通りに夜勤で働いていた、バイトが終わって一旦帰宅したら7月公演のチラシの写真撮影をすべく衣装を持って出発、制作やメイクのスタッフとスタジオ近くの駅で待ち合わせている。

9日から10日に日が変わっての明け方退勤2時間前、どうにも我慢のできない腹痛でこりゃ気を失うと分かったので仮眠中の社員さんを叩き起こして救急車を呼んでもらった、意識はあるが痛みで口もろくに利けない、そんな状態と承知で運ばれた大学病院の若い研修医たちが同じ質問を5巡6巡としてくるのはかなり効果的な拷問だと思う、救急に研修医がいたら4時間は放置されると覚悟した方がいい。

身内の方に連絡をと聞かれたのも4時間くらい経ってからだった、ところが勤務中だったもので私物である携帯は職場のロッカーにしまっている、お仕事バッグに入れていたのは財布とタバコとiPad mini、ところがこの miniはセルラーモデルじゃないから単体ではメールチェックもできない、アドレス帳で小形くんの連絡先を表示して看護師さんに連絡をしてもらったが、撮影班にまでは連絡を回せず、スタッフの皆さんを3時間ほど連絡が取れない状態で待たせてしまった。

小形くんに続き制作が病院に駆けつけてくれ、医者から緊急手術の必要があると説明され、本人の意識がなくなった場合に代わって同意するという書類などにサイン、この時点で救急搬入から10時間くらいか、小形くんにはそれからバイト先に行ってもらってロッカーから私服や私物を持ってきてもらい、犬の面倒を頼んだ。

手術の後に目覚めて制作と小形くんの顔を見たのは覚えてる、病室内でタバコに火をつけて看護師さんにねちねちと叱られたのも覚えてるから、あれが10日の夜だったのか、小形くんに家から持ってきて欲しいものリストを渡したり。

次に意識がはっきりしたのは12日だったから、丸一日うつらうつらだったんだろう、医者だか看護師だか色んな人がきて色んなことを言うのが煩いので聞き流して無愛想に振る舞う、何よりざっぱり開腹した手術跡が痛い。

小形くんに代わってユニオンの藍原くんが病院に寄ってくれ「小形さん風疹だそうです」と衝撃の報告、NHKの後輩も身の回りのものあれこれ揃えてくれ、看護師が言うことも少しずつ理解し、やっと入院しちゃったという感覚、あちこちへのお詫び連絡と入院の連絡、ユニオンの本番前1週間、仕上げの稽古に出られないことが何よりの痛手、しかもユニオンは舞台監督の小形くんまで失っている。

その時にはああこりゃもう何もできないなと諦めたのだけど、数日して回復してくるといやいやこうやればできるんじゃとまた欲が出る、それでもこれまでと同じようにはやれない、休養第一とは承知だけれどやっぱりこれくらいの病状じゃ全部丸ごと投げ出すってわけにはいかない、結局1日ごとに制作やユニオンの藍原くんに指示することが増えている。

有難いことに、TwitterやFacebookで状況を知った演劇人たちが、「1日稽古みれば本番つけるぜ」とか「俺、稽古みてやろうか」と声をかけてくれる、普段なら一緒にやりたいと思ってもギャラが払えなかったりスケジュールが押さえられなかったりするベテラン勢が代役やりに稽古場に来てくれるというのがユニオンの売りでもあったがここにきてもう何が何やら。

エンゲキ人、かっこいいでしょ。

そのカッコいいエンゲキ人はじんのひろあき氏である。
映画「櫻の園」でキネ旬やアカデミー賞の脚本賞を総ナメした日本を代表するシナリオライターの1人であるじんのさんが、エンゲキ人としてユニオンの舞台監督代行をやろうと言うんである。
因みにじんのさんとは古い知り合いだけど、個人的に連絡を取り合うような付き合いはこれまでになかった。なのに「大変なことになってんだろうなーと思って」名乗り出てくださった。

エンゲキ人、かっこいい。

ユニオン、計らずしも演出家・舞台監督の喪失というハプニングによって、本来のユニオンたる力を集めたようにも思え、そう悪くなった訳じゃないんじゃないか、などと思ったりするが、やはり演出家の不在はよろしくない、私を信じてくださいと言いながらやってきてのこのザマ、まったく申し訳が立たない。

エンゲキ人として、私がいちばんかっこ悪いことになっている。

せめて満席にしたいもんだ。
初日土曜はすでに予定数の販売が終了、若干の当日券は発券されますが、お席の保証がありません。2日目日曜の15時と19時半の回はまだ予定席数が残ってます。
会場はJR中野駅から徒歩5分ほど、ぶらりといらしてくださっても日曜なら入れるかもしれません。
ご予約はコチラ。

この孤児たちを、どうか見届けてやってください。





  1. 2014/04/15(火) 12:12:26|
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嫌ワレ者ノススメ。

繁華街で深夜に働いているので街のざわめきが近い。卒業、花見、入学、入社、浮かれた人々の喧噪を聞きながら仮眠する。
彼らは皆自分が属する小さな社会での役割を背負いそれぞれが必死であったりもするのだろう、もう一つ外枠の社会にはおしなべて無関心だ。自分がどう見られるかには神経を尖らせるのに、自分「たち」がどう見られるかに自分の責任があるとは気づかない。

幼稚園にも小学校にも制服があった。制服はどこかに属することを世の中に知らしめる。
てんで不良だったくせにおかしなもので、制服を着ているときには悪さをしないよう心がけていた。
自分が不良に思われることには無頓着でありながら学校の看板に傷がつくことはどうしてか恐れた。
子どもの頃から目立つたちだったせいもある。個人の名が知られることのない場では良くも悪くもひとまず制服が素性の代わりだから、制服と素行の印象が結びついて誰がどこで何をしても同じように一括りでレッテルがつく。
誰に教えられたわけでもなくそう判っていたから、制服は隠れ蓑にはならなかった。
私の場合はただ属するものに縛られるのが嫌だったんだろう。

歳下の女の子が、私は日々色んなことを我慢していると話す。
会社では自分の個性を押し殺し、家族の前では良い娘であるように努め、恋人に対しても我が侭を言わないよう心がけ、友人には嫌われないように細心の気配りをするし、コンビニでは小銭を募金箱に入れる。
芝居仲間の男の子は、世代の違う連中とやっていると色々溜め込むことが多いと言う。
それは違うだろうと思っても、彼らには彼らのやり方があるんだろうと思えば、違っている自分を押し殺すことになる。

我慢は癖になる。忍耐力とは違う、悪癖だ。
忍耐力というのは、受け入れる範疇の広さのことで、それがあれば「我慢している」とは感じない。
抑制する力とも違う。抑制する力があれば対応できる。対応できるそれは我慢とは違う。
我慢は我慢でしかない。もちろんそこには美学もある。

我を通すか我を殺して我慢をするかの二択しかないわけじゃなかろうに、場の空気だの他人の視線だの自分の責任だのを考えるとそうなってしまうのか、面倒臭さが先立って自分を犠牲にすることを択ぶのか、何にしろ安直な我慢は忍耐力や抑制力を削ぎ、そうすべきときときにそうできないアンバランスを生む。
「キレる」ってやつ。

我慢し続けてキレる。幼児にはそれしかできない。対応できる能力に限りがあり、言語での意思表示のバリエーションが少なく、自分が属する社会が小さ過ぎる。

海外ドラマに「Community」というのがあって、タイトルの通りコミュニティにおける様々なルールをネタにしたコメディドラマなのだが、それを観ているとコミュニティとは個性あってこその定義なのだと感じさせる。
アメリカのドラマだから、宗教も人種も違う人々が当たり前にいる、そうした本来の意味での「個性」を考えさせられる。
あの人は何が好きで何が嫌いとか、どんな性格でどんな趣味だとか、そういう表面的な個性ではなく、それらを生み出す背景を含んだ、自分ではどうにもできないものとしての個性、個人の属性。

個人の属性に大差のない人達の集まりはコミュニティとして成立するのだろうか。自分と同調する人たちが何人集まっても自分に見えないものはその人たちにも見えない、だからこその同調だし、それが極端になれば巨大に増幅した自我になるのではないか。
自分自身ですら自分を持て余すことがしばしばあるのに、自我が巨大化したらまったく手に負えない。

つまらないことをいちいち我慢してると、自分が本当は何をしたいのか、何が欲しいのかが段々わからなくなったりする。
自分のことは自分にしかわからない、というのが原則だとして、自分にもそれが判らなくなったらもはや誰もそれを汲んでくれる人は存在しない。
わからない心もとなさでほんのわずかな同調にすら流されて、そうだそうだと頷くだけになったりもする。
同調して寄り添う相手が団体であろうが個人であろうが同じことが起きる。被虐の心理の原点に重なる。

ただ寄り集まる人々だった団体は、無個性と無思考と無責任の同調によっていつの間にか個人を支配する役割のものになり、彼らに新たな我慢の言い訳を与える。
それが個人であれば、支配と服従の関係に丸く収まって他のものを割り入らせない閉鎖的な最小の社会となる。
支配されて服従するばかりではない。
我慢が同調を生み同調が追従になり追従はいずれ服従になる。
力でねじ伏せられてそうなるのではなく、抗う労力を怠けた挙句に行き着くそれがある。

社会であれ会社であれ個人の関係であれ、思考や主張を止めた人を必要とする場はない。個人としての役割を捨てるから強い個がたった一つで成り立つような歪さになる。
仲良く同調することがコミュニケーションではない。ましてリスペクトであろうはずがない。

それぞれの個を尊重するにはそれぞれが主張して違いを認識するのが最初であって、主調なき同調から尊重は生まれない。
しかし、主張を曲げずに我を通すことが尊重につながるかといえばそうとは限らない。
選択は難しい。
その時に必要になるのが、外枠から見たその場、関わるものの中での役割と責任になる。
内側の自分の立場から見るそれではなく、もう一つ外枠からの視点で自分が属する場を眺めれば、折り合うべきところが見える。

山本夏彦風を気取ってるつもりなのだけど、なかなかしっくりこないな。


モグラ町新作となったユニオン旗揚げ公演、間もなく。
2度と一緒にやりたくない奴も、その場で絞め殺したい奴もいる。
好きな人たちばっかりでやるんじゃないことが、面白い。

アンファンテリブル・ユニオン旗揚げ公演
「かと万 〜モグラ町3-5〜」@中野あくとれ
2014年4月19日19:30開演
4月20日15:00開演
4月20日19:30開演


どうかお足運びください。詳細・ご予約はコチラ



  1. 2014/04/06(日) 05:30:18|
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