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仕事部屋

それでも私は引きこもらない。

先週は劇場通い、合間にちょろちょろとDVDは観たけれどなんだかすんなり飲み込めない、生身の人を凝視するなんてしんどいときには出来なかった、今はスクリーンや小さな画面を眺めることができなくなってしまっている、なんだかそういうサイクルがあって、tsumazuki 大楽を観終わって呑み屋であれこれ芝居の話してるのもしんどくて、芝居の人たちとも当分会いたくないような、自分の中の演劇力を使い果たしたような気分だった、じゃあ今映画観たいかってえとやっぱりモジモジしてしまう、じっとそこにいるというのが辛いだけなのかもしれない、映画やっとる連中は本当に日々呆れるほどに映画を観ているし、芝居やっとる連中はもう頭がオカシイんじゃないかってくらい芝居を観ているし、小説書く人たちだってきっと貪るように日々読書をしているんだろうと思う、それは趣味だし勉強だし努力だし分量はともあれ絶対に必要なことだと思う、思うけど、そこに根気が持てずにうんざりしたらすぐに逃げ出してヘラヘラ足場を変えてしまう自分を自覚するだけだから、そういう人の近くにいるのが怖い、結局何一つモノにできずにいるっていう焦りばっかりが嵩む、本気にならなきゃ死ぬ気でやらなきゃと長年の課題に掲げながらやっぱり私は一度もそれができない、そこで本気と死ぬ気を見せられる人からすればまるで不真面目だしまるで不良だしまるでキチガイなのだ、だけども私は日々大真面目に生きており、呆れるほど頭がオカシイんじゃないかってほど貪るように生きているんであり、その他のことに全力を使い果たしたらきっと生きることをサボッちまうに違いなく、そのとき私はさぞかし自分にがっかりするんだろう、色んな人がいて色んなやり方があって色んな気持ちがある、そのことだけ護られていればよく、演劇の未来や映画の行く末や小説の書き方なんざ考えたくない、考えたくないのに考えさせられる、それは作品の力ではなく人の力だと思う、ああなんでこんなに必死にバイトしてんだと、なんでどこにも行けないんだと、なんで誰も抱きしめられないんだと、一体何を覚悟すればいいんだと、私は何を手放そうとしているんだと、朝イチに龍昇の声を聞いたせいなのか、演劇なんか大嫌いだと思った、今は映画観たくないし小説も読みたくない、逃げ出す先にするにはバイトの立場は足場がヤワ過ぎる、私は役者でいたいけれど役者をやるのが演劇か映画しかないなんてどういうことだ、そりゃ演劇だって映画だって果てしなく自由な平地だけれど日常ほどの自由はない、つまりあれだ、舞台上の俳優もスクリーンの中の俳優もどっかしら不自由そうで胸が痛む、だから観たくなくなるのかもしれない、もちろん彼らはその不自由さに焦がれてそこを選んでいると知っている、きっとちっとも不自由なんかじゃないと言われるんだろう、けれどけれどけれどけれど、などと際限なく自我を訴えたくなるから演劇人とも映画人とも今は話したくない、話せる言葉が見つからない、淋しいのかな、淋しいんだろうなあ、淋しいなあ、私は私のままでしかいられないから呆れるほど頭がオカシイんじゃないかってほど貪るように生きるしかないんだと、誰かがわかっていてくれたらいいのになあ。



  1. 2012/04/03(火) 02:28:22|
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