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仕事部屋

捨てない。

欲しいもの、必要なもの、あればいいなと思うもの、手にして初めて価値がわかるもの、大して役に立たないけど何故か愛着のあるもの、使うことはないけど所有していたいものと、「有」と「無」の選別は難しい。

先日ふらりと父の墓参りに行った、行こうと目指したわけではないのだけど、近隣に行くことにしたら同行の友人が「行けば」と促してくれたので、友人を付き合わせて立ち寄った、尤も花も備えず線香を焚くこともなく墓石に水すらかけないのだからお参りというよりちょっと見てきたという感じで、私の墓参りは大概そんな風で罰当たりなのかもしれない。

墓の管理は誰がしているのか、とにかく父の墓はそこにある、あれだけ立派な仕事を遺した人なのに驚くほど質素な墓で見窄らしいのだが、誰かがちゃんとそこに居させてくれるのだから有難い、田舎に行くと路傍に墓石があったりして、皆私のようにぶらりと通りがかるついでにそこに眠る人を思うのだろうか、どうせならそういう墓に入りたいものだ。

母の墓は母の実家にあって、罰当たりな娘はこれまでに一度しか行ったことがないのだが今も手厚く世話をしてもらっているだろう、墓の面倒が見れない後ろ暗さがあって母の実家との縁が切れてしまったが、そもそも気まぐれに遊びに行くことが何度かあっただけで祖母が亡くなったときにすら行けなかったから、とうに見限られている。

こうしたことがきちんとできない自分を申し訳ない恥ずかしいと思う気持ちはあっても現実的な手間暇が追いつかない、もしかしたら既にあのおじさんやあのおばさんなど亡くなっているのかもしれないが、お礼を伝える機会もなく不肖の親族はトーキョーで独りみなしご気取りを続けている。

何度も書いたが何度でも書く、世話になった人たちが先に逝ってそのたびにお別れしそびれる、万全の気持ちで送り出す人などいないのかもしれないが、ちゃんとお別れできないのは生きている人も同じことだから、そういうものなのかもしれないと最近は思わなくもない、また会えるということがとても特別なのだろう。

永年使っていた恵比寿の倉庫が、アパートごと再開発の対象として取り壊されることになり引き払った、新しくアパートを借りられる余力がないので荷物の分量を予測して、今の住居から徒歩でも行けるところのトランクルームを借り、いつも通りに小形くんと成田くんの協力で引越しを済ませた。

芝居関係の道具は預かり物や貰い物で定期公演がないからもういちいち何もかもを保存していない、預かり物は返して貰い物は廃棄した、他の荷物は「捨ててもいいが捨てられない」ものばかり、父が書斎に飾っていた何かだとか母が使っていた何かだとか、それでももっとたくさんそうしたものがあると思っていたのに、久々に整理しようと荷解いてみたら大した量ではなかった。

いつの間にか自分のものばかり、自分のものなのだから使わないなら捨ててもいいのに「捨てられない」ものが、なぜこんなにあるのかと不思議だった、資料の雑誌や売ればそこそこになるだろう古雑誌などはともかく、ヌイグルミが一箱あったりして、限られたスペースに収めなければならぬのだからえいやと捨てればいいものを、また詰め直して運んだ。

古時計はまだ動くから成田くんに引き取ってもらった、ついでにその昔劇団で仕込みのときにつけることになっていた酒屋の前掛けも成田くんに押し付けた、久々の再会で惚れ直した古ラジオとランプがつかなくなっている地球儀型のランプを家に持ち帰った、履かないからと倉庫に押し込んでいた靴のいくつかには履こうと思って家を探し回って見つからなかった靴もあったのでそれも持ち帰ったが、やはり履かないので数日後にまた倉庫に仕舞いに行った、捨てたのはミドリちゃんのもので、死なせた仔犬が寝ていたベッドだとか首輪だとかを、このたびごっそり捨てた。

結局、いらないものは殆どなくて既にそれなりの整理はついていたのだが、「いると思ったけどやっぱりいらない」ものがもっとあると踏んでいたので拍子抜けだった、「いらないんだけどやっぱり捨てられない」ものの整理は2時間ほどで片付き、かつて足繁く通った店で昼飯を済ませ、様変わりしている近所をぶらぶら歩いて小形くんのバンを待ち、2人をせっせと働かせて引越しを終えた、荷物は下見もせずに借りたトランクルームにぴったり収まってすっきりと片付いた。

いろんなものを持ってるなあ、と思った。

使わないもの=いらないもの、ではないだろう。
いらないもの=捨てられるもの、でもないのだ。
それらは「私のもの」なのだ。

それにしても未来ばかりは見通せない、欲しいという気持ちを認識したって、この先なにがいるのか、いらなくなるのか、なにが自分のものになるのか、ならないのか、未来の中での「捨てられない」は「捨てない」という意志の先にあることだから、本当にすべきなのは未来の荷物整理なのだけど、今のところ「捨てたい」ものはなく、結局「捨てずに生きていく」ためにまた何かを抱えることになる、それがなんだか恥ずかしい、捨てられない自分が恥ずかしいと思う。

誰かがそれに価値を見つけてくれたら少しは救われるのか、きっと私はそろそろ誰かに「よく頑張りました」と言われたいのだろう。




  1. 2014/11/22(土) 16:49:37|
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広告が出てしまうほど、だ。

黒い報告書、一旦出して書き直してまた出して、未だ掲載が決まらず。
喘息は経過順調、犬は無事に再手術が終わってふがふがの全抜歯完了、右手首を捻挫して整形外科に駆け込みステロイド注射で痛みを飛ばし折込作業1400部などなど。

  1. 2014/11/21(金) 19:10:31|
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