恋人でも夫婦でも親子でも、基本的にメールでは必要事項以外のやり取りはしない。
特に携帯メールは文字を打ち込むのが面倒で、ついつい返信も遅れる。
返信が遅れると不機嫌になる人がいるけれど、仕事の用件ならともかく、そんなに早く応えて欲しいことがあるなら電話してくればいいじゃないかと思う。
私も確認や即答が必要な用件であれば電話をするけど、基本、電話は人の手を止めてしまうから、メールはご様子伺いにとても便利で、だからなのか尚更に、電話で無駄話をしたり「声を聞く」ってことすら、もう滅多にしなくなった。
中には「調子はどうよ?」的なことをしょっちゅうやり取りする特別な人がいるけど、それはその人がとてもマメに返信をしてくれてストレスなくやり取りができるからで、思いついたときにぱっと送ってさっと返ってくるから、自然とそうなったんだと思う。
会話のリズムが人それぞれ違うように、メールの返信にもそういうのがあるんだろうなあ。
そのリズムが合えば、やり取りが弾む。
メールで「どうよ?」と送って「シンドイす」とか返ってきて「なになにどした?」と送ると、それらのやり取りと同じリズムで携帯が鳴って「それがですね」と続きが始まって、ひとしきり話して「じゃあまたね」と通話を切って、一拍おいたくらいで「ありがとう」「おやすみ」なんてメールがある。
そのリズムがしっくりくるから、きっとこの人とは会話のセンスが合うんだなあと思っている。
けどそれは、携帯なりPCなりの、文字を入力する機能のついた端末を使い慣れている人同士にしか通じない法則なんだな。
龍さんなんか、どんなメールしても「メールみました」と律儀に電話をくれるけど、やっぱり文字を打ち込むのが面倒臭いんだろうと思う。
鉛筆削って手書き原稿を書いていた私の師匠から携帯メールがあったときには、もしや病床におられるのではと妙な不安に駆られた。
もちろん無駄に元気だった。
編集者でも、メールの連絡に夜中だろうが明け方だろうがすぐに電話をくれる人もいれば、忙しい最中だろうに丁寧な長文を返信してくれる人もいるので、やっぱりそれはシャープペンシルを使うのかボールペンを使うのか、シャーペンの芯やボールペンのボールの直径は何ミリかってくらいのことなんだろう。
油性マジックがいい人だっているわけでさ。
まあ、つまり、何が言いたいかっていうと、そんな私が気にかける人にだけ用件のないメールを日報のようにせっせと送るのは、その人に宛てる言葉、センテンスを組み立てることが楽しいからで、そんな私でもそうやって送ったメールに返信があればむしろ空メールでも嬉しいわけで、だけどそんな私なので返信がないときにもなんとも思ってないから気にしないでください、と言いたい。
お、今日は返信早いじゃんとか文字数がいつもより多いじゃんとか絵文字がついてるじゃんとかで面白がるのは、自分が女子中学生のようで気恥ずかしいのだけど、事実だ。
基本、その人の感覚には発信機能がついていないものと思っているので、三文字しかない返信すらなんだか特別な気がしてしまう。
もちろん、気がしてしまうだけで、特別と思うわけではない。
メールの数や返信のタイミングで、人との距離を計るなんて無意味だと思う。
思うけど、ついつい嬉しくなってしまうし、嬉しくなってしまうと、その反動のがっかり感がなんとなく漂ってしまうときもある。
それも、発信機能ばかりフル稼働させている側としては致し方がない。
私の友人のローザさんは、自分の愉快な顔写真を添付したメールを知り合った人全員に送る。
それを面白いと喜ぶ相手には、そこから次々とローザさんの愉快な顔写真シリーズが送られることになる。
ローザさんは、それにうっかり面白いコメントを返した人と結婚した。
そんなローザさんは、ときどき私にお手紙をくれる。
ポストに届けられた封筒を開けると、某タレントのインタビュー記事をコピーして蛍光ペンで線が引いてあるものだけがぺらっと入っていたり、お茶のティーバッグが入れられていたり、のど飴が入っていたこともあったし、節分のときには豆の小袋が入っていたんだけど粉々になってもはや豆ではない粉末状の何かで、ローザさんに苦情を言ったら、次にはクッション封筒に入れられたひなあられのミニパックが届いた。
私はこれらローザさんからのお手紙を「嫌がらせ」と呼んで、心待ちにしている。
実はちょっと真似をした。
WSの成田くんが青森に帰省したとき、【日本の作家50人のお取り寄せ@講談社】に掲載されていたインスタントのしじみ汁を買って来て欲しいとお願いしてお土産に戴いたので、ローザさんの真似をして、味噌パックとしじみの真空パックを入れた恋文を郵送した。一応、パックは二つともプチプチに包んだ。
私にとっては、そのインスタントのしじみ汁(かなり美味しい)が、恋文の本文より大切なことだったりするんだけど、受け取った人は、きっと「なんじゃこりゃ」と驚いたと思う。
「何故しじみ汁なのか」「どんなメッセージが秘められているのか」と煩悶したかも知れない。
しないか、本文秘めてないし。
恋文の本文は、何日も前から少しずつ下書きを進め、推敲してはセンテンスを入れ替え、また推敲しては書き直しと、2日がかりで書き上げた。
正直に言えば、小説を書くときよりずっと慎重に推敲した。
丁寧に手書きで清書するのだけど、なんだか気取っていて文字が他人行儀な顔になってしまうので、仕事用のボールぺんてるでちょっと乱暴に書き直してみたりしてどんだけ小心者なんだという具合で、しかも投函する前に「恋文を郵送します」とメールで知らせておく弱腰。
それだけ気持ちを込めたのに、なんだか、これじゃあ何も伝わらないなあと、封筒に入れる直前に読み返して、送る勇気がなくなった。
そこではたとローザ方式に思い当たり、「これしかない」と確信して同封したのが、青森土産のインスタントしじみ汁という訳で、郵便局の窓口で「中身はなんですか」と訊かれなくて良かった。
ローザなら「しじみ汁です」と堂々答えるだろうけど。
その後、その人は、私がせっせと送るメールのうち、十五夜の前夜に送った旅先からのおセンチなメールに、月の写真を添付して、返信してくれた。
本文はたった6文字でそのうちの一つは句読点だし私が送った本文に応えてくれてはいないのだけど、もう、私なんかきゃっきゃとサンタが来た子どもみたいに喜んでしまい、鄙びた温泉宿で一人身悶えして嬉しがっていた。
その月は、満月よりちょっとだけ小さくて、私が旅先の露天風呂から見上げたほろりと落ちそうな月よりも大層にショボかったのだけど、旅先のその町の侘しさを眉間に皺が寄るくらい目一杯に吸い込んで寂しくなっていた私には、本当に沁みて、嬉しくて笑いたいのか切なくて泣きたいのかわかんなくなった。
しじみ汁、食べたかどうか、そういや訊いてない。
いや、訊いたっけ。訊いた気もするなあ。いやいや、気がするだけでそんなこと訊かなかったのなあ。
だけど、酔った朧な記憶の中でその人が「美味しかった」って笑ってた気がするんだよなあ。
ローザさんの豆みたいに粉々になってしまった記憶だけど、日常で、ふっと過る。
記憶でも事実でもなくなってしまったけど、そのとき自分のこころが感じたことだけが、ぼんやり滲む。
センスとかセンテンスとか、ひっくるめての。
ヤポンチカ、1年半ぶりのライブやります。
11月3日(祝) @渋谷
WastedTime 熊坂義人の名曲「満月」、歌います。
料金、時間などの詳細は後日に。
こっちの月に映せたらなあ。
私、満月とても嬉しかったってまだ言ってないから。
- 2011/09/13(火) 21:36:55|
- 雑感
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