金曜に無事頭の縫合箇所の抜糸、といってもステープラー(むしろ感覚的にはタッカー)なので針なのだが、6針と言われていたのがポロポロと12個の針が外されたからばっつん2つで1針計算なのか、抜いてる医者も「これ、ずいぶんひどい怪我だったんですねえ」、ともあれ自慢の種がなくなって頭がすうすうする感じのまま一旦帰宅。
さて解禁、飲むぞと意気込んで2度目の相鉄本多劇場、またも受付で出くわした寺十さんが人の顔見た途端「まだ飲んじゃダメだからね!」と釘刺し、終演後にテッタと一番乗りしての宴席では懐かしい金子清文にも会え、北村想さんを紹介して戴いて「悪魔のいるクリスマス」から21年ぶりに初めましてのご挨拶、居残る気満々だったのにまたも「まだ抜糸したばっかりなんだから」と厳しく言われてすごすごの帰路。
やっぱり「悪魔くん」はいい芝居だと思う、同じ寺十演出の「昆虫系」とは違って作品世界が完成し切らない感じが好きだ、小さい劇場なのに美術効果もあって舞台で繰り広げられる物語と観客との突き放すような距離感がいい、それがあるから役者が必死で食らいついていけるんじゃないだろうか。
土曜、実はこれが怪我の原因じゃないかと思っている階段の電球切れ、成田くんが来て電球換えてくれたので一安心、ゆったり青春H2の寺内康太郎監督作品「
エレナー電気工業」観て感心、「デメキング」も好きだったけど寺内康太郎が作り上げる脱力系全力疾走な主人公が切実でいい、役者がみな素晴らしい。
「サウダーヂ」然りで身の丈人生の切なる日常を映画が描くのであれば、演劇はどの隙間を狙えばいいのか、また劇的なるものに回帰するしかないのか、複雑な人生を理勝ちに並べるしかないのか、そうやってまたそれを演じることで何かやってるつもりになる下手な役者を増やすのか。
この20年、そのままそこにいる役者を切り取るのは舞台の上が最も相応しいと信じてきたものが、揺らぐ。
ドラマチックであることにはそもそも敵わないはずだった、だからこそ身の丈のリアリティや生身の息づかい、人がそこにいてブレる空気をやろうとしていたのに、映画がドラマチックな物語を捨ててかかったら、舞台の上に残せるものはなんだろう。
ともあれ、隙間をおろおろと右往左往できる役者だけが生き残るのだろうな。
自分以外の何にもなれない役者はまだまだ求められていると信じたい。
しかしそう考えるとまた勝負所の見極めが難しくなるんだな、ますます何をすればいいのか、どこに立てばいいのかと目眩。
傷口からは体液や血液が滲み出してまたがちがち、リアル目眩は少しも治まらずメリスロンも効果なし、医者は「三半規管やられちゃったんですねえ。薬効かなくても自然に治まるけど3ヶ月くらいかかりますよ。また転んだりしないようにね」とニヤニヤ言う、3ヶ月もぐるぐるしてたら他のどっかが壊れてしまいそうだ。
- 2011/11/26(土) 17:02:11|
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