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仕事部屋

「コルセット」公演終了。

たくさんの方の暖かい励ましとご助力の中、無事に千秋楽を迎えることができました。
ご来場下さった皆さん、お気にかけて下さった皆さん、ありがとうございました。

「あるスキャンダルの覚え書き」という奥深い味わいの映画作品に出会い、ゾーイ・ヘラーの同題原作を読んだのが五年ほど前、その頃には芝居にしようなんて思っていなかったはずだけど、いざ芝居として立ち上げてみると、やりたかったのはゾーイ・ヘラーの視点だったのだと気付いた。
基になった事件よりも、その事件から、事件には直接に関係しない中年女の妄想や孤独の物語を生み出したゾーイ・ヘラーという女性作家の思考が不気味で興味深かった。

そうとは意識せずに「コルセット」を書いたのだけど、舞台の上にのっかった「コルセット」を客席で観るうち、伊佐山ひろ子が演じた谷口先生という役が、「あるスキャンダルの覚え書き」に登場するバーバラという中年女教師より、ゾーイ・ヘラーにより近く存在しているように見え、ようやく自分の視点に思い当たった。
そのこと自体は、自分のホンを如何に解釈できていないかという反省でもあるけれど、役者がその身体と存在からホンを立ち上げてくれたことには改めて深い感謝を覚えた。

教え子と関係を持って派手なスキャンダルを巻き起こした40代の女性教師シバを、あか抜けない60代の同僚教師バーバラだけが庇い、世話をやく。
シバはバーバラを頼り、大切な友人として信頼を寄せる。
一方でバーバラはそのスキャンダルの全容を、シバからの伝聞によって密かに書き綴った。
バーバラの日記帳は、シバの語った言葉で埋め尽くされている。
隠されていたそれを読んだシバは怒り狂い、バーバラを詰る。

「あるスキャンダルの覚え書き」にある、シバが起こしたスキャンダルをバーバラが書き綴る、という判り易い図式が、「コルセット」では複雑に重層化されている。

柴田先生の不名誉な噂話について同僚たちが証言をするが、それはすべて柴田先生の親友と思われていた谷口先生による情報操作であり、実際のところ教師らしからぬ不適切な行為を犯していたのは噂を流した谷口先生自身であると明かされる。
その事実を暴き出すのは、谷口先生が密かな愉しみとして書き綴っていた妄想日記だ。
その日記は、「柴田先生の日記」としてねつ造された、谷口先生自身の創作である。
自分自身の行動を柴田先生の行動にすり替えて書き綴っていたということになる。
谷口先生は、その創作日記を真実にすり替えるが如く、柴田先生の噂を立てたのだ。
噂の中で孤立していく柴田先生に自分一人が変わらず接し、かけがえのない友人となるために。

自分の物語として受け入れられないような出来事。
そんな出来事でもないよりはましな人生。
誰かに注目されたいという孤独。
捩じれた自己愛を慰める妄想。

原作に描かれたバーバラから私はそんなものを抽出していたんだろう。
それを、ゾーイ・ヘラーという女性作家に重ねたところに、「コルセット」の谷口先生が生まれた。

ランダムハウス講談社の文庫本にある訳者あとがきには【バーバラは「これは、わたしの物語ではない」と言う。そのことでむしろ鮮烈に、これがシバならぬバーバラの物語であることが、そして、信用できない語り手によって語られることが印象づけられる。】とあり、極端にいえば「コルセット」はこの一文のみを忠実に舞台化した。

書くことの特権と後ろ暗さ。
後ろ暗さ故の悦び。

伊佐山ひろ子という女優が素晴らしい作家であることも、「コルセット」が出来上がった要素の一つではあるけれど、だとしたら、ゾーイ・ヘラーと私と伊佐山ひろ子は、「コルセット」においてこそこそした孤独な悦びを共有していたのかもしれない。



明日は「愛のゆくえ(仮)」トライアル



  1. 2012/07/11(水) 03:51:00|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:0
<<人にはそれぞれの寄り添い方がある。

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