私はその人に、いつもいつもお願いごとをしたり、望みを伝えたりするばかりで、その人が私に何を望んでいるのかを確かめたことがなかった、だけどふといつでも全力で折り合って応えてくれるその人に気づいたとき、ようやくどうして欲しいのかを訊くことができた、とてもシンプルなその要望を私はしっかと胸に留めて、それから他にも何かその人が望んでいることがないだろうかと考えて、どうでもいいような会話の中からいくつかの言葉を拾い上げた、それはもしかしたら心から欲するような願いじゃなくて、ただなんとなくそう言っただけのことなのかもしれないけれど、私は自分のためにそれを拾ったんだろう、来年の目標として、その人との会話から拾い上げた3つの要望に応えることを決めた、1つは私の心身の置きどころの問題だからまあいい、1つは煽られたようにすぐ動き出してもう決めたからこれもいい、もう1つだけ、どうしても自分一人じゃどうにもならなくて、あちこちに協力の声をかけた、わかった見つかったら声かけると言ってくれる人はたくさんいて、それでも具体的に動き出すようなそれにはつながらなくて、タイムリミットがあるから半ば諦めかけていた、それが今日、不意に思いついた用事で信頼する同志に連絡をして、ついでのように相談したら、するすると話が動いて見通しができた、興奮しつつも「本当にやれるのか」を考えてどこか頭の芯が冷たい、もちろんすべての物事は「やれる、やれない」じゃなく「やる、やらない」だけのことなのだけど、親しい人を頼ってしまったことにちょっとズルしたみたいな気持ちがあって、そんなふうに考えるのかもしれない、ともあれ、私は野垂れ死の可能性を考えての生き急ぎ宣言をしようと思う、誰かのために何かをする、それが自分のために何かをすることだとしみじみ判っているから、私が出す結果にその人自身は満足しないのかもしれないけれど、「応える」ことがまずは最初だと教わったから、無理なんかしないしできない、そのまんまに、私は私の全力で応える、これは実際なかなかに発展的な考え方じゃあないか、なんせ私は全力とか全身全霊とかの類いがまったく苦手でそれだけを避け続けて大人をやってきた、こんな機会は二度とないかもしれない、全力が出せるかてんで自信はないけれど、全力を出したいと思えるだけで私自身にとっての素晴らしい発展なんである、やあやあ、やろうぞやろうぞ、やってみせようぞ、それまではどなたさまもどうかご無事で。
- 2011/11/30(水) 01:00:55|
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