仕事部屋

淡々のとき。

改訂版のホンは書き上がっていると鵺的の高木さんから聞いて、緩やかに緊張を高めている。
まだまだ部屋の半分は段ボールで通販購入の椅子ばかりが続々届いてすでに狭苦しく、復帰したバイトは連日予想外にハードで、書いてない、書けない後ろ暗さから世話になっている編集者への返信ばかりが後回しになる。

全部吐き出したつもりだった純情が、身体の内側にこびりつくように残っていると気づいてから、日々が重い。
何事でもないはずのこと一つひとつを繰り返し反芻して懐かしむように病んでいく様はまるで恋の病だ。

まだ慣れぬ道のりを深夜にとぼとぼ歩いての帰り道、一人で生きることはとても美しいことだと感じた。
淋しさやなんかの、決して有り難くはないそれらをコンビニ袋に詰め込んで、明かりのついていない部屋へ黙々向かう自分を、強いなどとは思わないけれど、そういう痛みを持ち得る自分の現在が、そりゃもうなんだかとても尊くて、ちょっと鼻歌混じりになったり。
誰のためでもない自分のための時間や空間を持つことの誇らしさだろうか。

護るものを持つことを不自由とは思わない。
そこに今の私が感じることとの違いはない。
捨て切れないものを持つことで自由を感じることだって絶対にあるのだ。
かつて首輪やら鎖やらをつけられて生きていきたいと願っていたはずの私なのに、今はもうそれがいらない。
そのことが、嬉しい。

嬉しい楽しいなどと能天気に生きるにはそこそこに食わねばならず、そこそこに食うにはそれなりに働かなければならず、それなりに働くにはそれ以上の歓びを隠し持たねばならず、歓びを隠し持つには耐え忍ばねばならず、耐え忍ぶには与えられるものがなければならず、与えられるには自ずから与えねばならず、そうしたメビウスの輪の中をとぼとぼ歩き続けることを生きることと呼ぶのであれば、しっかと生きているに他ならず。

自分を見失って覚束なくなるのは舞台の上だけでいい。
実際、現実にいても見失って覚束ない自分であろうと、「しっかと生きてるではないか」と足元を見る隙だけはある。今はまだ。

体調はすこぶるよろしくない。
稽古入りに備えて体調や生活を整えなければならない時期なのだけど、まだもうちょっと燻っていたいような気がする。
護るつもりがあるわけじゃないのに、捨て切れないものだけが、何かあるような気がする。

善博さんも由美香さんも先に逝ってしまった。
とぼとぼ生きる自分の時間を秒刻みに愛おしく感じることは、残された刹那なんだろうか。
このまま終わればさぞや美しいだろうに。

若い人が思うそれとはちょっと違うのだろうけど、「何をしたいわけでもない」、強いて言えば「何もせずにいたい」時間。
生きることをサボっているような後ろ暗さを振り払いながら。

けれどやっぱり今の私はかつての自分とは比較にならないほどに健全で、純情で、単純で、不器用なのだろう。
そういう自分でいられる時間を楽しんでいるようでもある。

失恋の特効薬は新しい恋だと言う。
まったく同じように、今は次を欲している。
何もせずにいたいと思っている自分を試すことに過ぎないと承知しながら、落ち着きなく動き出したい気持ちがある。

明日も来週も来月も、自分がどうなるのか、今は皆目検討がつかない。
「どうにもなりゃせんわい」と開き直ってもいるくせに、「どうなることやら」と不安がっていたりもして、そういう覚束なさを日常に取り込むのが久方ぶりなものだから、もう少し味わっていたいんだろう。
恋のようなというよりは、赤ん坊の指しゃぶりのようなそれ。
言葉にするほど真実から遠ざかるそれ。

だけど湧き上がる言葉を溜め込むのは重い。
こんなとき、小説が書けたらいいのになと、小説書きのくせに焦がれる。

自分がいつの間にか、待ったり願ったり望んだり逃げたり疎んじたりせずに日々を過ごせるようになっているとわかって、鼻歌。

何もないわけじゃない。
何もないはずがない。
だけど、私のそれは体内に同化して、淡々としている。
流したり煮立てたり冷ましたりせず、 截拳道の教えに従うまで。
今しばらくは、淡々のとき。

その間、お風呂マットの値段に詳しくなったりしてさ、しっかり掴んだはずの掌をみれば空っぽで、一瞬だけぽかんとする、そんな日々をね。
  1. 2011/06/02(木) 05:07:38|
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