WS1日目、夕飯休憩の隙間に寺十さんが稽古場に到着、「とりあえず読んでみましょう」と決まって、テキスト2種を読み合わせる段階から見取り稽古の開始、それから「短い方のテキストを使ってエチュードやってみますかね」となって、15分で声をかけてもらう形でエチュードを開始、2人とも台本をしっかり読み込めていない状態でのエチュードなので、出てくるネタでそれぞれがざっくり読んだ段階で何をひっかけてるかがわかる、自前のネタをぶつけたとき、相手がきちんと芝居に帰結させてくれる、どれほど転がしてっても絶対に設定から漏れない、何を投げてもその時間の中できっちり拾っていってくれる安心感、およそ2時間そのまんまの居方を確かめ合っての初手合わせ、みんなに感想を一通り述べてもらって、稽古場飲みに突入、なんだろうな、寺十さんとのエチュードは手つないでぶらぶら散歩する感じかな、行き先なくとも見えるものが一緒で互いが寄り添える感じ。
朝帰りしてぐったり眠っての2日目、WSの開始時間に現れた寺十さんが皆と一緒にWSのプログラムに参加してウォーミングアップ、夕飯休憩の後から、昨日やってない方のテキストで90分ノンストップのエチュードを開始、台本にある展開をどこまで運んでいけるか試したわけだが、必要な情報もネタも行きつ戻りつの中で一通り吸い出して83分で台本ラストまで、さすがに運びは見事でこの日はただ乗っかっていられた、芝居場での駆け引きもいつどこでどう引くか、どこをさらっていくかが読めるので戸惑うことがまったくない、まるで自分が演出しているように、もしくは自分が演出つけられているように安全地帯の中で遊べる、90分のフルエチュードなんて久々にやったけど、この日は自分が仕掛けるネタを思いついていたから直前に緊張して胃薬、絡み展開があったので後から「あのときは寺十さんがなんか仕掛けてきたりしたんですか」と立会人の中山くんにニヤニヤ訊かれたけれど、仕掛けられて照れ仕掛けて照れさせ、どこまでみせればいいのかの加減の取り方が同じだからここでも違和感なし、2度目ということで皆からは感想ではなく演出としての意見をしてもらい、なるほどそう見えるのかと合点して特別企画が終了。


たった2回の手合せなれど呼吸だけは計れる、とにかく何しても違和感がない、緊張の置きどころにしてもふっと緩ませるタイミングにしても、ただ息をするように嘘を重ねるっていう芝居の組み立て方が同じなんだろう、初めて観たときにドッペルゲンガーと感じたのはまったくその通りだったと確信、あんまりにも「そのまま」過ぎてそれが芝居であることを忘れてしまう感じがなんだか物足りない、テキストはこっちがああでそっちはこうとなんとなくの検討が一致、エチュードの面白さは駆け引きの面白さなんだろうけど呼吸が合い過ぎて駆け引きにならない、であればテキストに取り組みましょうが結論か、しかし尚のことこの2人を演出できるのは誰かと悩ましい、なんてことをだらだら飲みながら話していたのだけど、気がつくと寺十さんがすっかり出来上がっていて今までそんなに酔ってる姿を見たことなかったのである意味エチュードより面白い、エチュードの口調のまんま叱られて、「あ、なんだよ、さっきエチュードの中で零してたあれはこれまで言わずにいた本音だったのか」と気づいたりもして、エチュードでは謝らなかったけど今度はちゃんと「仰る通りです、すみません」と項垂れて沈没、ぐだぐだの朝帰り。
2日目の朝に目覚めてWSが終ったような心持ちだった、何曜日なのかわからず長い夢を見ていたようなふわふわ感、準備の手順が少なくて日常の延長でそのまんまだったからだろう、今もあれはなんだったんだろうと現実なのか妄想なのかの区別がつかない感じで心細い、今日中に直し指示が残ってる原稿作業終らせて明日から「ALPHA」の稽古に合流、こちらは自分自身との距離がある役どころなのでふわふわしたまんまじゃできない、これからしばらくはハードボイルドな日々。
- 2012/01/23(月) 17:05:33|
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