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仕事部屋

愛について。

無事に45歳を迎えて目覚め晴れやかな気分の欠片もない、父は45歳と半年で亡くなったのだった、あと半年生き延びねば、父の遺した仕事には到底追いついていないがこの先私は何を追いかけていけばいいのか途方に暮れる気持ち、道標を取り上げられた大きな喪失感だけが誕生日の実感だとはこの日になるまで想像もしなかった。

たまたま昨日は世話になっている編集氏からのお誘いで出かけた、書きかけの原稿読んで連絡くれたのが早朝五時、夕方に合流して飲み屋のカウンターで原稿の話、寿司など御馳走になってほろ酔いに帰宅、体力落ちてるせいかただ不貞腐れたい気分だったのか、日付が変わる前にさっさと布団に潜り込んだ。

TwitterやFacebook、メールでのおめでとうメッセージに返信する気力もないほど、何かに怯えたようにベッドにしがみついて、本を読んではうつらうつらと夢見に逃避、孤独を感じるほどナイーブではなくなったことが生き存えた褒美とも思うし、この一年に先のことを少しは考えるようになって生きることにやっと馴れてきたんだなあと感じたりもする。

それ以上に摩耗は感じているのだけど、すり減らしても消えてなくならないのが生きる不思議ということなのか、人に会い過ぎ、出歩き過ぎ、吸い過ぎ、飲み過ぎ、金と時間を無駄に使い過ぎ、ただただ削るばかりで消えてなくなれば美しくもあろうにまったくそうはならずに果たせていない約束ばかりが重しになりぶよぶよと厚かましさを増して生きる。

愛について考えないこともないが手元にないものを語っても仕方がない、信じる力が残っていることがむしろ足かせで、いっそ何もなければもっと貪欲になれるのかもしれない、掌に治まるそれをいつまでも大事に握りしめてしまう、大きなものを掴み取るため棄ててしまえばいいものを。

そう思うくせに失ったものばかり数え上げてしまう、そのものについてではなく、失う痛みばかりを思い返すのだろう、年を取ると臆病になる、臆病は知恵をつける、知恵を隠す狡さになる、狡さを恥じてまた臆病さを増し、いつまでも真っ直ぐなものに向き合えない。

疲れ果てて今にも力尽きるだろう自分がすぐそこに見えている、負けてがっくり項垂れる自分を受け入れるか否か、その覚悟がないだけで、勝ち取るものなどもう一つもないと知りながら、片目つむってやり過ごすような日々、ここは居場所じゃないと気付いてもどこに行けばいいのかわからない。


  1. 2012/08/19(日) 17:44:19|
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