試写は先日であったのだけど、明日が公開日なのでエールを送りたく書く、伊月肇監督の長編映画「ー×ー(マイナスかけるマイナス)」は、丁寧な演出と繊細な語り口が印象深い、長曽我部陽子はネジ数本緩めてる様も愛らしいがファック場面になると俄然鮮烈、声優として成功した寿美菜子嬢が声優になるより前に出演したらしいこれでは若々しく透明感のある存在、やっぱり私は役者の演出に目がいくたちで、伊月くんの映画はNO NAME FILMS で観た短編「トビラを開くのは誰?」でも同じ印象、派手に転ぶことなく手堅いキャスティングで持ち味を削ぐことがない、結果インパクトは薄いのかもしれないが役者なんてのはそこで生きてナンボ、演出手腕なんて言葉に踊らされた無駄な冒険心がないところが、信頼できるのだ。
伊月肇監督作品「-×-」(マイナスかけるマイナス)は明日12月3日から16日まで。渋谷ユーロスペースにて21:00~レイトショー。中野ポケットで若手人気8劇団が短編を上演した「日本の問題」Aチームの回を観たのは水曜、どこがどういうあれであれしてるのか何もわからん作りに客足伸びなさそうと余計な心配したが頑張っているよう、冒頭作品にうちによく来る近所の大学生が主演していて苦笑、鵺的の情宣写真を撮ってくれた詩森さんの風琴工房作品もただ古臭く、拾い物なくはなかったのだけど目当てにはピンとこず、挨拶にすら顔出す気になれずアフタートーク観ずに退散、それでも真直ぐに帰る気になれずに昆虫系ヨシユキ捕まえて呼び出し焼き鳥屋でサシ飲み、ほろ酔いあれこれ心配されながら帰宅。
木曜はかつて大変にお世話になった某女史と久々の面談、相談案件の行方より、お元気で幸せそうな笑顔がただただ沁みた、かつての非礼や不義理をお詫びできたことも、30年近く経って珈琲ご馳走できたことも嬉しい、帰りがけに東中野で開催されているハロルド・ピンター研究会に寄らせてもらい、テキスト2種の本読みに参加、お茶とお菓子を前に気取った声ともったいぶった口調で大げさな感情表現しながら読み回すバカバカしさがもしや演劇の本質なのか、本読みには本読みの技術があるだろう、テキスト読みながら演技をするなんてキチガイ沙汰が本読みであると教えた人の罪は大きい。
演劇やってる、もしくは演劇がやりたい人は本当に大勢いて、ちょっとした公演の客席に座れば分厚いチラシの束でそれを思い知らされる、その割に演劇観る人はもはや限られた趣味で人数が増えることはなかろう、人気劇団の登場でそれを観る人がどれほどいても、その先見ず知らずの誰かがやってる芝居や聞いたこともない劇団の公演に足を運ぼうという広がりにはならない、そもそも演劇やってる人たちは自分のやることにしか興味がないのか不勉強な人が多いと思う、こと今時の連中は同時代で映画作ってる人たちへの関心が薄すぎやしないか、世の中的に当たってるモノ流行ってるモノを取りこぼさずにいるのは旧演劇人にはなかった傾向で偉いもんだと思うけども、「ものをつくる」意識の中での同時代性には関心薄く「ぼくらがつくるもの」意識の延長にある仲間意識と連帯ばかりってのが、なんだか恐ろしかったりもする。
みたいなことを30年近く前にあの女史も思ったであろうか、今のその人は私に若い演劇人の面白い部分を教えてくれる、つながっていられる幸せ、口で調子よく何言おうが本当の実感になるのは私にもまだまだ先だろうか。
- 2011/12/03(土) 00:11:05|
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