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仕事部屋

(愛)のゆくえ。

今回の「愛仮」稽古は無論3本立て、共同脚本の高木さんを立会人にした寺十・前川コンビからスタート、基本は寺十さんの持ち込むもの(物体ではなく、心情や表情)を受けて返す形で淡々と稽古、立会人から「〜に見えます」「もっと〜がみたい」と意見して貰いながら、その場に何が立ち上がれば良いかを探っていく。

この組は、稽古初日に本読みしながらホンの修正、稽古休みも1日とって、最終日にはトライアルだったので実質の稽古は3日間、まずは芝居としての叩き台を共同作業でこさえた感じだろうか。

翌週からは寺十演出の前川・瀧川コンビ(以下、寺十組と呼ぶ)の稽古、初日は読み合わせと前半の立ち稽古、私は高木組の稽古で台詞を概ね入れているのだけど瀧川くんは改訂されたホンを稽古入り前日に受け取っての稽古入りなので台本首っ引き、お構いなしに細かな表情や動き方への演出がついて場の空気が動いていく。

そもそも寺十さんの演出は、照明や美術への拘りが強いので、3本立ての中でも寺十組を先に創り上げないとスタッフさんが大変じゃん、てことで先行することになった、「できるだけ飾りを排除して役者だけを置きたい」傾向の高木組と違い、映画のセット同様もしくはそれ以上に細かな道具が多く、照明の具合も稽古場用の限られた照明機材で作り込むので演出助手の小形の顔も引き締まってくる。

寺十組2日目、前日に作った部分の返し稽古をやって修正し、続きを作っていく中、前夜の飲み席で話した雑談から当たり前に拾い上げて盛り込んでいく方式はもしかしたら私や寺十さんの世代特有なんじゃないかと感じたが他所ではどうなんだろう、飲み席では、演出視線でのダメ出しと、高木組でやってたことへの役者視点での新提案、プライベートな感覚でのちょっとした愚痴なども混じるのでだらだら飲んでられないくらい情報が多い、「今日やってたところ、小形くんがすっごいニコニコして視てた。かなり面白く視られる場面になってきてるんだと思う」と宴席での寺十さん、そして、飲み屋を出てからぽろりと「瀧川くんって飲みの席でも献身的だよね」。

これはつまり、私に対して【瀧川くんの佇まいを「献身的」と受け取っているか?】というヒントであったりするわけで、そのキーワードをどう受けて、何を持ち込むかを考えるのがこの日の宿題になるということで、それらを日々持ち帰って整理し、次の日の稽古場に持ち込むことの繰り返し。

たとえば、飲みの席でのふとした沈黙に「これこれ、この時間ね」と一言あったりすると、「この時間を芝居のどこに持ち込めばいいんだ?」と考え始めまた黙り込む、あくまで「どこに持ち込めばいいですか?」「この時間ってどういうことですか?」とは訊かない、言われたことをどう受け止めたのかを稽古場で見せて、また同じようなヒントを返される仕組み、言葉一つの解釈をとことん話し合う場合も勿論あるけれど、大概はそうやって「見え方」「感じ方」を伝え合い、加減を探っていくことになる。

目線ひとつを決めるにも、「じっと視て」と言われることもあれば「〜って思ってるんだよね」と内面の方向性からその視線を導き出すように言われることや、「こうやって視られてると〜できなくなるでしょ」と相手役の動きの制約を作ることもあって、その違いから「画面としてのそれか」「心情としてのそれか」など、なんのためにどういうそれを必要とされているかをこちらなりに解釈して、反応していく、「それはどういうことですか?」と訊く代わりに「それはこういうことですか?」と提示していくのが「稽古」なんだと思う。

だから、私は稽古時間になると「はい」という返事と台詞しか殆ど口にしない、それなのに2日目の飲み席で言われたのは「前川さんは言葉で埋めようとする」、これは具体的な芝居の場面のことじゃなくて人と話しているときについての雑談で出てきたことなのだけど、やはりそれでも「ははあ、なるほど」と解釈して今日の稽古に持ち込んでやろうと企むわけで。

芝居には、「これはこうでなければいけない」という決まりがない、その分、壮大なる無駄な「ハズレ」が生み出される、「それはこういうことですか?」のハズレに対して「ははあ、それもありだね、でももっと、こう」と付け足されそこでも「それはこういうことですか?」を返していくことを繰り返す、100個のハズレが出た頃には1つの物事へのお互いの解釈が広がり深まって、当たりゾーンに球が飛ぶ、「あ、そんな感じ」がようやく見え始める、しかしそこでも「そんな感じってこんな感じ?」をやってみせてまたハズレ、結局のところ当たりなんて狙えやしない。

日常で、向き合う人の言葉を100%真っ当に理解して返事をすることなんて滅多にない、自分が喋る言葉の意味をきっちり解釈として定義できることだって殆どない、いつだってブレブレのまんまハズレばっかりを打ち出すそこに会話があって、今自分が口にした言葉を反芻しながら沈黙し、ろくろく言葉を組み立てないまま次のことを喋り始める。

稽古場でのブレや迷いや焦りはそのまんまそれになる、芝居のリアリティーというのはそういうことなんだと思う、そして、芝居をやっている人が皆そういう感覚を持っているかといえばそうではない、たまたま寺十演出は私にとってどこの誰よりも判り易い、感覚の違いで「そうくるか」と面白がることはあっても「それどういうこと?」と混乱したり疑問のまま手を伸ばせずにいる瞬間が欠片もない、「はい」と言って台詞でやってみせることで稽古時間がきっちり成立する、そこんところを「通じるから俺もやり安い」と言ってもらえたから多分その感覚は間違っていない、しかも「よく前川さんについてってるよね」と寺十さんの瀧川評があって、瀧川くんに「寺十演出しんどくない?」と訊いたら「全然!」と朗らかな笑顔、今回のように直感的に企画そのものに乗っかって集まったそれぞれがそこんところに共通の意識を持っているケースはかなり希で、芝居の稽古場としてこれほどの充実はない。

ムック、怖いだろうな。自分の稽古が後回しで焦ってんだろうな。
今日は稽古開始前にムックとお茶する。
昨日稽古場でそう言ったら瀧川くんも寺十さんも「なんで?!」と食いついたのが可笑しかった。

芝居やってくしかない連中の、さて何をやろうかという演劇に対する愛の「ゆくえ」、同調できる希少な出会いを尊ぶ仲間に対する愛の「ゆくえ」、すべてはまだまだ「仮」のままどこに辿り着くのやら知れないが、彷徨う再中の「ゆくえ」そのものが「愛」に見えたらいい、映画版のタイトルは物語そのまんま「愛のゆくえ」を意味するけれど「(仮)」は実在する人の未来への、作り手からの愛だと思っている、演劇版の「仮」は、「(仮)」ってところが「愛」そのものなんだから、「愛のゆくえ(仮)」、これ以上この企画に相応しいタイトルはなかったなあと思っている。



【演劇】
続々ご予約を戴いています→ 愛のゆくえ(仮) ご予約ページ

【映画】
舞台挨拶とQ&Aにも登壇します→ 愛のゆくえ(仮) TIFF 作品情報ページ

  1. 2012/10/03(水) 10:53:14|
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