仕事部屋

先日、知人の紹介で、某高校のH先生から「演劇部の指導をやってくれませんか」という打診、20年以上昔に某男子校から国語の授業をやりませんかと打診されたときは快諾したもののこちらの事情で白紙にしてしまった、ちょうど最近知り合った演劇専攻の高校生たちが制作チームとして手伝ってくれたり彼らの公演を観に行ったりの交流があって、これまで微塵も関心のなかった高校演劇に俄に興味が出てきたタイミングで基本前向きな気持ち、やりたいネタもすぐに浮かび、WS休止中で良かったなどと思うくらいにはその気だった、資料で届いたのは入学希望者向けの学校案内とざっくりした演劇部の活動記録、他校演劇部の公演DVDが3枚で、一通りに視た上でH先生の学校まで出向いて2度ほど練習を見学、そういや富山大学でも芝居の話で講義したっけなあと思い出して絶対上京して演劇やりますと言っていた彼はどうしているだろうと思うその時点でもやもやした不安はあったのだ、外部からの顧問として高校演劇の指導をしている友人も数人いるのだが片手間にできることではないと判るし、それ以上に私が指導することになればどういう方向になるかは歴然、私自身「引き受けるならこうやりたい」という考えが明確にある、だがH先生に話を伺ってみると、予算の都合、活動時間の都合のみならず「教育的な都合」とでもいうようなものがあって、なかなかに不自由な環境、ドイツにサッカーを持ち込んだ学校の先生の孤軍奮闘を描いた映画をちょっと思い浮かべたがそんな美談で片付くことじゃない、なんせ相手は生身の子どもたちだし高校生ともなればあらかたの人格はできあがってもいるだろう、そしてそれはまた日々成長という変化を成していくに違いないのだから、むしろWSやるのに近いのかもしれないと2週間ばかりは慎重に考え続けたが、結論として、責任持って引き受けられると思えないと辞退、WSを基準に考えて1年くらいじゃどうにもならんなと、何より関わり始めたら子どもたちが可愛くなるに違いなく、WSやってたってそうなわけだから、身内の贔屓目で「よしよし頑張ってるな」とか「進歩してるぞ」とかの生温いOKを出すことになるに違いない、それが発表の場に結びつかない部活動としての時間だけであれば良いのかもしれないが、彼らにはコンクールという勝負の大舞台がある、つまり高校演劇というジャンルにおいてきちんとした作品を創り上げることが最終的な目標だから、WSのように本人の満足度を目処に生温くやるわけにはいかず作品を創るために演出をしなければならないわけで、他の方がどうやっているのかわからないけれど、少なくとも私にとってそれとこれは雲泥の差で、だからこそWSでも有志をユニオンと括り上げて公演を打ったわけだから、これはやはりWSのようなものではなくきちんと演出家の役割が求められているわけで、先生は最近高校演劇で注目になっている高校の名を挙げ「前川さんなら勝てます」などと言ってもくれたのだが、競い合うとか闘うとかの感覚がそもそも苦手なのもあって先述のようにお返事することとなった、という話を呟こうと小出しにしているうち「高校演劇は演劇に似て非なるもの」という部分が拾われて全国の現役高校生の敵に祭り上げられたが、映画愛仮のカズPが言うように愛仮公開前にオウムうんちゃらの記事がスポーツ新聞にでかでか載った時の叩かれ方に比べれば蟻が一匹腕を這うくらいのもので、いちいち拾い上げて返信つけているうちに対話に応じてくれる人もいてくれたのでちょっとしたリサーチになった次第、たとえば「モグラ町」や「台所純情」で龍さんとこの演出をやる時にも彼らを愛おしく思ってはいる、しかし彼らは経験と技術で対応でき、もう人格の大部分がどうにも成長も変化もしようのない大人なので演出の甘さがあっても少しはバランスが取れるからいい、因みにその龍昇企画もつい先日に観劇、活躍めざましい温泉ドラゴンとの合同公演で演出が天野天街だからジイさんたちはさぞかし踏ん張ったに違いなく、まあ誰より頑張ったのは天野さんだろうけど、新鮮かつ相変わらずでそれなりの踏ん張りがきちんと見えて面白い芝居に仕上がっていた、かように作品というのはあれがあってこれがあって今これという流れの中での価値に重きを置く部分が多い、高校演劇で1本きりのいい作品なんてあり得るんだろうかと今も疑問が残っている、あれがあってこれがあって今これという流れが3年間の高校生活で区切られ、卒業してしまえば高校生という付加価値もなくなって高校演劇というジャンルには作品を持ち込めなくなるわけだから、闘う覚悟があればやり甲斐のある仕事だろうが、それはやっぱり私の引き受ける仕事じゃないなと龍昇企画を観ながら改めて思いもした、ついでに言うと最初に思いついた高校演劇でやりたいネタはtwitterで対話してくれた大阪の演劇部女子にお礼のつもりで提供、いつか作品になるといい、そうした出来事の中で、高校生たちの非難轟々の中の一つに演劇部じゃない子が「あんた演劇のなんなん?」と問いかけてきて深く考えずに「なんだろうね」と答えたら「そこ、演劇愛してますって言わなきゃダメじゃん」と叱られたのだが、それがちょっとひっかかっていて、私にとっての演劇とはなんだろうと、そんなこと自分で言ったことあるかしら、絶対にないし多分これからも絶対にそんなこと言わないよなと、何故ってそれは私が自分で主張する必要はなくてお金を払う人が観たものの中から感じ取ればいいことで、一緒にやってる連中にだってそんなこと聞かないし第一聞いたら殴られるかもしれない、やってる連中はみんなそうなんじゃないかと思っていて、そういうことをちゃんと「言わなきゃダメでしょ」と言えたり思えたりするのは子どもらしくて可愛いなあと、大人は他にもっと言わなきゃダメなことがあるからなあと、でも私自身かつて可愛らしい子どもだったんじゃなかったかなどとつらつら思い出して、ああやっぱりちっとも可愛らしくないクソガキであったと思い直し、やっぱり今回の一件は引き受けなくて正解だとつくづく思った、「いつもの炎上商法でやっと完全復帰を実感しました」などという励ましだか茶化しだかわからないメッセージもあったけど、いつか瀧川英次が私に「前川さんは僕の周りの演劇人の中で一、二を争う《面倒臭い人》ですよ」と言ったことがあった、この一件でようやくそれを実感できたのが何よりの収穫。


私にとって演劇とはなんなのか、について考えるためにだらだらと書いた雑文をNOTEで無料公開中。
NOTE 「生温い話。」


3日間食事するのをやめて筋膜リリースを受けたら体が軽い、空腹を感じずに済んだのもtwitterでの騒動のおかげか。

  1. 2015/03/19(木) 01:28:51|
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亡命願望。

朗読『痴話』vol.2も無事に終えた、前回に続いて来て下さったお客様もおり演者の違いでこれほど違うとはと驚いておられた、新谷さんは声優のお仕事で人気のある人だから声による演じ分けも得意で、ねっとりしがちな内容のところでもしれっと笑いをとって明るい雰囲気、本番前の練習中に神農さっちゃんが差し入れ持って顔を出してくれ、ちょっとの間見物してってくれたのだが、やはり雰囲気の違いに感心していたらしい。

立て続けに2回の公演となったから終わってみると予想以上に疲弊していて、かつて毎月新作2人芝居をやっていたなど信じられないほどぐったりで、そうなると国外脱出の夢想ばかり、すべきこと全部終えたら一切合切手放して言葉の通じないよその国に移住して誰とも口を利かずに暮らしたい、貯えもないくせに非現実的な願望で情けないが、この先ほんとに「もう休みたい」と思ったときどうすればいいんだろうと考えると俄かに絶望するのも事実だ。

しかし次の準備がもう始まっている、朗読『痴話』vol.3 は再び新谷真弓嬢と、役を交代して、5/31に同じ店、同じ時間、予約受付開始は5月1日、その前に1年ぶりの愛仮上映会が3/27、リハビリ終えたらバタバタ秋の「(仮)の事情」準備が始まって、ひーひー言いながら夏を過ごして、公演終えたらあっという間に年の瀬なんだろうな、職場ではもう9月の日付を取り扱っているから、うかうか絶望もしてらんない。

たとえば、これを書いている今は深夜勤務中の職場で、明かりを落とした空間にずっと独りでいて時々思い出したように業務をやってる具合だけど、そんなふうにひっそり生きていけるようになりたいなあと思うから、職場にいると大層落ち着く、といっていつまでも働いて独りで生きていくのはさぞかししんどかろう、いつになったら働くのを止められるのか、いつになったらモノを創るのを止められるのか。

映画「愛のゆくえ(仮)」上映2015


まあ今しばらくは言葉が通じる国で言葉に頼ってやってくしかないんである。



  1. 2015/03/09(月) 18:36:54|
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