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仕事部屋

エンゲ「木」のひと。

ナイロン100℃を観たのは本当に十何年ぶりだと思う。
少なくともケラさんに直接感想を伝えられたのはTOPSでの新人公演「カメラ≠万年筆」ぶりなんじゃないか。
すっかり観なくなってしまったのには、チケットの値段も関係していると思う。
2度3度観られる値段じゃなくなって、1度も行かなくなった。

劇団健康と品行方正児童会は殆ど同級生で、ケラさんは早くからうちのを観てくれていたのに、不勉強な私は劇団健康を観ていなかった。
正直言えば、観たくない類いのものと、区別していたところがある。

なのに、どこでどうケラさんと知り合ったんだっけ。
はみだし劇場のトバさんの仕切りで参加した浅草の天幕芝居フェスティバルのときに、品行方正児童会の演出をお願いしたんだった。

そんで、私は大反省した。
私のやってることは、エンゲキじゃないな、くらいの大反省だった。
初めて健康を観たのは、その直後。
本多の「カラフルメリイでオハヨ」が初めてだったか、とにかく二度観た芝居はそれが初めてだった。

ケラさんとは、親しいようで親しくないまま今に至っている、と、私は思っている。
充分に親しみは感じてもらっていると思うし、特別な尊敬と愛情を感じるのも確かだけど、なんだか近づけない。
もっぱらの交流はtwitterばかりだけど、きっとそれは私の素行の悪さが原因なんだろう。
つまり、いつも心配ばかりかけている。
久々に今回のナイロンを観たのは、勿論コットーネの「コルセット」に松永さんが出てくれるからなんだけど。

ナイロンの女優さんをお借りするのは初めてじゃない。
以前、「主婦マリーがしたこと」というプロデュース公演で今江冬子さんに出てもらった。
ケラさんはそのとき観に来てくれて、その翌日だかに、多分寝ずに書いただろう長い手紙を、劇場の受付で「前川さんに」と預けてくれた、そうなのだが、不手際があって、私は、その手紙を受け取れなかった。
そういう手紙を預けたということを知ったのは、公演が終わって少ししてから、感想が訊きたくて連絡したときに、ケラさんから直接「俺、手紙書いて持ってったのに」と言われたからだった。
受け取れなかったことを正直に伝えて謝ったけど、何が書いてあったのかはもう教えてくれなかった。

今も、その長い手紙に何が書かれていたかは、わからないけど、ケラさんが、冬ちゃんが参加した芝居に対して並みならぬ真摯さで、しかと見届け、物言いをしてくれていたことは、そうしたことで充分にわかった。
この人はエンゲキにホンキなんだなと思ったのを覚えている。

相変わらずの長尺で、俗にいう「赤毛もの」を大真面目にやっていて、ナンセンスを売りにしていたあの頃とはどこかが違う。
それまでの間が抜けているので、変化の過程が判らず、ただなんか違うと思ってしまうのだけれど。
一幕の途中、どんな場面だったか、誰の死を語ってるのかが視えて、も、号泣。
それからまた、犬ちゃんとリエちゃんのやり取りに、歳月が視えて、も、号泣。
最後にみのすけが踏ん張って、あのみのすけが踏ん張ってることで、も、号泣。

彼らを、彼らと築いたそれを、心底愛しているケラさんが視えた気がした。
いや、むしろそれしか視えなかった。
集大成というのか、いやまだまだ過程であって欲しいのだけど、いつだってそのつもりだろうけれど、これほどの出来はいくらケラさんでもそうそうないんじゃないのかしら。

そこに出来上がる何かを、私はいつも独り勝手に視て、泣いている。
カラフルメリイのカーテンコールほど泣いた芝居は後にも先にもない。
こんなにスタイルが変わっても、そんときに視えたもんと同じもんが、まだちゃんとあった。

いい芝居だった。
人を失う痛みと、生き続ける諦めと、それを共有できる人たちがいる幸福感に満ち溢れた物語。
何より、この人が何故芝居をやっているのかを一発で飲み込ませる力のある、いい芝居だと思った。

私は昔から、ナイロンを観ると満足してしまって、「もう私芝居とかやらなくても年に二本ナイロンの芝居だけ観てれば生きていける」とかって思ってしまうのだけど、今回は「よし、じゃあ私がここんとこやっておくから、そっちはそこんとこよろしく」くらいに思った。
ネタ被ってたし。ホン上がってるし。私だって少しは成長する。

楽屋でまっしぐらにケラさんに抱きついたらもの凄くビビって身を退かれた。
「誰だかわかんなかったから」って言われたけど、わかってても身を退かれたんじゃないかしら。
多分、私がそんなふうにケラさんに何かを伝えたのは初めてなんだと思う。
「松永をよろしく」と言われて、誇らしい気持ちになった。

コヤで会った千葉テツ兄さんと立ち話して、偶然一緒だった圭太くんと呑みに行って、尤もその前に前回の準備会でアンダーをやってくれたマー君と今度の準備会でアンダーをやってくれるコウスケと呑んでいたから、充分にセンチの土壌はあったのだけど、今の自分が立っているセンチなんてのは完全に吹っ飛んで、うんと先までぐいと視点を引っ張ってくれる芝居だった。
センチメンタルな未来を観た。

ものすごく高い芝居だけど、それでも採算取れないんじゃないってくらいお金かけてて、何一つ無駄になってなくて、私は自分が挫けてしまった座長という役割の、ほんとに正当な在り方を、しっかりと確かめさせてもらって、身体が震えた。

ケラさんは書く人だからなあ。そこがスゴいよなあ。
見せるものを創りあげる力と、見せないものを見通す力ってことだよなあ。
演劇人と名乗るケラさんをどうなのかと思うこともあったけど、一体いつからそんなふうに全部が背負えるようになったのか、見逃してしまっていたんだなあ。

よいものをみたなあ。
そうだよね、芝居ってそこが見えればいいんだよねって、励まされるような。
そんな共感をケラさんの芝居に感じられたのは、初めてだなあ。
私、カーテンコールで頭の上に手を上げて拍手してたよ。
みのすけや犬ちゃんやリエちゃんや藤田くんに、私ここでちゃんと観てたよって伝えたくて。

ケラさん、芝居やっててくれて、ありがとう。
大切な松永さんを、しかと預かります。
長生きしてね。
長生きしようね。


  1. 2012/05/09(水) 02:38:06|
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