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仕事部屋

見送り三振。

身体の疲れは一日休めばそこそこに回復するのだけど、消耗し尽くしてしおしおに萎びきってしまったこゝろがどうにも取り戻せない。

「本当の自分の価値について真摯に向きあうことが、人間の教養だと思う。」という蜷川幸雄の言葉に従ってみたりする。

寺十演出と勝負できずに終わった【昆虫系~改訂版】。

気づいたときには手遅れで、あっさり一塁に送り出されていた感じ。
コツンと当ててみたかったんだけどなあ。

演出の指揮によって創りだされた時空間に身体を置くことは心地良く、役者たちの真摯さが居場所になった。
稽古は楽しかったし、宴席の揉め事もなく、勉強にと連れて行った勝呂の存在以外には苛立たせられることもなく、挙げ句に全ステージ完売の満員御礼となれば奇跡の座組と信じられる。

丁寧に書き込まれたホンも好きだ。
しかも私が演じた役は私に充てて改訂してくれている。
演出家には抜群の技術と知恵があって、最初から全面的に信頼した。
もちろん、稽古が始まってもそれらが裏切られることはなかった。

放置演出にはたびたび出くわす。
何も言われないことで何をさせようとしているのかを読むのも役割だと思うから耐える。

ダメならダメが出るだろうから演出を待つことはしない。
自分にわかる程度の範疇でも、すべきことは沢山あるから、手持ち無沙汰になるわけじゃない。
やりたいことは全部やらせてくれたし、視てくれていることは確信できたから、そこに不安はなかった。
そのままそこに置いておくというのも確かに演出の一つだから。

実際、稽古場で私の役の為に某かの時間を割いていたら仕上がりが間に合わなくなっていたかもしれないし、今回はそういう役どころであったわけで、何も不当なことではない。

当然ながら結果が悪かったとは思っていない。
お客様の大切なお金と時間を戴いて見せる形としての出来はまったく悪くなかったと自負している。

だけど、私が自分のやったことに満足できているかというと、できていない。
自分がやろうとしていたことに辿り着けなかったことが、探り続けたままで終わってしまった私が、きっと演出には見えていたはずだ。

作品としてそれがOKであれば、何も言わないだろうとも思う。
だから、そうした演出方法に不満が残ったわけではない。

ただ、二度と組めないかもしれないのに残念だなあとちょっと思い、それってつまるところ、コイツに係うと稽古が色々面倒なことになると思わせてしまったのかもしれないなあ、と今更に自分の傲慢を恥じている。

寺十さん、スイマセンでした。

と打ち上げでしっかり伝えれば良かったのに、私と寺十さんはとうとう打ち上げでは一言も口を利かなかったような気がする。
いや、ちょっとは言葉を交わしたかもしれないけれど、記憶するような会話じゃなかったと思う。
酒の勢いで演出に絡むタイプじゃないしなあ。
まあ、珍しく眠ってしまったので、そのへんには自信がないけれど。

いつかしっかり伝えます。
願わくば、ぶんぶんやって気持ちよく三振できる打席が回ってきますように。


【昆虫系~改訂版】ご来場下さった皆様、どうもありがとうございました。
  1. 2011/08/04(木) 02:40:46|
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