仕事部屋

カナエ、カナウ、かな。

はっとさせられることが、しばしばある。
そんなこと言ってはいけない場で、もしくは言わなくていい場で、言ってはいけないようなことや、言わなくていいことを言ってしまう、それ。

私は出しゃばりで誰がどんな話をしていてもすぐに口を挟んでしまうので、たいがい5分くらいして赤面する。
黙ってればお利口なのに、反射反応のように口を挟む。
飲んでると特に酷い。

飲み始めの3分くらいは口を挟まずにいようと心がけているのに、人の話を聞きながら頭の中には自分の話したいことが湧いてしまって、抑えようとしているうちに酔って、自制心などみるみる決壊して、後は果てしなく自分中心に口を挟む。
本当にみっともないと思うから、5分おきに赤面するけど、どうにもできない。

他愛のない話に口を挟む出しゃばりだけなら、場を弁えない奴だと嗤われるだけで済むんだけど、調子に乗って立場を弁えない出しゃばりをすることがあって、これはもうデフォルトで3日くらい凹む。

どの失態も、余程でなければその場で気づく。
挽回しようと黙り込む。
が、やはり気がつくと喋っている。

帰って独りになってひたすら反省して、できるフォローはするのだけど、そんなもの何の役にも立たない。
その場、そのときの立場を汚す振る舞いは、その時にフォローできなかったらそのまんまだろうと思う。

そこにいる誰かに恥をかかせたり、嫌な気持ちにさせていたりすると思うと、全裸になって踊り狂ってすべて帳消しにしたくなる。
卓袱台があればひっくり返したい。
だが、ひっくり返せる卓袱台などあった試しがない。

そのときに気がついてフォローまでできるんなら、自制すればいいって話だから、やはりフォローには至らない。
もう何年もそれを繰り返していて、若いときには「若いのに出しゃばる馬鹿」だったのが、大人になってしまった今は「いい年して分別のない馬鹿」になった。

ほんとにココロから改めたい。
酒をやめるのと喋るのをやめるのと、どっちにすればいいのか真剣に考えた。

喋らずに飲むと酩酊するたちでもある。
これまでの経験では言いたいこと言わずに飲み込むほど深酔いしてテレポーテーションしたり頭割ったりしているので、それも大迷惑だ。

てことは酒をやめればいいのだけど、飲まないと人見知りが激しくて人の顔が視られないし物も食べられないしまずもって普通に会話ができない。
アルコール抜きで他人と会うときには精神安定剤を飲むのが常だ。

と、こうして反省を綴っていて、壊れてるなあ、と思う。

人見知りが酷いのは子供の頃からで、それを治すために児童劇団に入れられたのだけど、治ったんじゃなくて誤摩化す術を覚えたってことなんだろう。
演技の中では人の顔も視られるし物も食べられる。
演技の中で喋る言葉は台詞だし、台詞は自分じゃない誰かの言葉だから、無責任にいくらでも喋る。
芝居をしているときが一番のびのび解放されて自分らしい自分でいられる、という不自由。

演じていないときには7歳の自我しかないと医者に言われたのが27の時だから、そこでリセットされたとしても今年45になる私の自我は25歳程度ってことで、ほんとに25なら物事が弁えられなくても仕方がなかったりするんだろうが、実際は45になるんだからそうもいかない。

酒飲みになって更によろしくない状態になってしまったなあ、なんてことを今更気づいてもどうしようもないのだけど。

まともな大人でいるには演じ続けるしかない。
仲間内との酒の席でも、デート中でも、家族の団らんでも。
だから、何度結婚してもご破算になるし、たった一人の家族である娘とも一緒に暮らすのはしんどい。
演じ続けるにしても、24時間人生まるごとじゃ、おかしくなってしまう。
誰かと一緒には暮らせない。

こんな自分をそのままに見てくれる人、受け止めてくれる人との出会いはたくさんある。
だけど、そういう自分を、どうしても自分自身が受け入れられない。
まともに見ちゃいられない。

しかも、他人にそういう自分のダメなところを見て見ぬ振りされると身勝手に傷つく。
「おまえ、ほんとそういうとこダメだよね」と言ってくれれば、赤面する甲斐もあるのだが、見ぬ振りをされると居たたまれない。

ひとの優しさってのは、人それぞれの形があって、見て見ぬ振りをしてくれる優しさもあれば、「それダメ」と突ついてくれる優しさもあって、どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、そのときに適した形を選ぶこと自体が思いやりというやつなのだろうと思う。

つまり私には、そういう思いやりが働かないときがあって、適切ではない形を自分の気分だけで投げつけてしまう。
へろへろに疲れてるとき、飲んで調子が上がってきたとき、そういうときほど一緒にいたいと思う大切な人の前でそれをしでかして、大切な人たちに苦い思いをさせている。

そうやって他人に甘えてるからどうにもならんのかもしれぬ。
年齢とともに、少しずつ、もうなんかどうせダメな人だからと開き直りつつあるのだけど、そこだけは譲れない、人としての最低限のもののように思ってしまっている。

すべての人を思いやったり控え目な性格になるのは無理だとしても、せめて物事を弁えた人になりたい。

水曜、劇団昴 ザ・サードステージ「暗いところで待ち合わせ」@池袋シアターグリーンを観た帰り道、とぼとぼそんなことを思っていた。

乙一の原作は読み手に優しく、秋之桜子の脚本は役者に優しく、寺十さんの演出はそこで生きているものに優しい。

優しさってのは抱え込む懐の深さってことなのか。

見ぬ振りも突つくのも背負うのも切り捨てるのもそれぞれ優しさの形だとは思うけど、それはつまり「触れる」ということ全般が抱え込むってことに他ならず、目の視えない人にどう「触れる」かってことが、ちゃんと人の形を成している芝居だった。

だけどなあ。

私は優しい人になりたいわけじゃないんだよなあ。
ただ、物事をきちんと弁えた人になりたいのだ。
そこにこそ、思いやりだの優しさだのの曖昧なそれらが加減するんだろうから。

なんてことをぐちぐち零していたらバーチャル・ダーリンが「たまには甘えていいんですよ」って言ってくれた。
弁えようとするほど甘えるのが下手になるって問題も残ってるのか。

はあああ。
切ない。



劇団昴 ザ・サードステージ「暗いところで待ち合わせ」
池袋シアターグリーンで1月15日まで。
  1. 2012/01/12(木) 02:10:41|
  2. 雑感
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<<胸がつぶれそうだ。

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