仕事部屋

その日、桜は咲くのだろうか。

連勤明けの休日、予報の雨が不意に止みほの暖かい湿っぽさ、高速バスで松本に出向き「ユビュ王」観る、戯曲の猥雑さはお行儀よく整理されてしまっていたが練られた演出でシンプルな力強さがあった、途中車窓から見た残雪は屋根の低い街並みにはなく、ここでも風が暖かい、築地と看板を出す居酒屋でちょっとだけ飲んで帰りの車窓はちらとも見ず熟睡して雨の東京に戻った、今度のそれは移動という気がしなかったな、距離のせいか独りきりの時間の少なさのせいか、きっとサラリーマンの出張なんてのもきっとこんな風なんだろう、移動すら日常の一部となったら残るは上昇と下降か多次元へのトリップか、実のところ私の人生の最終目標は旅なのだけど、もしやそれはせーので始めることじゃなく、こんな風に行きつ戻りつ日帰りから始まったりするのか、何にしろ移動する体力があるうちに人生の終わりを始めないとならない、そしてどこでもない場所で力尽きて行き倒れたいと憧れる、移動するたびまだまだ旅立てない、棄てられないものが多すぎると思い知らされて帰ってくる、まあ私の感覚での旅なんて片道10分でも10時間でも見知らぬところであれば良いのだから、となれば散歩スケールでもいいわけで、しかしそう思うと散歩の途中で野垂れ死んでもいいって話でちょっと違うような気もするが、まあ死と旅はやはり同じことだ、「春との旅」って映画があったけど、あれはたいそう羨ましい。


朗読『痴話』vol.2 限定40席ご予約受付中

映画『愛のゆくえ(仮)』上映2015


そうだ、ブログの文字が小さすぎると常々言われるので、ちょっと大きくしてみる、でもきっとまたすぐに元に戻す。
  1. 2015/02/23(月) 16:48:29|
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新しい居場所。

神農さっちゃんとの「痴話」を大変愉しく終えた、さっちゃんはふわふわしているようでゴリッとしてるとこがあって、そういうのが出てきてたまにこちらのそれとガリガリぶつかったり擦れ合う時がなんとも楽しい、楚々とした聖女のような定であって食いついたら離さぬ情念も透け、定を「ただそれだけじゃない」ように見せたい意図がちゃんと成り立ったんじゃないかと思う。

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星野さんとはおそよ12年ぶりだったが、やはり星野さんの音っていうのがあるんだなーと、機材は店のだし何らエフェクトはなく誰がいじっても同じ音が出るに違いないのだけど、選曲のセンスは勿論、存在というか、関わり具合のようなそれが、やはり星野さんだなーと思わせられる、まだパニック障害がちょっとあるらしくレコード回すとパニックになったりするというので、次回はお休みして戴いて、またいつかのタイミングでやりましょうとなった。

その次回はもうすぐ来月で、ようやく終えたと思ったらもうバタバタと準備をしている、同じホンを違う女優さんとやっていこうという企みは最初からのもので、最初っからすぐまた次がありますと言うのもあれなので控えていたが、もう予約の受付も始まった、限定40席なのでどうかお早めにご予定下さい。

朗読『痴話』vol.2
台本・演出/ 前川麻子
出演/ 新谷真弓(ナイロン100℃) 前川麻子

3月7日(土) 15:30 open 16:00 start
@ ARENA下北沢
当日精算のみ ¥2000 + DRINK ORDER

ご予約はこちら!


因みにアリーナはキャラメルほど退廃的ではなくなかなかに気持ち良く過ごせる店であった、お酒の種類が多くメニューに食べ物があるのもいい、私が使うと店が潰れるというジンクスを打ち破って貰わねばならない。
キャラメルのヨーコ、元気かなあ。


  1. 2015/02/10(火) 02:39:16|
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いつかのサクラが今咲いた。

今朝、twitterでフォローしている某出版社の某元担当編集氏から「朝日新聞東京面に出てました」とダイレクトメッセージをもらって、何事かと添付してくれた画像をみると『パレット』の紹介記事、ずいぶん昔に出した本なのでどうして今頃と思ったら記事は「東京物語散歩」というコラムで、西郷山公園の紹介であった。

パレットを書いたのは、娘がちょうど中学に入った頃だったか、池袋の方から恵比寿に越してきて、やっぱり生まれ育った街は馴染みがいいなあと感じていたそのまんまに、渋谷で育った中学生の物語になった、小説宝石での初めての連作短編だった、私自身はあまり学校に馴染まなかったのもあって、『パレット』にも学校の場面は多くない。

それでも、中学生当時に渋谷で遊び倒したあの感覚を思い起こすうち、当時の自分が考えていたことや感じたことが鮮明に呼び覚まされた、当時手帳を持つのか流行で、私はその頃から毎年の手帳をすべて残している、見れば今より余程忙しい、これじゃあ学校に行く暇なんかないだろうとも納得する。

手帳を開いて子供じみたローマ字づかいや今となっては意味不明の記号を眺め、フラッシュバックで14歳の自分と向き合って、横目で観察する娘の日常を重ね合わせて、あの頃の私が今の渋谷に育っていたらと考えるのは楽しい作業だった。

折しも、昨年から取り組んで書いても書いてもOKが出ない原稿にようやく今年になって再挑戦し始めていた、書くべき物語は出来上がっていて切り口が見つからない、ディティールであるエピソードであるとACCの小説講座で煩く言っているのに、自分が書くときにはそこに足を掬われ四苦八苦の真っ最中、週末の朗読公演の前に送っておきたくて夜勤明けで帰ってそのまま作業を始めたところに届いた「東京物語散歩」記事であった。

すごいなあと思った、記事中に2005年と書かれていたのでもう10年も前に書いた作品、それが今になってこんなふうにひらっと私の日常に、見知らぬどなたかの目を通して、鮮やかな景色のように伝えられていく、演劇のような消えモノに慣れてしまっていると、モノを作るということの役割の大きさをうっかり忘れる。

20の時の裸映画が上映されるたびそのことを思い出したし、ふとした機会で読者に出会うときにも、ああそうだったと思い出すのだが、twitterで教えてくれた元編集氏はそもそも『パレット』には関係のない他社にいた人で、あの頃は仕事をしている各社の編集氏と毎週のように飲みに出ていたなあなんてことも思い出した。

ここ久しくすっかり小説を手放していつか書こうというメモばかりを溜め込んでいた、本を出したいと思っていても自分の成績は思うほどよろしくないとも承知しているのでもはや欲もない、食べるために書き始めた小説で食べられなくなって5年か6年か、食べるための仕事を新しく見付けて楽しめることに安堵してもいる。

だけどやっぱり書きたいと、食べられなくとも書く人でいたいと、支えてくれたたくさんの編集氏の顔を浮かべながら、ついつい忘れてしまう「形になって遺るもの」を産み出せる力を、もっとまっとうしなければと、ひーひーやってる原稿作業の最中に思い至れたことが、なんだか神様的な感覚でいうお告げかお導きのようで、ははあ人生というのはこんなふうに組みたっていくのだなあと、いつもに増して感じ入った。

あんまり嬉しかったから『パレット』担当氏やtwitterは勿論Facebookにも自慢投稿をし、俄然やる気になって原稿作業を終えたところに、コラムを書かれたご本人がメールを下さって、こちらもお礼を伝えることができた、コラムの筆者は学校の先生であられ2日後には入学試験があるそうだ。

人生を思いがけない造形に組み上げていくのは人との出会いばかりではない、本を読むことでも映画を観ることでも、もしかしたら道ばたの小石を拾うことでも良いのかもしれない、自分の手を伸ばして触れることから始まっていくのだと、たくさんの子どもたちがきっと教わるだろう。


東京物語散歩_20150204


恵比寿を離れてからもうずいぶん西郷山公園には行っていないけど、もう少し暖かくなったら桜の花見より先に河津桜を見に行こう、あの河津桜はあんまりにも早々咲くので、早咲きじゃなくて去年の分の遅咲きなんじゃないかと、実は密かに思っている。






  1. 2015/02/04(水) 19:09:58|
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