仕事部屋

よるべなき。

大学生との朝までデート、合流して最初に年齢訊いたりするあたりデリヘル嬢呼んだオヤジな気分、娘より年下と確認した時点でイケナイ妄想は封印、若い男の子をカワイイと思う感性がなくて良かった、企みの基本は因果とか運命とか、男の子の人生での父親に対峙する瞬間に立ち会えるなんて幸運、マクベスか行人か。

ふと、自分の娘の同級生と交際していたYさんのことを思い出す、その後独りになってしょんぼりしてたけど元気でやってるだろうか、愛の人なんだなあ、羨ましいなあ、「無事?」「まあ。」とやり取りするだけで充分な私はそういう人生やれないんだろうなあ、時々、お腹いっぱいになるくらい甘やかされたいと思う。

私は多分恋愛をするのが下手なんだろう、かつてのトラウマにもう一つ強烈なのがあって、恋人のいる男の子を好きになって片想いのまま何度かデートしてた、結局私はその男の子を諦めてしまったのだけど、数年後に「あの頃なんで私と付き合ってくれなかったのさ」と訊ねたら「えっ、オレは付き合ってるつもりだった」と言われたそれ。

その強烈なトラウマ以降は「付き合ってください」と言うようにしていたのだけど、この数年はまた言えなくなってしまった、「付き合う」じゃなくて「好き合う」でいいじゃないか、「向き合う」があれば充分じゃないかといつも思う、つまらん自我に縛られて恋の自由をすり減らしてきてしまったんだろう。

情熱の日々はしんどい、時々くすっとにやけていられるくらいの穏やかな安定の中で過ごしたい、こころと身体の真ん中に好きな人をぽんと置いて、からっぽじゃなくいられたらいい、誰かのこころと身体の真ん中に、そんなふうに居場所があれば大層しあわせだろうと思う。

人が誰かのものになることなんてあり得ないんだから、そういう約束はいらない、形に守られて安心できる穏やかさは羨ましいけれど、そういうことじゃないんじゃないか、恋はこころと身体でするもんなんじゃないのか、約束じゃないことをちゃんと見つめて信じればいいんじゃないのか。

それとは違うものとして人生を考える、もちろん恋と人生は密接なるものだけど、恋の約束はいらないのに人生には約束が欲しいってあたり都合のいい考えかもしれない、だけどやっぱりそこは「社会と私」なわけで、そこんとこ一緒にやっていきましょう、一つにまとめておきましょうというのが、それだから。

しっかり人生の立ち位置を決めてこころと身体を自由にしておきたい、約束だからじゃなく、自由の中の意志で互いの真ん中を好き合ったり向き合ったりする、そういうことがもっと上手にできたらなあと憧れる、そうあれと指図する頭とそうあれない女々しいこころの隙間が、言葉を欲しがってしまう。

今週の仕事が飛んでこの週末は久々の完オフ、もう10月だなんてほんとに世知辛い、ぼちぼち歌の練習もしなければと思うのだけど、これまでみたいにギター付き合わせての個人練習ができないからひたすらに家で歌い続けることになるんだろうか、サフラン飲んで歌詞覚えなきゃ。
  1. 2011/10/01(土) 00:03:28|
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<<Castaway on the Moon ~彼とわたしの漂流日記~

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