仕事部屋

ゼリー状のタマシイ。

この10日間、コーチングの仕事が飛んでぶらぶら過ごしていたわけだが、映画観たり稽古場に顔出したり翌日の心配なく飲めたり犬の散歩したり一日考え事したり、まあつまり去年2月までの日々と同じ、これまでよく仕事がない不安に耐えてきたなあとちょっとばかし働いただけでも痛感する、働くことは精神衛生上大変によろしい、気ままに動ける時間も大切だけど、やるべきことは働きながらでもそこそこできるんじゃないかと、ようやくそんなふうに思えるようになった自分に気付いて、いやほんといつの間にこれほど人並みな健全さを取り戻したのかと驚いた。

働くといっても自分の食い扶持を稼ぐのがやっとでぐずぐずと働かずに過ごしていた時期の借金は未だ少しも返せていないけれど、働くことが自分の精神の一部をしっかり支えてくれていると本当にようやく思えるようになったわけで、この精神の健全さがあれこれに繋がって、ちょっとしたことでがっかりしたりどっきりしたり傷ついたりはしゃいだり、なんだかまるでハタチくらいの心持ちで毎日楽しいなあなんて思うわけで、そんな暮らしの中で仕事にどれだけ時間を割けるのかというと普通に働いている人の半分以下でしかないのだろうけれど、そこはやはり必要最小限がすべての物事の基準になってるからで、たとえば駅で配ってるティッシュを貰わないとかって類いのそれで、以前は物でも愛でも時間でもストックがないと不安だったのに、必要最小限でありたいと思うようになったってことは、きっととても健全なことなのだろう。

そうした健全さは何かしら人にも頼もしげに見えるのか、このところ毎晩誰かしらが相談事を持ちかけてくる、健康のこと恋愛のこと仕事のこと家庭のこと人生のこと、それに応えられる自分であるように見せたいという利己的な部分には目をつむってもらいながら思うことを言うだけなのに、自分が大丈夫であるというだけのことがこれほど他人を助ける力になるんだなあと、アイムOKであることの価値を、人の苦しみを通して知ったりするんである。

暇にまかせて今日はタマシイについて考えたりもした、引き寄せられる何か、触れたくなる何か、見つめたくなる何か、揺さぶられる何か、意固地であることよりもそうやってふわふわしてこそのタマシイじゃないかと思うから、それはそれでいいんだと思う、だけどもたとえば私は自分で自分の行く末を決められるんだな、身の置き所、立ち位置とかいう奴を、自分で決めることだってできるのだ、タマシイなどふわふわ後からついてくればいいのだ。

小説を書く時間もたっぷりあったのに書かなかった、書き出すだけ書き出して進めていない、その隙間に私はちゃんと新しい気持ちを知った、新しい考えを持った、書きたいことの芯にもちゃんと触れたままでいる。

つまりあれだ、信じてくれていることを信じていられるうちはまだまだだいじょぶってことだ。
ちょっとくらい揺れたっていいじゃないか。
揺れてるのが透けて見えてんだろうから。


  1. 2012/05/24(木) 00:26:07|
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