仕事部屋

ごうごうと。

水曜、「へばの」と「アヒルの子」の上映で渋谷アップリンク、「アヒルの子」はラインとのカップリングのときに見逃してしまったので今回が初見、頭悪くて可哀相だなあと感じたそこから気持ちが動かず、お母さん係に共感してしまうのは自分の役割が重なるからなんだろう、二十歳の女の子の揺れる自我に共感できない自分で良かったと思う。

WSに続いて飲まずの打ち上げ参加、、怪我を心配してもらうたびに傷の針を見せびらかしてうっかり朝まで付き合ってしまいものすごく冷めた気持ちで帰宅、飲まずにいると人の言葉がやたらと頭にこびりつく、振った理由が勃起しっ放しってどういうことだろうと延々考えたりとか、言葉尻のこだわりに他人を信用しないそれを見つけて寂しく感じたりとか、ちょっと前まで居場所のなさを感じた同じ面々との宴席なのにやたらと懐かしく感じたりとか。

明けて木曜は横浜、20年ぶりの相鉄本多劇場で「悪夢くん」、ちょうど受付についたときに寺十さんに出くわし「大丈夫?」と顔を覗き込まれた、「ご心配おかけしてすみませんんでした」と頭を下げるたびぐらんぐらんの目眩でふらつく有様だが、終演後も次々出演者の方に「大丈夫ですか?」とお気遣い戴いてしまって恐縮しながら傷の針を見せびらかす。

「悪夢くん」、稽古場と劇場のサイズが違うからきっと場当たり大変だろうなあ、ゲネできんのかなあなどといらぬ心配しつつだったが、転換ばっちり効果出てた、寺十さん得意のキャメラワークみたいな動かし方、実はどっかで真似てやろうといつも留め置いている、役者は女優陣が皆素晴らしく伸びやか、松浦玉恵のがちゃがちゃ感が活き活き、雪港に観客全員が爆死、歌って踊れるお母さんも魅惑、二枚目羽鳥名美子のふとした弛みに男性演出家の的確。

北村想の新作書き下ろしってだけで観に来る観客もいるのだろうか、ずっしりした枠組みと物語の力強さはそのへんのホン書きにはできない芸当、まるで動画を観ているような舞台との距離感と物語の吸引力の隙間体験は闇の深さがあって心地いい新鮮さ、あんだけいじってあんだけ遊んでも尚逃れられない物語の迷宮こそ演出家が旅する歓びになるのだろうなあ、完成された戯曲を演出することの面白さに足の裏をくすぐられる感じ、ホンも演出も難しいところには絶対に持っていかない軸の太さがあって、役者の丹念さがキラキラ光る。

来年は諸々プレッシャー仕事が控えているのでお勉強モードでもあるけれど、こんなに生真面目な気持ちでひとの芝居を観たのは何年ぶりだろう、「少しはひとの芝居を観に行け」といつも龍さんに叱られていたのにまったく観なかったのが、この夏以降はかなり劇場に行くようになった、芝居が好きなのかと自問しても好きとは答えられない、ただ何かを作ろうとしている人たちがいるところが好きなのかもしれない、「へばの」打ち上げで感じた居場所感も、そこにいる人を見知ったからなのだろうけれど、そういう感覚が自分に近い芝居の場と映画の人たちがいる場の真ん中でうろうろしていて、ますます小説稼業が遠のいているような怖さ=自分だけ何もしていないような怖さ。

きっと私はまだどこにも自分の居場所を持てていない、だけどいるんだよなあ、あちこちに、ただなんとなく、厚かましく自己主張なんぞもしながら、やっぱりいるんだ、そこに、それは私の中ではもうピンポイントの立ち位置なのだけど、なんだかなあ、ふわふわとよろよろと、落ち着きなく不安顔で、そこに踏ん張るのが精一杯になってきているんじゃないだろうか。

などと思うと、大切と思っているものが捨てるべきものに思えたりもし、捨てたものが価値あるものに見えたりもし、何してんだかなあ、なんで不安だって言わないで飲み込んでしまうのか、そんなところで突っ張ってどんだけのもんだろう、怖いなあ、淋しいなあと泣きたくなってしまう、過去を語る自分も、未来を語る自分も大嫌いだ、だけど今のことなんか語りたくない、抜け出せないクラインの壷がまだ私の中でごうごうと風を起こす。

皆さんに散々「気をつけて(太字)」と言われながらいつものように中原さんと東横線で渋谷解散、目眩でふらついているせいで「飲んでないのに酔ってるみたい」とまた心配されつつ、無事に帰宅。

ザッツ小劇場!な「悪夢くん」は27日まで。
まだお席に余裕がありそうです。

  1. 2011/11/24(木) 01:47:14|
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<<ハリヌキしてきた。

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